第167話 スタンバイOK
そこまで言うと、フィリアは満足したかのように微笑み、静かに目を閉じた。
名前を呼んでも返事がないので、眠ったようだ。
きっと次に目が覚めた時は、幼児退行した方の人格に変わっているのだろう。
「……気持ちよさそうな顔してんな」
俺はフィリアを起こさないよう注意しながら、慎重に走り始めた。
眠り姫をかかえながらの移動なので、振動は最小限に抑えなくてはならない。姫と呼ぶには少々歳を食いすぎているが、致し方ない。
屋根から屋根へと飛び移れば近道できるのだが、それだと着地の衝撃が直にフィリアにも伝わってしまう。
しょうがないので、地上を走ってマンションに帰ることにした。
いささか時間はかかるが、やむをえまい。
寝ても起きても手のかかる女だな全く、とため息をつきながら足を進める。
そうして、二キロほど走った頃だろうか。
【中元圭介は戦闘に勝利した!】
【EXPを54獲得しました】
【スキルポイントを1獲得しました】
「?」
突然、視界をシステムメッセージが横切った。
反射的に足を止める。
……戦闘に勝利。
獲得した経験値の量からすると、大した敵ではない。
だがヤクザや不良少年を撃退した時よりは多い。中堅モンスターくらいの量だ。
そんな中途半端の強さの敵を、自分でも気付かない間に倒していた?
一体いつ?
なぜ?
心当たりはないが、必ず理由があるはずだ。
今の自分がどんな状態かを、冷静に思い返してみる。腕の中に眠ったフィリアを抱き、セイクリッドサークルと隠蔽をかけたまま走る俺。
……セイクリッドサークル。
半径三百メートル程度のエリアに、脅威となりうる存在が侵入できなくなる結界。万が一接近を試みた場合、凄まじい勢いで弾き飛ばされることとなる。
これだろうか?
俺は気付かない間にエリンが分霊した小動物に近付き、結界の効果で吹き飛ばしたのではないだろうか?
経験値は倒した敵の強さに比例するので、54という数値もこれで納得がいく。
「小動物の体を使っていて本来の強さを発揮できないエリン」ならば、「そこそこ手強いモンスター」程度の戦闘力に収まっていてもおかしくはない。
「……ふむ」
別にエリン本体を倒したわけではない。たまたま分霊先を一匹退治しただけだ。
それでも何か、光明が見えた手応えがある。まだ答えは出ていないが、近いうちに解決するという予感。
こういう時は、動きながらの方が頭が働く気がする。
俺は再び駆け出して、頭の中の閃きを捕まえる作業に入った。
* * *
マンション前に到着すると、見覚えのある人影が俺を出迎えた。
アンジェリカと綾子ちゃんだ。
「お父さん!」
外で待ってろと言ったのに、待ちきれなかったらしい。二人とも目尻に涙を浮かべ、髪を振り乱しながら駆け寄ってくる。
「おいおい、どっか遠くからエリンが見てたらどうするんだよ」
「おとうさぁん!」
もはや言葉にならないらしく、アンジェリカはぐずりながら俺にしがみついてきた。
綾子ちゃんはもう少し落ち着いているが、俺の袖を掴んで離そうとしない。
「……悪い。心配かけた」
「おとうさんのばかぁ……」
死んじゃったかと思ったんですよぉ、とアンジェリカは弱々しい声で言った。俺はフィリアの顔を右肩に乗せ、空いた右手でアンジェリカの頭を撫でてやる。
「俺は悪い親父だな。すまん。でもこうやって帰ってきただろ?」
「……ん」
やっと安心したのか、アンジェリカは幸せそうに目を細めている。全く。こいつはどこまで俺のことが好きなんだか。
「綾子ちゃんも、目、真っ赤だな」
「……嫌な想像しちゃったんです。……中元さんが負けちゃったんじゃないかって。……もう私、気が狂いそうで……エリンさんをどうやって呪い殺そうかって、そればっかり考えてて……」
「ご、ごめん」
愛されてるのはわかるが、素直に怖い。
……お詫びと保身を兼ねて、綾子ちゃんの頭も撫でてみる。
「……あ……中元さんの指、気持ちいいです……」
途端にうっとりとした顔になり、まさに憑き物が落ちたといった感じの表情が現れる。
だがこの子の憑き物は、外部からではなく己の脳からやってくるものだ。濁らせるとまた恐ろしげな発想に取りつかれるだろうから、あらゆる意味で取り扱い注意なのである。
「とりあえず中に入ろうぜ。ゆっくり休みたいし」
二人の頭を交互にポンポンして、マンションに入るよう促す。
