第226話 愛と正義の勇者


「……勇者。あれ」


 国道に入って、五分ほど経った頃だろうか。

 突然エリンが俺の肩を揺さぶり、リアガラスの外を見るよう促してきた。


「何か見つけたのか?」

「……ん」


 白い指が差す方角には、一台のパトカーが見える。

 どうやら俺達を追いかけて来たらしい。きっと拘置所から慌てて飛び出してきたのだろう。


「追手か」

「……どうする? 範囲デバフ、使う?」

「駄目に決まってるだろ! 大惨事になる」


 ここは公道のド真ん中で、あたりは時速数十キロで走る車でひしめている。

 もしもエリンが知能低下デバフを展開したら、周辺のドライバーが一斉に幼児退行を引き起こし――あとは考えたくもない。


「お前はもうちょい一般市民を巻き込むことに抵抗を覚えてくれ」

「……この程度の速度で走る乗り物が事故を起こしても、地球人は死なないと思う」

「死ぬって。余裕で死ぬ」

「……勇者と同じ種族なら、頑丈なはず」

「なるほど、そういう勘違いしてたのかお前。俺が異常に強いだけで、普通の地球人はゴブリンより弱いぞ」

「……?」


 エリンが息をのむ気配を感じる。

 なんせ密着状態なので、呼吸音も完璧に把握できるのである。

 

「この世界の人間は魔法を使えないし、生まれつき加護やスキルを持っている者もほぼいない。ステータスは成人男性で100あるかどうかってとこだ。向こうでCランク程度だった冒険者なら、素手で百人の地球人を殺せるだろうよ」

「……そんなに脆弱な人種が、どうしてこんなに繁栄してるの」

「中卒の俺に聞くなよ」


 まあとにかく、と俺はそれかけた話題をあるべき方向に戻す。


「ここの人間はお前が想像している以上に脆いから、過激な手段で尾行を撒くのは無しだ」

「……じゃあどうするの」

「そうだな」


 俺はエリンを抱きしめたまま思案する。


「向こうのドライバーを負傷させるのは無しだ。俺らを追いかけて来てるのは、どうせ末端のおまわりさんだろ。職務を果たそうとしているだけで、悪人なわけじゃない。なるべく穏便に済ませよう」

「……勇者はやっぱり、甘い」

「まあな。俺は正義の勇者だからな」


 え、それ少女を駅弁スタイルで抱いたまま言うんですか? と杉谷さんが驚愕の目で見てくるが、聞こえないふりである。

 俺は女関係がだらしないだけで、生死に関わることには割とお堅い倫理観を持っていると自負している。

 地球の一般人に限定すれば、未だ一人も殺してないしな。


「まあ正義とか道徳以前に、可能な限り死人が出ないように動くのは人間の本能みたいなもんだろ」


 魔法使い族にはそういう感覚ってないんだろうか?

