第131話 上書き保存してあげます

 フロントに着くや否や、アンジェリカは甘えるような仕草でしなだれかかってきた。

 ひしっと俺の左腕にしがみつき、子猫みたいに頬を擦り付けてくる。


 ……かわいい。


 こうしてると年相応の子供にしか見えなくて、なんだか無性に父性を刺激されている俺がいた。

 同時に見えない理性の棒で、ブスブスと脳内の罪悪感ゾーンを刺激されている俺もいた。


 俺、何やってんだ?

 

 本当にこの娘を抱けるのか?

 父親として面倒を見ると決めたんじゃなかったのか? 

 おとーさんおとーさんと繰り返しながら乱れるアンジェリカを見て、平気でいられるのか?

 

 まさか。俺はそんな鬼畜じゃない。人として社会人として、健全な倫理観を持っているつもりだ。

 だからこんな非道は、今すぐやめなければ……!


「おとーさん、このコスプレ衣装貸し出しとかいうオプションも付けます?」

「おいおい、付けるに決まってるだろ」

「やったー! 私ずっとセーラー服っていうの着てみたかったんですよね」


 俺は弱い大人だった。

 最低だった。

 外道だった。

 

 だっていつもと違う衣装のアンジェリカ見たいし……。

 ところで衣装の貸し出しってどこに頼めばいいんだ?


「受付いないんだな、こういうホテルって」


 青春時代を異世界で過ごした俺は、ラブホテルを利用したことがない。

 なのでいまいち勝手がわからないのだった。


「……コスプレ衣装を希望の方は8番のボタンを……? ああここ押せばいいのか。っていうか部屋もこうやって選ぶのか?」


 本来なら受付がいるはずの場所に、ずらりと四角いパネルが並んでいるのである。そしてそれぞれのパネルに、部屋が映し出されている。

 どうも画面が明るくなっていると空き部屋で、暗くなっていると使用中ということらしい。

 パネルの隣には押しボタンがあって、全体的な印象としてはラーメンの券売機をめちゃくちゃ豪華にしたような感じだ。


 きっと利用客の羞恥心に配慮して、自動化が進んだのだろう。

 こういうホテルで従業員と顔合わせたくないしな。


「お父さんお父さん、あれ見て下さいあれ」

「どうした?」

「真ん中にでっかい木馬のいる部屋があるんですけど、なんに使うんでしょうか?」

「俺にもよくわからん」


 多分リオが好きそうな感じの使い道があるんだろうが、俺達には無縁の世界だ。

 まあここは無難に……真ん中に大きめのベッドが設置してあって、ガラス張りのシャワールームも備えた部屋をチョイスしようか。

 衣装の方もえっちいアレンジを加えたセーラー水着とやらではなく、どこにでもありそうな無難なセーラー服を選ぶ。


 何事も無難が一番。

 無茶な冒険なんて異世界時代に散々経験したので、もうお腹いっぱいなのだ。

 

 案内表示を読みながら、ボタンを一押し。

 しばらく待つと、メニューパネルの下にある取り出し口から何かが滑り落ちてきた。

 ルームキーだ。

 まるで自販機だな、と妙な感覚を覚えつつも受け取る。


「行くか」


 早く早くとアンジェリカに急かされながら、廊下を進む。

 頭上は妖しく光るパープルの照明に照らされ、足元には真っ赤なカーペットが敷かれている。

 空気すら甘く味付けされてそうな内装だ。

 こんなん歩いてるだけでやらしい気分になってくるんじゃないか?

 

「……ここか」

 

 そうこうしているちに、俺達は目的の部屋の前に辿り着いていた。

 ここを開ければもう引き返せないだろう。

 

「今のうちに言っておきますけど」

「なんだ?」

「絶対避妊しちゃ駄目ですからね」

「……」

「駄目……ですからね?」


 アンジェリカは上目使いで俺を見つめ、ねだるような表情をしている。

 ぷっくりとした唇はてらてらと輝き、危うげな艶を放っていた。 


 駄目だ。この目を見ていると――逆らえない。


 俺は何か見えない力に突き動かされるようにして、鍵穴にキーを差し込んだ。

 ゆっくりと、ドアが開く。


「わぁ……丸いベッドって初めてです」


 とととと、とこれまた童女のような足取りでベッドに駆け寄り、バフっとダイブするアンジェリカ。

 どうしてこう、的確に俺の良心を痛ませるようなモーションを選ぶのだろうか?


