第26話 安全地帯

 スマホから大家に連絡をし、隣人が亡くなっていると伝えた。

 今どこにいるのかと聞かれたので、公園と答える。

 すると第一発見者なのだから、自室に戻って待機して欲しいとせがまれた。

 やはり死体を見つけた経緯について、あれこれと聞かれるのだろうか? 


「面倒だな」


 通話を終え、ベンチに腰かける。アンジェリカも隣に座り、じっと俺の目を見てくる。


「私、本当にあのお爺さんと生活してたんですかね」

「たった数日だろうし、まだ推測の段階だけどな」

「操作されてたとしても元同居人ですし、お葬式に出てあげた方がいいんでしょうか」


 葬式を挙げて貰えるのだろうか。

 孤独死するくらいだし、遺族が密葬で済ませるのではないか。

 その遺族だって、遠い親戚かもしれない。


「全部片付いたら部屋の前に献花でもするか? これくらいがちょうどいい距離感だと思う」


 夜の公園はすっかり静まり返っていて、俺達以外に人影はない。

 会話が途切れると、音がなくなってしまう。

 女の子は沈黙を嫌がるというし、何か話した方がいいのか?

 そんな風に思っていると、アンジェリカが先に口を開いた。


「……幽霊達、私の体を動してた間に、変なことしてないといいんですけど。ね、どうします? もしもこの体が、引くくらい酷いことに使われてたとしたら」

「例えば?」

「性的なこと。不衛生なこと。そういう感じのです」


 アンジェリカは探るような目で、俺を見つめている。

 

「アンジェのせいじゃないんだし、気にしない。大事な娘だからな」


 不安がる気持ちはわかる。

 男の俺ですら、自分の体を勝手に動かされるなんてぞっとしないのだ。

 十六歳の少女ともなれば、怖気の走る思いだろう。

 以前ステータス鑑定した時は、備考に男性経験がないなどと書かれていたので、大丈夫だとは思うが。


「ふふ。お父さんならそう言ってくれると思ってました。なんたって大事な娘なんですもんね……えっ、娘? 娘!? この期に及んで、まだそんなこと言うんですか!? 私を見つけた時に吐き散らした甘ーい言葉の数々、どう考えても彼氏から彼女に向けた言葉だったじゃないですか! 『大事な彼女だからな』でしょう、そこは!」

「父親と娘で喧嘩したとしても、あのくらい言うんじゃないか。仲のいい親子ならありえる」


 あの時は俺もどうかしていたのだ。

 自分でも口説き落とそうとしてないかこれ? と妙な気分になったが、不可抗力だと思いたい。


「……ありえない頑固者ですね……」


 ふてくされるアンジェリカの肩に、手を置く。


「そうだよ頑固だよ俺は、お前が成人するまでは、父親としてめいっぱい可愛がることにしたから。あくまで父親として、だ。嫌でもそうするからな。そんじゃさっそく、虫除けやるぞ。子煩悩の一環だ」

「虫除け?」

「また妙な亡霊が体に入り込んだら嫌だろ。あいつらは今もどこかに潜伏してるんだ。結界魔法かけとく」

「ああ、ですね」


 これで二度とアンジェリカが操られることはあるまい、と起動準備に入る。

 セイクリッドサークル。対象の半径三百メートル程度の範囲に、絶対防御をもたらす聖なる円。

 アンジェの周りにいた霊体を弾き飛ばしたであろう結界だ。


 今にして思えば、これを最初にアンジェに使わなければ、部屋の周辺にいた悪霊をまとめて倒せたのだ。

 しかしあの時は、奴らが異世界から来たとは考えなかった。

 現代日本にも幽霊がいたのか、などと解釈したため、ここで倒しても意味がないと判断してしまったのだった。


 どっかの墓場なり死体なりから湧いて、寄ってきてるんだろう。その元を絶たない限りきりがないな、と。


 ところが異世界由来の憑依戦法なのだとしたら、絶つべき「元」は幽霊集団の指揮官になる。

 無数の霊を統率する、最も強力で雇い主に忠実な霊体型モンスター。

 そいつが念話で他の霊に命令を発しているはずだ。

 大抵はレイスやスペクター種に訓練を施したものであり、低級な霊と違って悪目立ちする。

 すぐにでも見つかっていいものだが。


「どこにいるんだろうな、幽霊」


 俺はアンジェに結界をかけながら、呟いた。


「今日一日あれだけ歩き回って探したのに、一匹も発見出来なかったな。先が思いやられる」

「力不足を痛感してます」

「アンジェが悪いわけじゃない。なんか変なんだよ」


 アンジェリカの感知は、数百メートルも離れた距離から綾子ちゃんの邪悪さを見抜いたわけで。

 射程も精度も優秀だ。このレベルの使い手が町中を探索して、ただの一匹も見つけ出せなかった。


 幽霊の視界にだって、死角はあるだろう。

 建物の中にでもいたとして、外を通りかかるアンジェリカから毎回的確に距離を置けるものなのか。


 手の内がバレてるんだろうか?

 例えば、どこかで俺達の動きを見ているとか。で、そいつが仲間達に念話で知らせている。

 これならアンジェリカが接近するたび、余裕をもって逃げ出すことが出来る。


 でも、どうやって?


 アンジェリカを目視可能な距離から見張っている霊がいるとすれば、とっくに感知の射程に入って見つかっているはずだ。


 超遠距離から俺達を監視して、他の幽霊に動きを教えているとか?

