第121話 中元圭介メンバー(32)

 そうして、どれくらい経っただろう。


 気が付くとリオは、俺にもたれかかるようにして座っていた。

 ぴとりと密着し、首をこちらの左肩に乗せている。

 目を閉じて口元に微笑を浮かべ、手は俺の太ももを撫で回していた。

 完全に彼女面である。


 ……ていうかいつの間にこんなに密着したんだろ、こいつ。


 どうも鼻の周辺を拭かれ始めてから意識が朦朧としてきて、記憶が曖昧なのだった。

 いい匂いってのは、限界を突破すると記憶を飛ばすこともできるんだな――などと感心しながら視線を下げると、左膝の上にブラジャーが置かれていた。

 

 さっきまでこれで顔面を拭かれていたのだと思うと、現実感が遠のいてくる。

 女子高生の脱ぎたて下着で、顔という顔をゴシゴシと拭かれた三十二歳。

 俺の人生、どうなっちまったんだ?


 そっと、確かめるように己の額に触れる。それから指先を鼻の前に持っていき、匂いを嗅いでみた。

 ……ぷうんと、女子更衣室の匂いがする。

 いや女子更衣室に入ったことなんてないのだけど、とにかくそんな感じの香りが漂ってくる。

 明らかに三十を過ぎた男の皮膚から放たれていい匂いではない。


 もはや、俺の顔は女子校だった。

 額が女子更衣室で、鼻が女子トイレだった。

 顔中女子高生まみれだった。


 誰がどう見ても事案であり条例違反であり、このままでは社会的にとても不味い状況に陥るだろう。

 なんとかして主導権を取り返さなくては。

 だが、どうすればいいのだろう?

 リオの手は俺の内ももをあたりを優しくさすっており、これもまた許されざる領域に突入しようとしている。


 もちろん力任せに引き剥がせばいいだけなのだが、「悪い気分ではない」という大問題があるため、中々強く出れない俺がいた。


 要するに、意思がくじけようとしているのだった。

 リオの色香を前に、理性がトロトロに液状化し始めている。


 なんか、もう、法律とかどうでもよくね?

 大人の倫理観なんか放り捨てて、ここで欲望の渦に身を任せてしまってもいいんじゃないか?

 リオを押し倒してやることやってしまえば、きっと天にも昇る心地だろう。

 仮に事が露見してマスコミや警察が騒ぎ立てようと、俺の戦闘力があればそいつらを黙らせるくらいわけもないんだし――


 ――俺、今何を考えた?

 

 はっと我に返る。

 内なる善性に耳を傾け、必死に砕け散った理性のかけらを拾い集める。


 ……駄目だ。

 リオと関係を持ったりしたら、駄目だ。あげくそれを正当化するためにメディアや公権力を脅すなんて、もっての他だ。

 そんなことをしたら俺は、勇者ではなく魔王になってしまう。

 

 俺はこの力を正しく使わなければならない。

 強き力は弱き者のために。

 歪んだ我欲を満たすために暴れるなんて、あってはならないことだ。

 思い出せ、初心を。俺は生き残るため、そして魔物達からエルザを守るため、強くなったんじゃないか。

 決して、JKとえっちするためなんかじゃない――!


「……ああ……」


 危なかった。

 あと少しで負けるところだった。堕落して悪の道を歩み、史上最悪の色魔としてこの国をめちゃくちゃにするところだった。

 あっちの世界で魔族に「世界の半分をやろう。我が配下となれ」と誘われた時は毅然として断ったのに、女子高生のブラジャーで闇堕ちしたら格好つかないにもほどがある。

 本当に堕ちなくてよかった。


 ……それにしても、リオの脱ぎたて生下着にここまでの破壊力があるとは。

 シリアスに自分との戦いをおっ始めるくらい破壊力があったぞ。

 まあ、無事に乗り越えたんだけどな。


「……ふう」


 冷静になった頭で、リオの顔を見やる。

 うっとりと俺の感触を楽しむその表情は、まさに雌と言っていい。

 少女ではなく、女。

 けれど法的にまだ十六歳の児童で、大人が性の対象として見てはいけない存在なのだ。


 俺は成人男子として、こいつを真っ当な道に連れて行かなくてならない。


「リオ」

「なに?」

「俺の太ももをスリスリするのは止めなさい。……俺達は恋人同士じゃないし、お前は未成年だ。お前の親御さんが知ったらどう思うか想像しろ」

「母さんが知ったら、自分も中元さんの体触りたかったって羨ましがるんじゃないかな。クソビッチだからねあの人」

「……なら父親がどう思うか想像しろ、お前の実の父親がだ」

「あたしの実父って元ホストのろくでなしだけど? 暇さえあれば女の子孕ませまくってる外道らしいし、あたしがどの男と関係持とうがなんとも思わないんじゃない?」


 家庭環境が悪すぎて、普通の説得が効かない。

 というかお父さんはホスト上がりか。それでやたら顔がいいのかもなこいつ。

 

「……とにかく俺から離れろ。男女ってのはもっと節度のある付き合いをしなきゃならんもんだ」

「それが部屋に何人も女の子を連れ込んでる人の台詞?」


 リオは急にどうしたんだこいつ、とでも言いたげな顔で俺を見ている。


「ってかなんでいきなり常識振りかざし始めたの。キャラ変わってない?」

「俺はいつだって常識的だし、生まれてこの方一度も十八歳未満をいやらしい目で見たことのない大人の男だ。お前に女として振る舞われても、罪悪感しか感じない。さあ、わかったら俺を触るのは止めなさい」

