第101話 80%側の人間
フィリアを治療する。
考えてもみなかったことだ。
魔法では精神を癒せないという先入観があったため、俺はその道をはなから諦めていた節がある。
だが、言われてみればもっともな意見だろう。
「治すって、やっぱり病院でか?」
「それが一番だと思います」
しかしフィリアの社会的な位置付けは、不法滞在中の外国人なのだ。
まあそれはアンジェリカも一緒なのだが、とにかく医療機関を受診するのは難しい。
保険も効かないし、怪しんだ医者に通報されたら面倒なことになるし。
権藤に頼んだ身分証が届けばアンジェリカはどうにかなるが、今からフィリアの分も依頼したとして、届くのはいつだ?
……いっそ権藤に、闇医者でも紹介して貰えばいいんだろうか。
ヤクザの息がかかった医者なんて、外傷専門な気もするが。
メンタルカウンセリングに特化してて、すねに傷を持った患者だろうと気にしない医療関係者ってのは一体どこにいるのやら。
「……医者か。考えてみるよ」
「中元さんも診て頂くんですから、いいお医者さんじゃなきゃ駄目ですよ」
「俺?」
はい、と首を縦に振る綾子ちゃん。
何気に酷いことを言われてるのではなかろうか?
「……俺、どっかおかしく見える?」
「かなり」
君にだけは言われたくないんだが、と口にしそうなところをぐっと堪えて、会話を続ける。
大人になると、気が長くなるものである。
特に相手が若い女の子だと、よほどの放言でも「可愛いから別にいいか」で許してしまう。
歳のせいで、怒るエネルギーすら失いつつあるのだ。
あと父性とか。人によっては下心とか。
そういったあんまりよくない理由が混ざった故の甘やかしなのだが、これを世間知らずな女子達は包容力と勘違いして、おっさんに騙されるのではないかと俺は思う。
「俺って治療が必要なくらい、言動変だったっけ……」
「起きてる間は普通ですけど、寝てる時は酷いですよ」
「……そういやしょっちゅううなされてるんだっけ、俺」
「ですね」
見てると心配になります、と頷かれる。
ちなみに綾子ちゃんは、今もフィリアを羽交い締めにしたままである。
その姿勢で大真面目な話題を振ってくるのだから、器用な子だなぁと感心する。
「それに」
ふいに、綾子ちゃんがフィリアから片手を離した。
そして自由になった右手を、ひょいと振り上げた。
反射的に、自分の体がぴくりと動くのを感じる。
「中元さんって、誰かが腕を上げたらビクッてなりますよね」
「あー、癖みたいなもんだから気にしなくていい」
異世界だと腕の生えた生き物がそういう仕草をしたら、短剣を放ってくるか魔法をぶっ放してくるかのどっちかだったので、体が勝手に身構えてしまうのだろう。
「……私の父が、大学教授だっていうのは知ってますよね」
「ああ。俺とそっくりなあの親父さんだろ?」
「父が言ってたんです。親に叩かれて育った学生は、すぐにわかるって。何かの拍子に頭上に手を持っていくと、一瞬体がこわばるらしいので」
「……俺は親からはほとんど体罰を受けた覚えがないけどな」
「受けたのは異世界で、ですよね」
俺の知らない間に、アンジェリカから色々と聞かされたのかもしれない。
勇者中元圭介の半生について。普通の男子中学生が、戦場の主役になるまでの過程を。
「私思うんですけど……」
「なんだ?」
綾子ちゃんは会話に専念するためか、フィリアを押さえつけるのを止めていた。
もちろんその好機を見逃すフィリアではなく、ネコ科の動物を思わせる動きで跳躍し、アンジェリカに抱きついていた。
「中元さんって、PTSDなんじゃないでしょうか」
「どこかで聞いたことあるな」
「略さずに言うと、心的外傷ストレス障害です」
「……あれか。ベトナム帰還兵の間で問題になってたやつだ」
「私達の世代だと、イラク戦争で問題になってたイメージですね」
こんなところでジェネレーションギャップが――と思ったが、ちょっと違うかもしれない。
俺はイラク戦争が始まった頃はとっくに異世界にいたので、ぱっと思い浮かばないのも当然なのだった。
リアルタイムでニュースを見聞きしていないと、こうもなろう。
なので日本に帰ってきてから現代史を調べて、ドえらい戦争やってたんだな、と驚いた覚えがある。
「なんというか、女子高生の口からPTSDだのイラク戦争だの言われると、違和感が凄いな」
「……父の専門分野と少し関係ありますし。私、たまに父の毛髪を採取しようとして部屋に忍び込んだり本を読んだりしてたので、ちょっとだけ知識があるんです」
「抜け毛にまで興味があるのか? もしかして俺のも集めたりしてるのか?」
「脱線しましたね。中元さんも続きを聞きたがってるようですし本題に戻りますけど、父は人工知能の研究をしてまして」
「続き聞きたがってないよ。毛髪採取の件についてすげえ気になってるよ」
じと、と漆黒の瞳で射抜かれる。
完全に狩人の目だった。俺は哀れな獲物だった。ここで死ぬんだと思った。
「……私は一度に一人の男の人しか好きになりません……。中元さんに会ったその日のうちに、それまで採取した父の抜け毛は処分しました。今は中元さんにしか興味がありません。……これでいいですか? 恥ずかしいこと言わせないで下さい」
