第100話 情報漏洩
アンジェリカはぐすぐすと鼻を鳴らしながら答えた。
「し、神官長が、私をママと呼び始めて」
「……倒錯的だな」
「そしたらママのおっぱいが欲しいと言い出しまして、それで」
「大体何があったのかわかった。それ以上言わなくていい」
怖かったな、とアンジェリカの頭を撫で、慰める。
フィリアの身体能力で迫ってきたら、まず振り払えないだろうし。
綾子ちゃんがデバフをかけて取り押さえたのか? と推測する。
「もうお嫁に行けません……」
よよよ、と泣き崩れながら、しなだれかかってくるアンジェリカ。
そんなにエグいことをされたのか、と綾子ちゃんに目で問うてみれば、「未遂です。中元さんに甘えたいがために被害状況を盛ってます」と淡々と解説された。
「そうか。案外たくましいなお前も」
ちゃんと宗教的な修行を積んできただけあって、実はめちゃくちゃメンタル強い疑惑もあるしな、こいつ。
……いや。
それを言うなら、フィリアだって神官として厳しい鍛錬を繰り返してきたのだ。
なのにこうして発狂してしまったのだから、結局は個人差が大きいのかもしれない。
元々神経質なところがあったし、脆い女だったのかもな、と泣きじゃくるフィリアを見つめる。
俺が勇者なんて向いてなかったのにやらされていたように、この女も本来の適性は神職などではなかったのかもしれない。
どこかで好みの年下男とくっついて、大事にされながら子供を産み育てるのが向いていたのではなかろうか。
愛の重い人間が、禁欲的な修道女なんざに身をやつしていたから狂ったとしか思えない。
初対面の頃からちょっと変なところがあったし、俺と出会う前から既におかしくなっていた可能性さえある。
今さらそんなことを言ったって、後の祭りだろうが。
「……とりあえず二人ともありがとう。悪いな、本当なら俺の仕事なのに」
「困った時はお互い様ですし」
俺の胸に顔を埋めながら、アンジェリカは言った。
「じゃあこれから家でフィリアの世話をするのって……出来そうか?」
「……」
「そこで沈黙されると怖いんだが」
まあ無理そうならいいさ、と俺は言う。
「その場合は俺がこれからも面倒を見続けるよ」
どこかにアパートでも借りて、そこにフィリアを住ませてみようか。
最悪、権藤を脅して家を用意させるとか、カナを脅して家を用意させるとか……。
ナチュラルに反社会的な選択肢が出てくるあたり、俺も相当ヤバイやつだなしかし。
いくら犯罪傾向のある連中とはいえ、ほいほい恫喝していいものではないだろうし、やっぱりアパートを借りるのが無難か。
……とはいえ、仕事をしながら一人でフィリアの介助をするのは無理だ。
またこっそり分身でも作って、交代で世話をすることになるかもしれない。
「お父さん、また自分で自分を増やして、一人で神官長の件を片付けようとしてません?」
「え? ……いやいや。そんな俺みたいなこと、俺がするわけないじゃん」
「支離滅裂。図星ですね」
「……勘がいいな」
「もう増殖は駄目ですよ。あれは人の道を外れてます。そんな真似されるくらいなら、私がお手伝いしますから。ね?」
「……いいのか?」
「その方がお父さんは嬉しいんでしょう?」
もう、とアンジェリカは頬を膨らませながら、俺を見上げている。
こんなよく出来た娘を困らせている現実に、恥じ入るばかりである。
「アヤコも大丈夫ですよね? 二人で協力すれば、神官長のお守りくらいどうってことないですよね?」
「急に綺麗なアンジェリカさんになってる……」
私はいつも綺麗じゃないですか、とアンジェリカはむっとする。
「私は……」
「私は?」
「私はフィリアさんを引き取ることに、反対ですね」
きっぱりと言い切った綾子ちゃんに、アンジェリカは動揺を隠せないでいる。
俺の方も、参ったなという心境である。
「それは、どうして」
「さっきの振る舞いを見て確信しました。……万が一フィリアさんの腕力で暴れられたら、大変なことになるんですよ。猛獣みたいなものです」
「でもアヤコがデバフをかけておけば、数時間は弱体化するじゃないですか」
「私が常にフィリアさんの側にいられるとは限りませんし、それに……」
「それに?」
綾子ちゃんは一瞬だけ俺の方に視線を向けてから、すうと深呼吸をした。
今から重大な発表をしますと、暗に告げているように見えた。
「それに、フィリアさんは中元さんのストライクゾーンな可能性があります」
「おい」
何言ってんだ? とつい声を上げてしまう。
ずるりと脱力する俺とは対照的に、アンジェリカの表情は真剣さを増していく。
「……一体なんの根拠があってそんなことを仰るのか、聞かせて貰おうじゃないですか」
「私、中元さんのノートパソコンを不正に弄り回して、削除したであろう検索履歴やフォルダを復活させてみたんです」
待ってくれ、なんでそんなスキルを持ってるんだ。
あと俺のプライバシーはどこに行ったんだ。
唖然とする俺を置いてけぼりにして、綾子ちゃんは続ける。
「パソコン……あのお父さんの悪口が書かれてる掲示板を見つけては、ウィルスとかいうのを送りつける道具ですね」
「はい。よく覚えてましたね、アンジェリカさん」
俺がいない間にネットでそんなことをしてるのか? ねえ何やってんの?
絞り出すように発した質問は、全く聞き届けて貰えない。
「……中元さん、人妻もののいやらしい動画を観てらしたようですね……未亡人なんかも好きなようです。ちょっと陰のあるアラサー女性が好みなんですね」
「……神官長の見た目は、まさに好みのど真ん中ってわけですか」
「髪が長くてすらりとした体型の人だと、さらに加点されるみたいですよ」
「……エルザさんもそうでしたもんねえ」
疑わしげな視線をフィリアに向けるアンジェリカ。
心象悪化中、さてどうしてくれようかと考えているように見える。
「フィリアさんを自宅に連れ帰ったら、不味いと思います。中元さんからしたら、好みの女性と同棲することになるんですから」
「……確かに……私がお父さんの立場だったら、連れ帰ったその日のうちにお手つきしますしね……」
「私もそうしますね。即孕ませます」
お前らの危険思想を俺に当てはめないでくれるか、と指摘するも、やはりまるで聞いちゃいない。
「で、でも、このままお父さんが一人で神官長の下の世話をし続ける道を選んだら、それはそれで危なくないですか? ……私達の見てない場所で、タイプの女性の下半身を弄り回す生活を送るんですよ? いつ過ちが起こるかわかんなくないですか」
「……一理あります」
じゃあどうするんだよ、と俺は問う。
綾子ちゃんの返答は、
「フィリアさんを治すことって出来ないんですか?」
だった。
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