第229話 ファザコン引き取り所


「……あ、あの……でもどうして急にプロポーズしてくれたんですか……? つい脊髄反射で返事しちゃいましたけど……」


 俺もおかしいが、脳で考える工程をスキップして求婚を受け入れた綾子ちゃんも相当キている。

 とはいえ今はその狂気がありがたいのだが。


「君の親父さんが、異世界絡みの研究に関わってることが判明した。ゴブリンの脳みそを弄り回してるらしい」

「……お父さんが?」

「危ない橋を渡ってると言えるな。おかげで公安に睨まれてるようだ」


 もっとも、その公安調査官は権力闘争に敗れて主流派から外れてしまったようだが、そんな都合の悪い事実を教える俺ではない。


「親父さんの身を守るためにも、プロジェクトを止めさせたい」

「……無理だと思います……お父さんにとってお仕事は、生き甲斐なんです……」

「わかってる。研究者ってのはそういう人種だ」


 だからこそ、綾子ちゃんと結婚するのだ。

 

「赤の他人がそんなことを頼み込んだって、上手くいかないに決まっている。かといって恫喝を用いれば遺恨が残る。こういうのは身内のお願いでなければ聞き入れてくれないだろう」

「……身内のお願い……? わ、私がお父さんに頼み込めばいいんでしょうか?」

「それじゃ駄目だ。なぜ自分がゴブリンと関わっていることが娘に知られているのだ? と親父さんが不審がる。『もしや娘は何者に脅されているのではないか?』と身構えるのがオチだ。我が子可愛さに研究を中断してくれるかもしれないが、俺達の陣営に組しようとは思わないだろう」

「……お父さんを仲間に引き入れたいんですか……?」

「できれば」


 俺は綾子ちゃんを一層強く抱きしめる。


「俺が君と結婚すれば、親父さんからすれば義理の息子ということになる。そう、俺が大槻教授の身内になるんだ。これならいくらか交渉しやすくなる」

「……そ、そんなに上手くいくでしょうか????」

「そこは腕の見せ所だな。なあに、見てろって」


 だって綾子ちゃんの父親って、ファザコン治療薬の研究でキャリアの数年間を棒に振るくらいは君のこと持て余してたからね!


 たとえどんな美少女だとしても、実の娘に性の対象として見られるのって気持ち悪いだけだからな。

 クロエのおかげでよくわかるわ。

 ありありとわかるわ。

 感覚としては母ちゃんに迫られてるのと変わんねえもん。


 そこに自分そっくりの顔をした男が現れて、「娘さんを僕に下さい」なんて言ってきた日には――


『頼む、なんでもするから嫁に貰ってくれ。私を綾子から解放してくれ!』


 となるのではないだろうか?

 無残過ぎて綾子ちゃん本人には言えない本音である。


「とりあえずお茶を頼むよ。二人分あればいい」


 俺は綾子ちゃんからそっと体を離すと、玄関まで引き返した。

 

「話し合いは終わったかね?」


 杉谷さんは未だ眠ったままの大槻教授を引きずりながら、探るような視線を向けてくる。


「ばっちりです。綾子ちゃんは俺達に協力してくれるみたいです」

「頼もしい限りですな。……おや、そろそろ目を覚ましそうですぞ」


 小さく唸り始めた大槻教授を、急いでリビングに運び込む。

 テレビの前でくつろいでいたフィリアとクロエは、話がややこしくなりそうなので寝室に退避してもらった。二人とも薄着だったせいで杉谷さんに白い目で見られてしまったが、今は気にしていられない。


「綺麗なお嬢さん方ですな。銀髪の方は以前から把握しておりましたが、もう一人はいつ拾ったので? 見たところ外国人、いやハーフのようですが」

「あれは情報番組の共演者です」

「となると、司会者の権限を用いて女の子に手を付けたと? なるほど、芸能界を満喫しているようだ」


 元々そういう愉しみを持って頂くためにあの番組を手配したのですからな、と杉谷さんは頷く。


「欲のない人間は信用できない。不可解な理由で動き、不可解な理由で裏切りますからな。その点中元さんは、女に目が無いと判明したのだからわかりやすくて結構。今後も定期的に美女を献上することに致しましょう」

「ははは、なるべく新鮮なやつでお願いしますよ」

「考慮しておこう。オプションは何か必要かね?」

「人妻系だと嬉しいです」

「……新鮮な女、即ち若い少女が好みなはずでは? なのに人妻系がお好きとは、矛盾しておりませんかな」

「は? 全然矛盾してねえよ! 若くて未熟な人妻ってのはありえるだろ! 俺は年下のママが欲しいんだよ! 少女が背伸びして母親ぶってる時に醸し出す問特有の、バブいフェロモンにこそ女の魅力が詰まってんじゃんか! おままごとで養ったあどけない母性を、浴びるように味わうんだよ……! なんでこんな基本的なことがわかんねーんだ!? 九九で言えば二の段だぞこれ!? ににんがし、十六歳のママ、にさんがろく、セーラー服のお母さんにしてもらう耳掃除! 義務教育が終わる前に覚えた俺のあやし方!」

「つ、強い拘りがあるようですな。というか中元さんが私の前で言葉を荒げたのは、これが初めてでは……?」

「……はっ!?……す、すいません、俺はこういう話題になると我を忘れるみたいで」

「ま、まあ、誰にでも譲れないものというのはありますからな。私もゴルフが絡むと目の色を変えてしまう。中元さんにとってはそれが『年下のママ』なのでしょう」


 人権意識の欠片も無い会話を繰り広げていると、いよいよ大槻教授が目を開き始めた。

 同時に、台所から綾子ちゃんがやってくる。両手でお盆を持ち、こぼさないようにと慎重な足取りで。


「……どうぞ……」


 なよやかな仕草で、綾子ちゃんテーブルの上に湯呑を置いていく。

 一つは杉谷さんの前に。もう一つは実父の前に。


「……じゃあ、私も寝室に行きますね……話し合いの邪魔しちゃ、悪いですから……」


 そそくさと立ち去ろうとしたところを、腕を掴んで引き留める。


「君もここに居るんだ」

「……え……でも……」

「いなきゃ駄目だ。お父さんに報告しなきゃいけないことがあるだろう?」

「……わかりました」


 静かにかがみ、お行儀よく正座する姿はいかにも大和撫子といった趣がある。

 杉谷さんも見惚れているようで、「綾子ちゃんって危険日になると俺の味噌汁にバイ〇グラ入れてくるんですよ」と言っても信じてもらえないだろう。


「君が大槻教授の娘さんか」

「……はい……あの……中元さんのお仕事関係の人でしょうか……」

「裏の仕事のな」


 杉谷さんと綾子ちゃんが挨拶を済ませるのと、大槻教授が目を覚ますのはほぼ同時だった。


「……ここは……?」


 俺は自分の二十年後としか思えない顔に向かって、穏やかに懇願する。


「突然ですが、娘さんを俺に下さい」

 

 返って来たのは、「は?」という冷たいリアクション。

 予想通りの返事だった。

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