第114話 十字架
あれからどうなったかというと、俺の身分は少しだけ変わった。
つまりは芸人から、掃除屋へと。
表向きは相変わらずテレビ仕事をこなしているが、ごく稀に杉谷から送られてくるメールに従い、出張する生活を続けている。
大概、向かう先は物騒な場所だ。
やれ暴力団の事務所だの、不良少年の溜まり場だの、やたらと失踪者を出している大企業だの。
そういった場所にピザ屋や運送会社のあんちゃんのふりをして潜り込んで、目標にステータス鑑定を行う。
もしそいつが人間に化けている異世界由来の怪物なら、即座に暗殺して脱出する。
この繰り返し。
一体どのような手法で特定しているのか知らないが、杉谷が「異世界人の可能性あり」と目をつけたターゲットは、今のところ全員がクロだった。
ヤクザの組長に化けたホブゴブリン、半グレ集団のリーダーに化けていたリザードマン、有名企業の会計士になりすまり、次々に部下を食っていたオーク……。
異世界時代と同じ、汚れ仕事専門のゴミ掃除屋と化したわけだ。
ただ違いがあるとすれば、報酬の多さだろうか。
「……また、五百万……」
一回の依頼で、目を疑うような収入が転がり込んでくる。
通帳を持つ手が震えているのがわかる。
これまでに杉谷の依頼を三回こなしているので、合計千五百万円。
マジシャン中元としてのギャラも含めると、そろそろ一戸建ての家を購入することが検討できそうだ。
いつまでも隣で死体が見つかったアパートで暮らすわけにもいかないしなぁ、と天井を見上げる。
アンジェリカと綾子ちゃんと、フィリアの部屋も含めると、それなりに大きな家が欲しいところだ。
フィリアの部屋。
平然とそんな考えが湧くほど馴染んでしまったことに驚きながら、ベッドの方へと目を向ける。
そこにはかつて冷徹な神官長だったフィリアが、アンジェリカと肩を並べて寝息を立てている。
まるで童女のような、油断しきった寝顔。
全ての肩書を喪失し、ただのフィリアに戻った顔。
近頃は精神的に落ち着いてきたからか、下の世話が必要という段階は脱してきている。
六歳児相当の精神年齢なのだから、トイレくらいは一人でできて当然なのだろうが。
元のフィリアより扱いやすいくらいだし、いっそこのままの方がいいんじゃないかとさえ思えてくる。
「いや……どうなんだそれは……」
人道的なあれこれを考えると、きちんと病院に診せて元に戻してやった方がいいのだろうか。
とはいえ元の人格になると、あんまり話の通じない悪どい姉さんになってしまうわけで。
困るなあ、と腕を組んでいると、台所から綾子ちゃんがしずしずと歩いてきた。
「はい、中元さん」
とん、と水の入ったコップをテーブルに置かれる。
「お薬の時間ですよ」
楽しそうに語尾を上げて言う台詞じゃないよな、と思いながらも俺はてのひらを上に向ける。
すると待ってましたとばかりに、綾子ちゃんは俺の手に錠剤を渡してくる。
「飲めば飲むほど中元さんも良くなるんですから。機嫌も良くなるってもんです」
あんま実感ないけどな、と軽口を叩きつつも、薬を飲み下す。
ちなみにこの錠剤は、杉谷さんから送られてきたものである。
俺のような汚れ仕事をこなす人材には必要不可欠だという理由で、必ず飲めと言われている。
なぜなら人間の精神は、人や動物を殺すようには作られていないから。
強い使命感を持って任務に就いたはずの軍人や工作員が、殺人のストレスに耐えきれなくて自殺するのは、とてもありふれた出来事だから。
なので、亜人を始末したあとはたっぷりとケアをされる。
病院でカウンセリングを受け、様々な薬を処方される。
相手が厳密には人間ではなく亜人だというのに、この徹底ぶり。
少々過保護すぎやしないかとも思うが、本来ならこれでも足りないくらいですよと杉谷には念を押されている。
せっかく捕まえた異世界帰りの超人なのだし、死なれたら困ると思っているのだろう。
それに時折見せる気遣いを見る限り、本気で俺を心配しているのも感じられる。
つまり、悪い男ではないのだと思う。
「……やっとゲットしたホワイト上司ってことで、いいのかな」
そんなことを呟きながら、俺は空になったコップをテーブルに置いた。
これから薬の成分が効いてくると、リラックスしたり眠くなったりするわけだ。あまり実感はないけど。
ぼーっと睡魔がやってくるのを待っていると、綾子ちゃんがずい、と顔を覗き込んできた。
「ところで」
担当医さんに異世界時代のことは話しましたか、と綾子ちゃんは言う。
「いや。言ってない」
「……なんでですか……話したらお薬の量を増やしてくれるのに」
現代の医学は凄いんです、と綾子ちゃんは人差し指を立てる。
理系の教授に育てられただけあって、科学を盲信している。
「……中元さんの傷ついた心を癒やしてくれるのは、お薬とカウンセリングですよ」
「十七年分の望まない戦いで負ったトラウマを治すって。一体どんだけの薬を飲まされるんだよ。廃人なっちまうぞ俺」
それにさ、と俺は続ける。
「こういうのって、全部なかったことにしたら不味いんじゃないか」
「……どういう意味ですか?」
「俺が感じる苦痛は、必要悪だよ。誰かを殺した人間がこの痛みから開放されるのは、駄目だろう」
俺は異世界の村人達のような――遠い安全地帯から前線の戦士に向かって、平然と殺せ殺せと喚き立てるような人種にはなりたくなかった。敵を殺すことに快感を感じたくはなかった。
それはもう、人間ではないからだ。
命を奪うたびに感じる、吐き気と痛み。夜毎訪れる悪夢。たとえそれらに苛まれようとも、殺害という行為に苦痛と抵抗を感じる人間のままでいたい。
俺の体はもうほとんどが魔法で作り直した継ぎ接ぎだけれど、だからこそ精神は人間でありたかった。
「毎日めちゃくちゃしんどいけど……現代医療の力でこれを綺麗さっぱり消して終わり、ってのはなんか違う気がする」
頑固ですね、と綾子ちゃんは眉をしかめる。
目には暗い光が宿り始めている。
どうやら本気で怒っているらしい。
恐ろしいことこの上ないが、俺にも譲れないものがある。
「俺の頭は確かにぐちゃぐちゃになってるんだろうけど、でもこれは俺が今まで奪った命に対して、負わなきゃならない責任だと思ってる。このぶっ壊れた精神は墓の下まで持っていって、地獄で裁かれる時の証拠物件にするつもりだよ」
まあ地球には天国も地獄もないんだけど、と軽口を叩いてみる。
が、綾子ちゃんはまるで笑わない。肩をいからせ、静かに「そうですか」と囁くだけだ。
「……中元さんは自分を粗末に扱う天才だと、アンジェリカさんが言っていました。今やっと、その意味がわかった気がします」
「変な方向の天才で悪かったな」
「……だからこそ、放っておけないと感じる女の人が続出するんでしょうけど。私もその一人ですし」
はぁ、と呆れ顔でため息をつく綾子ちゃん。わかってくれたのだろうか。
首を振って前髪を払い、
「しょうがないですね」
と微笑んでいる。
「私が一生かけて治すしかないんですね、やっぱり」
困ったような口ぶりだが、綾子ちゃんの表情はどこか嬉しそうにも見えた。
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