第27話 ユニークスキル:父性

「ぎゃはははははははは! 大、正、解!」


 高笑いをしながら、悪霊が姿を見せる。

 アンジェリカの背中からもうもうと出てきたそいつは、白い煙のように見えた。

 あるいは、真冬のため息をかき集めたようにも。


 それはアンジェリカを包み込むようにして、広がっていく。

 やがて一箇所に集まり、大柄な男の形となる。


 筋肉質な上半身をしているが、下半身はただの煙だ。

 亡霊というよりジンに近い外見をしている。

 目と鼻のあるべき場所には虚ろな黒い穴が開いているだけで、口だけが奇妙に人間じみている。


 可視化できるレベルの霊体で、この外見となると種族は一つ。


「レイスか」


 レイスは魔術師が幽体離脱に失敗し、悪霊と化した姿とされている。

 そういった意味では、アンデッドよりも生霊に近い。

 きちんと人としての自我を持つため、悪霊集団の統率者としては申し分ないだろう。


「安心したぜ勇者様? 不能じゃなかったのな。かみさんブッ殺して廃人なってるかと思ってたら、ちゃんと神聖巫女とイチャついてんじゃん。それともありゃあ、若い後妻が欲しくて殺したの? いやはや、さすが英雄はやることが違うね。女取っ替えるにしても一々手が込んでるわ」


 口と舌だけは、本当によく人間と似ている。

 喋ることも、人間の屑にそっくりだ。

 俺が睨みつけると、レイスはアンジェリカの背後に回り、指を首筋に這わせた。


「ぎゃはは! 怒った! 勇者が怒った! あぶねーなおい! まだアンジェリカちゃんの中に尻尾が入ってんよ! ちゃんと出るまで待ちぼうけしてねえと、解呪しきれねーよ?」


 その、通りだ。

 憑依した霊体が全身を出すまでは、攻撃することができない。

 それが済む前に倒してしまうと、アンジェリカに霊障を残してしまう。

 溢れんばかりの戦力を持ちながら、今は待つことしか出ない。


 じれったく、もどかしい。

 一秒でも早くこいつをぶちのめしてやりたいのに、指を咥えて見ている。


 そんな俺を見て、レイスは楽しくて楽しくて仕方ないといった様子で口元を歪めている。


 アンジェリカは、今にも倒れそうだ。

 お父さん、と小声でうめき、膝から下はカタカタと震えている。

 神殿育ちのアンジェリカは、鍛錬の成果でステータスこそ高くとも、実戦経験はほとんどない。

 そして、怖がりだ。

 そんな子が悪霊にベタベタと触れられ、怯えている。


 血の気が引いていくのを感じる。

 怒りを通り越して、一足飛びに殺意に到達する。


 俺の娘に、何やってんだこいつ? なんで今、こうやって立ってるんだ? 俺は何をしているんだ?

 状況を忘れかけるほどの、深い怒り。


 我慢出来ない、飛びかかって殺したい。なのにそれが叶わない。 

 こんなにも苦しいなら、いっそ何もかも忘れて殴りかかってしまおうかと思う。

 でも、それをするとアンジェリカを救えない。

 アンジェリカをきちんと救いたいから、アンジェリカを今すぐ救うのを我慢する。


「いやー。やっと尾っぽまで出てきたわ。悪いね、待たせちまって。ところで出たら出たでほれ、しっかりアンジェリカちゃんを確保し終えたんだが」


 レイスは尾が出るまでの間に、アンジェリカの喉元に右手の爪を突き立てるのを完了させていた。


「あれー? 勇者様お前、詰んでんじゃねこれ。お前の馬鹿火力で、俺だけ狙い撃ちにする方法ってある?」

「人質のつもりなのか? やめとけ。お前の死に方が酷くなるだけだぞ」

「アンデッドにそれ言うのか? もう死んでるようなもんなんだがねぇ。なんと俺にはもう、帰るべき肉体がありませえん! ぎゃはは! 幽体離脱してる間に、腐っちまったよ! これ以上酷い死に様ってのは何があんのかね。んー……最愛の勇者様に、我が子ごとブスリとやられるとか? わり、これエルザの死に様だった!」