「誰この人……」


 しきりに困惑するリオだったが、しばらく考え込んだかと思うと一人で「ああ」と納得した。


「そっか。男の人がイチャイチャしてたら突然冷めた様子になるのってあれだよね。賢者モードってやつ。……あたし気にしないからトイレ行っていいよ。そのままじゃ気持ち悪いでしょ」

「全然違うわ!」


 最低の解釈に本気で怒りつつ、話を進める。


「はっ、とにかくな。俺はもう今日はお前に何をされようとそういう気分にはならん。無駄だからな」

「……あっそ」


 テーブルに放置していた湯呑みを掴み取り、ずずずっとすする。

 ほうじ茶のほのかな苦味が、心を落ち着かせてくれる。

 さあ、本来の目的を果たさねば。


「遊びの時間は終わりだ。俺の忘れ物とやらを持ってきてくれ」

「えー。もっとイチャイチャしよーよ」

「本気で怒るぞ。今日はまだやることがあるんだ」

「はあ」


 ありえないんだけど、とブツブツ愚痴りながらも、リオは腰を上げた。

 ……既に持ってきているだとか言ってたのに、取りにいくのか?


「どこいくんだ?」

「お茶請け持ってくる」

「……そうか。悪いな」

「中元さんって不能なんじゃない? ほんと信じらんない」


 ここまできといて、とプリプリしながら台所に向かう背中を見送る。

 まあ俺ほど理性的な男はいないからな……と各方面から突っ込みが降り注ぎそうなことを考えていると、お盆を抱えたリオが戻ってきた。


「早いな」

「最初から用意してたからね」


 遠慮せず食べてよ、とカラフルな包みを三つほど渡される。

 チョコ菓子か何かだろうか?


「洋菓子か? 日本のと雰囲気が違うな」

「っぽいね。母さんが客から貰ったやつみたいで」

「……お前のおくふくろさんって今も夜の仕事してるんだっけ」

「今は二十代のふりしてキャバやってるよ」

「マジか。そういや俺とあんま歳変わんないだっけ。……お前の母親となると顔もいいだろうしな……二十代で押し通せちゃうのか」


 何変なタイミングでおべっか使ってんの、と照れるリオを眺めながら(今の発言に喜ばせるようなポイントあったか?)、包を開ける。

 予想通り、大粒のチョコレートがコロンと転がり出てきた。


「俺甘いのって目がないんだ実は。いや、気が利くなしかし」

「でしょ? 中元さん下戸だって聞いてたからさ。お酒弱い人って大体甘い物が好きだよね」

「そうなんだよな。不思議なもんだ」


 いいぞ、すっかり雰囲気が健全になってる。

 俺は無害な親戚のおじさんにでもなったかのような気持ちで、チョコを口に放り込んだ。


「……?」


 が、口内に広がる不快な苦みに言葉を失う。

 なんだこれ。

 毒?

 反射的にリオを睨みつけると、してやったりな顔で笑っているのが見えた。


「……お前……なに持ってきた……?」

「んふふ。ウィスキーボンボン」

「……っ。中にアルコールの入ったやつか……! クソッ、キャバクラの姉ちゃんに客が渡す土産だもんな……!」


 慌てて吐き出そうとするが、時すでに遅し。

 半分近くを飲み込んでしまっている上に、さらに追加で二つも口の中に放り込まれる。

 

「ぺっしちゃ駄目ー」


 そして、とどめの口付け――

 あろうことかリオは、自身の唇で俺の口を塞ぎ、舌と唾液を用いてチョコレートボンボンを流し込んできたのだ。

 強制的に、恐ろしい度数のアルコールを体内に注ぎ込まれる。


 くらり、と頭が傾くのを感じた。


 燃え上がるような胸焼けのせいで、上手く息ができない。

 必死の思いでリオから離れるも、既に酔いが回り始めている。

 

「お……俺がどのレベルの下戸なのかわかってるのか……? 自分で飯作ってて、料理酒の湯気で酔ったりするんだぞ……?」

「だから酔わせたんじゃん」


 リオは悪魔の笑みを浮かべながら、唇の端を舐めている。キスの余韻に浸っているようだ。


「悪いけど、今日は中元さんと最後までするって決めてるから」

「……酔い潰して無理やり……だと……普通こういうのって……男女逆だろ……?」

「大丈夫大丈夫。ちゃんと気持ちよくするから」

「……お前、処女だって言ってなかったか……?」

「そうだけど、動画とか観て勉強したし。色々試したいことあるんだよね」


 色々ってなんだ?

 若干興味はあるが、それでもこれは……こんなのはよくない、のに……。

 酩酊状態に陥った俺の脳は、上手く思考が働かなくなり始めている。


「中元さんを十歳の男の子に見立てて、あたしがお姉ちゃんみたいにしてあげるのとかー。逆に中元さんをご主人様みたいに扱ってあげるのとかー。なんかアクロバティックなのとかー。全部一気にこなしたら、楽しそうじゃん?」


 自分で自分の言葉に興奮しているのか、リオの頬は見る見る赤みを帯びていった。

 心なしか、息も荒いように感じる。


【斉藤理緒の性的興奮が70%に到達しました】

【同意の上で性交渉が可能な数値です。実行に移しますか?】

【実行した場合、一定の確率で子供を作ることが出来ます】

【産まれた子供は両親のステータス傾向と一部のスキルを引き継ぎ、装備、アイテムの共有も可能となります】

【また子供に対してはクラスの譲渡も可能となります】


 このままでは、謝罪会見を開くはめになる……。

 不穏な想像に怯える俺をよそに、リオはショーツを脱ぐ動作に入ろうとしていた。

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