第55話 お父さんなんかきらい
ドアを開けると、アンジェリカと綾子ちゃんに出迎えられた。
「あれ? 一人ですか? 他のお父さん達はどうしたんです?」
どう答えるべきか? 決まっている。
二人のうら若い少女に、精神的な負担をかけない回答をするべきだ。
「あいつらなら旅に出たよ」
「……どういうことですか?」
「Bは北国に、Cは南国に向かうらしい」
「ええー!」
聞いてないですよー! とアンジェリカは唇を尖らせる。
「お父さんがいっぱいいて、楽しくなると思ってたのにー」
「あいつらはあいつらで、俺がやりたくてもやれないことをやってるんだ。割と幸せだと思うぞ?」
「……私を置いてどっか行っちゃうのが、お父さんの夢なんですか?」
「いやそうじゃなくて……田舎で農業とか漁師とか、そういう願望があってだな。それにほら、三人の俺が一人のアンジェを取り合うとか、嫌だろ?」
「むしろそれを求めてたのですが」
「正直だな」
ポンポンとアンジェリカの頭を撫でながら、俺は部屋に上がり込む。
鍵をかけて、やっと取り戻した日常に安堵する。
「俺はもう寝るけど、アンジェはどうする?」
「……実はいうと私も限界でして」
「なんだ、眠いのに俺が帰ってくるの待ってたのか?」
当たり前じゃないですか、といい笑顔で返される。
綾子ちゃんも隣でコクコクと頷いていた。
やっぱこうでないとな。
子供が楽しそうだと、気分が明るくなる。
俺は鼻歌混じりに着替えを済ませると、床の上に毛布を敷いた。今日もこれにくるまって寝るのだ。
ベッドはやはり、女子二人に差し出したままである。
「おとーさーん、こっち来てもいいんですよ」
「行かない行かない」
丸一日動き回ったせいか、まぶたが重い。
すぐにでも眠れそうだ。
「おやすみ」
一声発して、俺はリビングの灯りを落とした。
意識が落ちるまでの間、自分の行動を振り返ってミスがないか確認する。
手抜かりはないか?
俺は失敗してないだろうか?
大丈夫だ。
俺は今度も切り抜けた。
アンジェリカが泣かないのであれば、それでいいのである。
世界を救うためにどうこうとか、そういうのは異世界でうんざりするほど堪能した。
今の俺は、身内の安全さえ保証されれば十分だ。
頭の中がふわふわになって、まどろんでいくのがわかる。
夢を見ているのか、それともまだ現実なのか。
よくわからなくなってきたところで、布の滑る音が聞こえた。
ベッドから降り、這うようにして近付いてくる何者か。
暗がりの中で目を開けると、少女は俺の胸にぴとりと顔を当てていた。
「アンジェか」
一体何を考えてるんだか。
十六の娘が父親に添い寝を求めるなど、不健全極まりない。
「甘えたくなったのか? 一人で寝れる歳だろ」
そうじゃなくて、とアンジェリカは囁く。
俺の耳元に顔を寄せ、声を押し殺して言う。
「他のお父さん達を消しましたね?」
「……何?」
体がこわばるのがわかる。
なぜだ? どうしてわかった?
俺はどんなヘマをした?
目まぐるしく己の行動を回想していると、アンジェリカは再び言葉を発した。
「……さっき私、新しいスキルの使い方が頭に浮かんできたんです。真夜中にレベルが上がったんですよ。おかしいですよね、戦闘もしてないのに」
「あ」
しまった、と俺は拳を握る。
「考えられるのは一つしかありません。パーティーメンバーの誰かが、私からそう離れていない距離で、とてつもなく強大な存在を倒したんです。これなら一緒に戦闘したってカウントされて、経験値が入りますもんね?」
「……糞っ。しくじった」
そうなるとアンジェリカだけでなく、綾子ちゃんも超人めいた能力を手に入れた恐れがある。
もっと離れた場所で圭介達を消せばよかった。いや違う、あいつらに自害させればよかったんだ。
そうすれば経験値なんて獲得せずに済んだ。
「……やっぱり俺は馬鹿だな。ろくに教育を受けてないだけある」
「自分のこと馬鹿って言うのやめて下さい」
好きな男の人を悪く言われて、いい気分なわけないでしょう? とアンジェリカにたしなめられる。
「自分で自分を貶すのも駄目なのか」
「駄目です」
アンジェリカの柔らかな手が、俺の拳を包み込んだ。
「なんで自分を殺したりしたんです……? どうして……!? 他のお父さん達と、仲良く暮らす選択肢もあったでしょう?」
「社会を無闇にかき回すべきじゃない。それに本人達も納得の上だった。最初からこうするつもりだったんだ」
「……意味わかんないですよ……?」
「お前にはわからないかもしれないが、勇者ってのはそういうもんなんだよ。ただの人間じゃない、公人だ。いや公共物だ。敵を倒す。味方を守る。そのためならなんだってする」
