第230話 男は黙ってハーレム
「………マジシャン中元……?」
大槻教授はまだ覚醒しきっていないらしく、虚ろな目で周囲の様子を窺っている。
娘のSOSを受け取って女子トイレに駆け付けたはずが、芸能人の部屋に寝かされているのだ。
主観的には異世界転移とそう変わらない状態だろう。
だから俺は、大槻教授が感じている不安がよくわかる。
突然知らない場所に移動するのは凄まじいストレスだ。経験者は語るというやつである。
このようなシチュエーションに陥った人間が真っ先に求めるものは、「情報」と「安全」であろう。
だったら俺は、それを提供してやればいい。
「安心しろ。俺はあんたに危害を加えるつもりはない。単に話し合いがしたくて連れてきたんだ」
大槻教授の目を見据えながら、ゆっくりと告げる。
同時に寝室の奥から、「うわっ神官長がおしっこ漏らした!」「おとうしゃまあああああああ!」と女達の悲鳴が上がる。
「……今の声はなんだね?」
「もう一度言う。俺はあんたに危害を加えるつもりはない」
「私以外にも誘拐したのか? 何が目的だ? あっ、綾子!? どうしてお前がここに……貴様! 娘に何をした!」
いきなり何もかも台無しになってしまったが、気にせず話を続ける。
この程度のアクシデントで狼狽えていたら、勇者など務まらないのである。
気にしてねえし。
ほんとだし。
「あれは俺の家族だ。スルーして下さい」
「……私の耳には、成人女性が幼児口調で泣き喚いているように聞こえるのだが」
ちょっといいですか、と綾子ちゃんが進み出てくる。
このままでは埒が明かないと判断したのだろう。
「……久しぶり……お父さん……」
「綾子……」
感極まった様子で、父の顔を見つめる少女。
感動の親子の再会――だが、大槻教授の方はもう一人の綾子ちゃんと毎日顔を合わせているので、なんのこっちゃ? な反応である。
「体調はいいのか? 急にアレが来たんじゃなかったのか?」
「……あれは、えっと……お父さんを呼ぶための方便……」
「なぜそんな回りくどい真似をして私を呼び出した?」
「……ボディガードの人、邪魔だったから……」
「なぜお前が身辺警護を警戒する? 本当は脅されてるんじゃないのか? 綾子、お父さんの目を見て言うんだ。お前の正直な気持ちを聞かせてくれ」
「……正直な気持ち……言っていいの……?」
「ああ! お父さんはいつだって綾子の味方だ!」
「……じゃあ、製薬会社の人から排卵誘発剤をくすねてきて……。お父さんならできるでしょ……? 私、中元さんの子供を毎年産み続けたい……! 閉経したあとも産み続けたい……! そのためにはお薬がいるの……!」
「中元圭介ェ! うちの娘に何をした!?」
先ほどから杉谷さんが「大丈夫なのかね?」な視線を向けてくるが、なんの問題もない。
問題だらけで逆に問題がない。
俺より学のある人間が、正常な判断力を発揮すると厄介だからな。
大槻教授はこのまま錯乱していればいい。その方が付け入りやすい。
「よく見れば私に銃を突き付けてきた刑事もいるな?――は、なるほど。これは手の込んだ脅しというわけか」
「勝手にシリアスな結論を出しているところを悪いが、あれを見てくれ」
俺は大槻教授の肩を叩き、壁にかけてあるカレンダーを指で示す。
「……暦がどうかしたのかね」
「見覚えのある筆跡が目に入らないか?」
「……」
我が家のカレンダーは、同居女性どもが各自の危険日を書き込んである。
綾子ちゃんに至っては、基礎体温や排卵日まで書き込んである始末だ。いつか必ず妊娠してみせる、という犯行予告に見えなくもない。
「わかるよな? おたくの娘さんが書いたものだ」
「……解せんな。どうして綾子があんなことを?」
「大槻さん、俺とあんたって顔つきが似てるよな?」
「私としてはいい迷惑だがね。自分そっくりの芸人が出てくるなど、いい笑いものだ。学生に何度からかわれたことか」
「綾子ちゃんが俺のファンなのはあんたも知っているはずだ。なんたって綾子ちゃんの好みのタイプは、『実の父親』なんだからな」
「……」
大槻教授は気不味そうに眼をそらす。
「綾子ちゃんからすれば俺は、理想の男なんだろう。実父と瓜二つの風貌で、おまけに血が繋がっていない。おかげで俺のマンションに入り浸っている」
「それが犯罪なのはわかってるんだろうな? 娘はまだ十七歳だ。もしも妙な真似をしたというなら、私はお前を……」
「――いつまで下手くそな芝居を続ける気だ?」
「何?」
俺は綾子ちゃんのポケットにおもむろに手を突っ込むと、中に詰まっていた妊娠検査キットやらバ〇アグラやら睡眠薬やらを床に広げる。
「……な、中元さん……!?」
まるで普通の思春期少女みたいに恥ずかしがって見せる綾子ちゃんと、我が子の痴態に顔をそむける大槻父。
そうとも。
子供を持つ親からすれば、耐えがたい屈辱に違いない。
我が子の不始末を上回る恥など、この世界にあるだろうか?
