第227話 鮮血のジャスティス


 目的の大学が見えてきたところで、新しい問題が浮上してきた。

 

 ――大槻教授と会うには、どうすればいいのだろうか?


 である。


「残念ながら、私と早坂君達はかなり警戒されているでしょう」


 聞けば杉谷さんは、ほんの一週間前に大槻教授と接触を試みたばかりらしい。

 ……接触というか、後半は恫喝に近かったそうだが。


「無駄に理屈っぽい男で、話し合っても埒が明かないと思いましてな」


 短気を起こした杉谷さんは、「こめかみに銃口を付きつけて研究を中止するよう迫る」というヘマをやらかしたそうだ。

 しかもその時、左右に早坂さんと加藤さんを連れていたというのだから手に負えない。


 要するに、このパトカーに乗っている警官トリオはめちゃくちゃ警戒されているのだった。

 

「あの一件以来、教授の周りには二十四時間体制で護衛が付いています。本人は日本の警察官にガードされていると思い込んでいるようだが、実際は米軍が手配した人材によって守られている」

「……また面倒な……」


 面目ない、と杉谷さんが頭を下げてくる。全くである。

 

「まあ今は全員が透明人間なんですし、気付かれずに忍び込んで教授を拉致する、という手法も可能ではありますが」

「……それをやるとボディガードの目には、見えない何かに教授が引っ張られてるように映る。大騒ぎだと思うんですが」

「どんなやり方だろうと、護衛から引き剥がしてしまえばこちらのものです。最悪、彼を殺害すればいい話だ」

「――駄目だ!」


 何を言ってるんだこのおっさん、と反射的に声を荒げる。


「どんなにイカれた研究をしていようと、人の親なんですよ!?……高校生の娘がいるんですよ!? それが何を意味するのか、杉谷さんならよくわかるでしょう? あんただって妻子ある身のはずだ……」

「だが、一億二千万人の安全には代えられない。妻子ある身だからこそ、私はより大勢の家庭を救いたいと思っている」


 大槻正弘を殺すのが一番てっとり早い、と杉谷さんは言う。

 その声は強い意志の力を宿していた。公安調査官としての自負と、父親としての威厳を感じさせる、地の底から響くような声。


「……悪いが、俺はそのやり方には賛同できない。もっと人道的な手段があるはずだ」


 重苦しい空気が車内に充満する。

 エリンは気まずそうに眼を伏せ、アンジェリカは不安そうな顔でオロオロし、助手席の加藤さんは拳銃の手入れを始めている。ふざけやがって。いざとなったら杉谷さんに加勢して、俺を撃つつもりなのか。


「私は君を高く評価している」


 杉谷さんはため息をつきながら言った。


「私の知る中元さんは――いざという時にやり方を選ばない。あらゆる手段で敵を屠り、問題を解決し、犠牲を最小限に抑える。そういう人間だ。……私を失望させないでくれ。君なら最善の道を選ぶと信じている」

「言われなくたって――」


 いいだろう、やればいいんだろ。

 なに、簡単な話だ。

 大槻教授が望んで大学の外に出て、周りにボディーガードの目がない状況を作り出し、進んで俺達に協力するよう仕向ければいい。


 こんなもん、世界を救った勇者なら挨拶代わりにこなせるはずだ。

 でなきゃ勇者を名乗る資格なんてない。あっていいはずがない。


 誰かを死なせて作る平和なんて、本当の平和じゃないから。

 そんなのは間違ってるから。

 だから俺は、もう誰も死なせない――


「ここで停車してくれ」

「単独で潜入するのですかな?」

「いや。炙り出すんですよ」

「ほう?」

「見てろ。……俺は今から、あそこの公衆便所に大槻正弘を呼び出す。おそらく奴は護衛無しでやってくるだろう」

「……何か考えがある、と? 教授の娘を利用するのかもしれませんが、それにしたって上手くいきますかね。さすがに単独では来ないと思いますがな」

「周りに侍らせてるのは、アメリカの息がかかったボディーガードなんだろ? なら日本の男よりは紳士なはずだ。成功するに決まってる」

「……見ものですな」


 パトカーが停まるや否や、俺は大急ぎで外に飛び出す。

 スマホを操作し、綾子ちゃんに電話をかける。


「もしもし!? 綾子ちゃんか?」

『……どうしました?』

「お父さんの電話番号って覚えてるか!?」

『……忘れるわけないじゃないですか。父親の連絡先を忘れる娘がいたら、若年性痴呆症ですよ……たとえ自分の本名を忘れても、父親に関する情報だけは覚えているものです……』


 よし、大丈夫そうだ。

 もしもこっちの綾子ちゃんが頼れないようなら、大槻家にいる方の綾子ちゃんに協力を仰がなきゃならかった。


「悪い、今からお父さんに俺の言った通りの内容で電話をかけてくれないか!? 文章はメールで送るから、とにかく言われた通りにしてくれ!」

『……あの……一体……』

「報酬なら今払う!」


 シャツをまくり上げ、腹筋の割れ目をスマホで撮影する。ちゃんとヘソ毛を画面に収めるのも忘れない。

 ……念のためパンツの中身も撮っておく。


「どうだ!? ちゃんと画像は届いたか!?」

『私は何をすればいいんでしょうか?』

「話が早くて助かる!」


 通話をしながら、俺は人差し指の先端を噛み切る。

 あとは血の雫をポトポトと地面に落とせば出来上がりだ。


『……はい……はい……わかりました。……なるほど……中元さんはお父さんに会いたいんですね。……でも、どうして……え?……そんなことが……はあ……なんだか面倒なことになってるんですね……わかりました。やってみます』




