第157話 600
……終わった。
俺は光剣を解除すると、ゆっくりと体ごと振り向いた。
己の戦果を確かめるために。もう昔の仲間を殺さなくていいんだと、確信するために。
「あー!! 猫ちゃん!! 猫ちゃん!!」
真っ先に視界に飛び込んできたのは、四つん這いになって泣きわめくフィリアの姿だった。
「猫?」
人の首が落ちる場面を目撃したというのに、なぜ猫について騒いでいるのだろう。
胸騒ぎを覚えた俺は、咄嗟にエリンの死体に目を向けた。
が、そこにあったのは、力なく横たわる黒猫の死体であった。
本来あるはずのエリンの亡骸は、どこにも見当たらない。
「……ッ!」
幻術?
初めからエリンはここに来ていなくて、あれは魔法で変化させた使い魔だった?
それともエリン本人もここに来ていたが、斬られた瞬間に使い魔と体の位置を交換した?
俺の知らない未知の術がある?
「糞ッ」
俺は再び光剣を生成すると、警戒態勢に入った。隠蔽をかけているとはいえ、フィリアのすぐ傍に俺がいることはもう伝わっているはずだ。
俺が今するべきこと……それはフィリアを観察すること。
さっきまでのエリンは仲間を迎えに来るという目的があったのだろうから、知力低下のデバフは解除していたに違いない。
だが今はあちらも身を守る必要が出てきたため、再びデバフを展開するのではないだろうか。
ならばフィリアの言動がより幼稚になったら、その時はエリン本人がここにいることの証明になる……。
「……勇者は相変わらず物騒」
と。
剣を構えてあたりを窺っていると、どこからか少女の声がした。少し鼻にかかった、幼い声質。エリンの声だ。
その場でぐるりと回転して、エリンの姿を探す。
――誰もいない。
声が聞こえた以上、エリンは隠蔽を使っていないはず。なのに姿が見えない。
どこに?
どうやって?
なぜ?
頭の中に、次から次へと疑問符が湧いてくる。
俺は追い詰められているのか?
「……勇者の姿が見えない。でも私はこうして斬られた。……隠蔽を使って潜んでる。いつもの手」
再びエリンの声で話しかけられる。
距離はかなり近かったように感じる。しかも足元から聞こえたような気がしてならない。
一体どこから……足元?
まさか。
嫌な予感を覚えながら、俺はフィリアのいる方へと近付く。泣きじゃくるフィリアの足元には、切り落とされた猫の首が転がっている。
「……フィリアに何をしたの。言動が普通じゃない。彼女、狂ってる」
エリンの声は、猫の口元から発されていた。首だけになった猫から。
「……いつからネクロマンサーの真似事なんてできるようになったんだ?」
――今姿を現せば、悪いようにはしない。と囁くような声が頭上から聞こえた。エリンの声だった。
反射的に上を向くと、ひらひらと黒いアゲハ蝶が旋回していた。
「虫が言葉を話した……? 使い魔の知能じゃありえないな。どうなって……」
優雅に羽を動かしながら、アゲハ蝶はフィリアに近付いていく。その迷いのない羽ばたきは、どこかエリンの歩き方を連想させた。
断言してもいい。この蝶の中身はエリンだ――
「……フィリア、久しぶり」
ふとそこで思い至る。
俺はてっきりエリン本人か、あるいはエリンに変化した使い魔がここにやって来たのだろうと考えていたが、その両方だとしたら?
つまりこいつらは、エリンであると同時に使い魔でもあるとしたら……。
「……分霊か」
俺は呆れた思いで、目の前の蝶を見つめる。
もしこの予想が当たっているとすれば、エリンはフィリアとはまた違う方法で、疑似的な不死を獲得したことになる。
一人の人間の霊魂を分割して、別の生物に宿らせる。……結果、全ての魂を滅ぼされない限り、その人間は完全な意味での死は迎えなくなる。
が、使う肉体が増えるというのはメリットだけではない。
分霊された魂は五感を共有しているため、複数の肉体が感じた痛みや苦しみを、全員が味わうことになるとされている。
ましてやエリンは黒猫やアゲハ蝶といった、短命な生物に分霊したのだ。これらが寿命を迎える時、エリンもまた老衰の苦痛に苛まれることだろう。
……本当に分霊していたとしたら、それはもう正気の沙汰ではない……。
「……勇者、降伏して。私は六百の使い魔に分霊した。もはや私を殺しきるのは不可能」
「なっ……」
六百。
それも昆虫のような小さな生き物にまで分霊しているとなると、どれがエリンなのかを把握するのはあまりに無謀だ。
蜘蛛や羽虫、あるいは目に見えないようなダニに自我を乗せていたら、俺が気付かない間にいくらでも悪さをできる。
「……勇者。まだ隠蔽を解かないの? ならこちらで何とかする」
言って、エリンはその小さな羽を震わせた。……ハッタリだ。魔法使いのエリンでは、隠蔽を解除できるわけがない。解呪の魔法は勇者が神官職しか習得できないのだから。
「……勇者が今考えているのは、きっとこう。私は魔法使いだから、解呪を使えないはず……。確かにその通り。でも、ここには解呪の使い手が二人もいる」
……二人?
「勇者とフィリア」
「――!」
しまった、と踏み出した時にはもう遅い。エリンを叩き潰そうしたその瞬間、フィリアの肩の上で小さな光が瞬いた。
こいつ、蝶の体でもスキルが使える……!
まばゆい光がフィリアを包み込む。次の瞬間、フィリアは目にも止まらぬ速さで立ち上がり、人差し指をこちらに向けた。
「解呪」
明確な知性を伴った声。
おそらくエリンの洗脳スキルが発動したのだろう。そして俺のパーティメンバーであるフィリアは、隠蔽がかかった俺を目視することができる――
「畜生! フィリア!」
解呪によって隠蔽が解除され、俺の姿が露になる。
駄目だ、一端引く。
作戦を練り直さなければ……。
だけど、体が思うように動かない。
足は鉛のように重く、思考は途切れ途切れになり始めている。
俺が俺ではなくなっていく感覚。
……ああ、きっと俺はもう洗脳スキルを受けている。
きっとどこかに隠れている別のエリンが、俺に向かってスキルを放ったのだろう。
俺はしくじった。
失敗した。
果たしてアンジェリカは、俺を助け出してくれるだろうか?
俺はどうなるんだろうか?
薄れゆく意識の中。
最後に見えた光景は、フィリアが金切り声を上げながら、アゲハ蝶を握り潰す姿だった。
「勇者殿!!!」
……聞き間違いだろうか。
フィリアがまるで、昔のような口調で俺を呼んでいた気がする。
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