第38話 生命維持

 大槻家に到着した頃には、午後九時近くになっていた。

 二階には電気が灯っておらず、明るいのは居間のみだ。

 綾子ちゃんが言うには、自室は二階にあるらしい。

 まだ高校生が眠るような時間ではないし、家族とくつろいでいるのかもしれない。


 ……何もなかったことにしたいの宣言通り、こちらの綾子ちゃんは通常の日常生活を送っているようだ。

 

 俺は隠蔽で姿を消したまま、インターホンを押した。

 こんな時間に鳴らすのは非常識だが、これが一番穏便な方法なのだ。

 しばらくすると、足音と共に「はーい」という声が聞こえてきた。

 奥さん……つまり大槻古書店の店主さんの声だ。


 玄関が開けられる。


「あら? ……いない」


 いたずら? と首をひねる店主さんの横を、すり抜けるようにして中に侵入する。

 アンジェリカと綾子ちゃんも、同じように上がり込んだ。

 人が体を掠める感触があっただろう店主さんは、「風!?」と素っ頓狂な声を上げた。


 三人の透明人間は、大槻家の廊下を忍び足で進んでいく。

 隠蔽の効果で足音も消えているはずなのだが、精神的な理由からついやってしまうのだ。

 俺は綾子ちゃんの案内で居間に向かうと、まっすぐにもう一人の綾子ちゃんに近付いた。

 テレビに目をやりながら、父親と談笑する黒髪の少女。


 どう見ても人間にしか見えないし、おそらくその通りだろう。

 ステータス鑑定。解呪。俺に出来る手段は全て用いて、調べてみる。

 が、やはり大槻綾子本人としか思えない結果が出てくる。

 

 つまり今、同じ部屋に二人の綾子ちゃんがいるのだ。不気味な光景である。

 もう一人そっくりさんのペアがいるのも、それに拍車をかけている。

 綾子ちゃんと仲睦まじげに会話している父親は、俺とよく似ている。二十年後の自分と言われたら、信じてしまいそうなくらいだ。

 人工の分身と、天然の分身。二種類の双子が揃った空間に立っていると、現実感が希薄になってくる。


「じゃあ次は身体検査ですねー」


 俺が一人で頭をくらくらさせていると、アンジェリカがずい、と前に出た。

 また例の、ホムンクルスかどうかの検査が始まるのだろう。

 ……え?


「親御さんが見ている前で、綾子ちゃんの体をまさぐる気か?」

「だってさっさと終わらせたいんですもん」

「お前に慈悲はないのか!?」

「持ってますけど、全部お父さんに向けてますし。他の人に与える分はありませーん」


 言って、アンジェリカはおもむろに綾子ちゃんの襟に腕を突っ込んだ。

 ここから先は見るべきでないと思ったので、目を閉じる。


「……ひぁ!?」


 いかん、音も聞こえないようにせねば。

 俺は両耳を手で覆って、ことが済むのを待つ。


 数分が経過。


 ちょいちょいと裾を引っ張られる感覚があったので、目を開ける。


「終わりましたよ」


 雑用をこなしただけですが? みたいな表情のアンジェリカ。

 だが背後の綾子ちゃんは首まで真っ赤に染まっていて、パジャマのボタンがいくつか外れていた。

 俺と瓜二つな親父さんが、気不味そうに咳払いを繰り返している。

 