 どこまでも品がなく、不快な笑い方をする悪霊だ。

 下品で、嗜虐的で、うるさい。典型的なレイスの性格をしている。

 これ以上は聞くに堪えない。

 俺は瞑目し、スキルを発動させる。


 レイスがアンジェリカを傷つけないよう、ここで大人しく立って気を引く。

 レイスをアンジェリカから引き離すため、高速で跳んで神聖剣スキルで刺す。

 

 矛盾した二つの行動を同時に可能とする手段が、俺にはある。


【勇者ケイスケはMPを2000消費。二回行動スキルを発動】

【180秒の間、一ターンに二回の行動が可能となります】


「ああん……? 動くんじゃねえぞ。でもなんだろうなあその目。お前なんかやってるだろ?」


 答える義務はない。俺はただ黙って立っていればいい。

 そうしている間に、見えないもう一人の俺が全てを片付ける。


「あれだろ? わかるぜ、お前の企んでることくらい」

「?」

「俺ごとぶっ刺した人質を、あとで回復するってやるだろ? ちょっと痛いのを我慢して貰うだけ、勝ちゃあそれでいい。こんなとこだろ?」


 見当外れな予想をまくし立てながら、ぼうっ、とレイスの体が発光する。

 同時に、アンジェリカの表情がこわばる。


「ひゃっはぁ! あぶねーパパをお持ちのアンジェリカちゃんには、恐慌状態をプレゼントォ!」


 恐慌状態。

 恐怖や苦痛を感じやすい状態にして、戦意を喪失させる弱体効果デバフ

 これを食らうと――痛覚は何倍にも引き上がるのだという。

 

 アンデッド系モンスターが、好んで使う手だった。


「俺ごと貫いてみろよ? やってみろよぉ! すっかり敏感になっちゃったアンジェリカちゃんは、そんなことされたら発狂すっかもしんねえけど! ま、いいんじゃねそれはそれで? ぶっ壊れた綺麗なお人形ゲットじゃん? 俺も楽しいしさぁ、やっちまえよ勇者様?」

「……勘違いもここまでくると滑稽だな」


 そら、もうすぐスキルの処理が終わる。

 お前は俺が選ばなかった方の選択肢に倒されるのだ。

「人質よりもレイスへの攻撃を優先する」という選択肢に。

 俺ではない俺が、全てを終わらせる。

 そう、思ったのだが。


「……?」


 おかしい。

 様子が変だと気付いた。

 あまりにも、遅い。

 普段ならとっくに二回行動の効果が発揮されている頃だ。


 だというのに、なぜ?


「そうか」


 考えられるのは一つ。


「お前も二回行動持ちか」

「ビンゴ。今頃もう一人の俺らはバシバシやり合ってんのかね。おっ、記憶が湧いてきたぜ」


 俺達は互いに二回行動スキルを用い、因果を乗り越えた先でしのぎを削りあっていたのだ。


 レイスの前で立ち尽くす俺と、アンジェを取り押さえ続けるレイス。

 レイスに奇襲をしかける俺と、奇襲を迎撃するレイス。


 この組み合わせで一瞬の戦闘が発生すれば、結果は「何も起こらない」だ。

 しかし同時に激しい攻防を繰り広げたという認識が、脳に入り込んでくる。


 ……強い。


 この領域に達した霊体とは、初めて対峙する。


「動くなっつったのになあ、勇者様? 狡い真似すんじゃねーよ。ワンペナな。アンジェリカちゃんの肌を、今からどっか刻みまーす。ぎゃははは! おめーのせいだかんなあ!」

「よせ。手段を選ばなきゃ、いつでもお前ごと殺れるのはわかってるだろ」

「あ? 聞いたかアンジェリカちゃん? お前『ごと』だってよ。ひゃはは! やっぱ勇者様は言うことは違うね! 痛覚増し増しで超痛がりモードな娘を、巻き添えにするんだってよ! ぎゃははははは!」


 レイスはあざ笑い、のけぞっている。

 楽しくて楽しくて仕方ないと言いたげに。


「お父さん、私なら大丈夫だから……」


 アンジェリカは両目から涙を流しながらも、気丈に振る舞っている。

 恐慌状態で、恐怖心も感じやすくなっているのだ。それなのに、俺を気遣おうとしている。


 よく出来た娘だ。本当に俺にはもったいないくらいだ。

 どうしてこんないい子が俺の元に送られてきたのだろう?

