第160話 神官長フィリア

 フィリアの表情は、冷酷な新官長のそれに戻っていた。

 危うさと紙一重の戦力。


 ……上手くやっていくしかない。


 俺は脚の反動を使って起き上がると、フィリアの手を握った。


「恩に着るよ。お前が力になってくれるなら助かる」

「……勘違いしないで下さい。私は単にエリンを殺したいだけで、貴方の味方になったわけではないのですから」

「え?」

「一時休戦です。エリンを仕留めたら、その次は勇者殿を殺します。そして私も死にます」

「ブレねえなぁ」


 俺と心中するという意思は固いようだ。一体どう説得したものやら。俺は苦笑しながらフィリアの手を離した。


「……で、エリンは今どこにいるんです」

「買い物に行った。俺があれこれと頼んだんだが……その、なんというか、こっちの世界の文化に疎いエリンだと、買い揃えるのに時間がかかると思う。確実に外見年齢がネックになるな、うん」

「一体何を頼んだんですか?」

「……食いものとか。とにかく今すぐ帰ってくることはないと思う。かといってあまりのんびりもできないが」

「ふむ」

 

 フィリアは唇に指を当てなが思案している。


「どうします? ここでエリンの帰りを待って二人がかりで迎撃するか、それとも脱出して体制を整えるか」

「魔法使いの本拠地で戦うなんて、無謀じゃないか? どんな罠があるかわからん。出よう」

「……無難な判断です。いいでしょう」


 ならばまずは――と二人同時に玄関を見つめる。


「あそこから出られるといいんですけどね」

「素直に出しちゃくれないだろうな」


 フィリアは廊下を進み、そっと玄関の扉を開けた。

 が、その先は屋外ではなく、俺が寝ていた最初の部屋に繋がっている。ベッドの傍にあった扉が、玄関と繋がっているのだ。

 物理法則を捻じ曲げた、現実にはありえない住宅構造。


「こんなこったろうと思った」


 どうやらこの家の玄関を出ると、別の部屋に送られてしまうらしい。

 だったら窓から出るのはどうだ、と近くの窓から身を乗り出してみたが、こちらも最初の部屋に通じていた。

 空間に細工して作り上げた、二度と出られない部屋というわけだ。


「エリンは外に出られたんだ。何か仕掛けがある」

「あの子しか出られないように術式を組んでいるのかもしれませんね。あるいは、正しい手順を踏まなければ出られないのかも」

「どうすればいい?」

「それを今から考えるのです」

「……とりあえず着替えてくる。半裸で頭を使うのは落ち着かん」


 俺は玄関を開けて最初の部屋に進み、ベッド周辺に投げ散らかしてあった服を拾い集めた。

 慌てて着替えを済ませると、ズボンの中からスマホを取り出す。


 現在の時刻は午前四時と判明。それはいいとして――どこにも繋がらない。

 ネットの閲覧もできない。


 SNSアプリを立ち上げてみると、何時間も前にアンジェリカと綾子ちゃんからメッセージが来ていた。今どこにいるんですか、大丈夫ですか、何があったんですか。俺を気遣う文章が並んでいるが、この部屋にいる限り返信はすることは叶わない。


