第4話 クリア特典

 カンカンと音を立てて、アパートの階段を昇る。

 これでも俺は、一人暮らしをやっている。

 とはいってもバイト代は月十万円台をうろうろしている有様なので、かなりきつい。

 両親から毎月三万円の仕送りが来るので、それと合わせてどうにか生活している状態だ。


 仕送り。

 そう。こっ恥ずかしいことに、俺は今年で三十三になる身で、親から援助を受けている。

 日本に戻ってすぐに「独り立ちしたい」と言ったら、あちらの方から申し出てきたのだ。


 両親の認識からすれば、十七年も引きこもってた息子が、急に社会復帰を決意したわけだし。

 何がなんでも支援しようという気になったのだろう。


 ありがたいが、同時にとても情けない。

 早く経済的に自立すればいいのに、気力が出ないからと甘えている。

 どうしようもない。死にたい。何も考えたくない。

 

 廃人。人間未満。負け組。


 様々な罵倒を脳内で繰り返しながら、アパートの鍵を開ける。

 ここが俺の家。

 築二十七年のボロ住まいで、家賃の安さ以外は何の取り柄もない物件だ。

 近頃は幽霊騒ぎまで起きているのだから、救いようがない。


 なにより、こんな傾いたアパートでも一応俺よりは年下というのが鼻につく。

 二十七歳か。人間ならまだまだ若造じゃないか。


 無機物にまで僻むようじゃ、俺もおしまいだな。

 なんて、自嘲しながら部屋に入る。

 するとベランダの方から、金髪碧眼で透け透けの衣装に身を包んだ西洋人の女の子が駆け寄ってきて、


「おかえりなさいませ、勇者様!」


 と抱きついてきた。

 むにぃっ……という柔らかな感触に、一瞬だけ思考が止まる。

 そしてすぐに我に返り、大慌てで部屋を出る。


 なんだ、今の。


 1、幽霊

 2、不法侵入した外国人窃盗犯

 3、幻覚


 まあ、2だろうな。俺のいない間に、日本は外国人だらけになったしな。

 コンビニなんて今やカタコトの店員の方が多いくらいだ。


 ……いや待て。


 時間の経過で、少しずつ頭が冷静になってくる。

 さっきあの子、俺を勇者様と呼んだな? なら異世界の関係者か?


 恐る恐る部屋に入り直すと、少女は正座で俺を待っていた。


「おめでとうございます勇者様! クリア特典ですよ、クリア特典!」


 後ろ手で錠をかけながら、自称クリア特典ちゃんに目を向ける。

 

 十五歳から十七歳の間なら、何歳にでも見える年頃の少女だ。

 若い。それだけでも妙に落ち着かなくなるのに、超のつく美形ときている。


 日本人よりは彫りの深い顔立ちだけれど、濃すぎるというほどではない。

 異世界人にありがちな、西洋人と東洋人のいいとこ取りなルックス。

 東欧系、もしくはハーフに近いように感じる。

 

 しかし全体的な色素は、純血の白人よりなお薄い。

 肩のところで切り揃えた金色の髪も。

 エメラルドグリーンの瞳も。

 ぬけるように白い肌も。

 どれもこちらの世界では、ありえない次元の透明感だ。


 あと、これが一番重要なのだけれど。

 やたらと薄手の布をまとっているせいで、色々見えてたりする。

 下着とか。

 おかげで体のラインが、もろにわかってしまう。


 なんというか、発育のいい娘さんだった。


 どちらかといえば華奢な体つきなのに、とある部位はぱつんぱつんに膨らんでいる。

 身長は精々百五十センチちょっとだろうに、なんとアンバランスな育ち方をしたのか。


 不均衡な経済発展。二つのドームにだけ力を入れた途上国。乳製品輸出大国。

 わけのわからない単語が、次々に浮かんでくる。


 何を考えてんだろうな俺は?

