第132話 最強VS最愛
アンジェリカは湿った声で囁きながら、俺の顔面にキスの雨を降らせてくる。
唇の柔らかさと少女の香りに、じわじわと理性が遠のいていく。
「……お父さんの赤ちゃんは、私が産むんですから……。毎年産むんですから……」
毎年、だと……?
ほぼ休みなく孕み続け、十ヶ月に一度のハイペースで出産するアンジェリカを思い浮かべる。
もしそうなったら、大勢の子供が生まれるだろう。
そして何人かは、年子の兄弟なのに学年が一緒という事態に陥るかもしれない。
それは不味い。
お前の両親どんだけサカってんだよ、と同級生に虐められてしまう。
ただでさえ見た目がハーフだってのに、両親の子作りペースが異常となると異物の中の異物だ。
せめて名前くらいは普通のものを付けてあげないと、大きくなった時に恨まれそうである。
ハーフっぽいけど普通な名前っていうと、「ケン」「リサ」「アンナ」といった、日本と欧米の両方にある名前をつければいいんだろうか。
画数も意識すると、相当候補が絞られてくるな……。
……。
違うだろ。
違うだろ違うだろ違うだろ。
なに子供ができる前提で悩んでるんだ!?
義理の娘と子作りした時点でアウトだろう!?
もはや風前の灯なモラルを総動員して、アンジェリカの顔を見据える。
白い肌を、欲望の炎で真っ赤に染めた美少女。
俺の理性がちろちろとしたロウソクの炎ならば、アンジェリカの性欲はキャンプファイアーだ。
明らかに火力負けてしている。
一体ここから、どうすれば元の関係に戻れるのだろう?
どうすれば俺は、アンジェリカを鎮めてやれるのだろう?
性的な行為に及ばずに、溜まった欲求不満だけを解消してやる方法はないんだろうか?
……考えろ。
アンジェリカの言動に、何か引っかかるところはなかったか?
そうだ。
こいつはさっきから、恋愛や結婚をすっ飛ばして妊娠を口にしているではないか。
アンジェリカはやたらと子供を産みたがるのだ。
性欲と同時に、母性も持て余しているのだ。
ならばそこに付け入る隙がある。
人の限界を越え、理性と尊厳を捨て去った境地にたどり着けば、やれなくもない。
そうとも。
俺は今から、人間を辞める。
アンジェリカを孕ませずに、暴走した母性を慰める手段。赤ちゃんを作らずに赤ちゃんを用意する手段。
それはこの世界にたった一つ――
「……ばぶぅ」
――俺自らが――赤ちゃんになることだ。
「お、お父さん!?」
「たーいー」
イメージするのは胎児の自分。
丹田に力を込め、その少し上からへその緒が生えている姿を頭に浮かべる。
手足を丸め、舌足らずな乳児語を詠唱。
これより俺は赤子であり、アンジェリカは俺の母である。
自分の半分の年齢の少女に、エア胎盤を見出す外道の所業。並の人間であれば、到底不可能な手法であろう。
確実な勝利のためならば手段を選ばない、俺だからこそできる悪辣な試みだった。
俺だからこそできるというか、俺しかやらないの方が正しいかもしれないが。
「さっ、三十二歳にもなって……。誕生日が来たら三十三歳になる身でそんなことして、平気なんですか!?」
「ばっぶー、ばぶぶー、まんまぁー(おいおいアンジェリカママ。大丈夫か? 俺は三十二歳じゃなくて、生後三十二秒なんだぜ? さっき俺を産んだばっかだってのに、もう忘れたのかよ?)」
「せ、生後三十二秒……!? そんな……!? お父さんの赤ちゃん返りは、リミッターが解除されているというのですか……!?」
「んまんまんまんまんまんまー(お前も大分キてるな。なんでこの喋り方で話通じるんだよ)」
「くっ……まさかお父さんの幼児退行が、この領域に達してるだなんて……」
さあ、覚悟するがいいアンジェリカ。
俺はお前の性欲を発散させることなどできないが、母性のぶつけどころにはなってやれる。
その有り余るママみ成分、この俺で消費するがいい。
「ばぶっ!(どうしたアンジェ? お前が望んでやまなかった新生児だろう?)」
「……自分でも驚いてるんですけど、これはこれで可愛いかもって感じてきましたね……」
アンジェリカの表情が緩む。
――好機。
俺はすかさずアンジェリカをはねのけると、成人男性そのものな筋力で大きく飛び上がり、ベッドの上に退避した。
「ばぶっ!」
だが着地と同時に、心を赤ん坊のそれに戻す。
すぐさま四つん這いになり、威嚇のポーズに移行。
「ばぶぶぶぅ(まさか自分の赤ちゃんとえっちするわけにはいかないよなぁ? なあアンジェリカママ?)」
「た、確かに……今のお父さんは、えっちできる年齢ではないですね……」
額に汗を浮かべながら歩み寄ってくるアンジェリカに、勝利のハイハイを見せつける。
「バッブッブ……バーッブッブッブッ!(あっはっは! あーっはっはっはっ! 勝った! 完璧なまでに! 後腐れなく!)」
「……なんか今のお父さん見てたら……ミルクあげたくなってきちゃいました」
「バブブ?」
ミルク?
