第159話 ヤンデレで視野が狭くて全身改造済だけど貴方のことが大好きなお姉さん

 眉間を抑えながら唸っていると、エリンが心配そうな顔で覗き込んできた。


「……大丈夫?」

「……俺らって本当に夫婦だったのか?」

「……私を疑うの?」

「そういうわけじゃないんだが……」


 この女が長年連れ添った伴侶とは思えない。なのに好意を抱いている矛盾が気持ち悪い。

 俺のものではない感情が、外部からもたらされているような感覚が不気味でならない。

 頭が、割れるように痛む。


「……ぐ……」

「……ケイスケ?」


 俺は崩れ落ちるようにして座り込み、頭を抱えた。

 

「……ケイスケ、辛そう……。私にできることがあったら言って」

「……なら、水と飯をくれないか……」

「……お腹が減ったの?」

「ああ。……食えば調子が戻る気がする」

「……でも、ここに食料の類はない。……何か買ってくればいい?」

「頼む」

「……どんなものが食べたい?」


 俺の食べたいもの。

 具合の悪い今でも、胃が受け付けそうなもの……。


「……寿司と……カレーと……ビーフステーキ……」

「……こっちの食文化はよくわからないんだけど、なんだか重たそうなメニューに聞こえる。……お腹に入るの?」

「……勇者の胃袋は頑丈にできてる、問題ない。俺にとっちゃお粥だ」

「……そ、そう」

「あと、ゴム買ってきてくれ」

「……ゴム?」


 腹がいっぱいになったら、やることは一つしかない。

 さきほどエリンが抵抗したのは、「今はまだ仕事を優先したいから妊娠したくない」ってやつなんだろうし、避妊さえすれば何の問題もないわけである。


「そのへんのコンビニでも売ってるはずだ……わかんなかったら店員さんに聞けばいい。『コン〇ーム下さい』って、大きな声でな」

「……わかった。いっぱい買ってくる」


 小さく頷くと、エリンは玄関へと向かった。

 やがてガチャガチャと鍵を外す音が鳴り始め、俺の妻を名乗る少女は慌ただしく買い物に出かけたのだった。

 なんだか鍵の開け閉めに苦戦しているような音だったのだが、エリンはまだこの家に慣れていないのだろうか?


 疑問だらけの頭を抱えながら、俺は隣の部屋へと移動した。エリンに産ませた娘、フィリアのいる部屋へと。

 今は少しでも情報がほしい。あいつに聞けば何かわかるかもしれない。


「……にしても、全然親に似てないなこいつ」


 シルバーブロンドの髪を床に広げ、仰向けに眠るフィリアを見下ろす。彫りの深い美貌は、どこからどう見ても純血の白人女性である。せめて目の色が黒っぽかったら俺の血が入ってると信じられるのだが、どうなんだ……?

 

「てい」


 むんずとフィリアの瞼をこじ開け、瞳の色を確認してみる。

 青だった。


「畜生! エリンのやつ不倫してやがった! どう考えても俺の娘じゃないだろ!」


 おそらくどっかの白人男に種を仕込まれたに違いない。

 ふざけやがって、俺に托卵された子供を育てる趣味はねえよ……!

 信頼していた妻に裏切られた絶望感から、俺は四つん這いになって号泣する。


 当然、睡眠中に無理やり目をこじ開けられ、隣で成人男性が咽び泣くというシチュエーションに巻き込まれたフィリアは起きる他ない。むくりと上体を起こし、困惑した様子で俺を見つめている。


「……ん……ここは……?」

「ああああああああああぁ! エリンンンンンン! 信じてたのに! ゲスな真似しやがって! あああああああああああああああああ!」

「……勇者殿?」

「あああああああああああああああああああああ!」

「……これは何事ですか」

「お前なんか俺の娘じゃねえ!」

「ええ、私は勇者殿の娘ではありませんが……」


 フィリアは不思議そうに首をかしげている。俺が実の父親でないと知ってたような口ぶりからすると、エリンから全て聞かされていたのか? 母親と結託して、托卵被害に遭った間抜け親父を嘲笑ってたのか?