 俺なんかのところに来なければ、穏やかに暮らせたのに。

 

 せめて解呪で恐慌状態を解除してやりたいが、今は指一本動かすことが出来ない。

 さきほど仕掛けた二回行動の奇襲で、レイスは気が立っている。

 今度こそ本当に、アンジェリカを傷つけかねない。

 恐怖も痛みもずっとずっと感じやすくなっている、今のアンジェリカに。

 

 だが、俺が何もしなくても、今からアンジェリカのどこかを刻むのだという。


 どうする?

 

 もうアンジェリカごと、レイスを貫いた方がいいのかもしれない。

 そしてアンジェリカの傷を回復させる。

 長く苦しませるくらいなら、激痛と引き換えにでも早く終わらせた方が、かえって苦痛は少ないのではないか。

 

 俺が攻撃準備に入ると、レイスは口を開いた。


「あー待て待て。やっぱ止めだ。相手が神聖巫女ちゃんなのを忘れてたわ。こんななりしてマゾい修行だけは頑張ってきただろうからな? 痛いのは我慢出来ちゃうかもしんねーわ。肌刻むのはやめやめ。おい勇者、よかったな。俺の気が変わったから動かなくていいぞ。そうそう、手ェ下げろよ」


 何を考えているか知らないが、アンジェリカが苦しまなくて済むならそれが一番だ。

 俺はレイスの、空洞な目に向かって語りかける。


「なんだ? 交渉でもしようってのか?」


 レイスはニタニタと笑いながら、アンジェリカの頬に爪を当てている。


「いやあー、なに。俺ら悪霊はほれ、人の恐怖と苦痛が糧なものでな。絶望を食うと腹が満たされるのよ。美味しいの。調子が上がるの。もうちょい味わっとこうと思ってな」


 じらして、長期戦に持ち込もうとしているのだろうか。

 考えが読めない。


「神聖巫女のアンジェリカちゃんに、外傷以上に恐怖を与える手段を思い出したんでな」


 なんでもいい。アンジェリカが物理的に傷つけられないようにするのが今は最優先だ。

 恐慌状態は、そう長く続くデバフではない。

 時間切れを待つ。

 痛覚が通常に戻った後、アンジェリカごとレイスを貫く。


 これが一番ベストな選択肢だろう。……アンジェリカにはあとで謝らなければならない。

 魔法で傷を塞ぐとはいえ、義父に体を穿たれるなど最悪の体験なはずだ。


「体を引っ掻くより、中身を小突いた方が効くタイプもいるってね。アンジェリカちゃんはそれっぽいよなあ?」

「何が言いたいんだ、お前」

 

 レイスは俺をなじることに、快感を覚えているように見える。

 話に乗ってやれば、デバフが解けるまでの時間稼ぎが狙えそうだ。

 俺がレイスの次の言葉を待っていると、奴は愉快そうに、とても愉快そうに言った。


「俺みたいなのがアンジェリカちゃんの体を操ってたんだぜ? それも一週間近くだ。まともに扱ってたと思うか?」

「だからどうした」

「一週間ありゃあなんでも出来たよな? 人を殺す。盗む。体を売る。清い清い神聖巫女ちゃんは、薄汚れてしまったのでしたァ」


 ……俺は、別に、どうでもいい。

 アンジェリカの意思で行われたことでないならば、アンジェリカの罪ではない。

 だが、アンジェリカは大丈夫なのか。そっと、目をやる。


「……う、う……」

「アンジェ……」

「……う……」


 俺が父親役を務めると誓った少女は、両の目から、ぽろぽろと涙を流していた。


 あんなに、気丈さを見せていたのに。

 恐怖と痛みを引き上げられながらも、耐えていたのに。


 そんなアンジェリカの精神を決壊させる手段。

 永遠の処女と謳われ、恋に憧れていた少女に対して、外傷以上に効く仕打ち。

 

