第158話 早く逃がした方がいい捕虜 本文編集

 目を開けると、そこにあったのは真っ白な天井だった。

 真ん中には古びた蛍光灯が取り付けられており、赤いスイッチ紐がぶら下がっている。

 どうやら俺は、仰向けに寝かされているようだ。

 けれど、部屋の内装に全く心当りがない。知らない部屋だ。


 ……俺はどうなったんだろう?


 上半身を起こして、己の体に目をやる。

 特に外傷はなく、腰から下は布団がかけられていた。床が自分より低い位置にあるので、ベッドの上にいるのだとわかる。

 腹の減り具合からすると、かなりの時間ここで眠っていたらしい。


 けれど恐ろしいことに、眠る前の記憶がほとんどなかった。


 はて、なんでここにいるんだっけ? 

 俺は何者なんだっけ?


「……おはよう勇者」


 上手く回らない頭で記憶を探っていると、部屋の隅から声をかけられた。

 恐る恐る声のした方へ顔を向けると、十三~十四歳くらいの女の子と目が合う。

 女の子は木製の椅子に腰かけていて、膝の上には魔女のような三角帽子を乗せていた。


「おはよう。君は誰だい?」


 どこか無機物じみた印象だが、可愛らしい少女である。ぱっちりと目が大きく、肌は雪のように白い。髪は肩のところで切り揃えたシャギーカットで、色は青。


 そう、青髪。


 顔立ちからして外国人なんだろうが、それでも自然にこの色になることはありえない。わざわざ青く染めたか、あるいはウィッグか。……魔法使いのようなローブを着ているし、外国から遊びに来たコスプレイヤーなのかもしれない。この髪色とコスチュームは、大方アニメに出てくる魔法少女でも真似たのだろう。


 おいおい、俺は謎のオタク少女に拉致されちまったのか? 

 若干不安になってきたところで、少女は声を発した。


「……私はエリン」


 短く名前を告げると、女の子は静かに立ち上がり、帽子を椅子の上に置いた。

 座っていた時から感じてはいたが、小柄な子だ。百五十センチに満たないのではないだろうか。


「エリンちゃんか。……俺、あんまり自分のことが思い出せないんだ。記憶喪失ってやつなのかな」

「……おそらく」

「やっぱそうか……」

「……そんな顔しないで。私が付いてるから」


 よっぽどしょげた顔をしていたのか、エリンちゃんは俺の傍まで寄ってきて、手を握ってくれた。

 白くて小さくて、温かな手だった。


「……私は貴方の妻。だからなんの心配も要らない」

「つ、妻?」

 

 驚愕の真実である。

 なんと俺は、中学生くらいの女子と結婚する外道だったらしい。


「マジか……俺ロリコンだったのか……」

「……大丈夫、心配ない。私はこう見えて大人だから」

「え?」

「……そういう種族なの」


 わかるでしょ? とエリンは言う(配偶者なので呼び捨てに変更である)。青い瞳で、まっすぐに俺を見つめながら。

 なんだかこの目を見ていると、思考が溶けていくような感覚がある。

 自分が上書きされていくような、奇妙な感覚が……。


「……そうだったな。思い出したよ。君はエリンで、種族は魔法使いで、俺の妻だ」

「……よかった。やっと元のケイスケに戻った」

「なんか呼び捨てだと照れるな」

「……何も恥ずかしくない。夫婦なんだから」


 エリンはかすかに頬を染め、ぽふ、と俺の胸に飛び込んできた。

 ほとんど体重を感じない、小さな体だった。


「俺、本当に君の夫なのか? なんだか実感が湧かないや」

「……どうしてそう思う?」


 エリンは俺の肩に顎を乗せ、愛おしむように頬ずりをしてくる。


「どっちかっていうと胸も髪も身長もある女が好きだったはずだからさ。……いやエリンは可愛いとは思うよ? けどなんか俺の好みとはズレてるような……?」

「……ケイスケは自分でも気付いてなかっただけで、本当は幼い女の子が好きだったの。貴方は筋金入りの幼児性愛者。認めて」

「認めたくねえなそれ……」


 エリンは機嫌を損ねたらしく、声に若干険がある。

 記憶を失った以上、頼れるのは妻しかいない。なのにいきなり夫婦喧嘩は不味い。

 俺はエリンをなだめるべく、強く抱きしめて頭を撫でてみた。「あぁ……」と嬉しそうなため息が聞こえる。


「……これ好き……」

「よかった。なんとなくそう思ったんだ」


 エリンの耳はみるみる赤く染まっていく。

 表情の変化こそ少ないが、案外素直な性格なのかもしれない。


 ……。

 あれ?

 もしかしてこいつ、すげえ可愛いんじゃね?

 さっきまで何とも思わなかったけど、人妻だと知ったらめちゃくちゃ魅力的に見えてきたぞ?

 

 いっちまうか?

