第5話 ぐいぐい来る

 

 にっこりと蠱惑的な笑みを見せる神聖巫女に、たじろぎつつも質問をする。


「……君いくつだ。この国はな、女は最低でも十六歳にならないと結婚できないんだぞ」

「わ、ちょうどいい。先月で十六になりました。なんの障害もないですねっ」

「ある! そ、そうだ、たとえ十六歳になっても、未成年なら保護者の許可が降りないと駄目なんだ! 君はこの世界に親がいない。よって誰の許可も貰えない!」


 きっとちゃんと法律を知ってる人からすれば穴だらけの理屈なんだろうが、この際なんだっていい。

 内縁の妻になるとか言われたら意味ないし。

 そもそもこっちに戸籍や身分証のない異世界人に、婚姻制度とか通用しないし。


 それでも俺は「はい論破!」と下敷きになりながら叫んだ。

 対するアンジェリカは「んー」と考え込んでから、


「なら勇者様が、私の保護者になればいいじゃないですか」


 あっさりと言いのける。


「保護者……? 俺が? 父親にでもなれっていうのか」

「はい! 私、お父さんって顔も見たことないから、どんなものかちょっと憧れてたんです。神殿には、乳母や義母はたくさんいても、義父っていませんでしたし」

「……よーしそうか。そうかそうか。なら今日から俺とお前は親子だ。いいな?」

「はい!」

「だったら離れろ」

「え?」


 がば、とアンジェリカをはねのけ、起き上がる。


「養父と娘でこういうことはしない。わかるな?」

「わかんないですよ。勇者様が保護者の権限で私との婚姻を許可して、自分のお嫁さんにしちゃえばいいじゃないですか」

「そ、そんな鬼畜な父親がいてたまるか!」

「パパと娘で結婚したら駄目なんですか? 血が繋がってなければ、別によくないですか?」


 よくないだろ、と俺は首を横に振る。


「私、おとーさんの赤ちゃん産みたいな」

「なんて発言を!」


 巫女さんしかいない空間で育ったはずなのに、どうしてこうもエグいフレーズがポンポン出てくるんだ。

 ……考えてみれば、男子校出身者は壊れた下ネタを吐く奴が多かった気がする。


 異性の目がない環境で長年過ごすと、恥じらいとか遠慮とか道徳とかがどんどん溶けていくのかもしれない。

 女だらけの神殿も、それは同じだというのか。


 俺が恐れを込めた目で見ていると、アンジェリカはそっと膝を抱えて座った。

 口をとがらせ、ぶーたれた不満顔だ。


「それに……私、勇者様のこと好きですし」


 嘘だな、と俺は切り捨てる。


「初対面で好きも糞もあるか」


 さてどんな反論が来るかと思えば、なんと何も言い返してこない。

 アンジェリカは悲しげな顔をして、黙り込んでしまったのである。


 なんだその、傷ついたような反応は。

 ……本気、だったのか?


 俺はもしかして、とんでもない間違いを犯してしまったのでは。

 だらだらと汗をかいていると、アンジェリカはぽつりと呟いた。


「志願制だったんですよ」


 体育座りの姿勢で、安楽椅子のようにゆらゆらと揺れながら言う。


「先月です。神聖巫女の中で、勇者様に嫁いでもいい者はいないかって声をかけられました。六人、志願しました。その中でさらに審査をして、一番見目麗しい娘を送るってなったんです」


 それが私、とアンジェリカは言った。ぴたりと体の揺れが止まる。


「自主的に、こっちに来ようと思ったのか? なんでだ……?」

「勇者様は英雄ですよ。魔王を討伐して下さったじゃないですか」

「強さに惹かれたってことか?」

「そういうのもありますけど……」


 助けてあげなきゃって思いました。

 そうアンジェリカは言った。


「だってあんなの、かわいそうじゃないですか。一番大切なものを代償にして、そうまでして世界を救って。なのに何も受け取らないまま、故郷に送り返されちゃったんですよ」

「なるほど。同情か」

「もう! 一々悪い解釈ばっかりする」


 頬を膨らませて、アンジェリカはにじり寄ってくる。

 いわゆる女豹のポーズで、襟元からは真っ白な谷間が見えている。


「勇者様と私は、同じなんです」

「同じ?」

「天災とか病気とか。そういうのが怖くて、これは祟りだって恐れて、人々は赤子を神様に捧げる。この娘には一生男を近付けません、綺麗な体のままで死なせますので、死後はお好きなようになさいませって。そうやって神様のご機嫌取りに使われるのが、神聖巫女だから」


 少女の小さな手が、俺の手に触れる。


「勇者は強さを、私達は貞操を人々のために捧げる。自分の人生を誰かのために消費する、生贄なんです。そこになんの違いがありますか」


 ――嬉しい。私が贄に選ばれるだなんて。私こそが、貴方の最愛の女だったのですね。


 生贄という言葉に、エルザの言葉が蘇る。

 俺が贄。勇者は大衆の生贄。


 そう言われてもしかたない生き様だけれど。

 でも――


「皆に使い潰された人生、私と一緒に、取り返してみませんか」


 アンジェリカの指が、俺の頬を撫でる。


「二人で気持ちよくなって、仕返ししちゃいましょうよ。……ね。あの人達より幸せになって、本当の自分を取り戻すんです」

「本当の、自分……」

「……私だって勇者様に会うの、結構怖かったんですよ。どんな顔かもわからなかったし。でも……大丈夫。思ってたより可愛い感じですし……。勇者様、凄く寂しそうな目をしてる。まだエルザさんのことが、忘れられないんですよね」


 あんな別れ方しちゃったんですもの。

 言いながら、少女は柔らかな唇を重ねてくる。


 柔らかくてしっとりと湿っていて、肉欲に火をつけるには十分な感触だろう。

 でも、逆効果だ。

 俺の前でエルザの名前を出したのは大きな間違いだ。


 急速に感情が冷え込んでいくのを感じる。

 俺の愛した、ただ一人の女。俺が殺した女。

 それは、君じゃない。


 そっとアンジェリカの両肩を掴んで、引き離す。


「やめよう」




*執筆当時は2018年でしたので結婚可能年齢が16歳のままになっております……作中の時代はそのくらいということでご容赦ください。

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