うちの両親も、俺が三十代のフリーターという絶望的な身分だった頃は、「息子さんは何をやってらっしゃるの?」と聞かれるたびに死にたくなってたらしいからな。
「見ろ! これは全て綾子ちゃんが自主的に買ったものだ! 隙あらば俺に薬を盛って、逆レ〇プしようとしてくるんだ! ファザコン治療薬の研究なんてしてたくらいだ、あんたも綾子ちゃんの危険性は承知してるんだろう!? この子が! 惚れた男にどれだけの執着を見せるか! 知らないわけがない!」
「うちの子がとんだご迷惑を!」
大槻教授は床にひれ伏し、額を擦りつけるようにして頭を下げた。
土下座だった。
お手本のような土下座だった。
「……嫌な予感はしていた……私そっくりの芸能人……しかも私より若い男が現れたのだ。……娘の関心が血の繋がらない男に向かうならばと歓迎していたが、まさか直接家に押しかけるほど入れ込んでいたとは……」
それにしても綾子ちゃん、父親からの信頼が皆無である。
うちの娘ならきっと問題を起こしているに違いない、とある意味信頼されているのかもしれないが。
「頭を上げてくれ。俺は別に綾子ちゃんを疎ましく思ってるわけじゃない。こんな器量よしに懐かれて悪い気はしないさ」
「……」
「家事だってやってくれるしな。性癖さえ目をつむれば大和撫子と言っていいだろうよ。ただ、残念なことに――俺にはもう婚約者がいる」
そうなのだ。俺は世間的には斎藤理緒という現役JKと純愛を貫いているおじさんなのである。
「やっぱこう、色々ぎくしゃくしちゃうよな。リオと綾子ちゃん、どっちも幸せにする方法ってのが今の俺にはない。なあ綾子ちゃん、もし俺がリオ一筋になって、君と縁を切るって言ったらどうする?」
「……中元さんと交流のある女性全員を道連れにして、自殺しますね」
「ほらな? ターゲットがリオ以外にも及んでるのがヤバいだろ? 自分がいなくなったあと、俺が他の女とくっつく可能性をゼロにしたいらしい。どうするよ大槻教授? 俺は綾子ちゃんに好かれちまった時点で、詰んでるんだ。この子と添い遂げない限り死人が出る」
確かに綾子ならやりかねない……と大槻教授は弱々しい声を上げる。
「こんなことを言えた義理ではないとわかっているが……その……中元くんが今の婚約者と別れて、綾子に乗り換える可能性はないのかね……? 無論ただとは言わない。娘が歪んでしまった責任は私にもある、一生をかけて償おう……! 私の預金も株券も、全て君に差し出す……だから、なんとか綾子の気持ちを汲んでやってはくれないか……?」
「落ち着けよお
俺は大槻教授の両肩に手を置き、諭すような口調で言う。
「俺は斎藤理緒を愛している。なのに綾子ちゃんは俺に惚れてしまった。そして綾子ちゃんは、俺と結ばれないなら猟奇的な手段に出ると言っている。全員が幸せになるには、日本人を辞めるしかないだろう」
「何を言ってるんだ……?」
「なあに、簡単な話さ」
肺がいっぱいになるまで息を吸い、力強く告げる。
「俺とリオと綾子ちゃんの国籍を、変える。重婚が認められている国に帰化して、二人とも俺の妻にするんだ」
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