第109話 狂信者


 数百メートルほど歩いたところで、青いベンチとそれを覆う半透明の雨よけが見えてきた。

 隣には、のっぽの標識がぽつんと立っている。

 俺が普段利用しているバス停だ。

 ここから乗り込めば、ものの数分で駅前に到着する。


 もちろん俺の足なら自動車なんかより早く移動できるのだが、今日はそんな気分ではなかった。

 考え事をしながら移動がしたかったのだ。

 ベンチに腰かけ、ぼんやりと思考を巡らせる。


 ドラゴンを仕留める凶器、どこから持ってこようか。


 廃車でもブン投げるかと計画を立てたはいいが、そうそう簡単に見つかるものではないのだった。

 相変わらず計画性がないな、と自分で自分に呆れてしまう。


 最悪、そのへんで中古車でも買おうか?

 東京都民全員の命を救うと考えれば、安い出費なのだろうし。

 それでも数十万近い物体を消耗品として扱うのは、抵抗を感じるけど。

 ……どこかに、都合よく乗り捨てられた廃車でもあればいいのだが。


「なんかねえかな……」


 足を組み、ああでもないこうでもないと唸る。

 そうこうしているちにバスがやってきて、プシューと空気を鳴らしながらドアが開く。

 あっという間の到着だ。スマホを見れば、既にベンチにここに到着してから五分近く経過していた。

 歳を取るたびに、時間の体感速度が上がっている気がする。恐ろしいものである。


 俺は運転手に会釈しながら乗り込み、後方の席に座った。

 午前十時ちょっとというなんとも中途半端な時間帯なので、学生やサラリーマンの姿は見当たらない。

 周囲の乗客は、主婦とお年寄りが中心だ。おそらくスーパーなり病院なりに向かうのだろう。

 

 ふと斜め前の席に目を向けると、赤ん坊を抱いた母親が座っていた。

 三十歳前後の、楚々とした女性だ。顔立ちそのものは整っているが、表情に疲れが浮かんでいる。


 子供の夜泣きが激しいのだろうか? 

 しょっちゅう熱を上げるのだろうか? 

 予防接種をこなすのが面倒なんだろうか?


 エルザが生きていれば、ちょうどこんな風だったに違いない。今頃は俺と一緒に子供をあやして、親子三人で嵐のような生活を送っていたはずだ。

「もっと子育てに協力してよケイスケ」、なんてありがちな愚痴を吐かれて。俺は「こっちだって忙しいんだよ」なんていいながらも、不器用におむつ替えを手伝ったりして。

 毎日が体力仕事だけど、とてつもなく充実している。

 そんな日常が、手に入っていたかもしれないのに。


 なのに、全部失われてしまった。

 どうしようもないのだ。

 なくなってしまったものを求めても、何の意味もない。

 今さらなのである。確実に俺の一部はエルザの肉体と一緒に死んでいて、もう治りはしないと確信している。

 

 俺は壊れてしまった。自分でもわかっている。

 もしもドラゴンが誰かの妻子をパクりとやったら、俺のような惨めな人間を増やすことになる。

 そんなのは駄目だろう。

 絶対に……駄目なのだ。


 手段なんか、選んでる場合じゃない。


「……人命最優先だもんな」


 多少法に触れようが、しょうがないよな。

 自分に言い聞かせるようにして、俺は車内を眺め回す。

 

 これを投げつけるのはどうだろうか?


 乗客を下ろしたあと、ドラゴンに向かって全力投球を試みる。

 そうするとあの初老の運転手は当然責任を取らされるわけであって、やはり不幸な人間を生み出してしまうのだった。

 当たり前だが却下である。


 やはり俺が自腹を切るしかないのか。 

 ほんと縁の下の力持ちやってるよな。

 これで未だに世間では変な手品師のおっちゃんとして扱われているのだから、無欲なもんだ。

 まあなるべく目立たないように暮らす、というのは自分で選んだ道なのだけれど。


 大人になると、出る杭は打たれるという格言の正しさを十分に承知してしまう。

 なのでどうしてもコソコソと動き回るようになるのだ。

 もし俺がもっと若い勇者だったなら、いきがってドラゴンとの対決を堂々と見せつけていたかもしれないけど、年齢から来る慎重さがそれを許さない。


 ……もっと若い勇者?


