第156話 狼煙

「覚えてるかフィリア? 俺がお前に洗礼を受けた時も、真夜中だったな」


 昔語りをしながら、フィリアの目を覗き込む。

 焦点の合わない、虚ろな青い瞳。目の前に俺の顔があるというのに、俺ではない何かに視線を合わせている。


 今のフィリアは何が見えてるんだろう? 

 口元がわずかに微笑んでいるが、よほど楽しいものが視界に映ってるんだろうか? 

 

 俺はフィリアの手を引いて、町の外れへと進んでく。

 向かう先は港だ。俺がフィリアと戦ったあの場所――あそこなら人気もないし、なにより大量の水がある。

 エリンは火属性を得意とする魔法使いなのだから、水辺で戦った方が何かと都合がいい。


 ……女と手を繋ぎながら、淡々と戦闘プランを練る。純朴な少年だった頃の俺なら、こんな芸道はできなかっただろう。ガチガチに緊張して、頭の中は真っ白になっていたはずだ。


 俺はフィリアが望むような成長はできなかった。

 十代のうちに女を知ってしまったし、体つきはすっかり大人の男のそれだ。髭だって、濃いわけじゃないが薄くもない。

 もうフィリアが執着した少年勇者は、どこにもいない。時間の経過でそんなものは消え失せてしまった。

 なのにフィリアは、あの頃と変わらない姿のままでいる。


 俺がこいつの人生を狂わせてしまったんだろうか?


 ふと、そんな考えが頭をよぎる。

 もしも俺と出会わなければ、こいつはどこかの田舎教会で細々と修道女をやっていたかもしれない。

 祈りと労働、そして子供達に読み書きを教えることに喜びを見出すような、平凡な神官としての人生があったかもしれない。

 

「……なに考えてんだ俺は」


 ifの可能性を考えたって仕方ない。

 俺は首を振って気持ちを切り替え、少し足を早めることにした。



 * * *



 港に着くと、俺はまずフィリアを座らせた。

 それから、夜空に向かって思いっきり光弾を撃ち放った。

 光の矢が、チカチカと瞬きながら空を昇っていく。見た目は控えめな打ち上げ花火といった感じで、もう少し派手な絵を想像していただけに拍子抜けだ。


「……光量が足りないな」


 やむを得ず手のひらに魔力を集中させ、ディバインスフィアを生成する。

 フィリアは俺の傍で座り込み、過去に己を焼き尽くした魔法を呆然と眺めていた。


 思い返せば光弾もディバインスフィアも、フィリアに使い方を教わった魔法だ。

 魔法は習得した瞬間、頭の中で性能が解説される。が、それは一回きりの話。

 なんだかんだで熟練者に指導を受けなければ、一流の使い手にはなれないとされている。


 フィリアはまるで姉が弟に勉強を教えるように――あるいは親が子に教えるように、付きっきりで魔法を教えてくれた。

 後ろから覆いかぶさるようにしてくっついてきて、手取り足取り指導をするなんてのは少々やりすぎだったように思うが。


 間抜けな話だが、当時の俺は「えらい距離の近いお姉さんだな」などと考えていたのだった。

 今だからわかるが、あれはあからさまな恋愛感情の表れだろう。


「ほんと、とんでもない女神官さんもいたもんだよな」

 

 過去に思い馳せながら、巨大な光球を放つ。

 夜空にもう一つの月が出現したかのような、途方もない光と熱の奔流。

 俺は軽く目をしかめ、フィリアは両眼を抑えてうずくまった。

 光球は長々と空を照らし続け、優に五分は発光し続けていた。

 やがてそれは燃え尽き、何事もなかったかのように暗闇に呑み込まれていった。


 ……あとはエリンがか来るのを待つだけだ。


 俺は黙って腰を下ろすと、あぐらをかいた。

 隣で座るフィリアに目を向ける。

 ゆったりとした白のワンピースの上から、カーディガンを羽織った妙齢の美女。なんだか上流階級の女性がお忍びで海に遊びに来た、といった雰囲気がある。

 実際、フィリアの家系は遡れば貴族に行き着くそうなので、上流階級の女性ではあるのだが。

 しがない庶民の俺とは生まれからして違うし、奴隷上がりのエルザとは真逆とすら言っていい。


 俺とフィリアは釣り合わなかった……あらゆる意味でそうだ。

 俺達が結ばれないのは、必然だったんだろう。

 自分に言い聞かせながらフィリアの頭を撫でていると、


「ミャア」


 と猫の鳴く声がした。

 

 続いて黄色く光る二つの眼が、ぼうっと闇夜に浮かび上がる。極限まで開かれた瞳孔が、じっとフィリアを見つめていた。

 周囲の闇と完全に同化した、真っ黒な毛の猫だ。


 ……エリンの使い魔は、黒猫。


 俺は静かに立ち上がると、腰を深く沈めた。いつでも飛びかかれる姿勢。

 隠蔽のかかった俺は、エリンにも黒猫に認識されない。やつらにはフィリアしか見えていない。


 ……来い。

 

 相手に気取られるわけがないのに、つい、息を潜めてしまう。


「……迎えに来た」


 猫のいる方角から、少女の声が聞こえてくる。まだあどけない声質だが、大人のように落ち着いた奇妙な口調。

 俺は獲物がかかったことを確信し、右手に光剣を生成する。


「……フィリア、立って」


 ざり、という足音。

 闇の中から、ローブに身を包んだ小柄な人影が現れる。

 頭にはいかにも魔女然としたフォルムの、尖った三角帽子。

 間違いない、エリンだ。

 共に戦っていた頃と何一つ変わらない、幼い立ち姿。


 だが身に宿した魔力は桁違いで、その気になればこの街を消滅させることも可能だろう。

 やぶれかぶれになられたら困る相手というわけだ。


 だから、奇襲。


 俺は音もなく飛び上がると、初撃でエリンの首を斬り落とした。

 質量のある物体を切断した、確かな手応えがあった。


 背後では、フィリアが短く悲鳴を上げていた。

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