第107話 パーフェクトコミュニケーション

「あっち向いてて下さいね。さすがに恥ずかしいので」


 何をするのかわからないが、従わないと不味いことになるんだろうな、というのはビンビンと伝わってくる。

 俺はくるりと後ろを向き――つまりバスルームの入り口を見る形で、アンジェリカの用が済むのを待つことにした。

 

 ……用が済む?


 自分のモノローグで気付いたが、便器に腰かけている女の子が膝をもぞもぞと動かして「こっちを見るな」と言った場合、やることは一つではなかろうか?


 ……まさかな。


 アンジェリカはそこまでの娘じゃねえよ。

 確かに度を越したアピールを繰り返してくるけど、根っこの部分にはちゃんと常識がある。信仰だって持ってる。

 限度はわきまえているはずなのだ。

 

 だから俺は油断して、綾子ちゃんはそろそろフィリアを寝かしつけた頃かな、なんて考えていた。

 実に愚かな男だった。

 背後から衣擦れの音やら水音やらが聞こえてきても、きっと俺の耳か頭がおかしいんだろうな、としか思わなかった。

 綾子ちゃんもそう言ってたし。普通の人間が戦争だのなんだのやったら、気が狂っちまうんだろう?

 ならこれは幻聴なんだよ幻聴。


 そうやって不毛な現実逃避をしながら壁を眺めていると、アンジェリカの「もうこっち見ていいですよ」という声が聞こえた。


 あまり振り向きたくない展開である。


「俺は先に外に出るよ。いつまでも綾子ちゃんに任せきりじゃ悪いしな」

「こっち見ていいんですよ」

「フィリアがあの状態になったのは俺の責任なんだし、やっぱり俺が世話するべきなんだよ、うん」

「リオさんとはおトイレでイチャイチャできたのに、私が相手だと無理なんですか?」

「……えっ。お前それリオから聞いたの?」


 うかつだった。

 つい、反射的に振り返ってしまい、アンジェリカの目論見通りの状況となってしまったのだから。


「……やっとこっち見てくれましたね」


 アンジェリカは茹で上がりそうな赤い顔をしていた。

 色が白いので血色の変化がすぐにわかるのである。

 で。なんで赤くなっているかというと。


 足首のあたりに、ねじれた白い布がかかっているのだ。

 そう。

 パンツである。

 下着をずり下ろしたまま、俺と会話をしているのだ。


 信じられん。

 こいつ、親父が数十センチ手前に立ってるってのに、用を足しやがった。


 お前に恥じらいはないのかと言いたくなるが、あの通りの顔色だしスカートの中が見えないよう厳重に手でガードしてるしで、ちゃんと羞恥心は感じているらしかった。

 そういったまともな感性がありながら、同時にぶっとんだ行動もして見せる。

 摩訶不思議な娘である。


「お前……自分でもやってて恥ずかしいんだろ……ってか何考えてんだよほんと」

「お父さんが他の女の人にしたご奉仕を、私にもやって欲しいんですけど」


 でなきゃ対等じゃないですし、とアンジェリカは眉をしかめる。


「対等?」

「……お父さん争奪戦で、差をつけられるのは許し難いです。駄目です。嫌です。お父さんは私のものです」

「お、おう。いいからパンツ穿こうな。な?」

「お父さんがちゃんと扶養義務を果たしてくれたら穿きますよ」

「……何すればいいんだ?」


 アンジェリカはぽつりと呟いた。神官長と同じことして欲しいんですけど、と。


「……フィリアと同じって……どういう?」

「下の世話ですよ! 常識じゃないですかこんなの!?」

「いや違う。俺の知る限りそんな常識が存在した時代はない」

「神官長はずるいです。毎日この宿でお父さんに下半身を洗って貰ってたんでしょう?」


 聞いちゃいない。完全に俺の指摘をスルーしている。


「ちょうど今、汚れちゃったんで。お父さんに綺麗にして頂きたいです」

「……無理だろ。ていうか自分でできるだろ」

「こういうのは男親にやって貰うから意味があるんですけど」

「こんなことに意味合いを持たせちゃいけない」


 なんなんだ? なんで俺は十六の少女に、股間を洗えと迫られてるんだ?

 どういう因果を辿ればこんな出来事に巻き込まれるんだ?

 俺は前世でよほど悪いことをしたのか?

 それともこれは喜ぶべき場面なのか? 普通の男ならどう感じるんだ?


 何がなんだかわからず、思考が混乱と動揺で満たされていく。

 そして最終的に行き着いた結論が、「さっさと済ませて楽になりたい」だった。


 俺はよろよろと足を動かし、アンジェリカに覆いかぶさるような姿勢になる。


「……ビデのボタンを押す。それでいいだろ?」


 アンジェリカはこくこくと頷いている。

 つまり今から俺は、女の子と目を合わせながら、その子に大してウォシュレット機能を機動させようとしているのだ。

 長いまつ毛に覆われた緑の目が、ばっちりと俺を視界に捉えている。

 潤んだ瞳。期待に満ちた眼差し。


 理解に苦しむ。

 どうして俺はこんな、特殊な世界に……。

 ある意味これ異世界召喚じゃねえの? とすら思えてくる。

 ほとんど別の世界に飛んでいるに等しい所業だし。この個室だけ異次元なのだ。


「……もちろん、拭くところまでやってくれますよね?」


 何がもちろんなのか知らないが、現在の俺は正常な判断力を失っているので、ただただ「ああ」とか「うん」とか答えるしかないのだった。


「あ、拭く時は腕まくりして頂けると助かります。動く血管とか筋とか見たいんで……」


 なんのフェチだよと思ったが、男の腕を見るのが好きというのは女子の一般的な嗜好なので、まあいいかという気分だ。

 俺は注文通り腕まくりをすると約束した。


「あと、なんていうか……言って欲しいセリフもあるんですけど」


 ちょっと要求多くないか? という言葉が喉元まで出かかったところを、ぐっと堪える。

 段々アンジェリカの機嫌が良くなってきたのを感じるので、好きにさせようと思ったのだ。


「なんで言えばいいんだ?」

「『こらこら。アンジェは一人でトイレもできないのか? どれパパが手伝ってあげよう』って」

「倒錯的だな」

「『母さんには内緒だぞ』も追加で」

「そりゃこんなの自分のかみさんには言えねえよ。離婚案件だ」

「で、拭きながら『母さんのよりずっと綺麗だな。アンジェ……パパはなんだかお前を見てると……』って息を荒げて欲しいんですよね」

「お前のその母親に対するライバル意識はなんなんだ? 父親を寝取るシチュがツボなのか?」

「仕上げに『離婚する……! 母さんとは離婚するからな……! アンジェ……! アンジェ……! お前のここを洗ったこの手で離婚届取ってくるからな……! すぐ取ってくるからな……!』って切なげに連呼しながら、下着を穿かせるところまでやって頂ければ大満足です」


 確実に綾子ちゃんから悪い影響を受けている気がする。

 俺の娘の性癖はどうなってしまったんだろうか。

 それとも元々持っていた願望だったりするのか?


「もうなんでもいいわ……やりゃあいいんだろ」




 全てを終えたあと、視界をシステムメッセージが横切った。


【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの好感度が9999上昇しました】

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