 それが、これか。


 悪霊らしい、下衆な戦法だった。精神に揺さぶりをかけ、動揺を誘おうとしている。

 勝っても負けても嫌な気分にさせられる、それがこの手のモンスターの特徴だ。

 でも、無意味だ。

 馬鹿が。俺に効くと思ったのか?


「あーあー。どうするよ勇者様。わっけー生娘貰えて、大張り切りだったのにな? これでもまだ夢中になって守る価値、この娘にある? 汚れもんだろ? 無価値じゃねえか。ちっとばかし俺の言うことを聞いてくれたらよ、新品の神聖巫女を手配してやってもいいんだぜ」


 言うことを聞いてくれたら?

 それならこのレイスは、俺に何かさせたくてこちらの世界に来たというのか。

 俺の殺害ではなく、俺に要求を飲ませるために。

 そんな下らないことのなために、こんな非道を行っているのか?

 俺なんか好きに殺せばいいだろうに、わざわざアンジェリカを使ったのか?


「どうするよ勇者? あれ? っつーか今俺やべえのか? 人質の価値が糞なのを自分で知らせちまったわ。やべえやべえ。でもなー。俺ってばアンジェリカちゃんの恐怖と絶望をチューチューして、すっかり調子いいんだわ。おいおい、これ普通に戦ってもお前に勝てんじゃねえの? あれあれ?」


 どうするよ勇者? とレイスは歪んだ笑みを見せる。

 どうするよだと? 俺の答えは決まっている。


「さっさとアンジェリカを離せ。失せろ。他の巫女など要らん。従わないなら、多少雑な手段を用いてでもお前を消す」

「はー? 何言ってんのか理解出来ねえわ。ごめんもっかい言って? この中古のガキをどうしろだって?」

「離せって言ってるだろ、人魂野郎が。お前、俺の額に一本角が生えて見えるのか? 俺のクラスはユニコーンじゃなくて勇者だぞ。アンジェリカの貞操が失われたかもしれないって? それがどうした? すっげえ細けえことで優位立った気になってんじゃねえよ」

 

 俺はその子の恋人じゃなくて、父親なんだよ。

 娘が汚れようが落ちぶれようが悪さしようが、ずっと見守り続けるのが男親だろうが。

 綺麗な部分だけ愛でるような真似をすると思ったか。そんなのはどっかの白馬の王子様に任せる。

 俺はロバに乗った汚い親父だけど、絶対に娘を嫌いにはならない。


 女の子にとっての最後の生命線で、絶対に裏切らないただ一人の男、それが父親だ。

 アンジェリカには俺以外に父親と呼べる存在がいないから、俺がそうならなきゃならない。


 さっさと終わらせてアンジェリカを連れて帰る。

 他に何も考える必要はない。


 そろそろ、アンジェリカの恐慌状態が解ける。

 恐怖心と痛覚が通常に戻ったのならば、人質を巻き込む戦法も取れる。

 精神が壊れない範囲の痛みに収まってくれる。


 それにデバフは一度当たると、その日一日は耐性が生じる。

 アンジェリカはもうこの状態にはならない。


 俺が人質戦術で足止めを食らうことも、なくなる。


「駄目だ勇者。お前頭イカれてるわ。それともエルザみたいな奴隷上がりに熱上げるくらいだし、小汚い女が好みなのかね」


 アンジェリカの表情が、ふっと和らぐ。

 恐慌状態が解除されたのだ。

 一歩、足を動かす。


「わかったわかった。お前が中古好きなのはわかったから動くなって。それならそれであれよ、まだ人質に価値を感じてるってこったろ? ひひ! よかったなアンジェリカちゃん! お前の親父、ぞっこんじゃねえか! こうやってぇ! 刻んだらぁ! どんな反応すっかなあああああああああああああ!?」