 しかもいきがってて、目立つことで小遣い稼ぎをしてる輩が知人にいたような。

 なんとなく嫌な予感がしたので、スマホから動画投稿サイトにアクセスする。

『分裂JK』と打ち込み、大慌てで検索。唾を飲み込み、頼むから大人しくしててくれよ、と祈る思いで画面を見つめる。


 が、事態は最悪な方向に進んでいた。


【Vtuberなんかに負けない! パンチラ五割増し!】


 なんていかにも頭の悪そうなタイトルで、冴木カナが生放送をしているのを見つけてしまった。

 ケツの見えそうな制服姿で、『さーて、世界救っちゃいますか』などと調子に乗りまくった台詞を吐いている。

 しかもこれ普段の声と全然違うだろお前、と突っ込みたくなる、鼻にかかった声だ。

 アニメ声とすら言っていい。


 こいつ元は、ボーイッシュなスポーツ少女じゃなかったっけ? 

 それでいて俺と話してる時は、凄まじくドスの利いた声だった記憶があるのだが。

 どうやら再生数を稼ぐためなら、プライドなどドブに捨てるらしい。

 ウィッグもつけてるし、化粧もしてるし。胸は詰め物をしているように見える。どこからどう見ても戦うための格好ではない。

 合コンに出陣する前の盛った女子高生、といった趣がある。


『じゃ、今からドラゴンに突撃してきまーす』


 いやあ、止めた方がいいのでは……。

 でも仮にここでカナが勝ったら、良いことではある。なんせ俺が出るまでもなく、世の中が平和になるわけだし。

 こいつのステータスでどこまで戦えるが知らないが、まあそんなにやりたいならやればいいんじゃないか?

 俺はもう知らん、となんだか投げやりな気分になり始めていた。


 腐っても勇者。

 死にはしないだろうし。

 俺はちらちらと下着を見せつけながら歩くカナを冷めた気持ちで観察しつつも、同時にコメント欄を目で追う。

 この動画投稿サイトは、閲覧者の書き込んだ文章がリアルタイムで表示される仕組みになっているのである。

 何かドラゴンに関する新情報でもあるかと思ったが……。


『白』

『白だ』

『白パンだな』

『こマ?』

『あーこれは処女ですね。俺のヴァージンセンサーが今反応したもん』

『その三センチのセンサーしまえよ』


 残念ながら、建設的な意見は一つも見当たらない。

 まさに便所の落書きである。


『マジシャン中元圭介、本日の出演は20:00のヨルオビ!』

『白パンなら処女っしょ』

『マジシャン中元圭介、本日の出演は20:00のヨルオビ!』

『宣伝うぜえ』

『何こいつ』

『マジシャン中元圭介、本日の出演は20:00のヨルオビ! マジシャン中元圭介、本日の出演は20:00のヨルオビ! マジシャン中元圭介、本日の出演は20:00のヨルオビ!』

『何これ怖い』

『そいつコテハンの「あやや」でしょ。意識ある間ずっとあの手品師の宣伝するから触んなよ』

『やばすぎワロタ』

『切れるとウィルスかブラクラのリンク貼りまくるから絶対話しかけんな』

『あのおっさんのファン層どうなってんだよ』

『マジシャン中元圭介、本日の出演は20:00のヨルオビ!』

『マジシャン中元圭介、本日の出演は20:00のヨルオビ!』

『マジシャン中元圭介、本日の出演は20:00のヨルオビ!』

『マジシャン中元圭介、本日の出演は20:00のヨルオビ!』

『マジシャン中元圭介、本日の出演は20:00のヨルオビ!』


 今の綾子ちゃんは動画サイトにコメント残せるくらい、暇なのか。

 ってことはフィリアの子守は上手くいってるんだな、と安心感を覚える俺である。

 ふふ。

 安心感っつーか、恐怖のあまり感情が麻痺してるのかもしんないけど。


 すげえだろ? このイカれた狂信者と同居してるんだぜ、俺。

 見た目が美少女だから許せてるけど、本来の出演ジャンルはサイコホラーが相応しい女の子だよなこれ……とにわかに寒気を覚える。


 ぶるりと身震いをし、横目で窓の外を覗く。

 もう駅はすぐそこまで迫っている。信号待ちが終われば、数十秒で到着だろう。

 

 画面の中のカナも、都庁舎を目指してずんずんと歩き続けている。

 このままいけば、俺がバスを降りるのとカナがドラゴンと接触をするのは、ほぼ同じタイミングになりそうである。

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