 

 俺はエリンの肩を掴んで、体から引きはがす。


「?」


 そして、おもむろに唇に吸い付いた。

 舌で何度も口内をノックして、夫婦関係を確かめる。


「~~~~~~!??!?!?!?」


 エリンは目をカッと見開き、俺の胸をドンドンと叩いてくる。だが少女の細腕では抵抗にもならず、むなしく唾液を吸い取られるままである。


 やっぱり喉が渇いた時は、人妻汁をすするに限るぜ。

 過去に婚姻届を提出したことのある女だと思うと、それだけで甘く味付けされてる気がするから不思議だ。不思議っていうかこれ俺がイカれてんのかな? まあなんでもいいさ、エリンの唾は美味いし。


 優に五分に及ぶ、長い長い口付け。

 やがてエリンが諦め、がくりと手が滑り落ちたところで俺は唇を離した。


「……何するの?」

「夫婦ならこれくらいするだろ? 人妻なんだろ?」

「……そうだけど。急にこういうのは困る」

「急って言われても、俺の方はとっくにやる気になってんだよなあ」

「……やる気?」


 俺はシャツを脱ぐと、ベッドの下に放り投げた。今から始める作業に、服なんて邪魔である。


「……ケイスケ?」

「っと。その前にトイレ」


 膀胱がいっぱいな状態では、やれることもやれないからな。

 ベッドを降りて、ふらふらと部屋の中を歩き回る。

 さっきまでエリンが座っていた場所のすぐ近くに扉があるのだが、ここを開ければトイレに行けるんだろうか?

 それとも反対側にある廊下を進むべきか。……どうもあちら側にも部屋があるようなのだが、人の生足が見えるので近寄りがたい。


「便所ってどこだ?」

「……廊下を出てすぐのところ」

「げっ、誰か寝てる方か。まあいい、さんきゅ」


 俺は言われた通りに進み、手短に用を済ませた。

 帰り際、なんとなく隣の部屋を覗き込んでみると、銀髪の白人女性が床で眠っているのが見えた。二十代後半くらいで、かなりの美人さんである。

 胸も尻もでかい。

 どっちかというとこの女性の方が俺好みの外見をしている。


 ……あっちも俺の妻だといいなあ、などと品性下劣なことを考えながら、俺はエリンのいるベッドへと戻った。


「な、向こうの部屋に綺麗な女の人が寝てるんだけど、ありゃ誰だ?」

「……妻の前で他の女を褒めないで」

「いいから教えてくれよ。誰なんだあれ」

「……あの子はフィリア。……えっと……私達の娘」

「娘!? どう見ても三十手前だろあいつ!? 俺ら何歳の時に子供作ったんだよ!?」

「……ケイスケは物心がつくと同時に精通した、性獣だから。……おぼつかない幼児語を話しながら私を孕ませたの。……思い出した?」


 エリンの青い瞳が、ゆんゆんと謎の力を放つ。この目を見ていると、こいつの言うことを全て受け入れたくなってくる……。

 エリンの言うことは正しい……何もかも……。


「ああ、思い出した。俺達は三歳の時にできちゃった婚したんだったな」

「……そう。それでいい。私達は夫婦で、幼馴染。フィリアはできの悪い娘」


 エリンの機嫌も直ったところで、さっそく俺は切り出してみる。


「ところで一ついいか」

「……何?」

「お前の顔見てたらムラムラしてきたから、一発やんないか?」

「……え?」

「俺の妻なんだろ? いいじゃないか別に」

「……ちょ、ちょっと待って」


 エリンは石のように硬直していた。

 こいつ本当に人妻か? と疑いたくなるような反応である。


「二人目作ろうぜ? 孕めよ」

「……洗脳が効きすぎた……」

「エリン?」

「……ま、待って」


 俺はズボンを脱ぎ捨てながら、返事を待つ。

 エリンはというと、赤い顔で深呼吸を繰り返している。


「……わかった。……セッ……妻の義務を、果たす」

「そうこなくっちゃな」


 許可が出たので、俺はさっそくエリンを風呂場に連れ込んだ。

 が、途中でエリンが泣き出してしまったため、肝心の本番は未遂に終わった。

 消化不良も甚だしい結末である。


「意味わかんねーよ、なんで生娘みてえな反応してんだ? お前本当に既婚女性か?」

「……だってケイスケ、怖い……どうしてヘソと腋なの……? 私こんなやり方、聞いたことない……」

「お前の乳尻は小さすぎて使い道がないんだよ! ならヘソと腋で遊ぶしかないだろ!? 自分の幼児体型に自覚ないのかよ!?」

「……うっ……ひうっ……」

「それとも遊び抜きで、いきなり本番の方がいいのか?」

「……ま、まだその方がいい……」

「しょうがねえなあ」


 気を取り直して、俺は屈伸を始める。


「おーし、今日は八連続に挑戦すんぞぉ。いつも七回目あたりでエルザが失神すっから、記録更新できないんだよな。……エルザって誰だ……? お、俺は一体……?」

「……下半身まで勇者なの……?」

 

 エリンは真っ青な顔をして怯えていた。涙でぐしょぐしょになった顔と、震える細い手足の組み合わせは、まるで生まれたての子鹿である。


 ……何か違う。


 エリンとのやり取りは、終始違和感がつきまとう。

 俺が好きだった女はもっと背が高くて髪も長くて、「今日は十連戦にトライしようね、ケイスケ!」と鬼のような性欲を見せる女だった気がする。

 

 あとその少しあとに、もっと若い女の子達と同居し始めたような……。

 そいつらも肉欲の権化だったような……。


 果たして俺は、エリンのような淡白な女と暮らしていたんだろうか……?

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