「よせ、死ぬぞ」

「ひゃっはああああああああああああああああああ!」


 レイスが叫ぶと共に、アンジェリカの首筋に赤い線が走る。かすり傷だった。

 ほんの少し、爪で撫でただけだ。


 命に別状はない。

 警告のつもりだったのだろう。

 これ以上近付けばもっと重症を追わせるぞ、というシグナルのつもりだったのだろう。


 だが、この紙でなぞったような切り傷が、こいつの死因となる。


「よせと言っただろうが。ここからはもう俺でも止められないぞ。こうなると攻撃範囲を絞るのが難しくなるんで、好きじゃないんだけどな」

「あぁ?」


 視界に無数のシステムメッセージが表示され、高速で流れていく。


【勇者ケイスケは、パーティー内年少者の負傷を視認】

【ユニークスキル「父性」が発動しました】

【180秒間、ステータスとスキル倍率を上方修正し、状態異常を無効化します】

【HP+1000%】

【MP+1000%】

【攻撃+1000%】

【防御+1000%】

【敏捷+1000%】

【魔攻+1000%】

【魔防+1000%】

【スキル倍率✕10】


 この公園が、壊れないといいのだが。

 今俺が心配しているのは、そんなことだった。


【勇者ケイスケはMPを2000消費。二回行動スキルを発動】

【ユニークスキル父性の効果により、スキル倍率に10倍の補正がかかります】

【1800秒の間、一ターンに十一回の行動が可能となりました】


 行動回数を、一回増やすのが二回行動だ。それの倍率を十倍すれば、十回増える。

 十一の選択肢が、同時に行われる。

 レイスの二回行動では、全く対応出来ないだろう。


「まあ、アンジェに痛みを感じさせずに済むから、良かったのかもしれないな」


 俺が言うのと同時に、世界の法則はスキルに従って動いた。

 


 レイスの気を引くために立ち尽くす。

 自身に強化付与をかける。

 レイスの懐に飛び込んで光剣で貫き、アンジェリカを引き剥がす。

 アンジェリカの首元の傷を治療する。

 アンジェリカを抱き上げ、アパートの前まで運ぶ。

 レイスを光剣で地面に縫い付ける。

 縫い付けた剣の柄を握り、さらに食い込ませる。

 倍率十倍の毒魔法をレイスにかける。

 レイスの右腕を切断する。

 レイスの左腕を切断する。

 切断面に光剣を突き入れる。


 