でもこの部屋に乳製品なんてないぞ?
待て。何をするつもりだママ?
アンジェリカは無言でベッドの端に腰かけると、自身の膝に俺の頭を乗せた。
膝枕である。
むっちりとした太ももの感触、頬にかかる熱い吐息、ゴソゴソとした衣擦れの音。
嫌な予感がする。
直感に従い、そろそろと視線を上げてみる。
するとアンジェリカが、左手で己のパーカーをめくっているのが見えた。
黒いブラジャーに包まれた真っ白な胸が、ぶるんと鼻先に現れる。
右手はというと、俺のへその下あたりに伸ばそうとしていた――
「いや、それは困る。やめてほしい」
「赤ちゃん言葉忘れてますよ」
「バブ、バブブバブブ。バブブアブー」
なんたる……なんたることを!
一体どこで覚えたのか知らないが、アンジェリカは俺に授乳しながら、下半身にイタズラしようというのだ。
「あんむぁー! バブブブバア!(ふざけるな! 俺はお前にそんな破廉恥な行為を教えた覚えはないぞ! 誰に吹き込まれた!? 言え!)」
「お父さんですよ」
「バブウ!?(はあ!?)」
「アヤコと一緒にお父さんのパソコン弄ってたら、『税金関連』って名前のフォルダ見つけたんですよね。私にはなんのことかわからなかったんですけど、アヤコはすぐピンときたみたいで。『いかにも偽装フォルダなネーミング、しかも容量が不自然に大きい』とか言って。で、開いてみたら動画がいっぱい出てきまして」
「あの、そろそろお家に帰りませんか? 綾子さんが夕飯を作って待ってるかもしれないじゃないですか」
「なんですかその口調」
ひゅーひゅーと浅い呼吸を繰り返しながら、体を震わせる。
畜生。最近忙しくて、パソコンの管理がおざなりになっていたのは否めない。
現代っ子の綾子ちゃんと同居している以上、こういう事態は想定しておくべきだったのに。
「お父さんって普段はパパぶってるのに、本当は甘えん坊さんなんですよねー? いいんですよ、無理しなくて。私の前では、身も心も赤ちゃん時代に帰って下さいね……。あ、でも下半身だけは大人のままで結構ですけど。そういうのがお好きなんですよね?」
「バ、バブブ……(こ、殺せ……。これ以上辱めを与えるというなら、いっそ殺してくれ……!)」
まるで女騎士のような台詞を吐きながら、羞恥と屈辱に身悶える。
せっかく俺のペースに持ち込んだというのに、形勢逆転を許すとは……。
いくら全力でオギャっても、相手が授乳えっちに持ち込んできたら何もかもパーだ。
たとえ俺の心が赤ん坊だとしても、アンジェリカの方は「ママ」と「女」を問題なく両立できる。
一気にセクシャルな空気に逆戻りだ。
どうする……?
いっそ漏らすか?
それをやれば一瞬でこの甘ったるくもけしからん空気は吹き飛ばせるが、代償に俺の父親としての権威も跡形もなくかき消える気がする。
バブバブほざいてる時点で父権も糞もないが、そのラインだけは死守したいという恥じらいが俺にもあった。
「お父さんは、先にあーんしてて待って下さいねー。今美味しいミルクの用意してますからねー」
蠱惑的な笑みを浮かべながら、アンジェリカはブラのホックを外す動作に入っている。
このまま俺は乳を吸うはめになるのか?