アンジェリカは小さく頷き、綾子ちゃんはほのかに頬を染めた。
「報告しなきゃならないこともあるしな。休憩したら、作戦会議といくか」
「……そういえばなんで神官長をお姫様抱っこしてるんですか?」
「えっ?」
「……私もそれ、気になってました。……中元さんはいつも、フィリアさんを運ぶ時は荷物みたいな持ち方をしてたのに……なんだか今は、愛おしむような手つきになってません……?」
目ざとい。これが女の勘というやつなのか。
俺は動揺を悟られぬよう、慎重に言葉を選ぶ。
「どこにエリンが潜んでるのかわからないんだから、寝た子を起こさないように、丁寧に扱うのは当たり前じゃないか? こいつ寝起きに泣いたりするだろ?」
「……ふーん……」
「……そうですか……」
全く信じてない顔をされる。なぜだ。
これ以上の言い訳は墓穴を掘る予感しかしないので、早足でマンションの中に入る。
廊下を進み、エレベーターのボタンを押す。
少し遅れて、アンジェリカ達が追い付いてくる。
「今日は階段使わないんですね?」
「ああ。上る時の振動でフィリアを起こしたくないからな」
「……お父さんと神官長って、今は隠蔽状態なんですか?」
「ああ。それがどうかしたか」
「なら神官長が泣き出しても、周りには聞こえないはずですよね? エリンさんにも見つからないですよね? なのに神官長の寝心地に気を使ってあげてるんですか?」
「……」
エレベーターの箱が降りてきたらしく、チィン、と音が鳴った。
扉が開き、壁に備え付けられた鏡に俺達が映し出される。
慈しむような持ち方でフィリアを抱える俺。
俺に肩を預け、穏やかな寝顔を見せるフィリア。
瞳に険のある光が宿ったアンジェリカ。
にこにこと微笑を浮かべているが、こめかみに筋が浮いた綾子ちゃん。
「中で詳しくお話しましょうね、おとーさん」
【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの独占欲が7000上昇しました】
「……私も聞きたいです。お二人が昨晩、どんな風に過ごしたのか」
【パーティーメンバー、大槻綾子の独占欲が6666上昇しました】
喉がひきつき、呼吸が浅くなっていくのを感じる。
……なんでだよ。
俺はただ、エリンに捕まっただけなのに。後ろめたいことなんてないのに。
そうとも。目が覚めたら知らない部屋で。
とにかく脱出するのに必死で。そのために、フィリアの股間を手で洗って縞パンを穿かせて、胸を揉んで後ろから抱えておしっこをさせて、生クリームぶっかけてお茶を口移しして……。
「……」
後ろめたさしかなかった。
もはや後ろめたさという概念を擬人化させたのが俺だった。
「おとーさん、汗かいてる」
「……重たいもの持ってるしな、ははは」
「ね、お父さん」
「な、なんだ?」
アンジェリカは唇に指を当て、生娘とは思えない妖艶な目つきで言う。
「私、取られそうになると燃えちゃうタイプなんです」
「……知ってる」
【アンジェリカの性的興奮が70%に到達しました】
【同意の上で性交渉が可能な数値です。実行に移しますか?】
【実行した場合、一定の確率で子供を作ることが出来ます】
【産まれた子供は両親のステータス傾向と一部のスキルを引き継ぎ、装備、アイテムの共有も可能となります】
【また子供に対してはクラスの譲渡も可能となります】
「お父さんが神官長とどんな行為に及んだかは、お部屋に戻ったらじっくり聞かせてもらいます」
「な、なんもしてねえし。エリンと戦うための囮にしただけだし」
「ほんとですか?」
「ほんとだとも」
「……今の発言が嘘だったなら……」
「う、嘘だったなら?」
【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの独占欲が9999上昇しました】
【アンジェリカの性的興奮が90%に到達しました】
「……赤ちゃんができるまで、えっちしてもらいますから」
【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの卵巣が卵子の放出準備に入りました】
【36時間以内に性交渉を行った場合、99%の確率で妊娠します】
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