第77話 遅すぎたんだ

 やっと緊張から開放された俺は、深く息を吐いた。

 途方もない疲労感から、たまらず膝をつく。


「お父さん……」


 アンジェリカが心配そうに覗き込んでくる。

 リオは俺の手を握り、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 そんな二人を見ていると、とても弱音なんか吐けない。

 だから俺はつい、


「案外楽に追い払えたな」


 なんて口にしてしまった。

 少しでも安心させるため、俺は全然平気だからとアピールする。

 だけど内心は、ちっとも穏やかではない。


 一体どうやって攻略すりゃいいんだ、あんな敵。


 ない知恵を振り絞って、必死に考える。

 殺されても生き返る神官長。擬似的な不死。だが決して、万能の能力というわけではない。

 そこに突くべき穴がある。


 神官長の時間逆行は、殺された数分前にしか戻れないのだ。


 ならば手足を切り、魔法を使えないように声帯を潰した上で、頑丈な容器に詰め込めばいい。

 容器は……強化付与で耐久度を引き上げた、ドラム缶などが相応しいだろう。


 あとはこれを密閉して、海中に投棄するだけ。

 時間が経てば神官長は、窒息死するはずだ。

 スキルで絶命の数分前に巻き戻ったとしても、やはりそこは海の中。

 神官長は永遠に窒息と蘇生のループに閉じ込められ、無害化する。


 なんだ、簡単なことじゃないか。


 ……簡単か?


 本当にそんなに上手くいくか?

 無意識が警告を発してくるが、それでも他に手法が思いつかない。

 ……いや、他の方法も、あるにはある。

 

 そうとも。

 説得して、改心して貰うことだ。

 ある意味ではこれが一番なのだけれど、あのイカレ具合では期待できまい。


「……あいつ、どうしてああなっちまったのかな」


 どこで間違えたんだろう、と俺は呟く。腹の底から悔いるような声が出てきた。

 そんな俺に対するアンジェリカとリオの反応は、


「神官長って昔の恋人だったりするんです?」

「あの人って中本さんの元カノなの?」


 だった。


「……」


 じっと見つめてくる、二人の少女。

 激戦のあとだというのに、真っ先に気にするのがそれかよと言いたい。


「床に穴開いちゃったし、まずこれなんとかしようぜ。ゴブリンの死体も片付けないといけないしさ」

「そんなことよりお父さんの女性遍歴の方が重要だと思うんですよ」

「エルザさんの前に何人の女と付き合ってたわけ? 大人しそうな顔してやるよね」


 俺に逃げ場はなかった。

 詰問だった。

 

「あのな。お前らが想像してるような仲じゃないから。俺は異世界に召喚されて間もない頃、戦力を増やすために片っ端から暇そうなやつに声をかけてたんだ。わざわざ冒険者ギルドに出向いて、雇い主を探してる人材に交渉して回ってな。で、最初に俺のパーティーに加わったのがあいつ。神官長フィリアだ。当時のあいつの肩書は、ただの神官だったがな」


 アンジェリカは瞬き一つせずに聞いている。

 リオの方はというと、「異世界? ギルド?」と怪訝そうな顔をしていた。


 やったぜ。

 どうやら現代女子高生は、異世界の固有名詞を使うだけで煙に巻けるようだ……などと俺がぬか喜びしていると、なにやらアンジェリカがリオに耳打ちを始めた。


「異世界というのはですね」

「ふんふん」


 やめろ、なに用語解説なんかしてんだ。

 お前リオのことライバル視してなかったか? なんでこんな時だけ結託するんだよ。

 恋バナという共通の獲物を前にすると、女子は手を組んでしまう生き物らしい。


「おっけー。大体わかったから、続き教えてよ。結局さ、あの女とどこまでいったの? えっちしたの?」

「お父さんとエルザさんの出会いって、向こうじゃ半ば神話化したボーイミーツガールなのに……書籍化されてベストセラーにもなってる恋物語なのに……。それが実は神官長とただれた三角関係にあったんだとしたら、ショックですねー……」


 好奇の目を向けてくるリオと、疑いの目を向けてくるアンジェリカ。

 俺にどうしろっていうんだよ?


「だから違うんだって。考えてみろよ? 出会った当初、俺は十五歳。神官長は二十八歳。十三歳差だぜ? こんなのちょっとした親子みたいなもんだろ? まあ、見てくれはあの通り綺麗だったし、一時は憧れのような感情もあった。だけど俺みたいなガキなんか、異性としてカウントされてるわけないと思ったんだよ。二年後にはエルザとも出会ったしな。俺はかなり早い段階で、あいつのことはただのパーティーメンバーとしか感じなくなってた」

「でも神官長の方は違ったんですね?」

「……そうなるな。……どういうわけかあいつ、俺がエルザと付き合い始めたら、実は私も勇者殿が好きでした、なんて言ってきてな。……遅いよ。全部遅すぎたんだ」

「その台詞、まさか神官長に言ってませんよね? 遅すぎたんだ、ってやつ」

「言ったけど、なんか不味かったか?」


 あー、とアンジェリカは目元を手で覆う。

 どういうわけか、リオもあちゃーな顔をしている。


「なるほど。大体の事情は掴めました。神官長もこじれてますけど、お父さんもその……小悪魔ですよね……」

「な、なんでそうなる? 言っとくが俺の方から神官長を口説くような真似は、一度もしてないんだぞ。なのに高校生くらいの年齢で三十路女に迫られて、拒絶してからというもの恨まれっぱなしときてる」

「お父さんは悪い人ではありませんが、鈍感ですよね?」

「何がだよ?」


 アンジェリカは右手の人差し指をピンと立てて、解説を始める。


「逆の立場で考えて下さい」

「またそれか。……仮に俺が一回りも年下の女の子に片思いしたとしても、こりゃ犯罪だわってなって身を引くけどな。それが普通だろ」

「……んんーっと。神官長はやっぱり職業上、貞操を守ってるわけですよね」

「そりゃそうだ。今もそうだろうな」

「ってことは、お父さんと出会った頃の神官長は、二十八歳のヴァージンですか……」


 信仰のある人なら恥ずかしいことでもなんでもないだろ、と俺は言い返す。


「……それはそうなんですが……ええと。お父さんでもわかりやすいように、舞台をあちらの世界ではなく、日本に置き換えましょうか。その上で、立場も性別も逆にしましょう」


 ……俺が当時のフィリアの役割で……あいつが俺で……? 