「……お前らの血は何色だ……俺なんかどうでもいいんだろう!? なあ!? 誰がお前を育てたと思ってるんだ!?」

「私は修道院の神官達に育てられましたけど」

「そうかよ! いつも家にいない親父に育てられた覚えはありませんってか! とんだ笑い話だなこりゃあ!」

「かなり錯乱しておられるようですね。……ああ、エリンの洗脳ですか」

 

 フィリアは小さくため息をつくと、いきなり俺の顔を両手で鷲掴みにした。

 そして、俺の目を見ながら言う。


「解呪」


 その言葉を耳にした瞬間、頭の中で霧が晴れるような感覚が発生した。

 エリンを妻と思い込んでいた自分、フィリアを娘と思い込んでいた自分、ありもしない不倫騒動に巻き込まれた悲しみ――ありとあらゆる後付けの記憶と感情が、跡形もなく消えていく。


「……あれ……フィリア……? ……えっ。お前普通に喋るのか?」

「こっちの台詞ですよ。ちゃんと元に戻りましたか?」

「お、おお」


 ならよろしい、とフィリアは手を離した。どこか呆れたような顔をしている。


「……すまん、見苦しいところを見せた。どうもエリンのスキルで、あいつを妻と思い込まされてたみたいだ」

「……左様ですか」


 まんまと術中にはまったようで、とフィリアは片頬を歪ませた。


「いい気味です。少しお灸を据えてもらうといいでしょう」

「手を貸してくれるんじゃないのか? 俺がやられる寸前、アゲハ蝶を握り潰してくれたよな……?」

「……あれは急に意識が戻ったので、驚いて手が出ただけです」


 心なしか、フィリアは少し照れているように見える。


「急に? 俺はてっきりもっと前からお前が正気に戻ってたのかと思ってたが」

「ま、まさか。ぼんやりと自我は回復してましたが、これほど明瞭なものではありませんでしたよ」

「……マジか……とっくに知能を取り戻してたのに、年下男に甲斐甲斐しくオムツを穿かせてもらう喜びに目覚めて、わざと幼児退行したふりを続けてたのかとばかり……」

「……私を何だと思ってるんです?」


 死ねばいいのに、と言いたげな視線を向けられる。

 交渉に失敗した瞬間かもしれない。


「貴方が侍らせている発情娘どもと一緒にしないで頂きたいですね。……チェックメイトですよ、勇者殿。貴方はエリンに敗れたのです」

「助けてくれないのか?」

「自分を殺そうとした男に、なぜ協力しなければいけないんです? 思い上がりもいいところではないでしょうか」


 どうやら俺に焼かれたことを根に持っているらしい。

 これは駄目だ。エリンが帰ってきたら、二人がかりで襲いかかってくる恐れもある。


 ……エリンが来る前に自力でここから脱出しようにも、フィリアに追撃されながら上手く逃げ切れるかどうか。

 仮に外に出られたとしても、俺を探しているだろうアンジェリカ達と遭遇してしまったら、人質にされかねない。

 そもそもフィリアは俺の家を知ってるんだし、これじゃいつでも自宅に奇襲をしかけられる凄腕の刺客が一人増えたようなものだ。

 

 ひょっとしてこれは、詰みなのか?

 

「……糞っ」


 俺は半ば投げやりとなって、大の字に寝転んだ。

 

「なんかないのか、なんか……」

「ところで勇者殿……どうして裸なんです?」

「え?」


 言われて気付く。

 そういえば俺、洗脳されてる最中にエリンとおっ始めようとして、パンツ一丁になったんだった。


「目のやり場に困ります。何か着たらどうです」

「なんだよお前、恥ずかしがってんのかよ」

「……みっともないとは思わないのですか」

「エリンのせいなんだけどな」

「……エリンが服を?」


 ごろりと寝返りと打つ。

 もう着替えるのもめんどくさい。裸のまま死んでやろうか。やけになっていると、フィリアは震え声で質問をしてきた。


「……もしや……エリンに妙な真似をされたんじゃないでしょうね?」

「え?」

 

 体を半回転させ、フィリアの方に向き直る。

 

「……どうなんです勇者殿。私が寝ている間に何があったんです」

「……されたと言えば、されたかもしれない」


 フィリアは口元に手をやり、深刻そうな顔をしている。


「まさか勇者殿……え、エリンに強姦されたんじゃないでしょうね?」

「……」


 小柄な女魔法使いと筋骨たくましい男勇者の組み合わせで、後者の性被害を心配するのは人としてどうなんだろうと思った。

 が、フィリアの思い込みの激しさと危うい気質を考えると、ここは沈黙が正解なのだろう。

 俺はそっと目を伏せると、意識して沈んだ表情を作ってみた。


「……エリンは怖いやつだと思った」

「……そうですか」


 フィリアは唇を噛み、血走った目で床を見つめている。

 

「わかりました」

「何がだよ?」

「……エリンを殺します」


 フィリアは音もなく立ち上がると、拳を固く握りしめた。


「私が、あの女を殺します。あの性悪レイパ―を、跡形もなく消してみせます」

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