第228話 俺は日本人を辞めるぞ


 荷物・・の収容が終わったらしく、早坂さんと加藤さんが車内に戻って来た。

 二人とも覇気の無い杉谷さんを見てしきりに不思議がっていたが、「車酔いしたみたいで」と俺がでっちあげるとあっさり信じてくれた。


 杉谷さんは今も虚ろな目で窓の外を眺めている。


「異世界帰り……ここまでとは……」


 なにやらブツブツ言っているのが聞こえるけれど、切羽詰まった状況なせいか誰も気にしていない。


「これからどうします?」


 早坂さんはハンドルを握ると、首だけで振り向きながらたずねてきた。


「身柄を確保しただけでは、研究は停止しないと思われます。多少手荒な真似をしてでもこちらの陣営に引き込る必要があるかと」


 なんでこう血生臭い方法にばかり走るのかね、この人達は。

 物騒すぎるだろ。

 さっきまさに自分の血を経血に見せかけた男とは思えない感想を抱きながら、俺は口を開く。


「ここは俺に任せてくれませんか。幸い教授の娘さんとは交流があるんで、上手くいけば暴力を用いずに説得できると思う」

「……娘と? ではまさか、押収した子宮〇叩き券やお尻叩き券の製作者に、大槻教授のご息女が混じっていたりするのですか?」

「車を出してくれ。俺のマンションまで頼む」

 

 俺にとって都合の悪い方向に話が向かい始めたら、何か作業をさせて話をそらす。

 これは無数の未成年少女とイチャイチャしているうちに、自然と身に付いた技能である。たとえば雰囲気が甘くなりすぎて本番行為をねだられた際、「お茶淹れてくんね?」と頼み込んでやり過ごすなど。自分の子供を孕む気まんまんの少女と同居している男からすれば、必須の技能と言えよう。


 油断したら即パパになっちまうのが俺の日常だからな。

 マジでとんでもねえな、と改めて自分の不健全さを実感していると、左肩をトントンと叩かれる感覚があった。

 アンジェリカだった。

 

「これからアヤコに交渉してもらうんですか?」


 まあな、と俺は答える。


「父親ってのは娘に甘いもんだ。もちろん、俺の方からも話し合いをスムーズにさせるための材料を用意させてもらうが」

「アヤコを人質に取って脅す……とかじゃないですよね?」

「俺をなんだと思ってるんだ?」

「で、ですよね。お父さんは性技の勇者ですもんね。女の子を悦ばせはしても、泣かせはしないはずですし」

「今、正義の勇者って言ったんだよな?」

「ですよ」


 なんだか「せいぎ」の部分に引っかかる字を使っていた気がしないでもないが、些細なことである。

 そうこうしているうちに、車が動き出す。

 

 アンジェリカとじゃれ合い、胸に抱いたエリンを撫で回し、杉谷さんに白い目で見られているうちに、パトカーはどんどん郊外へと進んで行く。


 数十分ほど経つと、窓の外を流れる景色は見慣れた市街地に変わっていた。

 今や俺のマンションは、目と鼻の先にまで迫っている。


「停めてくれ」


 合図を送ると、早坂さんは無言でブレーキをかけた。ほとんど振動もなく停車したのは車の性能がいいからなのか、運転手の腕がいいのか。


 俺は車から降りると、まずエリンを地面に下ろした。


 それが済むと、トランクから眠っている大槻教授を引きずり出す。……改めて顔を眺めると、この人が俺とそっくりなことを再認識させられる。

 実は遠い親戚だったりするんだろうか?