 しかも日本だとしたら? どうなるんだそれ?


「お父さん、貴方はもうすぐ三十歳になろうとしている童貞です。しかも定職に就いてません。宗教系の大学を出たはいいけど、ちっとも面接に受かりません。職安に通っては、日々雇ってくれる会社を探しています。はい、この設定の人物になりきって、イメージして下さい」

「冒険者ギルドに通いつめるアラサー神官って、現代風に言い換えるとそんな悲しい境遇になるのか……」


 いつ自殺してもおかしくねえなそいつ、といきなり憂鬱になる。


「そんな時、外国人の女の子から声をかけられました。十五歳で、女ベンチャー社長です」

「お前ほんと、日本の知識増えたよな。十五歳の召喚勇者ってのは、現代の女の子に当てはめるとそれなのか? ……まあ確かにパーティリーダーってのは、零細企業の経営者みたいなもんか」

「で、その女社長は地味めだけど角度によっては整ってるとこもある、悪くない顔の女の子です。さらに首から下はけしからんときてます。プロポーションがいいんです。十五にしてこれなのに、毎年女っぽくなっていくんですよ? 数年後にはスーツの上からでもわかるくらい、ぱっつんぱっつんになっちゃうんですからね?」


 どうしてアンジェリカの口から俺を女バージョンにしたものが語られると、無駄に扇情的なイメージにされてしまうのだろう?


「……なんかもう、どっかのアニメや漫画から飛び出してきたような女の子だな……」

「そうですよ? お父さんって異性から見たらこんな感じなんですよ? そんな子が、うちでお仕事しませんかって声かけてきたんですよ? 失業中のアラサーに!」

「それ絶対好きになるやつじゃん」

「でしょ? その上、一時期は憧れめいた感情も向けてきたんですよ? 破廉恥ボディをレディーススーツの下に隠した女社長(15)が、熱い眼差しを送ってくるとこを想像してみましょうよ?」

「……やべえ……毎日サビ残して業績上げよ……社長が十六になったら入籍しよ……」

「でもでも社長ってば、十七歳になったら突然打ち明けてくるんです。『彼氏、出来ちゃいました。相手は無職のイケメン君です』って」

「は……? は……!? なんだそれ……!? 許されないだろ……!? 俺にNTR属性はないんだぞ……!? なんで下心混じりとはいえ全力で社畜ってきた俺じゃなくて、そんなのを選ぶんだよ!?」

 

 っつーか元奴隷の美少女って、現代の男に当てはめたらイケメンのヒモかよ? 

 エルザに怒られそうな例えだな?

 

「だから焦ったお父さんは告白するんですよ、『実は俺も社長が好きだったんだ』って。そしたら返事は『遅すぎだよ……』です。しかも社長はそれ以降、見せつけるように彼氏とイチャイチャし始めてくるという……」

「あーこりゃ死ぬしかねーわ。経費も使い込むわ。こんな会社潰れちまえって感じだわ。つーか社長はなんなん? 俺の純情を弄びやがってよ? 悪気がねーのが一番タチ悪いんだよ、天然サークラ気質っつーかさ」

「神官長がお父さんに向けてる感情は、それです」


 ……ああ。

 やっぱりアンジェリカも知識階級のはしくれだけあって、説明するのが上手いなあと感心させられる。


「いかんなこれ。命狙われるのも当然って感じだ」

「敵対的買収もしかけてくるでしょうね……」

「株価暴落だろうな」


 なぜかビジネス用語を用いながら、俺達はうつむく。


「俺、神官長に謝った方いいのかな?」

「いえ……あの人に同情的な言い方をしましたけど、あくまで逆恨みではないでしょうか。お父さんは別に、悪いことはしてないと思いますよ。被害者には変わりありません。……なんていうか、パーティーに入れる人間のチョイスを間違えたんだろうなーって。お父さんに過失があるとしたら、それだけですね」


 パーティーは全員男の人で固めればよかったじゃないですか、とアンジェリカは口を尖らせる。


「そしたらこんなトラブルにはならなかったんですよ」

「んなこと言われたって、男の冒険者は賃金が高かったからなぁ。食費だって女よりかかるし……」


 男女平等が謳われている現代社会でさえ、男の方が給料は高い。

 あらゆる意識が中世レベルの異世界に至っては、男性冒険者を雇う際は、女性冒険者の倍近い金を払うのが普通だったのだ。

 なので金がなかった頃の俺は、女の子に囲まれて冒険するという、美味しいんだか気の毒なんだかよくわからない状況に陥っていた。


 神官に魔法使いに戦士に。


 オーソドックスなクラスを集めたはずだが、全員が女だったのである。

 そこにエルザも加わって、何かと大変なことになったのも今は昔。


「そういえばお父さんのパーティーって、まだまだ綺麗な女の人がいたと聞いてるんですけど。その人達とどういう関係だったかも知りたいですね」

「それあたしも気になる。教えて?」


 ところでこの尋問は、いつまで続くんだろうか……。

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