第117話 ヤクザ・ヒストリー

「おやおや。随分嬉しそうじゃねえか。なんだかんだ言って旦那も一人の男ってこったな」

「……別に。変な想像なんかしていない」

「ほお?」


 そりゃあ一瞬、十八歳以上の身分を手にしたアンジェリカは一体どんな迫り方をしてくるんだ? なんて考えたりはした。

 ひょっとして俺の好みに合わせて、団地妻シチュで攻めてくるんだろうか。エプロンと家計簿のみをまとった姿で、夜の町内会を申し込んでくるんだろうか、などとけしからぬイメージが湧きもしたさ。

 でもこれどっちかというと綾子ちゃんやフィリアの方が似合いそうだな、などともっと下らないことを考えたりもした。


 だが俺の心は清い父性の水で満たされており、すぐに欲望の炎をかき消すことができるのである。

 公然と女子高生への欲望を口にする権藤とは、精神構造が違うのだ。

 根本的に同年代の女が好きという性癖上の理由が一番大きい気もするが、とにかく俺のモラルを甘く見ないで頂きたい。

 

 だから、胸を張って言い切る。


「俺は、子供に対して欲望を抱いたりしない」


 権藤は鼻で笑っていた。まるで信じているようには見えない。


「子供、ね。アンジェリカちゃんがか。はっ。笑わせるね。実年齢の十六でもとっくに結婚できる年齢だってのに、どこが子供なんだ? あんだけ立派なもんも付いてるってのに」

「Dの85だからって大人扱いしていい理由にはならない。あいつの中身はまだ思春期の少女だよ。必要なのは恋人じゃなくて保護者だ」

「なんで正確にカップサイズ把握してんだ?」

「……」


 俺のせいじゃない。綾子ちゃんと仲睦まじそうに身体計測している時の会話が、耳に入ってしまったのだ。

 

「娘の胸囲に詳しい親父なんて、そうそういねえだろ。ほら見たことか。やっぱり旦那はこっち側なんだ」

「こっち側?」

「あんたも俺と同じで、『JK食いおじさん』の素質があんのさ」


 そんな才能があってたまるか、と睨みつける。

 けれど権藤は愉快そうに笑うばかりで、ちっとも怖がりやしない。

 憎たらしいくらい肝の座った男だ。


「いいね旦那。その目つき、どっからどう見ても前科もんの目だ。誰だってぶるっちまう。おまけに息をするように十代の娘を毒牙にかけるってんだ。まさに理想のヤクザじゃねえか。さっさとうちの組に入っちまえよ? 絶対向いてると思うぜ」

「お前は事あるごとに俺を勧誘してくるな」

「当たり前だろう。今時はどの業界も人手不足なんだ」


 うちに旦那がいれば怖いもんなしなんだけどなあ、と権藤は肩をすくめる。

 

「それに旦那がうちの組員になれば、アンジェリカちゃんがここに遊びにくるかもしれねぇしな。実年齢がJKのブロンド美少女と、定期的に会えるかもしれねぇんだ。最高じゃねえか」

「それが本命の理由だろ……本当にどうしようもないなお前は」


 というか保護者の目の前で下心を見せるな、と怒鳴りたくなる。


「どうしようもないってこたぁねえ。女は高校に通ってる間が一番輝いてる。まさに食べ頃ってやつだ。……JKってのは、なんであんなそそるんだろうなぁ」

「俺はそこまで女子高生にブランド力を感じないんだが……」

「あんた変態かよ? 男なら誰だって女子高生を好きになるもんだろ? 俺なんて女子高生が好きすぎて、女子高生から生まれてきたんだぜ」

「何を言ってるのかわからん」

「おふくろは俺を産んだ時、まだ十七歳だったんだ。泣けるだろ? セーラー服に身を包んだおふくろが、俺を腹ン中に入れて産婦人科に通ってたと思うと、それだけでぐっとくるね」

「お前のJK好きって、マザコンとも混ざってるんじゃないか……」

「起源なんざなんだっていい。とにかく制服姿の女子高生は地球で一番可愛い。俺が主張したいのはそれだけだ」


 旦那もそう思うだろ? と同意を求められる。

 しかし勇者として、いや一人の人間として、ここで頷くわけにはいかない。

 