 予想はしていたが、外部に助けを求めるのも不可能というわけだ。

 俺はスマホをポケットの奥にねじ込んで、フィリアの元へ戻る。


「なんかわかったか?」

「……」

「フィリア?」

「……ああ勇者殿ですか。ちょうどよかった。私の頭に向かって魔法を撃ってくれませんか」

「……それは軽くか? 強くか?」

「思い切り強く」

「わかった」


 フィリアの狙いはわからないが、何か思いついたことがあるのだろう。俺は右手に魔力を込め、全力で光弾を撃った。

 圧縮された光の弾丸がフィリアを直撃し、爆音と共に頭蓋が弾け飛ぶ。

 脳漿が飛び散り、ぱぱぱっ、と返り血が俺の顔にかかった。


「フィリア?」

「……」

「フィリア? ……おいフィリア? フィリア!?」


 そして、世界が暗転する。

 生理的な嫌悪感を伴う浮遊感が始まり、世界が書き換えられる。

 他者に殺されたことにより、フィリアの時間逆行スキルが発動したのだ。


 俺とフィリアの意識は数分前の世界へ飛ばされ、死は覆らされる。

 フィリアは何事もなかったかのように玄関前に佇み、無傷の姿で俺を見ていた。


「……さっきのはなんのつもりだ?」

「どうでした勇者殿? 光弾が頭蓋骨を貫通する感覚があったのですが、壁に穴は開いてましたか?」

「……いや……開いてなかったと思う。ってことは物理的に部屋を破壊するのも難しいわけか。……まさかそれを確かめるためだけに魔法を撃たせたのか? ……だったらわざわざお前に当てる必要はないだろ……」

「私のスキル性能は知ってるでしょう? 誰かに殺されることで、自分を殺めた者と一緒に数分前の世界に戻れる破格の時間移動。……ですから数分おきに勇者殿に殺してもらうことで、私達だけが無限に近い長考時間を手に入れられるのですよ。数分ほど思考して、私を殺す。二人で数分前に戻る。また数分ほど思考して、私を殺す。二人で数分前に戻る。この繰り返しで、エリンが戻ってくる前にいくらでも作戦を練れます」

