第155話 初めての人
フィリアさんは俺より十三歳年上で、二十八歳の女神官である。
このあたりじゃ有名な美人冒険者で、わかりやすく綺麗な白人女性といった感じの風貌をしている。
腰まで届くつやつやのシルバーブロンドに、限りなく水色に近いブルーの瞳。……あと、失礼なのであまり見ないようにしているが、だぼっとした法衣の上からでもわかるほど胸が大きい。
これで回復魔法のエキスパートとくれば、色々なパーティーからお声がかかってもおかしくないだろう。
が、なぜか「フィリアはやめとけ」が周囲の共通認識となっていた。
そして俺は、その認識が正しかったことを肌身で感じていた。
この人、せっかく綺麗なのに言動が変だ……。
なんせ辺境の村を訪れるたびに「貴方達の信仰は嘘です! 多神教なんか信じてたら地獄に落ちちゃいます! 今すぐ一神教への入信を!」と喚き散らすのである。
当然、そんな奇天烈な宗教トークをおっ始める不審な女は叩き出されるのが常識であり、フィリアさんと一緒に冒険してると「全然宿屋に泊まれない」というハンデを抱えてしまうのだった。
ヒーラーが勇者の体力削るような真似してどうすんだよ、と言いたい。
今もまさに、この人のせいで野宿の準備してるしな。
ため息をつきながら野営用のテントを張り終えると、俺はさっそく中に入って休むことにした。
ゴロリと寝そべり、一段落。
昼間の戦闘で疲れているのかもしれない。すでに眠くなってきている。
このまま寝ようかな、と心地よくウトウトしていると、もそもそと四つん這いの姿勢でフィリアさんが入ってくるのが見えた。
なんだ? まさか自分のせいで野宿になったのを謝りにきたのか? と目を開けると、
「勇者殿が何教徒なのか教えてほしいのですが」
……すげーマイペースな質問であった。
いつもこうだ。
前後の流れを無視して、唐突に自分の好きな話を振ってくるのがフィリアさんの話し方だ。
……まだこの人をパーティーに入れて一ヶ月目だけど、あんま友達いないんだろうな、というのは薄々感じ始めている。
精神的にも物理的にも、他人との距離感がおかしいし。
何を考えてるのか知らないが、フィリアさんは異様に顔を近付けて話しかけてくるのだ。鼻先が当たるどころか、今なんてその豊満な胸が俺に当たっているのだが、何も感じないんだろうか?
「急にそんな話題振られても、わけわかんないっスよ」
照れ隠しに、ついぶっきらぼうな返事をしてしまう。
が、フィリアさんにそんな思春期男子の心の機微など伝わるはずもなく、ニコニコと綺麗なお姉さんスマイルを浮かべていた。
「実は私、まだ異教徒を改宗させたことがないのです」
「……それがどうかしたの?」
「困ってます、とても。神官の世界は武芸や法術ではなく、より大勢の異教徒を改宗させた者が評価されるのですから」
「セールストークの上手さが一番大事ってことか。……あれ? でもフィリアさんって、めちゃくちゃ強いけど口下手だよね?」
「はい! あまりにも布教が下手すぎて、出世コースから外れました」
「笑ってる場合なのかそれ……」
エリート修道院上がりという華やかな経歴を持ってるくせに、なんでまたさびれた冒険者ギルドなんぞでくすぶってたのか不思議だったが、ようやく納得がいった。
現代日本風に言うと、高学歴なのに人付き合いが苦手なせいで営業成績が伸び悩み、地方の支部に飛ばされた人材ってとこだ。
……そう考えると、割とせちがらい境遇である。
「で、その悲しいキャリアと俺の信仰に、なんの関係が?」
「勇者殿さえよければ、私の改宗成功例第一号になって頂きたいのです。……すでに私と同じ神を信じているならば、改宗は不可能ですけど」
「確かに俺は、フィリアさんとは違う宗教を信じてるね」
「やっぱり!」
ですよね、異教の神像を見ても蹴り壊しませんもんね、あの大人しさは一神教信者ではないですよね、とナチュラルに過激派な発言をするフィリアさんであった。
この人の信じている一神教は、一番狂暴だった頃のカトリックに似ている。
「となると勇者殿の信仰は、多神教になるのでしょうか?」
「一応そうなるんだろうけど、でもどうなんだろ……。仏教は無神論だって聞いたことがあるし。……あと俺、自分でも仏教徒なのか神道信者なのかよくわからないんだよな。両方になんのかな? 限りなく無宗教に近いとは思うんだけど」
「意味がわかりません」
「俺もよくわからん」
一人の人間が複数の宗教の信者としてカウントされてて、しかも本人は無宗教の気分で生きてるなんて珍現象を、中世ヨーロッパ風異世界で育った人間にどう説明すればいいのだろう?
