第166話 貴方の盾になりたい

 朝っぱらから野外でなんてことしてるんだと思わなくもないが、隠蔽魔法がかかっている以上、俺達のプライバシーは保証されている。

 誰も目撃者がいないのなら、何も起きていないのと変わらない。


 実質、無罪だ。


 一瞬、「でもお天道様が見てるじゃないか」と良心が痛んだが、だったらお天道様は視聴料を払えよと開き直る俺であった。

 なんせ今のフィリアは、金が取れそれうなくらい卑猥なのだ。

 60分で33000円、延長30分で45000円といった感じに。


 ていうかそもそも、俺が金を支払うべきなんだろうか? いいもの見せてくれてありがとうございます、と。


「ふむ」


 さっそく財布から万札を二枚抜き出し、フィリアの膝に置いてみる。

 口の端から白濁液を垂らす女と、皺だらけの紙幣という、前衛的な光景が爆誕した瞬間だった。


「……」


 どう見ても事後だった。

 犯罪臭が十割増しだった。

 一番やっちゃいけないことをしたんだと自覚した。


 俺はそっと万札を回収をすると、ビニール袋から紙おしぼりを取り出した。

 最近のコンビニは、ちょっと食べ物を買うだけであれこれとオマケを付けてくれる。ありがたいものである。

 

「ほら、顔上げろ」


 俺はまず、フィリアの顎回りを綺麗にしてやった。

 それが済むと、今度はワンピースの襟元に腕を突っ込み、谷間の奥に伝い落ちたクリーム片を拭き取る作業に入る。


 十代の少女とは違う、少しだけハリの失われた乳肉。

 もっちりとした脂肪の塊は、触れると底なし沼のように指が沈み込んでいく。

 

 ……柔らかい。

 

 叶うなら、いつまでもこれを揉んでいたい。

 できれば食後のデザートにしたい――っていくらなんでも俺、ケダモノすぎないか?

 こんなに抑制の効かない性格だったっけ?

 

「揉みながらで悪いんだが、質問いいか」

「なんでしょう?」

「もしかして俺、まだ理性低下状態だったりする?」

「自覚がなかったので?」

「……なんでだよ。お前、俺に解呪してなかったか?」

「最初のは隠蔽を、その次のは洗脳を解いただけです」

「そこは全部解除しとけよ! おかげで乳を揉むのが止まらないじゃないか!」

「人の乳房を揉みしだきながら激昂しても、滑稽なだけですよ?」

「……ぐっ……」


 ぐうの音も出ない正論である。

 俺はうろたえつつも乳を揉み込むという、器用なのかクズなのかよくわからない動作を続けながらたずねる。


「大体、なんで俺は洗脳されたんだ? 七種のデバフがかかったままだっていうなら、洗脳状態も受け付けないはずだが」

「簡単な話です。洗脳はデバフではないからですよ」

「なんだと?」

「洗脳は、場合によっては相手を強化することもできますから。たとえば恐怖心を感じないように洗脳する、冷徹な殺人鬼として振舞うよう洗脳する、など。これなら戦闘能力は向上するでしょう? よって洗脳スキルは、デバフにもバフにもなりうる状態変化とみなされます。純粋な弱体化とは違う扱いなのです」


 男に胸を鷲掴みにされながらもすらすらとスキル解説をこなすあたり、さすがは武闘派神官長といったところか。


「ってことは綾子ちゃん達にデバフをかけてもらっても、洗脳を防ぐことにはならないのか……」

「そこはあまり気にしなくてもよいのでは? 洗脳スキルは無防備な相手と数秒間目を合わせない限り、発動しませんし。一番警戒すべきなのは、エリンが自らにスキルを用いることでしょう」

「どういうことだ?」

「鏡を見れば、自分自身を洗脳できますから。自己暗示的な使い方が可能なんですよ。痛みを感じないようにするとか――勇者殿への好意を消して、非情に徹するなんて戦法もありうるでしょう」