「いや、非人道的すぎるだろそれ」


 っつーかお前の頭が弾け飛ぶ光景を一回見ただけでもトラウマもんなんだが。

 あと発想が完全に悪役のそれだし。勇者と女神官が取っていい手段じゃねえ。


「もうちょいマトモな方法でいかないか? お前が死ぬのを何度も見るなんて嫌だぞ俺は」

「……相変わらず甘いことで」


 などと言いながら、どことなく嬉しそうな顔をしているのは気のせいだろうか。


「まあ、いいです。仮に時間切れになってエリンが帰ってきたら、二人で戦えばいいだけの話ですから」

「あんまあいつとも戦いたくないんだよな俺。キリなさそうだし」

「グズグズ言ってないで、まずは部屋の中を調べたらどうです。随分と戦闘勘が鈍ったようですね貴方は」

「しょうがないだろ、一年近くアルバイト生活してたんだから」

「あの抜き身の剣のように鋭かった少年勇者は、どこへ行ったのやら……」

「俺の憧れだった優しいお姉さん神官も、行方不明になっちまってるよ。代わりにすげえ危ないスプラッタ姉さんが出てきやがった」


 チクチクと小言をぶつけ合いながら、二人してしゃがみ込む。

 ダンジョンに閉じ込められたら、まずは床を調べる。冒険者の基本だ。落とし穴にせよ脱出口にせよレアアイテムにせよ、大概のものは足元に転がっている。


「なんか二人で冒険してた頃を思い出すな」

「……私はもう忘れましたね」


 フィリアは四つん這いになり、靴脱ぎ場に顔を近付けていた。肉付きのいい尻がこちらに向けられ、一見するととても色っぽい光景である。

 でも服の上から大人用紙オムツの線が浮き出ているため、何もかも台無しなのだった。


「あ、そうだフィリア」

「どうしました?」

「オムツの中、大分溜まってるんじゃないか? なんか膨らんでるように見える」

「お、オムツ!?」


 素っ頓狂な声を上げ、フィリアは勢いよくこちらを振り向いた。


「気持ち悪くないか? 外した方がいいぞ。かぶれそうだし」

「……婦人に恥をかかせて、なんのつもりです」

「こっちとしては親切で言ってるんだけどな。……よかったらオムツ外して、股のあたり洗ってやろうか?」

「……正気ですか?」

「だってお前、俺にオムツ替えされることに喜びを見出してるとか備考欄に書いてあったし」


 これで好感度を稼げば、ちゃんと仲間になってくれるかなあと思ったのである。


「……ふざけたことを……一体どこの世界に、年下男に下の世話をされて喜ぶ成人女性がいるというのですか? 私を愚弄する気ですか」

「とか言いながらお前、M字開脚して膝の間に手を入れてるじゃないか。俺にオムツを外してもらいたがってるようにしか見えないんだが」

「……!? これは……!?」

「……」


 意外なことに、フィリア本人も驚いている。

 今のは体に染みついた動きで、本人の意思とは関係ないのかもしれない。


「……フィリア、お前……」

「……違う……違います……そう、エリン! エリンが私の頭に細工したに違いありません!」

「そうか……エリンって悪いやつなんだなぁ」

「ええ。本当に厄介です」


 なお、フィリアは今もがばりと脚を開いたままである。


「それじゃ解呪してみっか。ほれ。これでエリンに施された洗脳は消えたはずだが」

「……一応礼を言っておきましょう」


 フィリアは俯き、なんとも苦しそうな顔で恥辱に耐えている。

 ……否。

 これは羞恥に耐えているのではなく、俺に股間を洗ってもらいたい衝動に耐えているのではないか……?

 

 もしそうだとしたら、そこに付け入る隙があるのではないか?


「そういやここ、一応風呂場があるんだよな。シャワーも付いてる」

「……それがなんだというのです」

「あれを使って股間を洗ってもらったら、最高に気分がいいだろうな。オムツの中、蒸れ蒸れになってんだろ?」

「!」

「指に石鹸をつけてワシャワシャやるんだ。相当スッキリすると思う」

「……勇者殿がどうしてもやりたいというなら、断る理由はありませんね。どうぞ好きなだけ私の体を洗えばよろしい」


 まあ女性の体に興味を持つのは仕方ありませんよね、と余裕ぶりながらフィリアは髪をかき上げている。

 しつこいようだが、フィリアはM字開脚して俺にオムツを見せつけたままである。


「お前何か勘違いしてないか?」

「……え?」

「俺がやりたいわけじゃない。選ぶのはお前だ」

「……どういう……」

「今のお前は洗脳されてるなんて言い訳できない、百パーセント正気のフィリアだ。そうだよな? だからこそ意味があるんだ。今後も俺に手を貸し、正式に仲間になるというなら……何度だって股間を手洗いしてやる。毎日が手動ビデになるんだ」

「……そ、そんな条件で王国を裏切れるとも……!?」

「前代未聞だろうな。立場のある大人の女が、男に下の世話をされたくて寝返るなんて俺も聞いたことがない」

「で、でしょう? そのような取引に応じられるわけがありません」

「なに、ちょっと早い介護だと思えばいいのさ。実際お前の実年齢を考えると、あっちの世界だともうすぐ足腰弱り始める年齢だしな」

「歳のことは言わないで……」


 フィリアは軽く涙ぐんでいる。今のは結構えげつないセクハラである。俺も反省している。


「覚えておけよ。選ぶのはお前だ」


 俺は部屋の中を歩き回り、タンスの中身を漁る。仮にフィリアのオムツを外しすとなると、替えの下着が必要だ。何かないものか。

 エリンがゼロからこの家を作ったのなら絶望的だが、どうも元々あった民家を改造した雰囲気があるので、探せば出てきそうな予感はする。


「……やっぱな」


 目的のものはあった。

 水色のストライプ模様のパンツ――いわゆる縞パンである。

 どうやらこの家の本来の住人は、十代の少女らしい。一人暮らしをしている高校生といったところか?