「……そ、そうなのか。面と向かって宣言されると照れるな……うん? いやぜんぜん違うな? 俺が知りたいのはそういうことじゃなくてな? 俺の抜け毛も拾ってるとしたら怖いなってことであって」
「父はなぜ人工知能の研究に巨大なニーズが発生したのか、私に教えてくれました」
駄目だ。
この子何があっても口を割らない気だ、と諦める俺だった。
「最近は無人兵器を使って、
「……そりゃ、自軍の犠牲者を減らすためじゃないか? 死人が出ないようにさ」
「それもありますけど、やっぱりさっき言ったPTSDも大きいです。知ってますか中元さん。二次大戦の頃まで、兵士の発砲率って二割だったんですよ。たったの二割。アメリカの軍人さんが、連合国も枢軸国も関係なく、色んな国の銃器を調べたら、八割の銃は一発も弾が使われてなかったんです」
「……昔は銃の精度が低かったのか?」
「そうじゃありません。……撃てないんですよ。普通の人は人を殺せないんです。戦場で、先にやらなきゃ自分が殺されるって状況でも、八割の人は敵兵に向けて発砲するのを躊躇してたんです」
でもこれはよいことだと思うんですよ、と綾子ちゃんは言う。
「同族殺しを避けるのは、どんな生き物にも備わってる知恵ですし。人間って意外と慈悲深く作られてるみたいです。憎い敵国の兵隊でも、中々殺せないんですから」
「俺の知ってる二次大戦と違うな」
「……そこはほら、自分の国の兵士が勇敢に戦ったと宣伝する分にも、敵国の兵士が残酷な振る舞いをしたと宣伝する分にも、めちゃくちゃな死闘が演じられたってことの方が都合がいいからじゃないですか?」
「……女子高生の発言じゃないな、改めて……」
だが心当たりがないわけではない。
異世界時代、徴兵された農民が亜人との戦争に駆り出されているのを見たが、やつらのほとんどは使い物にならなかったのだから。
「ほんの七十年前までは、生まれつき人殺しに抵抗のない、二割の人間だけが真面目に戦ってたんです。残りの八割の平和的な人々は、ワーワー叫んだり武器を振り回したりして、適当にやり過ごしてたんでしょう。……これが人類本来の、自然な闘争です。だから昔はあまり、PTSDなんて起きなかったんですよ」
「今は違うのか?」
「全然違いますね。訓練法が改善されて、兵士の発砲率がじわじわと引き上がっていって、ベトナム戦争の頃からは九割に達してます」
「九割……」
農民兵が九割も弓を射ってくれたら、大概の戦には楽に勝てただろう。
そんなのはあちらの世界ではおとぎ話でしかないが、どうやら現代世界では実現してしまったようだ。
もはやどちらが魔法の世界なのか、わかりゃしない。
「現代の軍隊の訓練って、凄いんですよ。的が横から出てきたら、パッと反射的に銃を撃つトレーニングを何度もこなしたり、敵兵に人格を見出さないようにメンタル面から調整したり。良心の呵責が生じる前に撃たせる、もしくは良心を麻痺させる方向に技術が進んだんですね」
「……元々進んで殺人を行える人間は二割しかいないのに、九割が発砲出来るようになったとすると……」
自分に向いていない生き方を、やらされる。
それはまさに俺が経験した――
「そうです。だから近年の戦争では、PTSDが激増してるんです。同族殺しに抵抗を感じる脳を持って生まれた八割の兵士に、科学の力で無理やり人殺しをさせるんですから。……先進国の、教育費や医療費をたっぷりかけて育てた人材が、一々戦争で廃人になってたら大損じゃないですか。治療するにもお金がかかりますし。なので、最初から心なんて存在しない人工知能を兵器に乗せて、人間の代わりに戦って貰おうって流れになってるんです。……あまり父には関わって欲しくありませんが、それでも将来有望な研究分野と言えるでしょうね」
段々と、綾子ちゃんの言わんとしてることがわかってきた。
「つまり君は、俺も八割側だって言いたいんだな。本当は敵だろうと殺せないような、穏やかな脳みそを授かって生まれた側の」
「……だと思います」
「でも俺は、異世界で何度も戦争に投入されたんだぜ。亜人は何桁始末したかわからないし、人間の悪党退治だってやらされたこともある」
「だから深刻なんですよ。中元さん、異世界に飛ばされてすぐに、オークとの戦争に巻き込まれたんですよね? 戦闘は十日間続いたって」
「アンジェから聞いたのか。俺の自伝にデカデカと書いてあったもんな。ハンサムな挿絵付きでな」
「……戦闘が六日間連続で続くと、98%の兵士が精神的な被害を受けるそうです……。正常な人間は戦争に向いてませんし、何かの間違いで真面目に戦ってしまったら、どこか壊れて帰ってきます……」
「それも親父さんの本で得た知識なのかい?」
「茶化さないで下さい」
綾子ちゃんはいつになく力の籠もった目で俺を見据える。
珍しいことに、潤んでいるようにも見える。
「中元さんの心は、もう……ひょっとしたら、フィリアさん以上に……」
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