第45話 女らしさ、男らしさ

 頭の中を疑問符でいっぱいにしながら、俺は自宅に引き返した。

 何がなんだか、さっぱりわからなくなっていた。


 冴木を鑑定する直前まで、俺はこんなストーリーを想像していたのだ。


『異世界から日本に戻った冴木は、片思いしていた綾子ちゃんに会いたくなった。

 いざ本人を目にすると、つい出来心で増殖させてしまった。

 片方を、自分の家に連れ帰ろうとしての凶行。

 けれど途中で罪悪感に襲われ、二人になった綾子ちゃんを放置して逃げた』

 

 が、冴木は召喚勇者ではなかった。

 潔白だ。


 そうなると犯人は他にいるわけだが、だったらどうして本屋の一人娘なんかを増やした? という疑問が生じる。

 なんらかの能力に秀でた、天才と言っていい人間のみを狙っているのがこの事件だ。

 なのに一般人の綾子ちゃんは、例外的にターゲットとなった。


 横恋慕が理由でないとすれば、何が原因だろう?


 もしや綾子ちゃんには何か、俺の知らない才能でもあるというのか。

 例えばどこかで習い事なんかしていて、そちらで結果を出していたりと。

 まだまだ聞かねばならないことがありそうだな、と思いながらドアを開ける。

 

「おかえりなさい」


 するとその、秘密のありそうな女こと綾子ちゃんに出迎えられた。

 ちょうど頭の中で思い浮かべていた顔が出てきたので、ぎょっとなる。

 まだ綾子ちゃんが家にいるという事実に、脳が慣れていない。


「た、ただいま」


 綾子ちゃんはパジャマの上から、俺のエプロンを着ていた。

『朝は適当に何か作って食べといてくれ』と書き置きして出て行ったので、食事当番を引き受けたのだろう。

 リビングの方へ視線を向けると、アンジェリカがテーブルの前で待機しているのが見える。


 鍵をかけながら、俺は綾子ちゃんに詫びた。


「悪いね、飯の用意もせずに飛び出しちゃって。どうしても気になることがあってさ」


 今朝は起床してすぐ、家を出たのである。

 冴木に会えば事件が解決すると思うと、居ても立ってもいられなかったのだ。


「構いませんよ。……居候させて頂いてる身ですし。なんでも中元さんの手を煩わせたら、悪いです」


 言って、綾子ちゃんは楚々と微笑んだ。

 同じ居候仲間であるアンジェリカはというと、テーブルに突っ伏して「お腹空いたー」と喚いている。

 まるでよく出来た長女と、甘ったれの次女だ。


「中元さんも食べますか?」

「俺はいいよ。コンビニでパン買って、食いながら歩いてたんだ」

「……それじゃ、お腹空いてないんですか」


 残念そうな顔をされる。

 なんだその、食べて欲しいのにみたいな表情は。


「うーん。入れようと思えば入るな」

「……無理しなくてもいいです……」

「というか、小腹が空いているな。うん。結構運動したし」

「ほんとですか?」


 じゃあ三人で食べましょう、と綾子ちゃんは両手を合わせる。輝くような笑顔もセットだ。

 内面はともかく、見た目だけなら家庭的な女の子にしか見えない。

 この子が果たして、召喚勇者に狙われるほどの素質を有しているのだろうか?

 

「なあ綾子ちゃん」

「どうしました? あっちで休んでていいですよ」

「何か大きな賞って、取ったことあるかな」

「……え?」

「いやさ。増殖事件で増えてるのって、スポーツ選手とか若手棋士とか学者とか、世間で天才と呼ばれてるような人ばかりだろ? だから綾子ちゃんもそうなのかと思って」


 綾子ちゃんはガスコンロのつまみをひねり、鍋に火をかけた。


「……私は特に何も。人に自慢出来るような特技なんて、ないです」

「本当に?」

「運動は昔から苦手ですし。勉強だって、一生懸命やってやっと中の上ってとこです。……理系の科目がまるっきり駄目で。お父さんは大学でそういうの教えてるっていうのに、みっともないですよね」


 コンプレックスなんです、と言いながら綾子ちゃんはヘアゴムを咥えた。

 後ろ髪に手をやり、一本にまとめようとしている。

 調理前なのだし、仕方のないことではある。

 話を途中で遮られる形となったので、じれったいが。


 髪が上がり、真っ白なうなじが露わになる。

 また、あのほくろが見えた。


 綾子ちゃんが髪を結い終わったところで、俺は再び質問をする。


「何か習い事はしてなかったのか? そっちで表彰された経験は?」

「……小学生の時、父の勧めでそろばん塾に通ってましたけど。あまり身に入りませんでした」

「部活はどうだったんだ?」


 綾子ちゃんは鍋に具材を入れながら、ぽつぽつと語り始めた。

 