――待て。
今アンジェリカは「あーんして」と言ったな?
そこに何か、引っかかるものを感じやしないか?
なんたって俺はまだ生後三十二秒で、体重2600グラムの元気な男の子なのだ。
ならば授乳の前に、もっとやることがあるんじゃないか?
より深く、乳児の心に入り込む。
生まれたての自分を再現する。
そうだ、俺はまだ――
「ガハッゴホッゴホッ! ゲヘッ!」
「お父さん!?」
「エフッエフッ!」
「どうしたんですか急にむせて?」
心配そうに覗き込んでくるアンジェリカに、にやりと口端を歪めて答える。
「甘いなアンジェママ……俺はまだ、口の中が羊水でいっぱいなんだよ! 母乳なんて飲めるはずがないんだ!」
「ああっ!」
たじろぐアンジェリカに、すかさず追撃を加える。
カチャカチャとベルトを外し、ズボンの中に入れたのだ。
しっぽのように引き伸ばせば、「へその緒」の誕生だ。
「ほらほら、へその緒もまだぶら下がってんだぜ? 授乳の前にやることがあるよな? このままじゃ俺、ちゃんと生まれてきたことにならないんじゃないのか? 優しく丁寧にちょん切らないといけないよな?」
「そ、そんな……産婆さんじゃないんですから、こんなのよくわかんないですよ……!?」
「ま、じっくり考えるといいさ」
アンジェリカの顔色は青ざめている。
気が触れるほどの母性の持ち主なだけあり、すっかり心が産みたてのお母さんになりきっているのだろう。
「さて、俺は産湯にでも浸かってくるかな」
せっかくラブホに来たんだし、風呂くらいは入っておくか、と起き上がる。
「ママはそこで長考しててくれ」
「そ、そうですね。私の知識でどこまで対応できるかどうかわかりませんが、考えてみます……」
うーんうーんと唸り始めたアンジェリカを放置して、風呂場に向かう。
鼻歌混じりにちゃちゃっと脱衣し、湯船にお湯を張る。
そのままキビキビと体を洗い、浴槽の中に腰を下ろす。
「向こうに見えるってのがあれだが、まあ露天風呂とでも思えばいいか」
未だベッドの上で頭を抱えているアンジェリカを眺めながら、湯船を堪能する。
そうして、三十分ほど経った頃だろうか。
「ん」
いつの間にか、アンジェリカがガラスの向こうに立っているのが見えた。
スケベホテルなだけあって、バスタブに入った状態で外にいるパートナーと会話できる構造なのだ。
念のため腰にタオル巻いといてよかったな、とどうでもいいことを考えながら言葉をかける。
「どうしたアンジェママ? やっと解決策が見つかったのか?」
アンジェリカの返答は、力ない「いいえ」だった。
「そうか。なに、気にするな。だってアンジェは初産なんだからな。羊水やへその緒に対処できないのも無理はない。今回は諦めるんだな」
「私気付いちゃったんですけど」
「うん?」
「気付いちゃったんですけど、お父さんは赤ちゃんじゃないですよね……? 三十二歳のおじさんですよね……? 雰囲気に当てられて本気で考え込んでましたけど、別に普通にえっちすればいいだけの話ですよね……?」
……気付いてしまったか。
「じゃあどうするんだ。今からおっ始めようってのか。言っとくが俺は全力で抵抗するからな」
「もーいいですよ。そういう空気じゃないですし」
はあ、とアンジェリカはため息をつく。
「お父さんがちゃんと私に女の魅力を感じながらも、大人になるまでは絶対手を出さないと誓ってるのは伝わってきましたから……」
お、おお?
この流れは諦めてくれるのか?
万事解決なのか?
「だから今日は、一緒にお風呂入るってとこで手を打ちません?」
「んん?」
「痛みわけということで」
凄まじい眼力を送ってくるアンジェリカと、正面から視線をぶつけ合う。
「……まあ、そんくらいならいいか」
妥協点を探る。これはとても大事なことである。
「やったあ!」
そういうわけで俺とアンジェリカは一緒に入浴し、互いの背中を流して遊んだ。
その後はセーラー服に着替えてはしゃぎ回るアンジェリカを撮影したり、軽く食事を取るなどし、飽きてきたところでホテルを出た。
やってることはほぼ援交親父だが、最後の一線は守り抜いたと思いたい。
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