第112話 壊れかけのヒーロー

 真ん中が凹んだ、のっぽのビルが眼の前に見えてくる。

 だが封鎖中となると、電気も落としてあったりするんだろうか?

 もしそうだとすると、エレベーターも使えなくなってしまう。

 その場合、外側からよじ登ることも考えた方がいいだろう。


 全く面倒なところに巣を作ってくれたものだな、とため息をつきながら足を進める。

 磨き抜かれたガラスの向こうに、人の影は見当たらない。

 突然ゴーストタウンと化した街を、一人で探索しているような気分になってくる。


 入り口の前に立つ。ウィーンと音を立てて、自動ドアが開く。


「おっ」


 どうやら電力は生きているらしい。

 見れば自動販売機やATMも煌々と光を放っていて、普段通りの機能が持続されているのだとわかる。

 ドラゴンを処理したらすぐにでも業務を再開するためなのか、電気を落とすとサーバーやら何やらに悪影響が出るからなのか。


 俺には偉い人の考えていることなど知るよしもない。ただやれることをやるだけだ。

 エレベーターの前に進み、ボタンを押す。

 壁に貼られている案内図によると、ここから展望室まで真っ直ぐに運んでもらえるようだ。


 一階から高さ二百二メートルの展望室へと。

 それなりに時間はかかるだろうが、精神集中のための猶予時間を与えられたと思えばいい。


 俺は箱の中に入ると、開閉ボタンを押した。

 扉が閉まるのを確認すると、壁に背中を預けて腕を組んだ。

 数秒後、コオオォォーンと静かな作動音が鳴り始める。箱が動き出したのだ。

 俺はゆったりとした浮遊感に身を任せながら、ポケットからスマホを取り出した。


 時刻を見れば、十二時半を少し過ぎたところ。

 お昼時と言っていい。

 上にいる雌ドラゴンは、腹を空かせて夫の帰りを待っているに違いない。

 もういない伴侶を、未亡人と化しているにも気付かず、待ち続けている。

 もうすぐ壊されてしまう卵を温めながら、待ち続けている。


 だからなんだ?


 相手はただの羽つきのトカゲ。無意味に人間性を見出す必要はない。

 無駄な同情は足枷となるだけだ。そんなことはわかりきっている。

 相手は戦闘機と対等にドッグファイトをやってのける怪物。

 

 俺が倒すしかない。


 静かに呼吸を整えているうちに時間は、流れていく。

 一分、二分、三分。

 頭の中で数えるのを止めた頃、エレベーターは静かに減速し、止まった。

 チンと到着の合図を鳴らし、扉が開く。

 一歩外に出ると、そこはもう展望室になっていた。

 気分としては空間移動だ。異世界の魔法でこれを再現しようとすれば、腕利きの魔術師に依頼しなければならないだろう。

 

 俺は窓ガラスに向かって、直進を続ける。

 既に父性スキルの効果は切れているが、やむを得まい。

 素の身体能力でも、ドラゴン程度ならばなんとかなるはずだ。


 右手に魔力を込め、光弾を放つ。最下級の攻撃魔法でも、窓ガラスを割る程度ならば十分にやってのける。

 

「監視カメラとかあんのかな……」


 器物損壊がどうのこうので、厄介なことにならなきゃいいのだが。

 カナが襲われている映像を観て咄嗟に駆け出してきたので、今の俺は顔も隠しちゃいない。

 映像に記録されたら、一気に侵入者が俺だと特定されてしまう。


 ……なんで無計画に飛び出してしまったんだろう?


 カナのことは全く好きではない。むしろ鼻につく小娘としか思っていないのに、龍に喰われそうになっていたら、助けなくてはと体が勝手に動いていた。

 人間の八割は人を殺せない脳を授かって生まれてくる、という綾子ちゃんの言葉を思い出す。

 どうやら性善説と性悪説では、前者に軍配が上がりそうだ。ほとんど俺の意思とは関係ない、同族愛が俺の立場を追い込んでいる。


 でも――俺の中に残ったこの甘ったるいヒューマニズムは、絶対に失くしてはならないものなんじゃないだろうか?