 中学時代は吹奏楽をやってみたが、やはりこれも向いているとは思わなかった。与えられたパートを覚えるだけで精一杯。

 高校に上がってからは帰宅部となり、放課後に店番をするだけの毎日。私にはこれくらいがちょうどいい。

 自分を貶すような言い方で、少女の半生が明かされていく。


「……私、天才なんかじゃないですよ。……あの、見られてるとやり辛いので、もういいですか」


 あんまり昔の話するの好きじゃないんです、と目を伏せられる。

 朝っぱらから尋問のような真似をされても、いい気分はしないだろう。

  

 俺は会話を切り上げて、リビングへと向かった。

 いつものポジション、テレビが一番よく見える位置に座る。

 途端、がばりとアンジェリカが跳ね起きた。


「お父さん来た!」


 何をするかと思えば、待ってましたとばかりに膝の上に乗ってくる。

 

「おかえりなさーい」

「いつにも増して近いな」

「待ちぼうけはもう嫌ですよ?」


 我がもの顔で、パーソナルスペースに侵略してくるアンジェリカ。

 いい匂いがするし、柔らかい。わかりやすく愛らしい。

 愛情表現のオープンな、ザ・欧米人といった感じ。


 対する綾子ちゃんは、見た目も中身も和風である。

 さっきまで笑っていたかと思えば、急に沈み込んだ顔を見せる。

 何を考えているかわからないが、ミステリアスという言い方も出来る。 

 

「俺がいない間、綾子ちゃんと二人きりだったけど何話してたんだ?」

「え? まー女の子同士ですし、そこはなんとかなるものですよ」

「そういうもんなのか。あ、リモコン取ってくれるか」

「はーい」


 アンジェリカは尻を俺に乗せたまま腕を伸ばし、テーブルの上のリモコンを掴んだ。

 俺は脱力した姿勢でそれを受け取ると、テレビを点けた。

 ニュース番組にチャンネルを合わせる。

 増殖事件について、新しい情報を取り上げているかもしれないと思ったのだ。

 

「……芸人の不倫騒動ばっかやってんな」


 他にもっと報道しなきゃいけないことがあるだろう。

 こんなだから視聴率が下降気味なんじゃないか、とディレクター気分でチャンネルを変える。

 しかし残念なことに、どの番組も変わり映えはしない。出演者の顔ぶれが違うだけで、やってることはほぼ同じだ。

 何も得られるものはなさそうである。


 俺は画面から目を離すと、膝の上で頭を揺らしているアンジェリカに話しかけた。


「さっきさ、召喚勇者疑惑のある人間の家に行ってきたんだ。でも無駄足だった。そいつただの一般人だったよ」

「もー。だから私を連れてけばよかったんですよ」


 感知すれば一発でわかったでしょうに、とアンジェリカは唇を尖らせる。


「人を斬って増やすような悪人なら、どうせ真っ赤なアイコンで表示されますよ。……悪魔や、アヤコさんみたいに」


 なにせ本人が側にいるので、アンジェリカは少し小声になった。

 綾子ちゃんは悪魔と同列の悪か。

 そんなのが今、うちの台所で朝食を作っているのだ。なんとも言えない気分である。


「あーでも、悪事に手を染めてるのに感知に引っかからないケースもありますけどね。そういうのが相手だと私は力になれないかもです」

「……そうなのか? 犯罪者なら、皆赤い点に見えるんじゃないのか?」

「属性が善のまま、悪いことをする人間もいますから」

「どういうこった?」

「よかれと思って暴れてるパターンですね。例えばほら、お国のためになると信じて、反対勢力を虐殺してる統治者とか。信仰に基づいて、残虐な異教徒狩りを行ってる神官とか。本人は心の底から善行と思って行動してるので、善人でありながら凶悪犯なんですよ。こういうのだと、邪悪なものを感知するスキルでは見つけ出せません」


 清い心が常に清い結果を生み出すとは限らないんですよ、とアンジェリカは神妙な口調で言う。


「……今回の事件の犯人も、善いことのつもりで人を増殖させてんのかな。っていうかその方がしっくりくるな。召喚勇者なんて、わざわざ異世界を救うような人間だぞ? そいつが何かしでかすとしたら、自分なりのルールで動いてるからじゃないか」

「だとしたら困りますね。信念があるだけに止まらないでしょうし」


 それならそれで俺がテレビで挑発すれば効くんじゃないかなあ、とも思う。

 歪んだ正義感で動いている輩なら、自分の正しさを侮辱されると黙っていられないのではないか。


 そんなことを考えているうちに、時間はどんどん過ぎていった。

 やがてキッチンから聞こえてくる、「出来ましたよ」の声。

 

 朝食のお出ましだ。

 綾子ちゃんは手際よく皿を並べ、ご飯まで盛り付けてくれる。

 慣れた手つきだ。家では結構、家事を手伝っていたのかもしれない。

 ……まさかこの俺が、自宅で女の子に飯を用意して貰えるなんて。


 綾子ちゃんを眺めながら、感動に打ち震える。

 あんなに危ない性癖を抱えてるのに、しゃもじを片手に笑顔を向けられると、あれ? 普通に可愛くね? と思えてくるから不思議だ。


「……お父さん、鼻の下伸ばしてません?」

「そんなわけない」

「視線がアヤコさんに固定されてません?」

「な、何言ってんだよ」


 膝の上に女の子を乗せているのに、別の女の子に目が向くはずないだろう?