「……勇者殿が複雑怪奇な信仰をお持ちなのはわかりました。ですが唯一絶対の、ただ一人の神のみを信じる方が良いと思いません? 今ならなんと、お徳用魔女狩りキットも付いてきますよ」
「これもう勧誘始まってんの?」
「もちろん」
「その物騒な改宗特典は要らないとして、他に一神教を信じるとどんなメリットがあんのかな」
「天国に行けるようになりますね」
「死後の世界なんてどうでもいいな……他には?」
「え、えっと、全国の教会からサポートを受けられるようになります……状態異常を無料で解除してくれるようになったり、たまに祝福儀礼を済ませた装備をくれるようになるかも」
「……それはいいな。他には?」
「他には、他には……」
フィリアさんは視線を左右に泳がせながら、祈るように手を組んでいる。見るからに慌てふためいていて、いよいよ俺にチラつかせる餌が尽きたのだとわかる。
「……他には、その……私ともっと仲良くなれる……とか?」
「なんだそりゃ」
思わず笑ってしまう。よりによって最後に出てきたのがそれかよ、って感じだ。
見てて気の毒なくらいおろおろしてるし、そろそろ折れていい頃合いだろうか。
「オッケー。いいよ。一神教に改宗する」
「ですよね、誰だって自分の国の信仰が一番大事ですよね……やっぱり私の誘い文句じゃあ誰も応じて……えっ? ……今なんと?」
「改宗するって言ったんだよ。国中の教会が味方になるなら冒険が有利になるしな、うん」
ぶっちゃけ自分が何教徒になろうと、どうでもいいしな。より便利な方向に合わせるだけだ。
そういえば昔テレビのコメンテーターが、「国際結婚は互いの信仰で揉めるのが常だが、日本人は何の拘りもなく配偶者と同じ宗教に改宗するので、不思議がられる」なんて言ってた覚えがある。
信仰の薄い国の人間ならではの行動と言えるだろう。郷に入ったら郷に従え、みたいな価値観も影響してそうだが。
「……え? 改宗するんですか? ほんとに?」
「そんな驚くことかなこれ」
フィリアさんはただでさえぱっちりとした目を見開き、口をパクパクさせている。
ちょっと大げさじゃないかとも思う。
「……ちなみに何が決め手だったんでしょうか。教会のサポートですか?」
「それもあるけど、フィリアさんともっと仲良くなれるってのがデカいね」
「……」
「えっと。なんで顔赤いの」
「……ご自分のお国の神様より、私との関係の方が大事なんですか?」
「あ、ああ」
宗教なんかより同僚との人間関係の方が大事ってのは、日本人なら割と普通の価値観だろう。
あんま俺に心を開いてくれてる感じじゃなかったし、これを機にパーティーの連携が取れるようになるといいなぁ、という合理思考から来た選択だったのだが。
一体フィリアさんにはどう解釈されているのやら。
「そ、そうですか。わかりました。ではこれより洗礼の議を行います」
フィリアさんはカクカクとした動きで鞄に手を突っ込み、聖書やら聖水やらを取り出し始めた。まさかずっと茹でダコのように赤い顔のまま作業を続けるつもりなんだろうか……。
「……勇者殿は私の初めての人になるのですね」
「変な言い方はよしてくれ」
ほんのりと湿った青い瞳が、俺を見つめている。
「私、忘れません。今日のことを。勇者殿のおかげでようやく一人前の神官になれたのですから」
「そりゃよかった」
フィリアさんは言う。
私達、これで本当の仲間ですね、と。
たとえどんなことがあろうとも、私だけは勇者殿の味方でいますから、とも。
「……そうだといいな」
「神に誓った約束が破られることなど、ありえませんよ」
「どうだか。些細なことで仲違いするのが人間だと思うぜ、俺は」
「私は勇者殿の味方であり続けます。何があっても」
言いながら、フィリアさんは俺を抱き寄せた。
甘く、それでいてどこか籠ったような香りが、むっと鼻をつく。濃厚な、年上女の匂い。日本の同年代の少女達とは、全然違う香り。
「なんたって勇者殿は私の初めてのパーティーメンバーで、初めて私が改宗させた人で、そして……初めて出会った、不快にならない男性ですから」
「不快にならない?」
「私、ずっと男の人が苦手でした。女だらけの修道院で育ちましたもの。……大人の男って毛むくじゃらで男臭くて大きくて、熊みたいだと思ってたんですが……。勇者殿は髭も薄いし、ちっとも匂わないですから。召喚勇者は皆こうなんでしょうか?」
「……まあ、俺の国の男はそういう傾向にあるな。中性的っつーか……そのせいであんま外国人にはモテないけどね」
「モテなくていいですよ。勇者殿は一生童貞でいて下さい。貴方は清い体でいるのがよく似合う」
「やだよ……」
ちなみに平然と軽口を叩いてるように見えるが、突然二十代の女性にハグされながら耳元で囁かれるという状況に、全身が反応していたりする。
頼むから気付かないでくれよ、と祈りながらの会話である。さっそく入信したばかりの一神教の神様に祈ってみたりする。
神様、最初のお願いがこんなんで申し訳ないのですが、この暴れん棒をフィリアさんに勘付かれないようにして下さい……。
「勇者殿はずーっと私の仲間で、弟分で、綺麗な少年でいて下さい。貴方がそうである限り、私は味方であり続けます……。永遠に……」
そんなの無理だよと言わない優しさは、俺にも備わっていた。
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