 三十分後。俺はホイホイと単身でトイレにやって来た大槻正弘を無事捕獲し、魔法で眠らせることに成功した。

 自分とよく似た中高年男性を抱えながら、意気揚々とパトカーに引き返す。


「戻ったぞ。開けてくれ」


 コンコンと後部座席のドアをノックすると、車内の全員が目を見開いた。

 

「な……っ!? い、一体どうやって……!?」


 あんぐりと口を開けながら、杉谷さんがドアを開く。


「また車内が狭くなっちまうな。……いっそトランクの中に入れた方がいいか?」

「……早坂君、加藤君、手伝ってやれ」

「「は」」


 杉谷さんが命じると、二人の女性警官は大槻教授を俺の腕から引き抜き、慣れた手つきでトランクへと押し込み始めた。こいつら、定期的に人さらいしてるんだろうか?


「……わからない……確かに大槻綾子に協力を依頼すれば、外に連れ出すことは可能だろう。だが、ボディガードが付いて来なかったのは何故だ……? 中元さん、貴方は一体どんな魔法を……」

「魔法じゃない。――正義だ。誰も死なせずに解決したいという、俺の中の正しい心がこの方法を教えてくれたんだ」

「……正、義……」


 お父さん格好いい、とアンジェリカが祈るように手を合わせる。

 エリンも潤んだ瞳で俺を見上げている。


「教えてくれないか。君はどんなトリックを使ったんだ?……私には全くわからないのだ」

「父性さ。俺は人間が生得的に持っている、温かな心に訴えかけたにすぎない」

「父性……?」

「ああ」


 種を明かせば簡単な話だ、と俺は解説を始める。


「俺はまず綾子ちゃんに猥褻な自撮りを送り、取引をしたんです。彼女の助力が必要不可欠でしたから」

「すみません、いきなり正義から正反対の方向に飛んだように聞こえるのですが」

「細かいところで揚げ足を取らないで下さい、話が先に進まないでしょうが!」

「そ、そうですな。十七歳に猥褻画像を送りつけた現行犯だからといって、反応しないことにします」

「ちなみに下腹部の写真を見せつけました。これが一番効くので」

「一番送っちゃ駄目な部位でしょう!?」


 こほん、と咳ばらいして話を続ける。


「俺は綾子ちゃんに指示を送って、大槻教授に電話をかけてもらったんです」

「……そこまでなら誰でも思い付く」

「一工夫しました。『ど、どうしようお父さん……急にせ……女の子の日が、始まっちゃって……。今もう、血が足首まで伝い落ちてきてて…。周りに人がいっぱいいるのに……ナプキン、持ってなくて……近くに、コンビニも、無くて……』と涙声で訴えてもらいました」

「貴方は鬼か!? そ、そんなの年頃の娘がいる父親なら誰だって半狂乱になる!」

「『お父さぁん……助けて……私、今、ぐすっ、お父さんの、大学前の、トイレに、来てて……』」

「ああ、飛んでく……お父さん飛んでくよ、命に代えても飛んでくよ……!」

「案の定、大槻教授は生理用品を抱えて飛んできました。事情を話して女子学生から分けてもらったのか、それとも大学内の生協で買ったのか知りませんが」

「どっちを選んだにせよ、五十代の男からすれば死ぬより辛い行為だったと思いますがな。私だったら全てが終わった後に拳銃自殺する」

「きっとボディガード連中も、事情を聞いて『さっさと行ってやれ!』となったんでしょう。恥ずかしくて後を追うのも無理だったろうしな。なにせ大槻正弘が向かう先は、十七歳の娘が泣きながら血を垂らしている女子トイレだ」

「鬼だ……。貴方は鬼だ……」


 しかも俺は、公衆トイレの周辺に血を撒いておいたのだ。信憑性は抜群だったはずである。


「で、女子トイレの個室を片っ端からノックし始めた大槻教授を、背後からさっくり気絶させて今に至ると。そういうわけです」

「……」

「俺は正義のためなら……自分の体を傷つけることも厭わない。わかりますか杉谷さん? これが勇者って生き様なんだ」

「……せ、正義? 正義でいいのかそれは……!? 正義……正義とは一体……」


 よくわからないがもう貴方には逆らわないことにします、と杉谷さんはうなだれていた。

 は? 俺そんなに危ない奴に見えるか? とアンジェリカに訊ねてみたところ、「私、お父さんがアヤコに送ったえっちな写真が気になります」とどうでもいい部分に食いついてきた。エリンも同じ反応だった。


 なお、女性警官達はトランクに教授を詰め込むのに夢中で、今の話は聞いていなかったようだ。

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