第106話 ノーカン

「なんだ?」

「……お父さんってもしかして、もう子供は欲しくないとか思ってたり……します?」

「欲しくないも何も、俺は既に子持ちだろ? お前を義理の娘として養育してるんだから」

「私は娘を名乗ってるだけで、実質彼女みたいなもんですからノーカンですノーカン。そうじゃなくって、自分の血を引いた赤ん坊を見たいって願望はないのかな、と思いまして」


 そこノーカンにしたら不味いと思うんだけどな。

 いつになく真剣な目をしているので、指摘するのはよしておくが。


「エルザさんとの間にできた子供だけが我が子で、他の子なんて考えられない、とか考えたりしてるのかなーって」

「……どうだろうな」


 目をつむり、己の本心を探る。顔も見たことのない我が子。

 もしまともに産まれていたら、どんな風に育ったのだろうか?

 男の子か、女の子か。

 俺に似ただろうか。それともエルザにだろうか。


 ちゃんとした形で会ってみたかった、とは思う。未練と言われれば、そうかもしれない。

 目を開けて、答える。


「確かに、そういう感情がないわけじゃない」

「そうですか……」


 しゅんとするアンジェリカ。望む回答ではなかったらしい。


「やっぱりお父さんの中にはまだ、エルザさんがいるんですね」

「色んな意味でそうだな」

 

 案外、いい方向に話が進んでいるような気がする。

 俺の気持ちはまだエルザにあるのだから、お前が何をしようと親子以上の関係性にはなれないぞ、と思い知らせるチャンスかもしれない。


 そりゃあ美少女に迫られて悪い気はしないが、俺は一途で誠実な男なのだ。

 貞操のステータスがあったら、とっくにカンストしてるくらいだ。


 ……ところどころ油断した場面もあるにはあるが、なんだかんだでエルザ以外の女とは一線を超えていない実績がある。そこを考慮して頂きたい。

 

「でもエルザさんはもう、故人なんですよ」


 お父さんは前に進むべきだと思います、とアンジェリカは言う。


「死んだ恋人に操を立てるのは素敵な話ですけれど、お父さんの人生はまだまだ続くんです。日本人って長生きなんでしょう? これからもずっと、独り身を貫くつもりなんですか?」

「……そんなこと言われてもな。まだエルザを亡くして一年ちょっとだぞ。そんな簡単には気持ちを切り替えられない。大体、前の女と死別したからはい次の若い妻、と気安く再婚できるような男に魅力を感じるのか、お前は」

「感じないですね」

「だろ?」

「逆説的に言えば、そうやってお父さんがエルザさんへの愛情をアピールすればするほど、私達を燃え上がらせるんですけどね……」

「いや、なんでそうなるんだよ」


 アンジェリカは「当然のことでは?」みたいな顔で語る。


「彼女持ちや妻子持ちの男の人の方がモテるって言うじゃないですか」

「ああ……たまに聞くな。結婚したら一部の若い女が寄ってくるようになるってのは」


 人妻好きの女バージョンみたいなもんなんだろうか、ああいうのは。


「きっと人のものほど欲しくなるんですよ……今ならよくわかります」


 アンジェリカの目は怪しげな光を帯びている。

 よくないスイッチが入った時の顔だった。


「お父さん自覚ないんでしょうけど、エルザさんの話をしてる時、すっごく優しそうで、けど悲しそうな顔してるんですよ」

「……会話中の自分の顔なんて、誰だって無自覚だろう」


 そういうお前は俺と話してる時、大体は発情した猫みたいになってるぞ、と言わない配慮は俺にもある。


「あれはそう……弱ってる男の人を見ると、支えてあげなきゃと思うようなタイプの女の子には、特攻状態なんですからね……」

「つまりお前にとってツボなんだな?」

「……私だけでなく、アヤコやリオさんにとってもそうなんじゃないですかね。あの二人は私とはまた違う刺さり方をしている気配がありますけど」

「まあ、弱ってる男を支えてあげたいなんていう人種ではないな、あの二人は」

「アヤコはむしろ弱ってるところにつけ込みたいって感じで、リオさんは弱ってる男の人を散々なじったあと、一転攻勢で酷い反撃をして欲しいって感じでしょうね」

「よくわかってるな」


 お前の分析力はすげえよ、と感心する。完全に同意だからである。


「二人とも私とは違うベクトルでお父さんに魅力を感じてますけど、ゴール地点は一緒ですよね。お父さんの奥さんになって、赤ちゃんを産みたい。それ以外頭にないんです。同類なんでよーくわかります」