 だとすると綾子ちゃんともほんのり血が繋がっていることになるので、これからやろうとする行為に少々支障が出てくるのだが……単なる他人の空似だと思いたい。


「んじゃ、ちょっくら話を付けてくる。……いけね、杉谷さんも来てくれませんか」

「はあ」


 私でよければいくらでも助力しますが、と杉谷さんは車を降りる。

 残りのメンバーはお留守番だ。


「と、そろそろ隠蔽は解除しとくか」


 このままだと眠ったままの大槻教授が空中浮遊しているように見えるしな。

 ……おっさんがよく似たおっさんを運ぶ光景も目撃者からするとカオスだろうが、超常現象よりはマシなはずだ。

 俺は背中に大槻教授を背負い、杉谷さんを伴って自室へと向かう。


「一つ聞いておきたいことがあるのですが」

「なんです?」


 エレベーターの前に着いたところで、本題を切り出す。


「公安の権限ってのは、どれくらい大きいんです? たとえば俺の国籍を変えるってのは可能ですか?」

「……海外逃亡でも考えているのかね?」

「いえ、これからも日本にいるつもりですが、日本国籍が足枷になりそうなので」

「ふむ? 身を隠したいのですかな? まあ、やろうと思えばいつでもやれますな。さすがに国交のない国だと難しいが」

「俺以外の人間も国籍を変更するとなると、難易度が上がったりしますかね?」

「なるほど。大槻教授を保護するために、書類上では別人にするということですか。それならお安い御用だ。可能だと言っておきましょう」


 大分勘違いされてしまったようだが、国家権力で国籍をコロコロ変えられると判明しただけで十分だ。

 俺達はかごの中に乗り込み、ドアが閉まるのを待った。

 エレベーターが動き出す。


「……俺は誰も死なせたくない」


 コォォーン……と作動音が鳴り響く中、俺は短く言葉を発した。


「だから杉谷さんには、俺がこれからやろうとしてることに全面的に協力してほしいんです」

「何か考えがあるんですな?」

「ええ。色々考えたんですが……大槻教授が進んで手を貸してくれるよう仕向けるには、他に方法がない。相手が年頃の娘を持つ父親なら、これが一番効くと思う。ましてや彼は、娘のファザーコンプレックスに思い悩んで治療法を研究していたほどの人物だ。しかも俺とよく似た顔立ちをしているとなると、そこにつけ込む余地がある」

「……やはり、大槻綾子を用いて恫喝するのですか」

「脅すんじゃない。ねだるんです」

「どういうことかね?」


 チィン。と音が鳴って、エレベーターが停止する。

 俺と杉谷さんは無言で外に出ると、真っ直ぐに奥の部屋へと向かった。

 俺が暮らし、今も綾子ちゃん達が留守番をしているあの部屋へと。

 

「ただいま」


 ドアノブに鍵を差し込み、そろそろと鍵を開ける。

 

「……おかえりなさ……っ。……お父さん……」


 俺達を出迎えたのは、綾子ちゃんだった。

 その視線は俺を通り越し、久方ぶりに会う実の父親へと向けられている。


「……本当に……連れて来たんですね」

「ああ。今回はこの人が当事者だからな」

「……」

「目を覚ましたら、親子水入らずでゆっくり語り合えばいいさ」


 俺が玄関に上がると、杉谷さんも紳士な動作で上がり込んできた。「お邪魔しますぞ」とダンディな動作で靴を脱いでいる。


「……お茶、持ってきますね」


 俺はパタパタと台所に駆け込む綾子ちゃんを、視線で追い続けた。

 上品な膝丈スカートの下に、やや大きめの尻。

 クリーム色の縦セーターと相まって、既に若妻感が醸し出ている。


 ……俺がそういう服装に弱いと知ってて、わざとやってるんだろうか?

 畜生、いつも体のラインを挑発的に見せつけやがって。

 いいさ、その誘いに乗ってやるよ。


 俺は大槻教授をソファに下ろすと、綾子ちゃんの元へと歩き出した。


「……中元さん? どうしました?」


 電気ケトルを沸かす背中を、そっと抱きしめる。首筋に腕を絡めて、囁くように告げる。


「結婚しよう、綾子ちゃん」


 返事は「はい」だった。

 即答だった。

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