第51話 確保

 一月二十七日。約束の日だ。

 俺は相良山のてっぺんで寝そべり、ぼうっと山道を眺めていた。

 

 俺以外の登山客は見当たらない。

 無理もなかった。

 標高がたった数十メートルの、みすぼらしい冬山なのだ。

 観光名所でもなんでもない、地面に出来たイボみたいな場所だ。

 地元住民ですらほとんど足を踏み入れず、業者がゴミを不法投棄するのにしか使われていない印象がある。


 よほどの事情がない限り、誰もこんなところには来ないだろう。

 おまけに今は、平日の午前九時。

 学生も社会人も、山登りしている暇はない。


 それでもご隠居老人や、物好きなキャンプ客がいる可能性はあった。

 その時は背後から忍び寄り、昏睡スリープ魔法で眠らせようと思っていた。

 が、幸いなことに人影はなし。

 記録的な寒波が、人々の外出を控えさせる方向に働いたのかもしれない。

 

 そうとも。

 こんな日にわざわざここを訪れるのは、わけありな人間だけなのだ。


 俺や、冴木裕太のように。


 ザリザリと砂利を踏みながら、細身の少年が走ってくる。

 息も絶え絶えに、必死の形相で足を進めている。


 俺は今、自分に隠蔽をかけている。

 裕太の目には何も見えまい。


「……大槻さん……大槻さん……」


 裕太はすぐ側にいるはずの俺を探し、叫んでいる。どこだよ! 大槻さんを返してよ! と。

 多分、悪人ではないのだろう。

 危害を加えるのは忍びないので、速やかに昏睡魔法をかけることにした。

 立ち上がって、裕太の背中に呪文をぶつける。


「なよなよしてると聞いてたが、頑張ったじゃないか」


 眠りにつき、倒れ込んだ裕太を受け止める。

 やけにあっけない。

 絶対にこのままでは終わらないはずだ。油断は禁物である。


 なぜならカナは、裕太を尾行してきたのだから。

 己に隠蔽魔法をかけ、無断でついてきたのだ。


 圭介Cは今朝早くから、望遠鏡越しに冴木家を監視している。

 カナの生命感知に引っかからない、超遠距離からの監視だ。

 レンズから覗き込めば、隠蔽をかけた相手だろうと姿を見ることが出来る。

 冴木家を出入りする人間は、逐一スマホから俺に知らされている。


『カナも三人飛び出した』


 が数分前に圭介Cから送られてきたメッセージ。

 確実に、カナもここに来ている。


 どこだ。

 俺は戦闘態勢を取り、あたりを伺う。

 不意打ちは不可能だと、全身で伝える。

 やがて何もない空間から、三本の光剣が発生した。


 カナだ。


 どうやら、あまり高レベルの隠蔽ではないらしい。

 スキルで発生させた刀身までは隠しきれないようだ。

 ヴゥンと音を立てて揺れる光の刃は、迷うような動きを見せている。右へ揺れたり、左へ揺れたり。


 なぜ奇襲が予測されたのかわからない。どうすればいいのかわからない。現在のカナの心境は、そんなところだろうか。


「解呪」


 俺は光剣に向かって、浄化の魔法を唱えた。

 まばゆい光があたりを包み込んだかと思うと、カナを覆っていた隠蔽のベールが引き剥がされる。

 姿が顕になったカナ達は、三人とも憤怒の表情をしていた。


「あああァァー!!」


 一人が、大振りな撫で切りを繰り出してきた。

 俺は軽く後ろに跳んでやり過ごす。

 攻撃を見切られたカナは、体勢が大きく崩れた。

 隙だ。見逃すわけにはいかない。


 閃光弾ライトボールの魔法を放ち、つんのめりになったカナを蒸発させる。

 まずは一人。

 二人目にはこちらから飛びかかり、顔面に正拳突きをおみまいする。


「ギッ!」


 パァンと水音を立てて、カナは首から上が消失した。水風船を割ったような手応えだった。

 首なしとなった体は、ガクガクと痙攣しながら倒れ込む。

 再生されては面倒なので、こちらも大火力の魔法で全身を消滅させた。


「どうする? あと一人だが」


 最後に残されたカナは、中段に剣を構えている。

 視線は俺と裕太の間を何度も往復していた。逃げるべきか救出に専念すべきか、迷っているのだろう。

 