「敵だけでなく、自分も操れるってわけか」


 やぶれかぶれになったエリンは、自らの意思で冷徹な魔女に人格を塗り替えるかもしれない。

 どこまで面倒なんだあいつは。


「非情に徹したエリンか……どんな感じなんだろうな」

「さぞや邪悪な魔法使いになるでしょうね。きっと感知スキルの使用者が見たら、血のような赤に見えることでしょう」

「邪悪。邪悪か……」


 勇者や神官の習得する魔法は、魔や悪を討つ方向に特化している。

 むしろエリンの魔性が濃くなったとしたら、その方が善戦できるのではないか、という気がしないでもない。


「ん? フィリアもセイクリッドサークル使えるんじゃなかったか、そういえば」

「得意魔法ですが?」

「ならもしもエリンが吹っ切れたら二人がかりで防御を……って、そんくらい戦力ならある最初から協力しろよなお前は!」


 ドヤ顔で胸張りやがって。揉み倒してくれるわ。


「仕方ないでしょう! 私の意識がきちんと戻ったのは、勇者殿がエリンに敗れた直後なのですから」

「……? お前、結構前から正気に戻ってたんじゃないのか?」

「ぼんやりと回復しつつあったのですが……波があります。意識が非常に明瞭になる時もあれば、自分でも何を考えているのかわからない、まどろみの中にいるような時も」

「……ちゃんと治ったんじゃないのか、お前」


 フィリアは、青い目を細めて言う。


「残念ながら、一度壊れた心というのは完全には治らないのですよ」


 笑いながら吐く台詞ではない。

 屈託のない笑みが、どこか不気味ですらある。


「……俺がお前を焼いたせいだな」

「それはきっかけに過ぎない気がします……思えば勇者殿がエルザ殿を選んだ日から……いいえ、もっと前から兆候はあったような……ひょっとしたら私は、最初から壊れていたのかも……」

「こっちの世界は医学が発達してるから、お前を治せるかもしれないけど」

「それもいいかもしれませんね……でも、私は今の状態を気に入ってますから。意識が混濁している間は、心が幼児の頃に還って、幸せな夢を見れますし」

「……」

「ところで勇者殿、家に帰らなくていいので? 神聖巫女達が待っているのでは」

「……そうだな」


 本人が幸せなら、それでいいんだろうか?

 俺にはよくわからない。わかる必要もない。

 今はまず、エリンをどうやって仕留めるかだ。


 俺はベンチから腰を上げ、フィリアに向かって手のひらを差し出した。

 身分の高い女性をエスコートする時の動作だ。

 ちょっとキザすぎただろうか? と不安だったが、フィリアは嬉しそうに俺の手を取った。


「勇者殿勇者殿、どうせなら私を抱きかかえて帰るのはどうでしょう?」

「この上お姫様抱っこまでやれってのか? さすがにそれは俺が恥ずかしい」

「もっと恥ずかしいことを、さっきまでしていたではないですか」

「それとは恥ずかしさのベクトルが違うっつーの」

「相変わらず青臭いんですね。そんなだから貴方は王都で評判が悪かったのですよ。貴人の扱い方を知らないのは男としてどうかと思います」

「うるせえなぁー」


 などと言いながら、要求通り抱きかかえてやる甘い俺である。

 ……俺の脚ならすぐだし。

 こっぱずかしい時間もすぐ終わるからセーフなのだ。

 三秒ルールというやつだ。


「勇者殿、一ついいですか」

「次はなんだよ?」

「眠くなってきました」

「ああ!?」

「普通の眠気ではありません。わかります。波が来ています」

「波っていうと……」

「ええ。もうじき正気を失うと思います」


 それはつまり、フィリアの精神が再び幼児退行するということ――

 

「……今度はいつ正気に返る?」

「私にもわかりかねます。そう遠くはないと……思うのですが……あの、私がアーアー言ってる間の下の世話はよろしくお願いしますね……できれば優しい手つきで、実の娘を労わるように」

「わかった、もう寝ろ……あー、意識がしっかりしてるうちに、なんか言い残すことはあるか?」

「……そうですね……」


 フィリアは締まりのない、ふにゃふにゃとした口調で答えた。


「もしも道中エリンと遭遇するようなことがあったら、私を盾に使うように」

「……女を盾にできるわけないだろ」

「私は一向に構わないのですが。死んでも死にませんし。それに……勇者殿のこと、好きですから」

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