 やや遅れて俺も部屋の中に入り、ドアを閉める。

 

 見上げた天井は高く、傲然とぶら下がるシャンデリアは俺をあざ笑っているかのようだ。

 普段はハエの死骸がこびりついた蛍光灯で暮らしている身なので、どうも落ち着かない。


「先にシャワー浴びていいですか?」

「駄目だ」

「え?」

「駄目」


 なんで……? とアンジェリカの瞳が曇る。

 今にも泣き出しそうだ。

 けれど俺は父親の威厳をもって、毅然と言い放つ。

 

「多分従業員さんがコスプレ衣装届けに来るから、その前に裸になってたら気不味いぞ」

「あ、それもそうですね」


 なんでこう俺は意思が弱いんだろうか?

 やっぱりお前を抱くなんて無理だよ、ときっぱり言い切ればいいのに、涙目で見つめられると容易く心が折れてしまうのだ。


 ベッドに腰かけ、両手で顔を覆う。

 そのままさめざめと泣き崩れ……ようとしたらアンジェリカがリモコンを弄り始め、テレビからよからぬ音声が聞こえてきたので停止させる。


「えー! 観たいんですけど!」

「十八歳未満が観ていいもんじゃない」


 この手のホテルに置かれてるテレビはいかがわしい番組に設定されているとは聞いていたが、本当に期待を裏切らない場所である。

 二度と入るもんか、と決意を固めていると、コンコンとドアがノックされた。

 ドサ、とドアの前に何かを置いた音も。


 なるほど。部屋の中には入らずに、入口前に注文された品を置いていくシステムらしい。

 あとは勝手に取りに来い、というわけか。


「よくできたもんだ」


 これぞ利用者に寄り添ったサービス、おもてなしってやつだよな。と感心しながらドアを開け、セーラー服を回収する。


「……着せてみるか?」


 よく考えてみれば俺に女子高生属性ないし。むしろ好みから外れるし。これを着用した方が、アンジェリカの危険度は下がるかもしれない……?

 

「お父さーん。一緒にシャワー浴びましょうよー。お父さんってばー?」


 セーラー服に袖を通したアンジェリカを、頭に思いかべる。

 きっと途方もなく可愛らしいだろう。元々欧米由来の衣装だし、金髪碧眼の美少女だったら完璧に着こなすに決まってる。


 それで、本当に外国の高校生を相手にしているような錯覚に陥って――


 俺は、後悔するだろう。


「な、アンジェ」


 制服を模した衣装を握りしめたまま、アンジェリカの方へと振り返る。


「やっぱやめようぜ。これ以上先に進んだら、親子じゃなくなっちまう」

「……」


 アンジェリカはきょとんとした顔で、俺を見つめる。

 夢中で遊んでいた玩具を取り上げられたような顔。良心が痛みっぱなしだけれど、それでも言わなければならないことが俺にはある。


「雰囲気に流されてこんなとこにまで来ちゃったけど、俺はお前の父親であるべきだと思う」

「……続けて下さい」


 事務的な口調に若干の恐怖を感じるが、ここで折れるわけにはいかない。

 

「彼氏なんて探せばいくらでも見つかるだろうが、お前の父親をやれるのは俺だけだ。なのにお前を抱いたら、この関係性が壊れちまう」

「それがお父さんの本音なんですか?」

「え?」


 アンジェリカはベッドの上で仰向けに寝転がり、挑発的な表情で言う。


「私もそろそろお父さんのことわかってきましたよ。お父さんはそうやって『私のことを考えてあえて抱かない』みたいなこと言ってますけど、本当は自分のことしか考えてないんですよね?」

「……どういう意味だよ」

「お父さんって、自分の中にあるルールを守るのが好きな人なんです。自分の中の理想の父親像をこなすのが目的なんであって、私の希望なんて二の次なんでしょう? だからこうやって、平気でこんなとこまで来て父親ぶれるんですよ。他ならぬ私が、父でなく男の役割をこなしてほしいと言ってるにも関わらずです。サイテーです」

「……かもしれない」


 社会人。成人男性。父親。勇者。

 俺はそういった「立場」に従って生きることで安心感を得る、臆病者なのかもしれない。

 けど、大体の人間がそうやって過ごしてるんじゃないか?