 仮に目が行ったとしても、下心じゃないんだよ。

 家庭的なところを見せられると、無条件な癒やしがあるというか。

 独り身の男は皆そんなもんじゃないか? 

 確かに今めっちゃ綾子ちゃんを見てるけど、これは不可抗力なんだよ。


 そうやって俺がわけのわからない言い訳をしていると、アンジェリカはますます不機嫌になっていった。


「……やっぱりお父さんも、女の子っぽいのが好きなんですね。料理とか得意な感じの」

「アンジェリカも女の子らしいと思うが」


 とはいえ体つきが女らしいというだけで、中身は子供な気がするが。

 しっとりとした女っぽさとはまた違う気がする。


「爛れた女の情念とかがいいんでしょう? アヤコさんはそういうの、ばっちりですもんね。私にはない魅力に、くらくらなんですよね。私は捨てられちゃうんですね」

「爛れたとか言うなよ」

「……もういいです」

「お前にはお前の良さがあるだろ」


 二人でギャイギャイやっていると、綾子ちゃんが口を開いた。


「そういえば」


 今ので思い出したんですけど、前置きしてから言う。


「中元さん、冴木くんのこと知りたがってましたよね?」

「え? ……ああ、でももういいんだ。そいつは無害だって判明したし」

「そうなんですか。……じゃあ別にいいですね」

「でもまあ、一応聞いとこうかな。ていうかなんでこのタイミングで?」

「……女らしさについて、アンジェリカさんと話してたじゃないですか。それで思い出しまして。……冴木くんが虐められるようになったきっかけも、これでしたから」

「女らしさ? 冴木は男だろう?」


 ゲーム機が無造作に転がり、拳で穴だらけになった部屋を思い出す。

 あの部屋の主が、女らしい?


「……冴木くん、ちょっと中性的というか、なよっとしたところがあって。……女子には受け入れられてたんですけど、男子にはそういうのって、気味悪がられるじゃないですか」

「女っぽいやつだったのか?」

「はい。少し普通の男子とは違うかな? って程度でしたけど。やっぱり、喋り方とかに出ますから。オカマとか言われて、目をつけられるようになったんです」


 冴木家に二つあった子供部屋を思い出す。

 片方はピンクを基調とした色使いの部屋で、ベッドはぬいぐるみにまみれていた。

 もう片方は、いかにも情緒不安定な男子が寝起きしていそうな部屋だった。


「……じゃあまさか」


 もし、ピンクの方が、冴木裕太の部屋だとしたら?

 それならあいつのメンタルは安定している。弱々しく少女じみた精神だが、決して暴力的ではない。


 だが妹の冴木カナの方は、今にも爆発寸前ということになる。日常的に壁を殴り、破壊衝動を制御しきれずにいる。


「嘘だろ。カナとは玄関ですれ違ったってのに」


 スマホを取り出し、リオにメッセージを送る。


『ちょっといいか?』


 と。

 どうしても確認したいことがあるのだ。


『ありがと。またあたしと話してくれるなんて思わなかった』

『もう怒ってないって。それより冴木カナについて教えてくれないか?』

『なんで知りたいの? ああいう子が好きなの?』

『そういう意味の興味を持ってるんじゃない。とにかくカナの性格について教えてくれ』


 返信を待つ時間がもどかしい。ほんの数十秒が、永遠にすら感じる。


『超男勝りだよ。運動神経抜群で、陸上部のエースだったし。見た目普通なのに派手グループに所属できてたのは、これが理由』

『兄は引きこもりだったはずだ。それについては何か言ってなかったのか?』

『カナの口ぶりだと、兄貴とは仲良さそうだったよ』


 女性的な兄と、男性的な妹。

 男女の役割が逆転しながらも、仲睦まじい兄妹どはどのような関係性なのだろう。


『よくわかんないけど、カナのお兄さんってちょっと変わってるらしいし。カナってば、私が守ってあげないといけないとか、虐める奴は全員殺すとか、物騒なこと言ってたっけ』


 兄想いで、正義感の強い人格。

 バラバラになっていたピースが、カチリと音を立ててはまっていく。


『優秀で優しい人だけの世界になればいいのに、がカナの口癖だったかな』

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