第113話 スカウト
嵐のような取材攻勢が済むと、時刻は午後二時になろうとしていた。
胃がしきりに音を鳴らして空腹を訴えてくるけれど、残念ながらまだ飯を与えてやれそうにない。
なぜなら今度は、警察の取り調べが待っているからだ。
厳しい表情を浮かべて、俺を見つめる警官達。
記者どもを追い払ってくれたのはいいが、やることは彼らとそう変わらないはずだ。
俺を取り囲んで、根掘り葉掘り聞いてくる。そうに決まっている。
いつ昼飯を食えるのかな、とため息をつくと、年配の警官が俺の前に歩み出てきた。
五十代半ばほどだろうか。帽子の下から覗き見える髪はよく撫で付けられたロマンスグレー。身長は俺よりやや高い程度で、肩幅ががっしりと広い。
いかにも刑事ものドラマに出てきそうな、渋みがかった風貌だ。
佇まいからすると、おそらくこの男性が現場の指揮をとっているのだろう。
「中元さん、でしたかな」
年配の警官は、穏やかな声で言った。声質は甘いバリトン。けれどどこか凄みを感じさせる口調で、何度も修羅場をくぐってきたことを窺わせる。
紳士然とした振る舞いで、必死に覆い隠した戦歴。
異世界で歴戦の老兵と対峙した時も、似たような印象を抱いたことがあった。
考えてみれば、現代日本で最も実戦経験豊富な武装集団は、自衛隊ではなく警察だ。
それも背広組でなく現場組のベテランとなると、もはや最前線で指揮をとり続けた兵士とそう変わらない人種だろう。
俺は目の前の警官にある種の畏敬の念を抱きながら、「はい」と答えた。
あちらの世界で軍人と行動を共にする機会が多かったせいか、自然と似たような雰囲気を放つ人物の前ではかしこまってしまう。
姿勢を正して、真っ直ぐに警官の目を見つめる。
「貴方があの巨大生物を、何らかの手段を用いて切断し、殺害した。間違いないですかな」
「その通りですね」
「あの生物の正体について、心当たりはお有りかな」
「……確証はありませんけど、大体のところは」
「ふむ」
警官は顎に手をやり、考えるような顔をしている。
「いくつか聞きたいことがあるが、時間の方はよろしいですかな」
「……今日はオフなんで付き合いますよ」
ぎゅるる、と腹が鳴る。いくら最強の勇者でも、空腹には敵わない。
「ところで俺、昼まだなんですけど。先に食べてからでいいですかね」
「ああ。これは失礼」
言うなり年配の警官は後ろを向き、「中元さんに何か差し入れを!」と声を張り上げた。
すると一番近くで待機していた若い警官が、大慌てで走り出した。
どうやら買い出しに向かうつもりらしい。進行方向にパトカーがあるので、あれに乗り込むのだろうか?
「お前が今日食ったものよりワンランク上の物を買ってこい! いいな!」
いやそんな、気を使わなくていいですよと俺が縮こまっていると、「若い連中はあれくらい言わないと気が利きませんから」と返される。
俺のために、飯を買ってきてくれる警察官。
なんだか調子の狂う対応である。
てっきり空腹のまま署に連行されて、知っている情報を全部引き出そうとしてくるんだろうな、ぐらいに身構えていたのだから。
「……いいんですか、こういうのって」
「怪鳥退治の功労者ですから。遠慮なく受け取って下さって構いませんよ」
「功労者? ……俺が? って、怪鳥?」
戸惑う俺を、年配の警官は無言で見つめている。
「とある実験室から、一羽の怪鳥が逃げ出した。それは遺伝子組み換え実験によって、先祖である恐竜の特徴を蘇らされた個体だった。貴方はピアノ線を用いてその怪鳥を切断し、退治したヒーロー。……明日からこのように報道されることになっています」
「報道されることに、
「貴方を取り囲んでいたあの記者達が、自由に記事を書けることはありません」
我が国は意外と公の権限が強いのです、と警官は告げる。
「国の存亡に関わる事態となると、報道の自由よりも情報の統制を優先する時がある。今がそうです」
「……そういうもんなんですか」
「普段であれば好きに書かせるますがね。たとえ警察組織の不祥事であろうと。我々が報道規制を敷くのは、数年ぶりの出来事です」
警官は瞬き一つせずに語っている。
「謎の巨大生物に首都を襲撃されたというのに、市民の安全を守るのが役割なはずの警察も、国防を担う自衛隊も敵わなかった。ところがどこからかやってきた自称手品師の貴方は、それを見えない刃でいとも容易く両断してのけた。国を揺るがす大事件と言って差し支えないでしょうな」
「……仕事を奪ったのは悪かったと思ってますよ」
