第185話 軍縮条約

「……え、ちょ……不味いだろそれ? だって皆見てるんだぞ?」

「……皆が見てるから、抱いてほしいんですけど……」

「どういう意味だそれ?」


 いよいよ場の空気が最悪なものになりつつある。

 あの泥棒猫を殺せ、と言いたげな無言の圧力を感じるのだ。


「あー中元はん。こらぁ抱いてあげな男ちゃうどすえ。ほら、ぎゅーっとやっちゃって!」


 レベッカは俺の背後に回り込み、どん、と背中を押してきた。

 衝撃で倒れ込んだ俺の体が、エミリーの上に覆いかぶさる。


「……あ……」


 エミリー。本名、柴田光子。アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフで、十五歳。JC3。鮮度良し。

 上は薄手のストライプシャツで、下は青いサスペンダーパンツ。ちょうどサスペンダー部分が胸の中心に当たっているのだが、そりゃあもうバストでみちみちと押し出されて、今にもはち切れそうだ。


 まごうことなき、爆乳。


 この感触、フィリアに匹敵するものがある。となると90センチ台前半くらいだろうか? それがむにんと形を変え、俺の腹に当たっていた。

 途方もないサイズと質感であり、純粋なメイドインジャパンでは不可能な物量というのを思い知らされる。


「……やっぱり、お父さんと似てる……」


 エミリーは甘えたような声を出し、俺の背中に腕を回した。

 少女を押し倒し、抱き返される異常事態。

 ふわ、と甘い香りが鼻孔をくすぐり、金色の巻き毛がそよそよと肌を撫でる。

 

「……!」

 

 いかん。

 ほとんど初対面の美少女に密着されたせいで、その。


 なんというか……。


 下腹部に、熱が集まりそうな気配を感じるのだ。


 駄目だ……それだけは駄目だ!


 このままでは股間のゼロ戦が、パールハーバーしてしまう。アメリカおっぱいにそんな真似をしたら、国際問題に発展しかねない。


 ……今すぐ気分を萎えさせる方法。

 そうだ。こういう時は、母親の裸を思い浮かべればいいと聞く。


 俺は大慌てで、母ちゃんの素っ裸をイメージしてみた。

 が、それは即座にアンジェリカの裸と化した。

 どうやら俺の脳はもう、実母よりもアンジェリカの方をママと認定しているらしく、完全に逆効果だった。

 十六歳の美少女のバブみ溢れるヌードを脳内再生してしまった俺は、いよいよ性の空母機動部隊になろうとしていた。放っておくと戦艦を何隻か落としかねない勢いだった。

 

 しかし俺は、すんでのところで軍縮に成功する。

 黒澤Pの小汚ねえ裸を想像することにより、強制的に獣欲を押さえつけたのだ。

 おかげでどうにか、いたいけな少女を相手に体を反応させずに済んだ。


 やはり、平和が一番である。

 兵器など、少なければ少ないほどいいのである。

 

 俺は紳士な笑顔を浮かべ、性欲など存在しないかのような声で話しかける。


「少しは安心したか?」

「……はい」


 うっとりと目を閉じるエミリーの頭を、優しく撫でてやる。

 日米友好を成し遂げた俺は、かつてないほど穏やかな気持ちになれていた。

 これが父性というやつなのかもしれない。


「もういいよな」


 俺はそっと身を離し、エミリーを起き上がらせた。

 少女はほんのりと頬を染め、何も言わずに俺を見つめている。典型的なアングロサクロンの顔立ちでありながら、仕草が一々大和撫子なのはどうしてだろう。

 

 きっと、それだけ日本暮らしが長いのだ。友人の口から米兵の父親がいると断言されているし、これで異世界人はありえないのではないか?

 ならば、エミリーもレベッカも潔白……?