 そんなことを考えながら、俺は魔法を放ち続けた。

 パリンパチンと音を立ててガラスが割れ、次々に地上へと落下していく。

 

「よっ、と」


 まだ尖ったガラス片が付着したままの窓枠を思い切り握りしめ、外に身を乗り出す。

 視覚的には大変痛々しい状況なのだが、俺のてのひらはたかがガラスを握った程度では傷ついたりしない。

 仮にこのビルから真っ逆さまに落ちたとしても、問題はないだろう。


 落ちても別にいいかという心理状態がかえっていい方向に働いたのか、するすると登ることができる。

 こういう時は、恐怖や緊張を感じていない方が精密に動けるのかもしれない。


 外壁に指をつきたて、崖登りのように体を引き上げていく。

 何度もそれを繰り返しているうちに、いよいよ頂上が迫ってくる。

 

「……ふっ」


 先に右手を置き、それから足をかけて、ぐいっと体を上げる。

 登っている最中に襲撃されたら少々厄介だなと思っていたが、どうやら大人しくしてくれていたようだ。


「あんたがあのドラゴンのかみさんか」


 雌ドラゴンと目が合う。

 黄色い眼球の中に、縦長の瞳孔が刻まれている。感情を感じさせない、爬虫類の目だ。

 強者ゆえの余裕なのか、そもそも心なんて存在しないのか。

 龍の母親は穏やかに羽をたたんだまま、卵を温めるのに専念している。

 

 あまり性差のない生き物なはずだが、雄と比べて少しばかり小柄なのがわかる。

 何もかも好都合だ。我が子を守る母親らしさも、雌らしい丸みなんてのも、戦意をくじく材料でしかない。


 俺は右手に光剣を生成し、振りかぶった。一撃で終わらせる。躊躇は要らない。

 お前らが誰かを殺す前に、先に殺すだけ。ただそれだけのこと――


「……?」


 剣を下ろす刹那、ドラゴンの全身がにわかに発光し始めた。

 目潰し? 防御結界? 

 なんにせよ無駄な悪あがきでしかない。彼我の戦力差は明らかなのだ。

 たかがドラゴンが、俺の攻撃を防げるはずがない。


 ない、はずなのに。


「あ?」


 すか、と。

 俺の剣は、何もない空間を斬っていた。

 防御ではなく、回避?

 俺の火力が当たったら負けな以上、避けた方がいいのは事実だ。

 ドラゴンの浅知恵でよくもそんな判断が働いたな、とやや感心しながら顔を上げる。

 

 すると目と鼻の先に、死んだはずのエルザが立っていた。

 艷やかかな黒髪を肩の後ろに流し、赤ん坊を抱きかかえてにこにこと微笑んでいる。

 鋭さと清楚さの同居した、整った顔。真っ白な肌。均整の取れた体型。

 間違いない。エルザそのものだ。

 服装はいつも寝室で着ていたナイトドレスで、まるで時間が巻き戻ったかのような錯覚を抱く。エルザが生きていた頃へと。幸福だったあの頃へと。


「……なんでだ……?」


 意味がわからない。

 俺の足は意思とは無関係に動き、よろよろと後ずさる。


 失った恋人。最愛の女性。俺が殺した女。自分の故郷でもない世界を救うために、この手で奪った命。

 二度と会えないはずの人間が、今目の前にいる。


「……エルザなのか?」


 俺の問いかけに、エルザは答えない。

 固定された笑顔のままで、こちらを見つめるだけだ。

 それで、気付いてしまった。


 この笑い顔は嘘で、人間らしい感情とは程遠い場所にあると。

 どこか絵画にも似た、あまりにも完璧すぎる笑みなのだ。例えるならモナリザのような、静物じみた完全さ。


「……ステータス・オープン」


 俺は咄嗟に呟き、分析を試みる。

 眼の前のエルザに。

 愛する女と同じ顔をした何かに。



【名 前】レッドドラゴン 

【レベル】109

【クラス】ドラゴン

【H P】18000

【M P】12200

【攻 撃】9900

【防 御】10100

【敏 捷】12000

【魔 攻】8500

【魔 防】8000

【スキル】ドラゴンブレス 火炎魔法

【備 考】レッドラゴン種の雌。繁殖期に入ると凶暴化する。



 鑑定結果は真っ黒で、あのドラゴンの母親が化けただけに過ぎないと告げている。

 やはりこいつはエルザじゃない。

 ……そんなのはどうでもいい。わかりきったことだ。

 大事なのはどうやって変身したかだというのに、その件については何も書かれていない。


「……そのドレス……」


 それに。

 ドラゴンが化けたこのエルザは、見慣れたナイトドレスを着ている。

 エルザが俺以外の人間には決して見せようとしなかった、薄手のドレスを。

 布のほつれ具合やシミのある箇所まで全く同じで、エルザが着ていたもの以外に考えられない品だった。


 なら俺のいた異世界から持ってきたののだろうか? 

