第116話 合法アンジェリカ

 アパートを出ると、俺はまず権藤の事務所に向かった。


 社会的には一番許されない相手なのだろうが、全てはアンジェリカのため。

 公的な身分がないのは何かと不便なので、早いとこ身分証を与えてやりたいのだ。


 ビザがあれば、アンジェリカは職務質問を恐れずに堂々と外出ができる。

 バイトだって始められるかもしれない。


 きっと喜ぶぞあいつ、と頬をほころばせながら足を進める。

 進めるというか、滑空すると表現した方が正確な移動手段だけれど。

 隠蔽魔法をかけて、建物を上から上へと飛び移っての時間短縮。

 今日はスケジュールに余裕がないので、やむを得ないのだ。


 跳躍と着地を繰り返し、風を切って進む。

 しばらくそうやっていると、前方に権藤の事務所が見えてきた。

 二階建てのオフィスと、それを取り囲むコンクリートの塀。

「絶対これ銃撃から身を守るためですよね」な外観で、どこからどう見てもカタギの住まいではない。

 駐車場に至っては、黒塗りのベンツが停まってるしな。


 表向きの身分は建設会社だが、近隣住民は誰も信じていないのではなかろうか。

 確実にヤクザのお家と気付いているはずである。

 こんな隠れる気がゼロの悪の巣窟に、有名人である俺がお邪魔するわけだ。

 一体どんな噂を立てられるかわからないので、事前に隠蔽魔法をかけたのは正解だった。


 すとんと音を立てて、事務所の前に着地する。続けざまに飛び上がり、塀を乗り越える。

 我ながらこそ泥みたいなことやってるなと思わなくもないが、反社会勢力とのお付き合いは世間の目を気にせざるを得ないのだ。


 俺はスマホを使って権藤に連絡を入れる。


『今敷地内にいる。玄関を開けてくれ』


 権藤はすぐさま返信を寄こしてくる。

 この男は意外にもレスポンスが速く、相手を待たせることがないのである。

 性格的なものなのか、それともヤクザ全体がこうなのか。


『わかってる。監視カメラにはしっかり旦那が映ってるからな。今迎えを走らせたところだ。ところで自分の目で玄関を覗き込むと、誰もいねえように見えるんだが。それどうやってんだ? 手品で透明になってんのか?』


 二階の窓を見上げると、スマホを耳に当てながら首を傾げている権藤と目が合った。

 あちらは俺と視線がぶつかっていることなんて、気付いていないだろうけれど。


『お前の知らない技術が世の中には色々あるんだ』


 そう打ち込んだところで、玄関の戸が開けられた。

 やはり不思議そうに首をひねっている強面の男が、「いるなら入ってくんねっスか」とぶっきぼらぼうに手招きをする。


 こいつ確か、俺がキングレオを助け出す時に殴りかかってきて、勝手に拳の骨を痛めた奴じゃないっけ?

 久しぶりだなおい、と相手には聞こえない声を発しながら、事務所の中にお邪魔する。

 扉が閉められ、外部の視線を気にする必要がなくなったのを確認すると、隠蔽を解除した。


「うおっ、急に出てきた」


 ぎょっとする男に軽く会釈を済ませると、二階を目指して歩き始める。

 長い廊下をまっすぐに進み、一度だけ曲がってから階段を上る。

 道中、チンピラ風の男達と何度もすれ違ったのだが、そのたびにひそひそと俺の噂話をしているのが聞こえた。

 

「なんでもどっかの研究所から奪ってきたiPS細胞で、兄貴の小指を生やしたらしいぜ」

「女子高生を調教して、毎日エロ写メを送らせてんだってよ……それだけじゃ足りなくて、外国から取り寄せた女子高生まで家で飼ってるそうだ」

「女子高生で自由貿易してんのか。悪の中の悪だわ」

「中卒の元引きこもりってことになってっけどよ、ぜってえ嘘だろ。きっと中学出てすぐ、務所に入ってたんじゃねえかな」

「本当に危ない奴ほど普通の格好してるって、マジだったのか」

「殺しで指名手配食らうような輩は、大体が地味な風貌だしな」


 聞き捨てならぬ発言をしながら、怯えたような視線を送ってくる下っ端ヤクザ達。

 中には憧れめいた目を向けてくる者までいる。

 ガラの悪いおっさんにきらきらした目で見つめられても、何も嬉しくないってのに。

 

 指でこめかみを揉みながら、俺は階段を上り終えた。

 権藤のいる社長室は、もうすぐそこだ。

 はやる気持ちを抑え、確かめるように歩く。


 以前俺が腕を貫通させて穴をかけて、金属扉が見えてくる。

 社長室だ。

 どうやらまだ修理が済んでいないらしく、穴の向こうを覗き込むことができる。

 