 俺の主観ではずっと立っていたままだが、レイスの体は五メートルほど後方に吹き飛び、光剣で地面に縫い付けられる。両手を失い、動くのもままならない姿で。

 まるで昆虫の標本だ。


 数瞬遅れて、俺の中に十一回分行動した記憶が湧いてくる。

 もはや時間も空間も飛び越えて、無理やり運命を捻じ曲げたようなものだ。


「……あ?」


 空虚な穴だけの目で、それでも器用なことにレイスは「不思議そうな」顔を作っていた。

 パーツがいくつも足りない顔なのに、そういう表情をしていると相手に伝えられるのは一種の才能かもしれない。


「……あぁ? お前何やった?」


 腹に光る剣を突き立てられて、レイスはポカンとしている。

 まだ何が起こったのか気付いておらず、それゆえに痛みが届いていないのだろう。

 無我夢中で戦闘していると、肘から下が切り落とされているのに気付かない兵士もいるという。


 知らないのは、幸せなことだ。

 なので、教えてやる。


「お前、刺されたんだよ。人の大事な娘にくだらねぇ嫌がらせしたから、串刺しにされて両手を失ったんだ。理解したか」


 ようやく。

 ようやく事態を理解したレイスの顔が、歪んでいく。


「ひ゛き゛っ゛!」


 神聖剣スキルで発生させた光剣は、霊体、悪魔、アンデッドに対して特攻を持つ。

 レイスは霊体とアンデッド、両方に含まれる。特攻が二乗に働き、その苦痛は想像を絶するはずだ。


「き゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」


 耳をつんざくような、悲鳴。

 気分のいいものではない。

 さっさと情報を引き出して、仕留めてしまおう。


「人魂野郎、何を知ってる? やはり神官長の差し金なのか?」

「……ひひひ、死ねよ、死んじまえよう……」


 追加の光剣を、ニ本突き刺す。

 両目を正確に狙い、スコンと音を立てて公園の舗道まで貫通する。


「がぎゃっ!」

「言葉は選べよ。また十回連続でやって欲しいか。相手が人間じゃねえなら俺は遠慮しないって知ってるだろうが」


 恐慌呪文の詠唱準備に入る。

 アンジェリカがされたのと同じことを、十倍の威力で御見舞する。

 霊体には聖属性で攻めるか、精神攻撃をするのがよい。

 発狂し、自我を失うほどの苦痛を与えるのはとてもよい。

 

 苦しみ悶えながら、消えていくことだろう。


「お前もこいつの威力はよく知ってるだろ? 散々やらかしてくれたもんな?」

「ま、待て待て待て! やってない! あの神聖巫女には何もやってない! 魔法防御が高すぎて、憑依して操るので精一杯だったんだよ! 本当だ! あいつは生娘のままだって! 大体、憑依してる間は自我が俺になるんだぜ? 男の俺が男に体売るような真似するはずねえだろ!」

「それで?」

「お前が気にしてんのはこれだろ? な? だから助けて……治療を……治療を……痛ぇんだよ……毒だろ? これ毒だろ? 普通じゃねえ、なんなんだよこの、ぐげ、ぼげ、げぼぼ、げっぼ」

「そりゃ、十倍に濃度が増した毒だしな」


 腹に刺した光剣をぐりぐりとえぐりながら詰問をする。


「神官長の差し金か?」

「そうだ……なあ……早く解毒を……ががっあががが……解毒……」

「なぜだ」

「……ぎひっ……お前が! 強くなり過ぎたから! いつか報復するんじゃないかって! 恐れてる奴がたくさんいる! 上の人間ほどそうだ! お前は、魔王討伐でエルザとガキを捧げるはめになったから……それを恨んで、お前があの世界に自力でやってくるんじゃないかって……」


 くだらん。

 吐き捨てながら、顔を蹴飛ばす。


「俺を殺すつもりだったのか?」

「……か、可能なら……それが無理なら、神聖巫女を人質にして、従順にさせろって……指示だ……」


 救ってやった大衆に恐れられ、疎まれる。勇者なんてそんなものだ。

 ただの犬。使い走りに過ぎないのだ。

 

「……話しただろ? 解毒を……早く……」


 少し、慈悲を見せてやった方が口の滑りが良くなるか?

 そう判断し、毒を消してやった。

 レイスはにんまりと笑みを浮かべ、首を起こす。


「あひ、あひひひ。やっぱ勇者様だわ……情け深いこって……ひひ、ひひひひ」


 何か企んでいるのはわかる。

 まあ、群体型の霊体なら取る行動は一つだろう。

 

 仲間を呼び寄せる。


「善行積んで自分に酔ってんじゃねえええええええよ! ぎゃーはっはっはっはああああああああ!」


 どこから湧いたのか、無数の霊魂がレイスの肉体に吸い寄せられていく。

 こいつと一緒に異世界に来たであろう、探し求めていた悪霊の群れだ。


 霊体は一つに集まり、癒合する性質を持っている。


 このレイスがやたらとお喋りだったのは、こいつもこいつで時間稼ぎを狙っていたせいかもしれない。

 仲間達を全員ここにかき集め、自らの戦力とするための下準備をするための。


「毒さえ抜けりゃあ、そう負けねえよ? んじゃ殺すから」


 今やレイスは、三倍近い大きさに膨れ上がっている。

 切り落としたはずの腕は再生し、以前よりたくましい筋肉に包まれていた。


「お前が連れてきた霊体は全部吸い取ったのか?」

「決まってるだろ! おかげで最強モードだよ! 巫女と一緒に死ねやああああああ!」


 殴りかかってきた拳を、光剣で受け止める。

 