 いいや。それだけはありえないと断言できる。


 なぜならエルザのナイトドレスは、あいつの死体と共に燃やしてしまったのだから。

 エルザのお気に入りの品は、棺桶に詰め込んで一緒に焼いたのだ。

 

 この世から失われたはずの服を着た、紛い物のエルザ。


 ふと、俺はカナの言葉を思い出していた。

 魔王を倒したあとに出現した裏ダンジョンの案内人は、勇者の最愛の人間の姿を取って現れる仕様だったと。


「……そうか。お前は変身したんじゃなくて、俺の意識に干渉してるんだな。俺が最も攻撃し辛い人間に見えるように細工している。そうだろう」


 ドラゴンは答えない。

 俺が大好きなエルザの顔で、楚々とした笑みを浮かべるだけだ。


「お前は裏ダンジョンの関係者なのか? それともそういう技術はどこかの異世界じゃ普通に普及してることなのか?」


 ドラゴンは何も言わない。

 言うだけの知能がない。それはわかっている。

 けれど話しかけずにはいられない。


「エルザ……」


 そっと腕を伸ばすと、エルザの姿をしたドラゴンは、思い切り爪を立ててきた。

 俺の皮膚を傷つけられるほどの攻撃力がないので、無駄な抵抗だった。

 ドラゴンは眉をしかめると、今度は口をかっぱりと開けた。喉の奥が赤々と輝き始める。ブレスを吐き出す準備体勢に入ったのだ。


 一刻も早く討たねば、街に被害が出るかもしれない。


 俺は。

 俺がするべきことは。


「……俺はまたお前を殺すのか」


 俺は、人殺しに向いていない頭で。

 この世で一番大切な女の顔を見つめながら。

 横一線に、剣を払った。


 ぐらりと、エルザの体が揺れる。

 へそのところで真っ二つに切断されて、ずるりと上半身が滑り落ちる。

 優雅に微笑んだまま、エルザは地面へと落下していく。


 一瞬、短い光が放たれたる。


 断末魔の自爆攻撃かと思ったが、そうではない。

 ドラゴンの変身が解除されたのだ。

 羽の生えた恐竜のような、典型的なドラゴンの姿に戻り、真っ逆さまに墜落していく。

 もしかしたら、変身を持続する力が尽きたのかもしれない。


 俺はドラゴンが見えなくなったのを確認すると、残された卵を叩き割った。


【勇者ケイスケは戦闘に勝利した!】


 瞬間、システムメッセージが流れ、全てのドラゴンを討伐し終えたことが確定する。

 首都東京に平和が取り戻されたのだ。俺は勝ったのだ。


 ゆっくりと腰を下ろし、それから、嗚咽した。

 四つん這いになって咳を繰り返し、生理的な嫌悪感から嘔吐した。

 いくら殺しは慣れていると言っても、愛する女の姿をした生き物を手にかけたとなれば、話は別だ。

 まるで初めて人間を殺した時のように。いくら悪人と言えど、罪悪感で発狂しかけた時のように。

 

 泣いて、吐いて、苦しんで、許しを請い、自分自身を呪い、意識が遠のき、頭の中に空白が広がり――


 そして、俺は元に戻った。

 もう大丈夫。

 俺はとっくに壊れているけれど、そんな素振りを見せるわけにはいかない。

 それが勇者で、父親だから。


 俺は来た道を引き返し、またエレベーターを使い、地上へと戻った。

 都庁舎を出ると、無数のマスコミがマイクを片手に俺を取り囲んできた。


 ……どうやら隠しきれなかったらしい。

 内部に監視カメラがあったのか、遠方から屋上を撮影していたのか。


「中元さん、都庁舎を占拠した巨大生物を切断する瞬間が映像に収められていますが!」

「あれはやっぱり手品の一環なんでしょうか?」

「今後の進退について一言お願いします!」

「ヒーローになったご感想を!」


 俺はゆっくりとマイクに顔を近付けて、言葉を紡ぐ。


「とにかく家に帰りたいですね。……俺ヒーローとかじゃなくて、マイホームパパになりたいんですよ」


 でも貴方独身じゃないですか、と記者達は笑った。

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