引くだろ? と開き直って見せる。
「俺の死生観はもう、お前らとは違うんだよ。別に理解してくれなくていい。気味が悪いと思ったなら、さっさと離れて寝ろ」
夜のとばりの中でも、アンジェリカの瞳はきらきらと輝いている。
全てを見透かすような、緑の光。
「……アヤコさんも、片方は消えた方がいいとか思ってます?」
「思わないね。綾子ちゃんが消滅するのは可哀想だ。他の増殖した連中だって同じだ」
「でも、お父さんは可哀想じゃないんですか?」
「俺はどう扱われようと構わん」
やけに突っかかってくるな、と髪を撫でる。
「何が気に食わないんだ? 俺は勝ったし、自分以外の損失はない。その自分ってのは元々この世にいなかった存在なんだし、実質的な損害はゼロだ。文句なしの勝利だろ?」
アンジェリカの目には、涙が浮かんでいた。
「……私、やっとわかりました。神殿にいた頃、本や伝聞でお父さんについて知るたび、無欲で献身的だなって思ってたんです。こんな素晴らしい勇者は他にいない、って。……でも違ったんですね。お父さんは単に、心の底から自分には価値がないと思ってただけなんですね」
「なんだ? やっと気付いたのか」
俺の人生は途中からエルザのためにあったし、そのエルザも死んでしまったので、誰の人生でもなくなった。
けれど今はアンジェリカがいてくれるので、こいつのために生きている。
優先順位は常に、身近にいる大事な女だ。
自分に興味がなさ過ぎるんだろう。
「もう寝ろよ。眠いのに重い話なんかしたくない」
わざとらしくあくびをして、話を切り上げたいとアピールしてみる。
けれど効き目なんか全然なくて。
アンジェリカは鼻を鳴らし、ついには泣き出してしまった。
「……頼むよ、それだけはやめてくれ……悪かったよ、ちょっと言い方がぶっきらぼう過ぎた」
アンジェリカは無言で首を横に振っている。いやいやをしているかのようだ。
「俺はどうすりゃいいんだ? 今の話の何がそんなに気に食わなかったんだ? あのな、アンジェのことはちゃんと大切に思ってるんだって。今日の圭介達みたいに、切り捨てたりしないから。俺は自分に対しちゃ合理主義だけど、女の子にはめちゃくちゃ甘いんだよ。マジだって。な? だから安心して」
「……お父さん、サイテー」
「……え?」
鈍感、鈍感、超鈍感! そんなことを言いながら、アンジェリカは両手で俺の頬を鷲掴みにし、唇を重ねてきた。
柔らかく、そしてかすかに湿った感触がする。
「自分を粗末に扱うお父さんは、嫌いです」
きらい、きらい、と言いながら何度も唇を押し付けてくる。
言動と行動が、まるで噛み合っていない。
「……お前、何したいの?」
「もういいですよ。言ってもわかんないみたいですし」
アンジェリカは俺の体に腕を回し、それはもう凄まじい力で抱きしめてくる。
「私、絶対にお父さんの子供を産みますからね。家庭を用意して縛りつけておかないと、ある日ふらっと消えちゃいそうなんですもん」
「……まさか今作ろうってんじゃないだろうな?」
「鈍感!」
【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの、中元圭介に対する庇護欲が2000上昇しました】
庇護欲……庇護欲だと?
こいつは今、そんな感情を俺に抱いてるのか?
「ありえないですよほんと……なんでこんな人好きになっちゃったんでしょうね」
なんて口では言っているが、優しげな笑顔になっている。
発言と表情がちぐはぐだけど、機嫌は直してくれたらしい。
「……明日からすぐ、子作り始めますからね……私はそろそろ限界なので、寝ます……」
「おいここで寝る気か。綾子ちゃんがなんて言うかわかんないぞ」
アンジェ、アンジェ、と頬をはたく。
だがレベルアップによって顔の防御力が上がったのか、それとも本当に寝落ちしたのか、無反応である。
「……わけわかんねーな」
諦めて、今日はアンジェリカとくっついて寝ることにした。
女にしては高めの体温とか、甘い香りとか、俺の胸板で押し潰されてる凶悪な弾力とか。
明らかに男の睡眠を阻害する気まんまんの体に、歯を食いしばっての眠りである。
しかも寝言で「お父さん好き」と呟いているときた。
「普通の男なら理性ぶっ飛んでるとこだぞこれ」
好きなのか嫌いなのかはっきりしてくれよな、とアンジェリカの髪を弄んでいるうちに、俺の方も夢の中へと誘われていった。
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