 俺は二人の少女の顔を、交互に観察する。

 何かを隠しているようには見えない。

 この子達を疑いたくない。


 俺が黙り込んでいると、一人の男性スタッフが楽屋に飛び込んで来た。


「中元さんいます? 打ち合わせしたいんですが」


 ああすいません、と立ち上がる。

 司会者の身で遅れてきたのだから、あれこれと連絡事項があるのだろう。


 俺は出口に向かって歩き始める。

 途中、お預けを食らって息を荒くしているリオとすれ違った。


「……ヤバい……放置食らった上に寝取られまで見せつけられて……あたし……あたし、もう……!」


 完全に目がイッている。

 触れてはいけないんだと思う。


 俺は条例どころか世の中のほとんどの道徳を破っている女子高生をスルーして、部屋の外に出た。

 コツコツと靴音を立てて、スタッフの背中を追う。


「長くなりそうですか?」

「かなり」



 数時間後。

 長い長い会議が終わった頃には、日が傾き始めていた。

 今日の分の撮影は中止され、女の子達は先に家に帰されていた。


 時間は押してるが、事情が事情だし俺を責めるわけにはいかない。

 まあ司会者のイメージアップ自体はいいことなんで、それでチャラにしましょう、という黒澤Pの一声で解散となった。


「……実のない話し合いだったなぁ、しかし」


 俺はちゃんとした会社に勤めたことがないのでよくわからないが、どこもこんなものなのだろうか?

 書類を見せびらかすことと、その場で一番肩書きが上の人間にご機嫌取りをすることの繰り返しだった気がする。建設的な意見は特に出ていない。生産性はゼロどころかマイナスな気さえする。


 俺は伸びをしながら、ノロノロと楽屋に戻った。

 そこにはもう、部屋を埋め尽くす少女達の姿はない。

 真ん中でリオがぽつんと立っているだけで、他のタレント達は皆帰ってしまったようだ。

 あの女の子しか出てこないソシャゲのボックスのような光景は、どこへ行ったのやら。


 俺はただ一人残った雌豚女子高生に、お疲れ様と声をかける。


「お前はチュートリアルでもらえるキャラって感じだな。どんなことがあってもボックスから削除できないっつーか」

「……おかえり……あたし、あたし……ずっと同じポーズで待ってた……トイレも行かずに、ずっと、立ったままで……。す、すごくない? 忠実じゃない?」

「何をされても好感度が落ちないところも、チュートリアルキャラっぽいな」


 リオはハアハアと荒い息を吐きながら俺を見ている。

 別に座って待ってても良かったし、トイレに行っても構わないのに、自主的に己を痛めつけているのである。

 

「お前はそれ、楽しいの?」

「……楽しい」

「辛くない?」

「……肉体的には」

 

 リオはもじもじと膝同士を擦り合わせ、身をよじらせていた。

 おそらく尿意が限界近いのだろう。


「トイレ行けよ。漏らすぞ」

「……あたし思うんだけどね。テレビ局で失禁したら、凄く恥ずかしくない? 屈辱的じゃない? 全国報道なんかされた日には、羞恥責めの極致を味わえるんじゃないかなって」

「やめろ! お前の恥は俺の恥でもあるんだぞ!? 婚約者にションベンちびられる俺の気持ちを考えろ!」

「……中元さんの気持ち……? あたしがドSな鬼畜の気持ちなんてわかるわけないじゃん」


 こいつの中で俺はそういう人物像なのか? と愕然とする。

 俺は女には優しい方だと自負していたのだが。確かにリオやフィリアにやってる行為だけを箇条書きすると、逮捕案件の鬼畜かもしれないが、楽しんでいたぶっているつもりはない。


「……あ」

「どした?」

「出そう」


 ぶるる、とリオが身震いをする。

 これ以上は見過ごせない。

 お願いだ、エルザと同じ顔で失禁を楽しまないでくれ。俺が好きだった女は放尿を楽しんだりしない。それはもう女じゃない。


「本当に手がかかるなお前は!」


 俺は大慌てでリオを抱き上げる。お姫様抱っこだ。二人の体に隠蔽をかけ、トイレに直行する。

 