「そうか、ならお前を殺ればまとめて始末出来るんだな。まさか地球で本気を出すことになるとは思わなかった」

「あ?」


 ――十一回行動。


 神聖剣で固定したレイスに、物質化の呪文を唱える。霊体に全ての物理ダメージが通るようになるデバフ。

 レイスを地上に叩きつける。道路がひび割れ、奴の体がひしゃげる。

 ひしゃげたレイスの顔面を、路面に押し付けたまま走る。

 ガガガガガガガガ! と轟音を立てながら、削れていく。

 すり減ったレイスを再び蹴り上げる。成層圏まで吹き飛び、摩擦熱で真っ赤に燃え上がる。

 倍率の引き上がった強化付与で全身を防御。問題なく熱や衝撃に耐えられる。

 跳躍し追いかける。空気の壁が、背後でドムンと音を鳴らすのが聞こえる。音速を超えたのだ。

 赤い彗星と化したレイスを、空中で掴み上げる。

 掴んだ体を、二つに引き裂く。上半身と下半身に。後者は燃え尽き、焦げカスとなって焼失する。


 全てが一瞬で完了。


「げああああああああああああああああああああ!?」


 このまま、俺とレイスで地上に落下する。 

 場所を選ぶ。

 山。

 無人の野山にレイスを叩きつけるようにして、着地する。小さなクレーターが生じ、木々が揺れる。


 もう、レイスは首から上しか残っていない。こいつらの核は頭部にある。これを破壊すれば二度と蘇らない。

 握りしめた頭部に、あらゆるデバフをかけながら握力を強めていく。

 猛毒、麻痺、盲目、恐慌、呪詛。

 苦痛を強める弱体効果を、思いつく限り全て。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!」


 レイスは絶叫を上げながら、ビクビクと痙攣していた。


「い、嫌だ……こっちの世界は天国も地獄もねえんだ! ここでHPがゼロになった霊体は、消滅しちまうんだよ!」


 いいことじゃないか。死後も永遠の命を授かるだなんて、ろくなもんじゃない。

 うちの国は潔く死ぬのを美とするのでな。

 異世界の浮き雲に過ぎないお前には、わからないだろうが。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!  嫌だァ! 嫌だ嫌だ嫌だ! 消えたくない! 消えたくないぃぃ!」


 ミリミリと音を立ててひび割れながら、顔だけになったレイスは懇願してくる。


「あと五分、あと一分でいい! 一分でいいから延命させてくれ! 消えたくない消えたくない! ああああ! 消さないでっ! 嫌だあああああ!」


 親父の前で娘にちょっかい出したろ。

 だからこうなるんだよ。

 子供ためなら鬼にも悪魔にもなるのが父親だろ。そんなことも知らなかったのか?


「あ、ああ、……永遠の命が欲しくて、レイスになったのに……あぁ……やめろ……やめて……」


 ぱぎゃっ。

 乾いた音を立てて、レイスの核が砕け散った。


「あああああああああああああ! 嫌だああああああああ! 消え、たく、ないいいいいいぃぃぃ……」

 

 うっすらと、霧のようになってレイスは溶けていく。

 初めから存在しなかったかのように。

 何もなかったかのように。

 物理法則のみが支配するこの惑星にそぐわない異物は、断末魔を上げて消失した。




 アパートに、戻る。

 既にパトカーが集まっていて、死体の発見で騒ぎになっていた。

 階段の隅にアンジェリカが座っていたけれど、誰も気にもとめない。


 まだ、俺もアンジェリカも隠蔽がかかっている。

 だから見つからない。


 アンジェリカはよろよろと立ち上がると、俺の前に歩み出てきた。


「お父さん……」


 暗くて少しわかりにくいけれど、泣き腫らした跡なのは間違いない。

 パトカーの放つ明かりが、アンジェリカの顔をかすめた。

 真っ赤に腫れ上がった目元。涙の乾いた跡。


「私のこと、嫌いになっていいですよ」

「アンジェ……?」

「あの幽霊、言ってたじゃないですか。私の体で変なことしてたんですよね? 汚くないですか。私なら気持ち悪いかなって」

「そんなわけないだろ」


 あれはあいつのはったりだったんだよ。精神的に苦痛を与えることで、力が増すのが奴らなんだ。

 適当にでまかせを言っただけなんだ。

 早くそう、伝えてやらないと。


「大体、私、言われてみれば、あはは。インランなのかも? そういう風に生きるように出来てたんですよ最初から。お父さんはリオって女の子と一緒になればいいんじゃないですか。その人、エルザさんと似てるんでしょう?」