「この間、誘拐事件を引き起こした緑肌の怪人――マスコミがゴブリン事件だなんて呼んでいるあれも、怪人達は鋭利な刃物で殺害されていましたな。そして切り口は高熱で焼かれていた。今回の怪鳥のように」
俺は確信した。
この警官は一連の事件が全て俺と繋がっていることを、とっくに見抜いていると。
「中元さんが何者なのか、非常に気になるところです」
俺はこれから、どうなるのだろう。
まさか俺がゴブリンやドラゴンを呼び寄せたとでも思われているのだろうか。
あるいは化物共を倒した技術を提供するよう、迫られるのだろうか。
ひょっとすると、口にするのもはばかられるような仕打ちが待っているのだろうか。
場合によっては国を相手に戦う必要が出てくるのかもしれない。
悲壮な決意を固めながら、俺は警官と視線をぶつけ合う。
「どうも本物の地獄を見てきた目に見えますな。中元さんは何を経験してきたのか、ますます気になってきた」
「目を見ただけでわかるんですか?」
「我々こそが日本の治安を守護する、最後のラインですからな。伊達に修羅場をくぐってきてはいませんよ」
「おまわりさんの職業意識がそんなに高いとは思わなかった」
「私は厳密には、おまわりさんではありませんから」
言って、年配の警官は、懐からくたびれた手帳を取り出した。
警察手帳――に見えるが、少し違う?
そこに書かれてある文字は……。
「公安調査官……?」
「申し遅れましたが、私は統括調査官の
杉谷は「他言無用でお願いしますよ」と片頬を歪ませて笑った。
もしかしたらあの若い警官を買い出しに走らせたのは、人払いのためかもしれない。
「公安調査官っていうのと普通の警察官の違いが、俺にはよくわからないんですが」
「警察ではできないような、グレーゾーンの領域から治安を守るのが公安です。分析官だとかケース・オフィサーだとか呼ばれていますが、わかりやすく言えばスパイですな」
「……日本にもスパイっていたんですか」
「主な潜入先は国内の過激派組織――暴力団や極右、極左、宗教団体ですから。ハリウッド映画に出てくるようなスパイとは、少しイメージが違うかもしれない。でも現実に我々は存在している。そして様々な組織犯罪を未然に防いでいる」
我が国の治安が良好なのは我々のおかげだ、と暗に言っているようだった。
「つまり貴方は警察官じゃないんですか?」
「違いますよ。警察庁ではなく公安調査庁の所属ですから。逮捕権も持ってません」
「……ならなんでおまわりさんの制服着てるんですか?」
「実を言うと今まさに警察に潜入中なんですな、これが。よって今の私は獅子身中の虫というわけです。周りの警官に身分が割れたら、嫌な顔をされるでしょうな」
あっさりと言ってのける。
いいんだろうか、バラして。
「どうも一部の警官が暴力団と癒着して、市民生活を脅かしていると小耳に挟んだもので」
「……まあ、そういう人もいますね」
俺の住んでる街の警官とか、特に。権藤と持ちつ持たれつの関係になってるみたいだし。
「いたいけな女子高生に性暴力を働こうとしたり、外国から少女の身分証を買い付けようとしたり、罪のない飲食店の駐車場で嫌がらせをしたり。それはもうやりたい放題の暴力団組員と、警察官が馴れ合っている。こんな状態を放置するわけにはいかないでしょう」
「で、ですよね。俺も本当にそう思う。そんな奴は許せないです」
「なのでこうして警官の身分を借りて、内部から監視する必要が出てきたわけです」
心当たりがありすぎる身としては、生きた心地がしない会話である。
「こっそりと組織に潜り込んで、中から変えていく。これほど効果的な手法はありません。どんな工作活動においても」
「でしょうね」
俺は霊体を憑依させた捕虜を、敵城に返して破壊工作させる手法を思い浮かべていた。
異世界時代、多大な戦果を上げた手法だ。
「もしも国や企業の中枢機関に外敵が紛れ込んでいたら、ひとたまりもない。そうは思いませんか」
「外国のスパイなんかが紛れ込んでたら、厄介でしょうね」
「別の国の人間ならまだいいのですがね。別の世界からやってきた、全く違う倫理観で動く生き物だと、もう手に負えない。ましてやそれがあの怪物のように、人知を超えた戦闘能力を保有しているとなると」
「……それって……」
「我々の掴んでいる限り、『異世界』からやってきた人外の怪物は、まだまだ人の姿を借りて潜伏している。そして中元さん、貴方も異世界を訪れたことがある。そうですね?」
その力、国のために役立ててみませんか、と杉谷は言った。
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