 俺はティーンエイジャーですら恥ずかしがりそうな縞々パンツを人差し指にひっかけ、クルクル回しながらフィリアに歩み寄る。


「答えは出たか? フィリア」

「……なんですかその、みっともない子供パンツは……!?」

「お前の着替えだよ。オムツを外したら、こいつがお前の新しい相棒だ」

「似合うわけないでしょう!?」

「ああ。見た目二十代後半の白人女性で、タッパが百六十センチ台半ばあって、しかも七頭身近いお前が、子供パンツを穿かされるんだ。めちゃくちゃ倒錯的な絵面だろうな」

「どこまで私を侮辱する気なのですか……!?」

「でも、子供パンツを穿いて年下の異性に甘えたら、天にも昇る気持ちだと思うぜ? 身も心も幼児に戻れるだろうよ」

「……身も心も……」


 俺はパンツの回転速度を上げ、語り続ける。


「俺達は哺乳類だ。親に養育してもらう生き物だ。育てられることに快感を得るようにできてる。仕方ないんだ……魂がそういう風に作られてるんだ! 誰だって心の中に赤ちゃんを飼ってる。そいつの渇きは、自分より若い異性にバブバブすることでしか満たされない。俺にもわかる。俺だってアンジェリカに授乳してもらいたいし、あいつの子宮に永住したいとすら思う」

「何を言ってるのか理解しかねます……」

「俺の方はお前を理解し始めてるぜ。……昔はお前を、気味の悪い姉ちゃんだと思ってた。十三歳も年下の俺に執着するなんて、怖えってな。でも、十代のママという喜びを知った今ならわかる。……お前は俺に、ショタパパを見出してたんだな?」

「……悪魔憑きにでもなったんですか?」

「俺に取り憑いてるのは悪魔じゃねえ、赤ちゃんだ」


 フィリアは顔面蒼白となり、唇をパクパクとさせている。


「認めろよフィリア。お前は俺に若いパパをやってもらいたいんだろ? オムツ替えされながら、甘やかされたいんだろ!?」

「変態!」

「父親に向かってその口の利き方はなんだ!」


 俺はパンツを床に叩きつけ、足を踏み鳴らした。

 ビク、とフィリアの肩が跳ねる。


「……勇者殿、怖いです……」

「ああ悪かったよ、今のはお父さんが悪い。よしよし、もう怒ってないからな」


 優しくフィリアの髪を撫で、穏やかな声でたずねる。


「もう一度聞く、フィリア。股間手洗いと引き換えに、国を裏切れるよな?」

「……」


 フィリアは固く口を引き結んだまま、首を縦に振った。


「そうか、いい子だ。ならお前はこれから俺のパーティーメンバーだ……エリンを倒したあとも俺に協力し、地球のために戦うんだ。できるな?」


 フィリアは再び小さく頷く。


「よーし、じゃあさっそくオムツの中をきれいきれいしようか」

「ま、待って下さい」

「なんだ?」

「……いくつか確認したいことがあるのです」

「……言ってみろ」

「股間を洗ってもらってる時、お父様と呼んでも問題ないのですね? こ、この見た目で幼児ぶっても、引かないんですよね?」

「構わない。好きなだけ心を童女に戻すといい」

「……あと、勇者殿も脱衣するのでしょうか?」

「その方がいいなら脱ぐ」

「ぜひ脱いで下さい。……それと、マリアよりフィリアの方が可愛いと言いながら洗ってほしいのですが……」

「マリアって誰だよ」

「私の姉です」

「……わかった、やろう」

「フィリアは人見知りだけど、マリアよりお勉強ができるもんな、父さんの自慢の娘だぞ、と優しく微笑みながら強めの手つきで洗って頂きたいのです」

「なんかお前の家庭環境の歪みを感じるぞ……別にいいけど」

 

 よろしくお願いします……とフィリアは両手で目を覆いながら囁いた。

 顔は発火しそうなくらい熱く、赤い。


「じゃ、いくか」


 俺はフィリアを抱きかかえると、バスルームへと運んだ。

 異世界最強の女神官が、なんとも特殊な方法で忠誠を誓った瞬間である。



 * * *



【パーティーメンバー、神官長フィリアの好感度が9999上昇しました】

【神官長フィリアは新たに「ファザコン(オムツ)」のスキルを獲得しました】

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