 知能は高いらしいが、種族的にドライなところがあるので俺達とは根本的に価値観が違うのかもしれないが。


「……勇者は、同族愛が本能に由来すると思ってるの?」

「同族愛なんて大げさなもんじゃないな。生理的な嫌悪感が一番近い気がするが……」


 話がすぐアカデミックな方向に脱線するのはエリンの悪い癖である。

 これから敵地に乗り込もうって時に、無駄に頭を疲れさせたくない。


「あ、そうだ。このパトカーの所有権を俺に移せないかな」


 どういうことだ? と杉谷さんがたずねてくる。


「俺は物体を透明にする魔法を使えるんですけど、自分の所有物や仲間じゃないと対象にできないって制限があるんです」

「制限つきの能力なのですな!」


 杉谷さんはもう大分前から協力関係にあるからパーティーメンバーとしてカウントされるはずだ。

 問題は俺に警戒心剥き出しの女性警官コンビだろう。


「この車と、運転席にいるお姉さん達を俺に譲ってくれませんか? そしたら全員の姿を消して、スマートに尾行を撒ける」

「お安い御用だ。……早坂君! 加藤君! 今の話は聞いていたな? この車両と君達を中元さんに贈呈する! いいな!?」


 運転席でハンドルを握る部下に、キビキビと命じる杉谷さん。さすが公安のエリート職員、話が早くて助かる。


「……致し方ありませんね」

「緊急事態ですから、ね」


 女性警官コンビは、恥辱に耐える女騎士のような声で了承した。

 うむ、これでよし。

 俺の視界にシステムメッセージが浮かび上がり、所有権の譲渡が済んだことが告げられる。


【勇者ケイスケはパトカーを入手しました】

【勇者ケイスケは早坂恵はやさかめぐみを入手しました】

【勇者ケイスケは加藤美咲かとうみさきを入手しました】


 ここからは俺のターンだ。

 隠蔽魔法をパトカー及び搭乗者にかけ、ついでに強化付与も施す。


「よし、オーケーです。これでこの車は誰にも視認できない。機械には映っちまうみたいだが、運転中にカメラを向けてくる輩はいないだろう」

「……本当に消えてるんでしょうか?」


 早坂と呼ばれた女性が、不安げにたずねてきた。

 バックミラー越しに視線が絡む。

 

「なんなら試してみるといい。乱暴に追い越そうが信号を無視しようが、クラクションを鳴らされなくなってるはずだ」

「ではさっそく」


 思い切りのいい女性である。

 早坂さんは勢いよくアクセルを踏み、ぐんぐんと前方の車を追い抜いていく。


「……確かに無反応ですね」

「わかってくれました? 周りから見えてないってのは結構危ない状況でもあるから、追突されないよう気を付けてくれよ」

「言われなくてもそのつもりです」


 きっと追手のパトカーは慌てふためいてるだろうな、となんだかおかしくなる。

 これでしばらくはドライブを楽しめるな、と安堵したところで、一連の会話のおかしさに気付く。


「……ん?」


 あれ?

 なんか俺、流れで婦警のお姉さんを二人も貰ってない……?

 そういえば隠蔽魔法を使う条件として、アイテム所有権の話しかしてないな俺。

 人間の場合はアイテム扱いではなく、パーティーメンバーとして加入させるべきなんだろうが……。


 やべっ、そのせいで杉谷さんが勘違いして、モノ感覚で部下を寄越してきたのか?

 

 え? どうなんだこれ? 

 女の子をアイテムとして貰うなんて初めての経験だぞ? 

 奴隷貿易じゃあるまいし、一体どうなるんだ?

 

 俺は半ば錯乱状態に陥りながら、運転席に目をやった。

 ハンドルを握っているのは、小柄な女性警官の早坂恵だ。かなりの童顔で、エリンに負けず劣らずの一日署長さんな風貌をしている。地毛なのか染めているのかは知らないが、髪は明るめの茶色でショートカット。全体的な印象としては「たまらん」といった感じある。


 一方、助手席に座る加藤美咲も中々の美人だった。

 こちらは長い髪を後ろで結っているのだが、目元がきりりと凛々しく、女武芸者といった趣がある。

 制服の上からでもわかるほど、自己主張の激しい膨らみを持っているのもポイントが高い。もはや俺の視線が公務執行妨害である。


「……」


 この二人が、俺の所有物に――


「お父さん? なんか『生きててよかった』みたいな顔してません?」

「……今の勇者、ダンジョンの最奥で貴重なアイテムを拾った時の顔してる……こんなに満足げな表情を見るの、久しぶり……」


 無論、本音など言えるわけがない。

 なので俺の舌は、オートモードでペラペラと嘘をまくし立てる。


「ほら、犠牲者を一人も出さずに追手をやり過ごせただろ? だから俺さ、なんていうか……人として勇者として、すげー満足してるんだ。やっぱこうでなくっちゃな」

「わぁ……さすがお父さん! 勇者らしさに溢れてますね!」


 きらきらと瞳を輝かせるアンジェリカに続いて、エリンや杉谷さんも俺を褒めそやす。


「やっぱり勇者は甘い……けど……そこが貴方のいいところ……」

「敵の身も案じて動くとは、私の見込んだ通りの御仁ですな」


 俺達は愛と正義が滞りなく実行されたことに感動を覚えながら、大槻教授の元へと向かった。

 道中、早坂さんが「そういえば、なんかさっきの会話おかしくないですか?」と気付いてはいけないことに気付きかけたため、「は? 何がっスか? それより前見た方いいですよ、デカいトラックが来てる」と話をそらしてやった。

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