【中元圭介は戦闘に勝利した!】

【EXPを30000獲得しました】

【スキルポイントを1500獲得しました】

【ユニークスキル「父性」の性能が強化されました】

【パーティーメンバー、アンジェリカの中元圭介に対する感情が「同情、執着」から「信頼、愛情」に変化しました】

【アンジェリカの好感度が9999上昇しました】

【アンジェリカの好感度が上限を突破しました】


 アンジェリカは自分以外の女を好きになれと、促している。

 俺がこいつに言い続けたのと同じだ。自分は無価値だと思って、他の相手に目を向けろと言い続けた。

 全く。どこまでやることが似ているんだか。


 お前の俺への好感度、とんでもないことになってるのに。

 それなのに無理して「嫌いになっていいですよ」と言ってるのか。


「お前、顔ぐっしゃぐしゃじゃないか。強がりにしか見えないぞ。帰ろう」

「ううううー……」


 頭を撫でる。

 

【パーティーメンバー、アンジェリカの身体解析を完了。100%の確率で純潔が維持されています】

【本人に速やかな伝達を】

【本人に速やかな伝達を】

【本人に速やかな伝達を】


 なんだ、今日のシステムメッセージさんはやけに気が利くな、と奇妙に思いながらも目を走らせる。


「アンジェ、俺の視界にはシステムメッセージが浮かんでるんだ。召喚勇者の特典でな。こいつは絶対に嘘をつかない。ものすごく機械的に事実だけを伝えてくるんだ」

「……しすてむめっせーじ?」

「そいつが、アンジェの体は綺麗なままだってうるさい。本当だ。お前の体は何もされてないんだ。あれは全部あの品のない悪霊の脅しだったんだよ。お前の精神を揺さぶって、苦痛を吸い取るのが目的だったんだ」

「……適当に慰めてるだけじゃ……」

「そんなわけないだろ」


【アンジェリカの好感度は、合意なしの性交渉が途中で合意ありになるレベルに到達しました】

【実行に移しますか?】

【実行した場合、一定の確率で子供を作ることが出来ます】

【産まれた子供は両親のステータス傾向と一部のスキルを引き継ぎ、装備、アイテムの共有も可能となります】

【また子供に対してはクラスの譲渡も可能となります】


 とんでもねえこと言ってるな。

 台無しだよ色々。

 俺は呆れながらウィンドウを消すと、アンジェリカの手を取った。


「部屋に戻ろう……爺さんの事情を聞かれたりしてうるさいだろうが、それが済んだら飯食って寝よう」

「……ん」


 アンジェリカは鼻をすすりながら、俺のあとをついてくる。

 トンカンと音を立てて、錆びついた階段を上る。


「お父さん……ほんとに私の体って、何もされてないんですか」

「まだ疑ってるのか?」

「……実際に確かめて貰うまで、信じられませんもん」

「んん?」

「確かめてくださいよ」

「自分が何を言ってるのかわかってるのか?」

「……お父さんと、したいです」


 お前にはまだ早いよ、と言いながら玄関の前に立つ。

 鍵を開ける。


「絶対、お父さんのお嫁さんになるんだから」

「……お前さっきからバンバン凄いこと言ってるけど、恥ずかしくないのか?」

「わかんないです。麻痺してるのかも。お父さんのこと好きすぎて、頭の中トロトロに溶けちゃったのかもです」


 立ち直りはしたけど、以前よりさらに危うい発言をするようになったアンジェリカと共に、俺は「ただいま」と声を発した。

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