「……綾子。なんのつもりか知らないが、父親の前でそういう真似はだな……」

「……ち、違うの……急に、体が、変になって……」


 くてんとソファーに倒れ込む綾子ちゃんを横目で確認しながら、アンジェリカは事務的な口調で告げる。


「やっぱり人間そのものでしたね。アヤコさんは増殖してらっしゃる。同一人物が二人います。これはもう間違いありません」


 俺達と一緒にやって来た方の綾子ちゃんはというと、家族が見ている前でもう一人の自分が痴態を晒すはめになったことに、大層怒っていた。


「場所を! 考えて! 下さい!」


 とアンジェリカに掴みかかっている。


「そんなこと言われましても。私もう眠いですし、お父さんも疲れてるんですよ。早いとこ済ませて帰りたいじゃないですか」

「じ、自分が同じことをされたらどう思うか考えて下さい!」

「……私がですか? ……んー。もしお父さんに見られてるのに、女の子に体を触られたとしたら――」


【アンジェリカの性的興奮が70%に到達しました】


「――興奮するでしょうね」

「人でなし!」


 ポカポカと綾子ちゃんに叩かれながら、アンジェリカは「悪かったですよ」と繰り返している。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいってば。よくわかんないんですよ。男親にそういう声を聞かれるのって、そんなに恥ずかしいことなんですか?」

「当たり前じゃないですか! ありえないですよ!」

「……? 血が繋がってたら、別に何見られても平気なものなんじゃないんですか? 書物ではそう学びましたけど」

「ええ……?」

「家族ってなんでもありなのかと思ってたら、案外タブーが多いんですね」


 混乱したままの綾子ちゃんに、そっと耳打ちをする。


(すまん。アンジェリカはなんていうか……生まれてすぐに、修道院みたいなとこに引き取られたんだ。ずっとそこに隔離されて、血の繋がらない女の人達と共同生活してたんだよ。実の家族なんて見たこともないはずだ。おかげで家庭ってものをあんま理解してない。というか世間の常識をほとんど知らない)

(……じゃ、じゃあ、父親の顔も知らないんですか)

(そうなるな)

(嘘……!? なんで生きてるんですか!?)

(え?)

(女の子っていうのは、お父さんがいないと死んじゃう生き物なんですよ……!? 父親の声を聞かない日が三日続くと、呼吸困難になるんですよ……?)


 それはファザコンをこじらせてる人種だけでは、と言いたいところをぐっとこらえる。


(だからほら、俺が父親代わりになったんだよ)

(……そうだったんですね……中元さんは、アンジェリカさんの生命維持装置だったんですね……)

 

 何か思うところがあったのか、綾子ちゃんの目はすっかり穏やかなものになっている。

 慈悲の篭った瞳で、アンジェリカを見つめていた。涙まで流している。

 肺をもぎ取られたも同然の境遇なのに、今までよく生きてこれましたね、と小声で呟いたりもしている。

 

「なんでしょう。急にアヤコさんの視線が優しくなったのですが」

「人類愛ってやつだ。気にするな」


 まあとにかく、やることはやったのだ。

 俺達はアパートに戻ることにした。

 



「結局お父さんが言ってた、人を増殖させる方法ってどんなのなんです?」


 なんか自分でもやれるとか言ってましたよね? とベッドに寝転がりながらアンジェリカは聞いてくる。

 ……スカートがべろりとめくれている。はしたないぞ、と直してやる。

 

