第111話 親心

 駅を一歩出ると、まさにオフィス街という景観が視界に飛び込んできた。

 近代的なビルの群れが、青空を穿ち刺すかのように伸びている。

 文明とテクノロジーの象徴としか言いようのない町並みのはずだが、今日の新宿はそれとは正反対の、野蛮な空気で満ち溢れていた。


 上空はドラゴンが飛び回っているし、地上には立入禁止と書かれた黄色テープが張り巡らされており、見張りと思わしき警察官がそこら中に立っている。

 そして警察官に詰め寄る、背広姿の男達。このあたりで勤めるサラリーマンだろうか。「頼むから職場に行かせてくれ」の一点張りで、このまま暴動でも起こしそうな雰囲気だ。


 どうやら火炎ブレスで焼かれるリスクを負ってでも、仕事に出たいらしい。

 エコノミックアニマルそのものな振る舞いだが、働く以外にやることはないんだろうか?

 半ば軽蔑した思いで見ていると、サラリーマン集団はついに大声で喚き始めた。


「うちは娘が二人とも私立なんだよ」


 と唾を飛ばし、警察官にすがりついている。

 学費がかかんだよ、ここで会社潰すわけにはいかねえんだよ、資料取りに行かせてくれよ。

 鬼気迫る叫びは、狂気の域に達した親心だ。


 我が子のために、命がけで資料の回収に来た父親。

 我が子のために、動物園を襲撃した雄ドラゴン。


 俺も守るべき家庭があったとしたら、なりふり構わなくなるのだろうか?

 もし今でもエルザと赤ん坊が生きていたら、どんな非常事態でも金を稼ぎたがる男になっていたんだろうか?


 それが父性なんだろうか?


 父親になり損ねた俺にはよくわからないので、想像するしかない。

 父性スキルなんてものを持っている癖に。とんだ笑い話だ。


 俺は警察官と揉み合うサラリーマンを横目で眺めながら、足を進めた。

 黄色いバリケードテープを堂々とまたぎ、ドラゴンの巣へと直進する。

 隠蔽魔法のおかげで、誰にも気付かれることはない。

 目立ちたがりのカナは姿を隠さなかったようだが、俺の場合はこそこそと行くのが信条だ。

 往来の真ん中を歩いているのにこそこそというのも、妙な気分だが。


 俺の性格って全然勇者って感じじゃねえよな……シーフ、いや農夫なんかがふさわしいんだろう。

 そんな風に自嘲しながら、首を上げた。


 まるでとんびのように悠然と大空を旋回する、ドラゴンの父親が見える。


 あれにガレキを直撃させ、奴の妻子も仕留めるのが俺の役割だ。

 あいつは子孫を残すため、本能に従っているだけ。それはわかっている。

 だが俺はアンジェリカの保護者で、この国は生まれ故郷なのだ。

 人間を捕食する生物は、殺さなくてはならない。


 お前が我が子を守るように、俺も俺の子を守る。

 アンジェリカは俺が面倒を見ると決めた娘。近頃はこれに綾子ちゃんまで加わっている。

 二人とは血が繋がっていないから、体の芯から湧いてくる親心なんてのは感じたことがない。

 若い異性なのだから、そういった意味では可愛らしいと感じる。

 あとは――亡くなったエルザや我が子の代用として、都合のいい感情を向けているだけだ。


 アンジェリカを可愛がれば、自分の子供を可愛がっているように感じる。

 綾子ちゃんを甘やかせば、エルザを甘やかしているように感じる。


 擬似的な家族ごっこで気を紛らわす、父親になれなかった男。それが本当の父親をやっているドラゴンに、挑もうとしているのだ。

 

「間抜けな話だな?」


 呟いて、走る。

 スマホを覗き込むと、カナは例のコンクリート片の影に座り込んで休んでいるところだった。

 ここからはもう数百メートルの距離だ。

 一気に距離を詰めるべく、助走をつけて飛ぶ。


 一回のジャンプでは届かないので、もう一度。それでもまだ足りないので、三度目の幅跳び。

 確かこんな競技があったような気がする……陸上の三段跳びだったか。

 世界記録を余裕で塗り替えるであろう飛距離を跳んだ俺は、カナの真後ろへと着地していた。


「げっ」


 隠蔽で足音も消えているはずだというのに、カナは勢いよくこちらを向いて顔をしかめた。

 衝撃で勘付いたのかもしれないし、それにこいつは生命感知とかいう珍しいスキルを持っているんだったか。

 