「リオ! 男子便所と女子便所、どっちがいいんだこの場合!?」

「……男子トイレの方が恥ずかしいから、そっちにして!」

「よしわかった!」


 男子トイレの扉を開け、個室の中にリオを放り込む。そして俺は扉を閉め、外で待つことにした。

 見張り役を行うのだ。


「さっさと済ませろよー」

「……お願いがあるんだけど」

「なんだ? まさかパンツ下ろすの手伝ってほしいとか言わないよな? やらないからな」

「そうじゃないってば。あたしがおしっこしてる間、聞き耳立ててほしいんだけど」

「……狙いを教えてくれ」

「あたし今、膀胱パンパンなんだよね。めっちゃ出ると思う。すっごい大きな音が出ると思う。大音量の放尿を聞かれることで得られる恥辱は、天にも昇る心地良さだと思う。男子トイレなら音姫もないしね。中元さんにバリバリ聞いてもらえるでしょ?」

「俺は耳塞いでるからな。絶対聞かない」

「あっ、ひどっ、なんで? あっ、あっ、だめ、もう出る、駄目、駄目……! 聞いてほしいのに……! 中元さんに聞いてほしいのに……あ~~~~~~~」


 夕飯は何が出てくるのかな。そんなことを考えているうちに時間は過ぎ、やがて背後の扉が開いた。


「……今日の中元さん、冷たくない?」


【パーティーメンバー、斎藤理緒の好感度が106上昇しました】


「でもこういう態度がいいんだろ?」

「うん!」


 元気よく頷かれる。

 俺は遠い目をしながら、リオを手洗い場まで連れて行く。

 

「へー……ここはあんま女子トイレと変わんないね」


 リオは興味深そうに鏡を覗き込みながら水を流し、手を清めている。

 顔が映り込む角度を何度も変えているのを見るに、化粧や髪形のチェックも行うようだ。


「……ん?」


 と。

 さきほど視界をよぎったメッセージの変化に、今さらながら気付く。

 斎藤理緒の好感度が106上昇しました。

 数字の表記が、少しマシになっている?


 なんとなく気になって、スマホを取り出してみる。

 時刻は『23:91』。やっぱりそうだ。エミリーに触れたことによって激しく狂った表記が、やや改善されている。


 ……なぜこうなった。

 さきほどまでの行動を思い返す。


 楽屋でレベッカに背中を押され、エミリーと抱き合う状態になった。

 またエミリーに触れた。

 すると数字の表記が、若干の回復を見せた。


「……あいつなのか?」


 エミリーに触れることをトリガーにして、表記が変わる?

 もしそうだとすると――


「……信じられん。無害そうに見えるのにな」


 リオは顔を上げ、鏡の中から俺の目を見ている。「ん?」な表情だ。


「どしたの? なんか気付いたって雰囲気だけど」

「ああ。……犯人が絞れてきたかもしれない」

「マジ? すごいじゃん」


 さすが中元さんだねーと笑いかけられる。目を細め、心底嬉しそうな顔だ。


「ま、中元さんならすぐ特定すると思ってたけど。こういう時の執念、鬼気迫ってるし」

「ありがとよ。もう出ようぜ、色々確かめたいことがある」

「えー! メイク直したいんだけど!」


 リオは腰に手を当てて振り返り、猛然と抗議してくる。

 薄めの化粧はどう見ても完璧だし、元々の造形の良さもあって、どこを直すべきなのか真面目にわからない。


「直す必要あるか? いつも通りの美少女にしか見えん。これ以上どう調整するんだよ」

「な、ななな何言ってんの急に?」

「ほら。俺はもう行くぞ。置いてかれてもいいのか?」

「……不意打ち、卑怯だし……」


 俺は真っ赤になったリオを引きずるようにして、トイレを後にした。

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