「お父さんはサイテーで……デリカシーがなくて……気が利かなくて……小心者で……いつも私以外の女が周囲にいて……本当に本当に……」

 

 もしかしてこれは、地雷を踏んだのだろうか?

 積もりに積もった不満をぶつけられる展開なんだろうか?

 

 覚悟を決めていると、アンジェリカは勢いよくベッドから飛び降りた。

 何をするかと思えば、凄みのある表情でカツカツとこちらに歩み寄ってくる。


 ああ、こりゃビンタか。

 いいさ、そのくらい受け入れてやる。


 そっと目を閉じるが、いつまで経っても予想していた衝撃は伝わってこない。

 

 まさか背が低すぎて手が届かなかったとかか?

 といってもアンジェリカは百五十前半で俺は百七十なんだから、そこまで激しい身長差があるわけではないはずだが。

 

 静かに目を開ける。


 するとかがんだ姿勢で俺のチャックを下ろしているアンジェリカが視界に飛び込んできたので、大慌てで頭部を抑え込む。


「おい」

「なんですかもう。邪魔しないで下さいよ」


 ぎろりと上目使いで睨まれる。怖え。さっきまでの扇情的な上目使いとは大違いだ。


「……あの……アンジェリカ、さん……?」

「残念でしたね、お父さん。私はサイテーでデリカシーがなくて気が利かなくて小心者で、いつも私以外の女が周囲にいるお父さんが、大好きなんです」

「……な、なんだと……?」

「ふふ。知ってましたかお父さん? 女が本気になり始めたサインは、『付き合ってる男の欠点を嬉しそうに語る』だそうですよ。昔はよくわかんなかったんですけど、今ならよーっく理解できますね……」

「神聖な巫女さんがどこでそんなこと覚えるんだ!?」

「神聖巫女の神殿は男性が立ち入り禁止なだけで、女性なら外部の人も入れますよ? 人妻や娼婦とお話する機会も……ありってわけです」


 アンジェリカはうっとりした視線で俺の股間に目を向けている。


「おとーさんは私を抱いたら、罪悪感で自分のことを嫌いになるんでしょうけど、別にいいですよ。その分私が今までの二倍お父さんのことを好きになるんですから。プラマイゼロってやつですね」

「その計算は色々おかしい……」

「全く。じれったい人ですよほんと。ちゃんと私に欲情してるのは伝わってくるのに、いつもいつも最後の最後で抵抗するんですから。こんなの一発やってスッキリしたらどうでもよくなるに決まってるんですから」