「あのな――それは女子高生が可愛いんじゃなくて、制服が可愛いんだぞ」


 途端、権藤の目つきが鋭くなる。

 本気で人を殺しかねない形相である。

 以前ここで俺に腕を切り落とされた時よりも、はるかに怒っているように見える。

 お前の極道人生はそれでいいのかと言いたい。

 

「ちょっと待ってくれ旦那。今のは聞き捨てならねぇな。……殴り合いじゃ勝てねぇかもしれねえが、俺にだって譲れない矜持はある」

「こんなことで矜持を張るな。まあ聞け。学校の制服ってのは、きちんとしたデザイナーが手がけた上に、数万円もする高級品だろう? だからそのへんの女の子が自分のセンスで選んだ安い服を着るより、見栄えが良くなるのは当然なんだよ。仮に三十歳や四十歳が高校の制服を着ても、可愛く見えるはずだ。俺はアラサー女が母校の制服を着せられてるのが一番好きだ。わかるだろ?」

「全然わかんねえよ」


 権藤はきっぱりと否定する。


「三十歳を過ぎてたら、それは『女』じゃなくて『化石』だろうが。化石に興奮するなんて、考古学者くらいなもんだろ。俺にとっちゃ三十以上の女ってのは、博物館に展示されてるアンモナイトと同列の存在なんだ」


 やはり暴力団は言うことが違う。どこまでも反社会的な人物である。


「どうやらお前とは趣味が合わないらしい」

「同感だな。まさか旦那が十八歳以上に欲情するような変態だとは思わなかった」


 見損なったぜ、と権藤は息を吐く。


「もったいねぇな……俺が旦那の立場だったらとっくにリオもアンジェリカちゃんも自分の部屋に住ませて、同じベッドで寝たりするってのによ」

「そ、そんな淫行めいた真似が許されるはずがないだろ。何を考えてるんだお前は?」

「あったかJK布団に包まれて、夜を過ごす。日本中の性犯罪者がこいつを夢見て過ごしてるだろうさ。旦那ほど悪の素質があったら、容易に達成できたろうによ……なんでそわそわしてんだ?」

「なんでもない。それよりさっさと本題に入らないか? 少し俺達は無駄話しすぎているように思う」

「妙に急いでるな? まあいいが」


 俺は権藤の手からパスポートを引き抜き、パラパラとめくる。

 そしてとあるページに辿りついたところで、手が止まる。

 予想はしていたが、顔写真がかなり酷い。


「この女性、十九歳のロシア人なんだよな?」

「そうだ」

「全然アンジェリカと似てないんだが」


 なんというか、横幅がアンジェリカの二倍くらいありそうに見受ける。


「警察に提示を命じられたら、日本に来てから痩せたと言い張ればいい。ダイエットと化粧で人相なんて変わるもんさ」

「んな無茶な……」

「大体、人種が違えば顔の違いなんかわかんねーもんだよ。外人どもはよく、日本人は皆同じ顔をしてるって言うじゃねえか。俺らの方も欧米人は皆似たような顔に見える。そういうもんだ。そのソフィアちゃんとアンジェリカちゃんの区別なんざ、日本のおまわりにはつかねよ」

「大雑把すぎないか……? ていうかソフィアっていうのか、この子」

「ああ。なんでもソフィアってのは、若年層に多い名前だそうだ。昔からある名前なんだが、なぜかブームなんだとよ」


 レトロでありながら、同時にものすごく今時な名前ってことか。

 日本でいうところの「葵ちゃん」や「桜ちゃん」みたいなポジションなんだろうか?


「まあ、なんだっていいさ。助かったよ」


 礼を言って、手帳をポケットにしまう。

 もう用は済んだ。

 これ以上長居する理由はないし、さっさとずらかるとしよう。


 俺が立ち上がりかけると、権藤は「待ちな」と声を上げた。


「なんだ?」


 まさかただじゃ渡せないとでも言うんだろうか。

 相手は裏社会の人間。何を要求してくるかわからない。

 俺は咄嗟に身構える。


「おっかねえな。別にやり合うつもりはねえよ。単にこれは老婆心なんだが。旦那は今、公安とつるんでる。そうだろう?」

「……そんなことまで調べ上げたのか」

「俺の方から調査したわけじゃない。向こうから近付いてきたんだ」

「何?」

「旦那の身辺調査ってやつじゃねえかな」


 杉谷さんは、俺がヤクザと取引していることを把握している?

