第133話 産地偽装アンジェリカ
「そういえばお父さんが私に贈りたいものって、なんだったんです?」
「あ」
帰り道。交差点を渡り終えたところで、アンジェリカは思い出したように言った。
小首をかしげて、俺を見上げながらの質問。
ただでさえ光沢のある金髪が、夕日に照らされてきらきらと輝いている。
おっと見とれてる場合じゃない。俺は大慌てで懐に手を突っ込み、パスポートを取り出した。
途中から流れがおかしくなったので渡しそびれていたが、そうだった。
元々このためにアンジェリカを呼び出したのだ。
「すっかり忘れてたけど、こいつを渡したかったんだよ」
白い手の中に、真っ赤な手帳をポスッと差し入れる。
「……なんでしょうこの文字? 部分的に左右反転したアルファベットみたいな……あ、でも言語理解のおかげで読めますね。ロシア?」
「それはパスポートっていうんだ。もう知ってるかもしれないが」
「名前を聞いたことがあっても、何を意味するかは全然わかんなかったりします……!」
「……アンジェの現代知識って、ところどころ穴があるよな」
なんでそんなこと覚えてんだ? な事柄は把握してるのに、肝心なことを知らなかったりする。
異世界少女の学習パターンは謎だ。
「なんていうかそれを持ってると、合法的にこの国に滞在できるようになるんだ。仕事……は就労ビザじゃないから無理なんだっけか。でもバイトくらいならできんのかな? まあとにかく、当分の間は堂々と外を出歩けるようになる」
「もう隠蔽魔法を使わなくて済むようになるってことですか?」
「ああ」
アンジェリカは不思議そうな顔でページをめくる。
「知らない女の人の顔写真が貼られてるんですけど……」
「ソフィアさんだ。十九歳のロシア人。これからはそれがアンジェの公的な身分になる」
「え? 私この人に成りすますんですか?」
「そういうことになるな」
じとーっと上目使いで睨まれる。いいさ、言いたいことはわかってる。
「そうだよ、これは立派な身分詐称だ」
他に異世界人のアンジェリカを、日本で暮らせるようにする方法が見つからなかったのだ。
今なら杉谷さんに頼んで公権力でなんとかしてもらえるかもしれないが、あの時の俺はこれが精一杯だった。
「良心が痛むかもしれないが、俺はどんな方法を取ってでもお前の面倒を見るって決めたんだ。軽蔑するならすればいいさ。それでも俺はお前の父親役をやるつもりだ」
「私の公的な身分が十九歳なら、えっちし放題じゃないですか? なんでさっきしなかったんですか?」
……そこが不満なのか。
相変わらずブレねえな、とある種の尊敬を込めた目でアンジェリカを見つめる。
「……年齢に関係なく、義理の娘と父親でそういうのは不味いだろ……」
「一緒にお風呂入った時点でアウトだと思うんですけどー」
「あ、アウトじゃない。あれはそう……介護だ。ちょっと気の早い入浴介護だったんだ。娘が父親の入浴を介助するなんて、この国じゃよくあることだからな。余裕のセーフ案件だ」
「凄い強引な解釈きましたね?」
さっきまで赤ん坊を演じてたのに今度はお爺さん気取りですか、と呆れたような声を出される。
「自分で体洗ってたのに、入浴介助とみなすのは無理がありません?」
「でも背中流すところと体拭くところは、お前にやってもらっただろ?」
弱った父親を懸命にお世話する娘の構図でしかないんだよなぁ、と投げやりな開き直りを繰り返す。
逃げ切れない論法なのは明らかだし、そもそも公道で行っていい内容でもないし、週刊誌にすっぱ抜かれる前にとっとと話題を切り替えるべきだろう。
「で、パスポートもらった感想はどうなんだ」
「感想ですか?」
「嬉しいのかそうじゃないのか、はっきりしないことには張り合いがない。なんか言ってくれ」
「そりゃ……嬉しいですよ」
アンジェリカはパスポートを両手で大事そうに持ち、口の前で掲げている。
「私にはこっちの社会制度ってよくわかりませんけど、なんとなくギリギリな手段で入手したんだろうなっていうのは感じますし……。いけないことでも、大事にされてるのが伝わってくると嬉しいって思っちゃいます」
「ん、そうか」
「……嬉しいです」
「わかったもういい、そこまで赤くなられるとこっちも照れる」
「えへへっ」
一生大事にしますね、と抱きつかれる。
なんかこれじゃあ指輪でもあげたみたいだな、と妙な気分になってしまう。
「ねえねえお父さん、これってアヤコやリオさんにもあげたんですか?」
「いや……アンジェだけだが」
「じゃあ私だけ特別扱いなんですね……」
「ん、んん? そうなるのか?」
そのうち綾子ちゃんやフィリアの分も用意しなきゃいけないよなぁ、などと言える空気じゃないのは、さすがの俺にもわかる。
めちゃくちゃ嬉しそうだしなこいつ。
女って特別扱いに弱いよなぁ……なんて悪い男のようなことを考えながら、歩き続ける。
横断歩道を渡り、交番の前を気持ちハラハラしながら通り過ごし、中々充実した休日なんじゃないか?
なんて思いっているうちに、俺達はアパートのすぐそばまで来ていた。
「これなら夕飯に間に合いそうだな」
食事を済ませたら食器や調理器具もダンボールに詰め込んで、本格的にお引越しの準備に取り掛かるしようか。
そんなことを考えていると、ちょいちょいと袖を引っ張られる感覚があった。
アンジェリカだ。
「どうした?」
「お父さん、これ……」
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