「それが十六の乙女の台詞なのか!?」

「嫌よ嫌よも好きのうちって言いますしねー?」


 アンジェリカの視線に、嗜虐的な色が宿る。


「いっぱい気持ちよくしてあげたら、もう倫理観なんてどうでもよくなりますよね。覚悟して下さいね。今から私が快楽堕ちさせてあげますから」

「男女逆だろ? なあ? 男女逆だろこれ?」

「可愛いこと言っちゃって。おじさんがそんな顔したら、余計に相手をそそらせるだけだってわかんないんですか?」


 舌なめずりしながら手を伸ばしてくるアンジェリカに、半狂乱でスマホを見せつける。


「よ、よしわかった、お前がそんなんなら俺にも考えがある。これ以上子作りを迫ってくるというなら、俺は今から通報する。いいな? 警官がやってくるんだぞ」

「……? でもそれをやったら、捕まるのはお父さんじゃないんですか? この国って大人と未成年でえっちなしたら、基本は大人だけが有罪になるんでしょう?」

「ああその通り。よくわかってるじゃないか」


 だからこそさ、と俺は笑う。


「ここで通報したら、しょっぴかれるのは俺。要するにこれはな、社会的な自爆ボタンなんだぜ」

「……! ま、まさか、自分で自分を人質に取ってるんですか……?」

「ようやく理解したか。そうとも。俺はその気になれば、いつでもおまわりさんに逮捕してもらえる。もしそうなれば刑務所に隔離され、俺とお前は長期間会えなくなるんだ。果たしてド級ファザコンのお前が、そんな暮らしに耐えられるかな」

「……くっ……。考えましたね……」


 だらだらと汗かき始めた愛娘に、ここぞとばかりに追撃を加える。


「わかったなら離れなさい。男親と娘ってのはな、適切な距離を保つべきなんだよ。すねにお前の乳が当たってんだよさっきから!」

「……やだ……お父さんとくっつきたい……」

「我儘言うんじゃない。自首するぞ」

「やだ……お父さんが捕まっちゃうのは嫌だけど、お父さんにおっぱい擦りつけられなくなるのもやだ……」

「もうお前の口からどんな問題発言が出てきても驚かないぞ俺は……」


 ぐしっ、と鼻を鳴らす音が聞こえる。


「……どうしてお父さんは、こんな意地悪するんですか……? 私はただお父さんの赤ちゃんを産んで、余った母乳でついでにお父さんも育て直そう、って思ってるだけなんですよ……? お父さんが他の女に育てられてたのが癪に障るから、人生をキレイキレイしてあげようとしてるんですよ……?」

「いよいよ危ない本音が出てきたな? ええ? お前のその感情はなんなんだ一体?」

「恋愛感情に決まってるじゃないですか!」


 涙目で俺の両足を掴むアンジェリカに、絶対もっと変な感情も混じってるだろ、とツッコミを入れる。


「ま、まあいい。どんな形の欲望だろうと、お前の気持ちはよくわかった」

「……」

「その素直な独白に応えて、俺も言おう」


 ふぇ? とアンジェリカは顔を上げた。

 その泣き腫らした目に向かって、俺は精一杯の男らしさを込めて告げる。


「モラル面でお前を抱くのに抵抗を感じるのもあるんだが」

「……はい」

「それ以外にもなんだ……えっとな。お前を抱いたら、のめり込むんじゃないかという恐れがあって……」

「と言いますと?」

「だ、だから、気持ちよすぎて幸せ過ぎて、もう猿みたいに毎日アンジェを求めるようになるんじゃないかと」

「……へえぇ? それってどんな感じなんです?」

「そりゃあもう、昼も夜もなく色んな場所で、色んな格好でだよ。……そうなったらエルザにも悪いじゃん? ほらお前にはまり過ぎてあいつへの気持ちが薄れたらって思うと……そんなの駄目だろ?」

「はあ……」


 お父さんって本当に鈍感なんですねぇ、と呆れたような声を出される。


「的確に私をやる気にさせるようなことばかり言って。大丈夫ですか?」

「なんだと?」

「大丈夫ですよお父さん。ぜーんぶ私に任せて下さいね。この体でエルザさんのこと、しっかり忘れさせてあげますから」


 言って、アンジェリカは強引に俺を押し倒した。

 腕力でも体重でも俺の方が上なのに、なぜこんな現象が起きるのか?


 俺にもよくわからないが、膝立ちになったアンジェリカが俺の下半身に抱きついてきた結果、利き足が乳房に包み込まれてしまったことと関係があるかもしれない。


 その状態で俺は、決して娘に見せるわけにはいかない、とある部位の変化を隠すべく前かがみになったのだ。

 するとバランスを崩し、アンジェリカの体重に負ける形で倒れ込んだのである。


 要は自業自得なのだった。


「……ぐっ……!」


 横向きに転倒した俺に、アンジェリカは待ってましたとばかりにのしかかってくる。


「大丈夫ですよ……。天井のシミを数えてるうちに、終わっちゃいますから」

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