「力の差はよくわかっただろ。大人しく降参しろ」


 真正面からぶつかって勝てる相手ではない。それはしっかりと伝わっているはずなのだが。


「……わかった」


 カナは剣を収めると、両手を上げた。降参のポーズ。

 あまりにも聞き分けがいい。カナの性格からすると、不自然ですらあった。

 第一、まだ目に闘志が宿っている。

 あまり嘘が得意なタイプではないようだ。


 ここはあえて乗っかって、その上でやり込めた方が上手くいくだろう。


 俺は「最初から大人しくしてくれればよかったんだ」と言いながら、無造作にカナに近付いた。

 肩に手を置き、いかにも話し合いに入るようなそぶりを見せる。


「君、六人に増えてたよな。あとの三人は家に置いてきたのか」

「……まーね」

「そう警戒するな。穏便に済むならそれに越したことはない。君も裕太も生きて帰れるように……」


 その時である。

 あろうことかカナは俺の股間に向かって、光剣を突き立てようとしたのだ。

 最悪の騙し討ちだった。


「無駄なことを」


 防御力が三万を超えたあたりから、俺は戦闘で痛みを感じたことがない。

 眼球でさえ刃が通らないのだ。

 例え局部であろうと、同じこと。


「……信じらんない。普通こんなとこまで鍛える?」

「好きでこうなったわけじゃない。だが精神的には傷つくんだぜ」


 やむを得ず、カナの両腕を切り落とす。

 これで神聖剣スキルの使用は不可能だ。

 ここへ来る前に自動回復魔法をかけていたかもしれないが、解呪で隠蔽ごと吹き飛んでいるはずだ。

 新たに腕が生えてくる恐れもない。


「リジェネー――」


 もちろん、魔法は再び詠唱し直すことが出来る。ちょうど今のカナのように。

 だがそれをむざむざ許すほど、俺も愚かではない。

 カナの口に指を突っ込み、回復魔法を唱えられないようにする。


「――! ――っ!」

「無理だ。お前の顎じゃ俺の指は噛み切れないよ。本気で噛んでるんだろうが、スポンジに挟まれてるみたいな感触だ」

「――っ! ――ぎっ――!」

「俺とお前じゃ基礎ステータスが違い過ぎる。諦めろ。もうお前に打つ手はないんだ」


 カナはまだ自由が残されている足で、必死に俺の爪先を踏んでいる。

 虚しい抵抗だった。


「話し合おう。女の子をいたぶるのは好きじゃないんだ」


 カナは涎を流しながら、俺の指に歯を食い込ませようと足掻いている。


「お前は生命感知が使えたよな? 残りのカナを探すレーダーになって欲しい。それをやってくれたら、ここにいるお前は生かしてやってもいい。他のカナは始末する」

「……ぎ……! ぐ……!」

「全てが済んだら、お前は普通の人間として生きろ。どうだ? 妙な選民思想は捨てろよ。気に入った人間以外は殺すなんて、やめようじゃないか」


 同じ召喚勇者のよしみだ、と諭すように語り聞かせる。

 伝わってくれただろうか?


「――っ!」


 カナの返答は、「俺の股間を蹴り上げる」だった。


「効かないと言ってるだろ」


 やむを得ず、カナに恐慌のデバフをかける。

 恐怖心と痛覚が数倍に引き上げられる、悪辣な状態異常。

 カナの精神が壊れなければいいのだが。


「昔話をしようか」


 俺はカナの耳元で、異世界時代の冒険譚を語る。


「俺はね、あっちの世界でゴブリンを絶滅させたんだ。どうやったと思う?」


 ゴブリンの子供を生け捕りにして、巣穴の前に磔にしたこと。

 怒り狂った親ゴブリンが飛び出してきたところを、次々に討伐していったこと。

 口にするのもおぞましい、醜悪な方法で拷問したこと。

 なんでもない思い出話のように、カナに聞かせる。

 臨場感たっぷりに、耳を塞ぎたくなるような描写まで詳細に。


 俺のゴブリン退治は、もはやどちらが鬼なのかわからくなるようなエピソードで満ち溢れている。

 エルザの人生を奪った種族と思うと、全く加減が効かなかったのだ。


「お前があんまり頑固なら、ゴブリンと同じように扱わなきゃいけない。今話した責め苦を延々と続けられるなんて嫌だろ? ……ああもう、漏らすなよ」


 カナは失禁し、涙と鼻水を垂らしていた。

 すっかり変わり果てた少女の頭を、ポンポンと撫でてやる。


「安心しろ。俺は人間相手ならここまで酷いことはしない。カナ、お前は人間だよな? 選別した者以外は殺めるなんて思想は、人間のそれじゃない。そんなことを考えてる悪鬼なら、俺は手段を選ばない。だがお前は違うよな?」


 首を縦に振るカナに、聞き分けのいい子は嫌いじゃないと声をかけてやる。

 さっきまで目に宿っていた戦意は、完全に霧散している。

 純粋な怯えと、虚ろさを感じさせる瞳だ。


「あと三人か」


 呟いた瞬間、ポケットに入れていたスマホが通知音を鳴らした。

 急いで取り出し、画面を覗き込む。


『カナ達を追いかけて記者も山を上り始めてる。来た時とは別のルートで降りろ。今すぐ』


 どうも、と圭介Cに返信をする。

 情報化社会の便利さと不便さを同時に味わいながら、俺は冴木兄妹を抱えて下山した。

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