「別にお父さんなら見てもいいのに」

「よくない」


 バスルームからは、パシャパシャと水音がする。 

 綾子ちゃんがシャワーを浴びているのである。

 あっちにも危険物、こっちにも危険物。自室だというのに、まるで心が休まらない。


「どうやって増やすんです? 教えて下さいよ」


 うつ伏せになり、首だけで振り向きながらアンジェリカは言う。

 ポーズといい顔立ちといい、まさに猫といった感じだ。


「半分にするんだよ。それだけだ」

「そんな大雑把な。切り分けるだけで人間が増えたら、誰も苦労しませんってば」

「でもやろうと思えばやれる。……技術的には可能なんだが、正気の沙汰じゃない」


 俺は財布から千円札を取り出すと、アンジェリカの前に掲げてみせる。


「お札でしたっけ、それ。紙がお金の役割を果たしてるなんて、変な感じですね」

「硬貨より便利だけどな。大きな額を扱うなら軽い方が便利だろ。コインの山を抱えて歩くのって大変だからな」

「それはそうですけど……。で、そのペラペラのお金がどう関係あるんです?」


 ピンと張った紙幣の真ん中に、数ミリほど切り込みを入れる。

 ぴりり、と小さな音がする。


「いいんですかそんなことして?」

「いいことではないな。だがこの程度の破損なら問題なく使える」

「もっと破損したら?」

「三分の二以上の面積が残っていたら、銀行でちゃんとしたのと交換して貰えるんだ」


 面積に制限を設けないと不味いもんな、と俺は言う。


「子供の頃はそんなの知らなかった。単に破れたお札は銀行で新しいのと交換して貰える、ってことだけ小耳に挟んでたんだ。だからぴったり半分に切れば、両方を新品と取り替えてくれるんじゃないか、一枚のお札から二枚のお札が手に入るんじゃないか、と思い込んでた。おふくろにそれを話したら、笑われたけどな。三分の二以上の大きさがないと駄目だよって」

「……一枚から二枚の、ですか」


 でな、と俺は続ける。


「俺は勇者時代、首を切り落とされたことがある。事前に自動回復魔法リジェネーションをかけておいたから助かったが、あれは二度と経験したくない」


 魔法というのは、何をやらせても機械的に処理するのである。

 例えばバラバラに刻まれ、それでもまだかろうじて絶命に至っていない人物がいたとする。

 そこに回復魔法をかけるとどうなるか?


「最も体積の多いパーツ」が本体と認識され、それを起点に再生が始まるのだ。

 

 切り落とされた頭と、首なしの胴体があれば、後者が本体とみなされる。

 にょきにょきと胴体から首が生え、めでたく元通りというわけだ。


「俺の主観だとこうだ。『首に激痛を感じたところで、意識が途絶えた。次に目を覚ますと、目の前に俺の頭が転がっていた』……転がってるのは古い方の首だ。そいつと目が合った。驚いていたよ。考えたくもないが、向こうも自我があったんだろう。切断された首が死ぬまでの僅かな間だが、俺はこの世に二人存在していたことになる」


 ひょっとして今こうしてものを考えている俺の人生は、その時から始まったのかもな、なんて考えたりもする。

 俺の脳みそは魔法で錬成された、二番目の中元圭介なのだから。


「お父さん、なんで平気そうなんですか」


 アンジェリカは泣きそうな顔で、俺を抱き締めてきた。

 気持ちはありがたいが、もう十年以上も前の出来事なのだ。俺はとっくに割り切っている。


「気にしないでくれ。今の俺は便利なもんだな、ぐらいにしか思ってない。……これを悪用すれば、人間を増やせるよな?」

「……」


 アンジェリカは何も言わない。


「人間を正確に、同じ質量になるように二分割する。それらを魔法で再生させれば、両方が『本体』と認識されて、二人の人間が発生する」


 俺はヒトデやプラナリアの実験を思い出していた。

 あまりに再生力が高いため、メスで両断すれば二匹に増える生物。


「理屈では出来たとしても、普通やらないですよ」

「だろうな」


 アンジェリカは俺の背中をさすっている。


「だってそんなこと……無理です。正確無比な切断手段に、最高位の回復魔法。その二つを合わせ持ったモンスターなんて、聞いたことがありません」

「俺も心当たりがないな」

「……それを両立させられるのは、勇者くらいのものです」


 だがそうであれば納得がいく。

 勇者の保有する神聖剣スキルは、光と熱で断ち切る光剣を生み出す。

 これを用いれば傷口は焼き切られ、出血も起きない。

 背後から斬りかかられたというのに、綾子ちゃんが血を流さなかったのはそれが理由ではないか。


「異世界ってのは一つじゃないんだろ? 別の次元に……あるいは同じ世界でも、俺とは別の時代に喚び出されてた奴なのかもな」


 俺の言葉に、アンジェリカは鼻声で返す。


「お父さん以外の、召喚勇者?」

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