「おお旦那。来たか」


 と。

 その穴の奥からぬっと覗き込むようにして、権藤が話しかけてきた。

 

「ああ。……なんで直さないんだ、この扉」

「そんな金ねえよ。今俺らの業界は景気悪いんだ」


 その割に構成員の身なりや車は立派なままなので、単に直すのが面倒なだけなのかもしれない。

 あるいは壊しっぱなしにしておくことで、俺に負い目でも感じさせるつもりなのか。

 裏社会の人間なんだし、何を利用して自分のペースに飲み込もうとするのか、わかりゃしない。


 気を引き締めないとな、と自分に言い聞かせて、ドアをひねる。


「面と向かって話すのは久しぶりだな」


 言いながら、部屋の中に足を踏み入れる。

 以前来た時とそう変わらない、雑然とした空間だ。

 革張りのソファー。棚の上に飾られた日本刀。ガラス製の灰皿。

 本棚には法律関係の本がみっちりと詰まっていて、俺はこう見えてインテリヤクザなんだぜ? と言外に主張しているかのようである。


 実際のところ、権藤の頭が回るかどうかは知らない。

 糸のように細い目からは知性を感じなくもないが、それ以上に凶暴性や欲望を感じさせる顔つきだ。

 服装は相変わらず黒のスーツで、使っている生地も悪いものではなさそうに見える。


「まあかけてくれや」


 言って、権藤はてのひらで座るように促してきた。

 妙に動作が紳士的というか、機嫌が良さそうだ。

 何かいいことでもあったんだろうか?

 

 まあ変に揉めるよりマシか。

 彼女でも出来たのかもな、なんて想像しながら、ソファーに腰を沈める。

 ほぼ同じタイミングで、権藤も俺の向かい側に座った。

 

「旦那はすっかり名前が売れちまったな。今じゃテレビでも新聞でも引っ張りだこじゃないか」

「おかげ様でな。その分黒い交際にはこれまで以上に気を使う必要が出てきた。脅しの材料にでも使うか?」


 お前と関わってるのが露見しただけでも俺は追い込まれるだろうな、と笑って見せる。

 あえて弱点を晒すのは、そんなの全然気にしないんだぜ、というアピールでもある。


「旦那に歯向かったら全員あの世行きなのはわかりきってる。下手はこかねえよ。それに、美味しい話も持ち込んでくれたしな? 上手いことやったじゃねえか旦那。おかげで俺らは先祖帰りできそうだぜ」

「美味しい話?」

「あとで話す。それよりアンジェリカちゃんの件だが」


 欲しいのはこれだろ? と権藤は赤い手帳を取り出した。

 英語とはまた違う独特なアルファベットと、双頭の鷲が刻まれている。

 

「こいつがロシアのパスポートだ」

「やっぱ赤なんだな」

「こういうのの色に国の気質は関係ねえぞ、うちの国だって普通は赤だ」


 公務なんかで緑のを貰う奴もいるんだけどな、と権藤は言う。


「とりあえずおめでとうと言っとくか。これで愛しのアンジェリカちゃんは胸を張って日本で暮らせる」

「助かる。……確か滞在ビザってのはいくつか種類があったよな? 就労用とか就学用とか。これはどれなんだ?」

「あーその件だがな。なにせ貧しいガキンチョに作らせたものを買ったもんで、ただの就学ビザしか降りなかったんだなこれが。そいつで滞在できるのは九十日までだ」

「制限つきか……まあそれでも無いよりはマシだ」


 ありがとうと言いかけたところで、権藤が口を動かす。


「ずっと効力を発揮させる方法があるぜ?」

「なんだよそりゃ」


 権藤はニヤニヤと笑っている。


「中元の旦那が、アンジェリカちゃんと結婚すりゃいいんだよ。国際結婚だ。日本人の配偶者になっちまえば、いつまでも滞在できる」

「そ、そんな外道な真似ができるか。俺は義理の親父なんだぞ」

「そのパスポートを売った娘な、十九歳なんだよ。つまりそれを持ってる間、アンジェリカちゃんは十九歳として扱われる。書類の上では合法になったんだ、あの娘は。たとえ何をやろうと、お国が許してくれる」

「何をやろうと……?」

「ああ。本当はJKなのに、成人手前の扱いをしても文句なしだ。脱法JKになったんだ、あの子は」


 脱法JKの、合法アンジェリカ。

 その背徳的な響きに、脇汗がにじむのを感じる。

 今まであらゆる意味で違法だったアンジェリカが、紙の上では色々と大丈夫な状態になってしまうのだ。


 たまらず息を呑む。

 これじゃまるで、下心があると宣言してるみたいじゃないか。

 そんなつもりないのに。俺はあくまで、健全な親子でありたいのに。

 

 ためらう俺を他所に、権藤はさらに口角を釣り上げた。

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