 実はこの俺の体狙いレースにフィリアも加わってるのだが、加わるどころか突如F1カーで乱入した感じだが、そんなものを白状しても何もいいことがないので、黙っている俺だった。

 今のフィリアは精神崩壊を起こして素直になったせいか、一緒にいるとほぼ一時間おきのペースであれこれと俺にちょっいかいを出してくるのだ。最後には上気した顔で、お父様の子供が産みたいのです、などと妄言を吐く。


 ……これはまだ理性が健在だった頃に抑えつけられていた、あいつの本音だったのだろうか?

 それとも狂気に支配された結果生じた、新しい願望なのだろうか?

 今となっては知るよしもない。フィリア本人にしかわからないことだ。


「アヤコは……手強い相手です。はじめは見た目がエルザさんに似てるリオさんにリードされるかなって思いましたけど、そうでもないですね。あの人の中身はむしろお父さんの好みから外れ気味っぽいですし」

「……なんでそんなことがわかるんだよ?」

「見ればわかりますよ。お父さん本当は女の人に主導権握らせて、あんまり自分で考えないでいる方が性に合ってるんじゃないですか?」


 鋭いな。

 まるで反論の余地がない。

 

「喪服姿の団地妻とか、縦セーターの似合う近所の綺麗なお姉さんとか、そういうのがいいんですよね? 膝枕してくれて、頑張れ頑張れって言いながらえっちなことをしてくる感じの」

「待て。お前俺のPCを見たな? 綾子ちゃんに操作を教わったのか? それとも綾子ちゃんが弄ってるところを見たのか?」


 アンジェリカは肝心な質問には全く答えず、堂々とはぐらかして続ける。


「綾子の私服、見ました? 縦セーターばっかなんですよ……。冷え性だからって。肌が隠れてちょうどいいからって」


 それは知ってる。あの子と出会った頃から知ってる。というか初対面でそんな服を着た可愛い子が店子をやってたんで、大槻古書店に通うのを決めたくらいだし。

 俺はなんてことを考えてるんだろうな今?


「それにアヤコは……上手いんです」

「何が?」

「人を気持ちよくするのが」

「……」


 俺のいない間に二人で何やってんの? と妙な疑問が湧いてくる。


「まさか耳に棒を突っ込むだけであんなことになるとは思いませんでした……」

「ああ、耳かきか。綾子ちゃんにやって貰ったのか?」

「あれは凄いですね。魔性の技です。……あんな切り札があっただなんて……。鼓膜から脳にかけて、棒状の快感が貫通したような感覚がありましたよ」


 まだ十代なのに他人に耳掃除するのが得意だなんて、器用なものである。

 まさか昔の彼氏にやってあげてたのかなー、などと想像して若干落ち込んでみたり。

 大人しい女の子に男の影があると、別に自分の彼女とかじゃなくてもちょっとショックを受けるものだ。


「なんでもアヤコ、父親の書斎に侵入しようとして、小学生の頃からピッキングの練習をしてたらしいんですよ。そしたら棚ぼたで耳掃除も上達してたとかで。どちらも穴に細い棒を入れて、ちょこちょこやる技能ですもんね」

「ああうん、すっげー綾子ちゃんらしい理由だな。なんか安心したけど」

「……アヤコがあれをお父さんにしてあげたら、好感度をガリガリ稼いじゃうと思うんです……。もしかしたら、流れで最後までしちゃう、なんてのもありうるかも……」


 それだけは防がなきゃいけないんですと言って、アンジェリカはもぞもぞと膝を動かし始めた。

 何をするつもりなんだろうか?

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