第135話 十二の試練
だが、どうやって機嫌を取ればいいのだろう?
思春期を異世界で過ごした俺は、若い日本人女性というやつがどうもよくわからないのである。
なんせ向こうの女の人が喜ぶことは、
「強さを見せつける」「信仰に厚いところをアピールする」「贈り物をする」
のどれかだったのだ。
やはりこういうところは中世ヨーロッパ風の世界。色々昔の人だなぁといった感じの男女観だ。
対する綾子ちゃんは、何をするにしても政治的正しさを求められる、二十一世紀生まれの女の子なわけで。
きっと生まれた頃から男女平等を言い聞かされてるはずだ。
なら夕飯の支度を手伝うなんてのはどうだろう? と思って申し出てみたところ、
「……中元さんは座ってて大丈夫ですよ」
と、あっけなく断られた。
よく考えてみれば家事をこなすことにアイデンティティーを見出してるらしいし、このまま任せた方がいいのかもしれない。
それともこうやって何もしないでいることこそ地雷行為なのか?
とりあえず洗濯物など畳みつつ、チラチラと綾子ちゃんの横顔を窺ってみる。
……穏やかに微笑を浮かべながら、フライパンを弄り回している。
何も内面が読み取れない。
実はあのフライパンで俺とアンジェリカを撲殺しようとしているのではないか? それとも包丁でドスリと来るのか?
怯えているうちに時間だけが過ぎていき、気付けば夕食ができあがっていた。
四人分の焼きそば。至って庶民的な味だが、悪くはなかった。
むしろ美味しかった。
あの精神状態でもちゃんと調理をこなせるってのは、凄いことかもしれない。
「……ごちそうさま」
葬式のような夕飯を済ませると、俺達は引っ越しの準備に取りかかった。
使い終わった食器や調理器具を洗ってダンボールにしまい、ベッドも分解してやはり箱の中に詰め込む。
あとは業者を呼ぶ……のが普通なのだろうが、そこはまぁ馬鹿力の活かしどころ。
「よっと」
俺は無数のダンボールを抱え、自身に隠蔽魔法をかける。
「思ってたより早く帰ってこれたから、今日引っ越すことにした」
女性陣の反応は、三者三様である。
アンジェリカは「わー新居ですねー新居ー」と素直にはしゃぎ、フィリアは宙を眺めている。
そして綾子ちゃんはというと、ハイライト控えめの目でじっと俺を見つめたまま動かない。
これ以上表情から精神状態を探るろうと試みるのは不毛なので、俺は荷物を抱えて窓から飛び降りた。
実は引っ越し先の物件は、ここからとてつもなく近い。
アパートの隣の公園を挟んで、すぐ向かい側にある分譲マンションなのだ。2LDKで、家賃が跳ね上がる代わりに住心地も飛躍的に向上する。
こんな狭いエリアに貧民専用としか言いようのないアパートと、アッパーミドルクラスのマンションが固まっている様はまさに格差社会である。
なんせほら、同じ公園でそれぞれの物件に暮らしてる子供達が、混ざって遊んでるかもしれないし。
小さいうちは気にならなくても、親の生活水準が違ってるとそのうち疎遠になってくのかなーなどと、色々とせちがらい想像をしてしまう俺だった。
……生活水準か。
あれなんだよな。
綾子ちゃんって大学教授の娘さんだから、結構いい暮らししてたはずなんだよな。
分裂騒動の一件でお家に不法侵入した時に思ったが、高そうな家具が揃ってたし。
お嬢様とまではいかないが、中流よりやや上のご家庭の出身なのである。
それが俺と一緒に昔のフォークソングに出てきそうな慎ましい生活をしてたとなると、やっぱり不満は溜まるだろうなぁ……と思ったり。
もちろんそれだけが原因じゃないのだが、というか大体全部アンジェリカとラブホに行ったせいなのだが、知らず知らずのうちにストレスを与えていたのはあるだろう。
大きな噴火が起きる前に、沈静化してやらねば大事になるのではないか、という予感がある。
俺の部屋で手首をスパッとか……。
不穏な想像を膨らませつつ、マンションとアパートを往復し続ける。
三十分と経たないうちに荷物の移動が終わったので、アパートの鍵は大家に返却した。
次は人間が動く番である。
俺達は連れ立って向かいのマンションに移動し、ボロアパートを後にした。
「わ! 広いですね今度のお家は!」
新しい住まいは、八階建ての集合住宅である。俺が入居したのはまたも二階の角部屋だ。
といっても広さは以前とは段違いで、キッチンと一体化したリビングの他に、洋室が二部屋もある。
これに洗濯物をたっぷりと干せるバルコニーと二つのクローゼットも加わるのだから、綾子ちゃんも大喜びに違いない。
そうであってほしい。
そうあれかし。
俺が祈るようにしながら観察していると、綾子ちゃんはもそもそと荷解きを始めた。
アンジェリカもやや遅れて手伝い出す。フィリアは……カーテンに巻き付いて遊んでいる。
若い女の子達が動き回ると、それだけで部屋の中が香り付けされていく気がする。こいつらの体ってほんとどうなってんだろうな。汗腺の奥に香水でも詰まってるんだろうか?
いけない、気味の悪い想像してる場合じゃない。
気を取り直して、俺も荷解きに混じる。
ベッドを組み立て、テーブルを配置。大きなものを動かすのは俺の役目……と思ったが、何気にアンジェリカの筋力もそこそこ高めなので、片手でテレビを掴み上げたりしていた。
華奢な少女がああいうことをすると、もの凄いギャップがある。
その点綾子ちゃんの腕力は一般女子のレベルに収まっているので、電子レンジを持ち上げようとして悪戦苦戦したりと、中々女の子っぽい仕草をしている。
「いいよ、それ俺やるからさ」
ちょっとはポイント稼ぎできただろうか?
「……ありがとうございます」
十七歳の少女が考えていることはよくわからない。
さっぱり謎だ。
「……あの。覚えてますよね、中元さん」
「え?」
「今夜十時半に。お隣の公園で待ち合わせですよ」
「あ、ああ。それね。当たり前じゃないか。俺が綾子ちゃんとの約束を忘れるわけないだろ?」
「……そうですか」
まだ怒ってんのかな、とビクビクしていると、綾子ちゃんはそっと俺に耳打ちをしてきた。
「……中元さんが今日、アンジェリカさんと何をしたかは知ってます……」
語尾が震えていた。
やはり小声で、俺も答える。
「多分確実に綾子ちゃんは勘違いしてる。俺は赤ん坊になってただけなんだ。あいつと男女の関係になるはずがない」
「そんなわかりやすい嘘はつかなくていいです……いいんです。別に。私も悪いんですから」
「いや綾子ちゃんは何もおかしなことは……」
「……私に行動力がないせいで……中元さんを取られちゃったんですよね……」
「どういう意味だ?」
「……これ」
これ。
消え入りそうな声で囁きながら、綾子ちゃんは手のひらサイズの箱を俺のポケットの中にねじ込んできた。
「な、なんだこりゃ? 大きさからするとタバコか?」
「……いいですね。今晩はそれを使い切ったら、許してあげますから。そしたら全部、チャラなんです……」
「……こいつは消耗品なのか」
こくこくと頷く綾子ちゃん。頬が上気しているのは俺の気のせいだろうか?
あまりの不審さに怖くなった俺は、こっそりとトイレに向かった。
箱の正体を確かめるためである。
鍵をかけ、ポケットの中身をゴソゴソと引っ張り出す。
すると出てきたのは、
『0.02』『激うす体験』
と書かれた銀色の箱であった。
十二個入りの、避妊具だった。
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