 ……ないな。霊体の視力がいいだなんて話は聞かないし、むしろ人間より悪い。


 視力のいい生き物に憑依して、遠方から監視しているというのはどうか。


 いや、これも無理だ。

 異世界の幽霊は通常、生前と同じ種族にしか取り憑けないものだ。

 仮に人間よりも視力で勝る鳥に憑依したら、中身はやはり鳥の霊だ。

 念話を行えるほどの知能を持たないため、監視役なんぞ務まるはずがない。


 監視カメラや盗聴器を使えるとは思えない。

 だがこの短期間でそれらを使いこなすほどの現代知識を学び取り、金も用意することが出来たなら、小型の盗聴器くらいは買えたかもしれない。

 仮にそれをアンジェリカの衣類に仕込んだとしても、やるなら神聖巫女の衣装にだろう。

 今のアンジェリカはセイクリッドサークルで幽霊が近付けなくなった後に買った、現代日本の服を着ている。下着までそうなのだ。


 服に盗聴器を入れられた線も、ないと見ていい。


 一体どういう種を使ってるんだ?

 頭の中をクエスチョンマークだらけにしながら、結界を張り終える。


「オッケー。これでアンジェの周りは安全地帯だ」

「感謝感激ですね。結構酷いこと言ってくれたので、ケアが必要ですもんね? これ以外にも何かあるんですよねっ?」

「う。まあな」


 たじろぎながらも、考える。

 安全地帯……そうだ。奴らはどこか安全で、見つかりにくい場所に隠れているんだ。

 アンジェリカの感知にも引っかからず、それでいて一方的にこちらを観察出来る場所に。

 

 どこに入り込めばそうなるだろう?

 物や人間に憑依したって、感知されておしまいだ。


 何か一方的に、奴らに有利のつく場所。

 俺はそれを見落としている。


 こういう時は、逆に相手の立場になって考えるべきだ。

 霊体から見た、勇者中元圭介を攻略する方法。

 俺は絶対的なステータスを誇り、まず正面からでは勝てない。

 

 一番いいのは直接俺を操ることなんだろうが、魔法防御が高すぎて不可能だったのだろう。

 普通であれば霊体の必勝パターンは、「対象に取り憑いて操り、自殺する」だ。

 これが一番スマートでいい。最も少ない手間で相手を殺し、遺された人々にも多大なダメージを与える。


 そう。

 霊体はいつも、敵を利用することを考える。

 操る敵が強くて皆に好かれている人物であるほど、あいつらも強くなる。


 だからこそ、そこそこのステータスを持ち、しかも美しい少女というアンジェリカに取り憑いたのだ。

 戦力にも外見にも使い道がある、理想的な憑依対象だったことだろう。


 では、権藤に憑依したのはなぜか。

 あいつだって現代人の中では「強い」部類に入るからだろう。

 銃火器や刃物を持った人物なんて、ヤクザの他にそういない。

 ましてや出入りしている家にエルザとそっくりな少女、リオまでいたのだから、何かと便利だと判断したのではないか。


 リオを人質に使われていたら、俺は動揺しただろう。


 ……人質。


 今、俺がされて一番嫌なこと。


 勇者宛の献上品として美しい生娘を用意したとして、俺が情にほだされるところまでは容易に思いつくはずだ。

 だから、アンジェリカに手を付けるべきだ。これが俺の新しい弱みだ。


 俺の敵なら、そこを突くべきだ。

 だがどうやって? 


 アンジェリカを用い、奴らにとって有利にことを運ぶ方法。

 ……何がある?

 霊体の特性と、俺が常に側に置いている少女の組み合わせで、取れる手段。


「……ある。あるな」

「お父さん?」

「これなら俺達の行動を逐一監視し、しかも俺のセイクリッドサークルをすり抜けられる」


 急にどうしたんですか、とアンジェリカが顔を覗き込んでくる。


「簡単な話だ。どうして気付かなかったんだろう。アンジェの『周囲』に悪霊が近付けなくなったとしても、アンジェの『中身』は別に問題ない。そこは結界で守られた場所じゃない。台風の目みたいなもんだ。結界を張る前にもう入り込んでいた霊なら、逆にそこを安全な監視地点として利用出来るくらいだ。感知スキルも効果範囲は『自分の周囲』で、『自分の中身』は入ってないしな。アンジェのスキルで見つかることもない」

「どういう意味です?」


 だからな、と俺は続ける。


「お前の中にまだ、入ってるんじゃないか、幽霊」


 ぴたりとアンジェリカの動きが止まる。


「……まだ?」

「ああ。体外に出てないのがいるんだ。監視役として、アンジェの中に残ってる。これなら納得がいく。一方的にこっちを見放題だ」


 憑依してから大分日が経っているので、肉体の操作権はとうにアンジェリカに移っている。

 それでも内部に留まり、仲間の亡霊に念話で指示を飛ばすことは可能だ。


「試しに解呪ディスペルしてみていいか? 何も出なかったら大外れだ」

「ぜ、ぜひ。自分の中に変なのが潜んでるのは嫌です。早いとこお願いします」


 指先に魔力を込めて、アンジェリカの額を押す。

 

「解呪」


 唱えると同時に、まばゆい光が放たれ、まず俺がかけた結界魔法が打ち消されていく。

 結界がほどけ、アンジェリカを包み込む聖域が夜の闇に溶けていく。

 

 次だ。


 この次にも何か変化が起きたとしたら、それはきっと――

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