 ……穏やかそうに見えて、食えない人物らしい。


「そのパスポートを手配するのを黙認するどころか、部分的に手を貸してきたんだぜ、あいつらは」

「どういうことだ」

「その方が旦那のやる気が出ると踏んだんじゃねえかな。要するに、その身分証は本当の意味で国のお墨付きってわけだ。胸を張って使うがいいさ」

「……そうさせて貰うよ」


 悪い話ではない。そう思いたい。

 考え込む俺の目の前で、権藤は静かに笑っている。ククククク、と喉奥で響かせるような笑い方だった。


「美味い話が転がり込んだって言っただろ? ありゃあそれ絡みの話だ。俺らの組は今後、公安の許す範囲内で自由が認められる」

「……そんなことがありえるのか」

「ただしお行儀よくしろとは命じられてるがな。ウリだのヤクだのは禁止だそうだ。そんでもって旦那からの頼まれごとは、何でも聞いてやれだとよ。要は法律でカバーできないゾーンから、旦那を手伝えってこったな。田舎ヤクザから一転、国家組織の下働きよ。俺らも出世したもんだね」

「先祖帰りと言ってたのは、その件か」

「そうだ」


 何が先祖帰りなんだ? とたずねる。


「ヤクザはほんの数十年前まで、似たようなことやってたからさ。そん時の飼い主は公安調査庁でなく、警視庁だが」

「……警察と癒着してたっていう話か?」

「癒着じゃない。正式な依頼だ」


 権藤は目を細めて語る。


「これは俺の親父――親父といっても血の繋がった父親じゃねえ、組長から聞いた話だがな。戦後間もない頃、ヤクザはヒーローだったんだ。闇の警察官だったのさ。敗戦の混乱で世の中は乱れ放題だったからな。治安維持に警官を動員しようにも、大量の若い男がまだ戦地から引き上げてないって有様だ。警官だけじゃ人手が足りねえ。とにかく誰でもいいから、喧嘩自慢な男は片っ端から使わなきゃなんねえってとこまで追い込まれてた。たとえそいつらが反社会的な集団だろうと、国内にいるならなんでも良かったんだ」

「それがヤクザだって言うのか?」

「そうとも。ヤクザは悪党だが、さすがに自分の住んでる国が完全にぶっ壊れちまったら生きてけねえ。必死で世の中のために働いたんだろうさ。昭和の日本がヤクザに甘かったのは、このせいだ。昔の映画じゃ俺らは好意的に扱われてるだろう? やれ人情だ任侠だってね」

「お前らの願望じゃないのか、それ。本当にあった話なのか?」

「もちろんさ」


 考えてみろよ、と権藤は言う。


「こんなに堂々とマフィアが事務所を構えてるのは、日本くらいのもんだ。外国はもっと取締が厳しい、だからこそこそと活動する。有名所じゃ、アメリカにイタリアンマフィアってのがあるだろ。映画にもなった連中だが、ありゃあ今じゃもう珍しい存在だそうだ。行政が本気になって対策したから、大打撃を受けたらしい。わずかに生き伸びた構成員は地下に潜って、もはや懐かしい存在となりつつある」

「それが事実なら、確かに日本のヤクザは恵まれてるな」

「お上の犬をやったご褒美ってやつだな。見逃されてんのさ、色々と。もっとも今ではその貯金も切れかかってて、年々扱いが悪くなってるが」


 なあ中元の旦那よ、と権藤は唇を歪めた。


「言わば俺らヤクザとお偉いさんは離婚調停に入ってたようなもんなんだが、それが旦那のおかげで復縁できたわけだ。嬉しい限りだね、全く」


 お前に感謝されてもな、と微妙な気分になりながら、腰を上げる。

 今日の俺は忙しいのだ。早めに移動しなくては。

 

「俺はもう行く。見送りは要らない」


 おうよ、とぶっきらぼうな声が返ってくる。

 俺は背中でそれを聞くと、スタスタと入り口に向かって歩き始めた。


 ……それにしても。

 思っていた以上に杉谷さんが有能さんだと判明したのは、収穫だろうか。

 かなり手回しがいいように感じる。

 もしかして交渉次第では、アンジェリカにもっといい待遇での滞在許可をくれたりするんだろうか?

 フィリアの分や、二人に増えてしまった綾子ちゃんの処遇など、様々な件について相談できる人物なのだろうか?


 もうしばらく観察を続けてみるべきか?

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