「撮影を止めろ。俺はカメラに映りたくない」


 カナはいはいと不満そうに唇を尖らせながらも、大人しく従った。

 一度力の差を見せつけているせいか、えらく従順である。


「えっ、なに? もしかして助けに来たの?」

「一応それも目的の一つだな」

「……なんでここわかったの? もしかして中元さんってうちの配信の視聴者なわけ?」

「毎日見てるわけじゃない。今日はたまたまだ」

「……ふーん」


 何を思ったのか、カナはめくれ上がったスカートの裾を直し始めた。

 自意識過剰な奴だ。お前のパンツが目当てで視聴してたわけじゃないってのに。


「……もしかしてうちの動画のコメント欄荒らしてるのって、中元さん本人だったりする?」

「んなわけないだろ。俺は今日初めてお前の配信観たんだぞ」

「ほんとに? マジシャン中元って絶対インチキだよねって言ってから来るようになったんだけどね、あの『あやや』とかいう荒らし」

「お前俺をインチキ呼ばわりしてんのか?」

「ほんとのことじゃん。手品じゃなくて、ただの魔法と身体能力のゴリ押しでテレビ出てるんだから」


 悪びれた様子もなく言う。

 もうこいつ助けるのやめようかなという気にもなってくるが、これでも人の子なのだ。カナにだって親がいるのだ。

 一発はたいてやりたい衝動を堪えて、俺は命じる。

 どうせこのあと手を出すんだからな。先に余計なことをする必要もあるまい。


「カナ、パーティー加入に同意しろ」

「また?」

「助かりんたいんだろ。あのドラゴンを撃ち落とてやるから」


 渋々といった様子で、カナは首を縦に振る。


【召喚勇者、冴木佳奈がパーティーに加入しました】


 システムメッセージを確認すると、俺はかがんでカナの額に指を近付けた。


「……何!? 何すんの!?」

「痕は残らないだろうから心配するな」

「……痛いってこと? ちょっと――」


 力を込め、思い切りデコピンを放つ。

 パァン! と轟音を立てて放たれた一撃は、カナの皮膚に小さな切り傷を作り上げた。

 両手で傷口を押さえながらもんどり打つ少女を尻目に、淡々とテキストウィンドウが表示されていく。



【勇者ケイスケは、パーティー内年少者の負傷を視認】

【ユニークスキル「父性」が発動しました】

【180秒間、ステータスとスキル倍率を上方修正し、状態異常を無効化します】

【HP+2000%】

【MP+2000%】

【攻撃+2000%】

【防御+2000%】

【敏捷+2000%】

【魔攻+2000%】

【魔防+2000%】

【スキル倍率✕20】

 


 瞬間、全身がふわりと軽くなる。

 もはや重力すら感じないほどに向上した身体能力。そのすべてを右腕に注ぎ込み、カナが身を隠していたコンクリート片を持ち上げる。

 俺はそれを抱えたまま、雑居ビルの上に飛び上がった。


 下から上に向かって投げるのだから、アンダースローのフォームが一番やりやすいと思ったのだ。

 屋上の端まで移動すると、腕を伸ばし、コンクリート片は足より下の位置に持っていく。

 ビルから落ちそうになっている人を必死に持ち上げようとしているかのような姿勢だ。

 実際に俺が持っているのはガレキで、重さなど全く感じはしないのだが。


 異変を察したドラゴンが、くるりとこちらに向き直った。

 飛行ルートを変更し、俺に向かって真っ直ぐに滑空してくる。


 あちらからやって来てくれるなんて実に好都合だ。狙いをつけやすくなる。

 俺は静かに呼吸を整え、腕の腱を振り絞った。

 イメージするのは下手投げの投手。あるいは円盤投げの選手。

 質量のある物体を敵に投げつけるのは、異世界時代に嫌になるほど経験している。

 肩が外れそうになっても、いや本当に外れてしまっても、それでも投げ続けたくらいなのだから。


 左目でドラゴンを睨みつけたまま、投擲の動作に入る。全身のひねりを用いて、回転運動を起こす。

 腕を振り抜くまでは身体強化で筋力を引き上げ続け――投擲のその瞬間、極限まで脱力する。

 硬から軟へ。力みから開放へ。

 

 ボウッ。

 と空気を叩きつける音を伴って、コンクリート片は飛んでいく。強化付与で耐久力を引き上げられているため、マッハの速度を超えても燃え尽きることはない。

 もう俺の目でも追えないほどの加速し、流星の如き速度で直進し、それはドラゴンを撃ち抜いた。


 一瞬の出来事だった。

 光の矢がドラゴンを貫いたかと思うと、次の瞬間には赤黒い雨が降り注いでいた。

 それが、妻と子のために首都を襲ったドラゴンの最期だった。


 頬を濡らす血飛沫を拭き取りながら、都庁舎のてっぺんを睨みつける。

 あそこにはまだ、雌ドラゴンとその卵が残っている。

 あれを破壊することで、俺の仕事は終わるのだ。平和と安全という贈り物を、アンジェリカ達に与えられるのだ。


 父親の責務を果たせるのだ。

 

 俺は雑居ビルを飛び降りると、真っ直ぐに都庁舎へと向かった。

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