 家主の癖に靴も脱がずに混乱していると、金髪少女はすっくと立ち上がった。

 その大きな胸に手を当てて、高らかに告げる。


「私は神聖巫女の、アンジェリカと申します。……ご存知ですよね? この役職」


 聞いたことはある。あちらの世界にいた、言わば女神官だ。

 だがただの神職ではない。

 戒律の厳しさが少々、いやかなり度を越していたのだ。

 

 生涯独身のさらに上。物理的に、男と完全遮断されて育つのである。

 神聖巫女に選ばれた赤子は、生まれてすぐに親元から引き離され、女だけが住まう神殿に閉じ込められる。

 着るものも食べるものも、女の手によって作られたものしか与えられない。

 男との会話は、ただの一度も許されない。

 やがては純潔を守ったまま寿命を迎え、死後は神々の侍女を務めると信じられている。


 神に捧げられし、究極の処女。それが神聖巫女だ。

 

 そのユニコーンが涎を垂らして喜びそうな身分のお方が、俺に抱きついたあげく、ペラペラと話しかけてきたのだ。

 異常事態と言っていい。

 まあ日本にいる時点で、色々おかしいんだけど。


「ええ。ええ。そうですとも。勇者様の考えてること、わかりますよ。男の人とお喋りするのは、今日が初めてです」

「……マジか」

「男性って、ほんとに低い声してるんですね。ビリビリ空気が震えるみたいで、変な感じ」


 おもしろーいと言いながら、究極の処女と名高いはずのアンジェリカは、ぺたぺたと俺の腹や胸を触ってくる。

 一々「わっ硬い。女の子と全然違う!」と驚く様は、女子校育ちをさらにこじらせたような感じだ。

 

「……とりあえず説明してくれ。何がなんだかわからん」

「そうですね、順を追って話しましょうか」


 するすると腕に絡みついてくる動きは、まるで夜のお店の女の子みたいだ。見た目も外人だし。

 シャチョーさん、一杯やってく? 安いよ? なんて言いそうな雰囲気。


 アンジェリカはそういうのとは対極に、身持ちの固さが保証されきった子なのだろうが。

 安心安全なのだが。ぼったくらないのだろうが。

 それでも警戒してしまうのは、男の悲しいサガというやつで。


「やはり勇者様に世界を救って頂いたのに、何の報酬も与えずに故郷に送り返したのはどうなのか、ということになりまして。王様や神官長も、大層気にしておられました。それはもう、毎日お礼について話し合ってたんですよ」

「それが君とどう関係あるんだ」

「大ありです。たっぷりと話し合ったあげく、器量良しの生娘をくれてやろうとの結論に至ったそうなので」


 その器量良しこそが私! と腰に手を当てて、胸を張るアンジェリカ。

 ぷるん、と二つの膨らみが揺れる。


 ちょっと見てられないので、目をそらしつつ思う。

 つまりお前、生きた献上品ってことだろ。いいのか?

 そんなお歳暮みたいな扱いに、納得してるのか?

 

「……一年も経って、やっとご褒美を寄こしてきたのか」

「そこはほら。勇者様が魔王を倒すに至った経緯がですね。なんていうか特殊じゃないですか。だからぁ。すぐには救世の英雄と、認められなかったみたいで」

「確かに、特殊っちゃ特殊か」

「犠牲も出ましたしね。……勇者を処刑してはどうか、なんて声まで上がってたんですよ」

「恩知らずな連中だ」


 最終的にはこうやってお詫びを届けたんですから、恩知ってるじゃないですかーとアンジェリカはまとわりついてくる。


 男と関わった経験がないだけあって、異様に距離感が近い。

 あれだよな。

 異性と接した機会の少ない奴って、距離が近すぎるか遠すぎるかのどっちかなんだよな。


 この子はどうやら前者なようで、さっきからつんつんと当たってはいけない部位を当ててくる。

 

「……そ、その、君が俺への献上品だとしてな。どういう意味での献上品なんだ……?」

「と、いいますと?」

「だからさ、単なる召使いみたいなもんなのか、もっと別の世話をする意味なのかとか。あるだろこう、選択肢が」

「あー」


 途端、イタズラっぽい笑みを浮かべながら、アンジェリカは俺にのしかかってきた。

 靴脱ぎ場で二人、音を立てて倒れ込む。


「もちろん、そういう意味ですよ。勇者ケイスケ様」

「そういうって……? ど、どうして今名前呼びした?」

「呼びたかったから」


 若い女の子特有の、甘い匂いが鼻孔をくすぐる。

 体臭なのか香水なのかシャンプーなのか判断のつかない、あのとろけるような香りだ。

 いや異世界にシャンプーはないから、石鹸か?


 匂いの正体なんてどうでもいいのに、何を考察してるんだ俺は。

 ここまで密着されるとさすがの俺でも、理性を持ってかれそうだぞ。

 ってそうだ、だからこそどうでもいいことを考えなきゃ駄目じゃないか、気を散らすんだ気を。


 俺が一人でぶつぶつ言っていると、アンジェリカは吐息混じりで囁く。

 はあん、と熱っぽい息が顔にかかってくる。


「今日からは私が奥さんですよ、勇者様」

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