第201話 とんでも反抗期

 クロエの口から指を引き抜き、肩を落とす。

 俺の人生は、いつだってこうだ。殺したくないものばかり手をかけて、気が付けば全てを失っている。 

 エルザを殺した時、あいつの身に宿っていた子供も死んだ。

 ――また我が子を手にかけろというのか?


「……できるわけないだろ」


 光剣を消し、力なく腕を下げる。今の俺は、さぞかし無防備に見えていることだろう。

 戦意を喪失した俺を、異世界の少女は不思議そうに見上げている。


 やるならやれよ。自慢の剣で、俺の首を斬り落とせばいいじゃないか。

 茫然と見下ろしていると、クロエは思い出したかのように呪文を詠唱した。


「……回復ヒール

 

 切り落としたはずの両腕は、瞬時に再生された。

 クロエは右手から光の刃を生成すると、俺の左胸を貫いた。


「……ッ!」


 俺の体を貫通するなんて、大した威力だ。相当鍛えられているに違いない。

 ……だが、心臓を破壊しきるにはもう少し時間がかかるらしい。


 俺は内臓が焼き切られる感覚に見悶えながら、クロエを眺め続ける。

 日本人にも西洋人にも見える顔立ちの少女。形勢逆転したにもかかわらず、疑い深そうな目で俺を見ていた。

 まさか何かの罠とでも思っているのだろうか?


「……どうした? 迷ってんのか? 遠慮は要らない、お前にやられるなら本望だ」

 

 右手をひねるだけで、俺の肺も食道もズタズタに引き裂けるはずだ。

 なのに、クロエの剣は動かない。俺の心臓に切っ先を当てたままで、それ以上のことは何もしようとしない。


「……なんで避けないの?」


 娘の問いかけに、俺は「疲れた」と答える。


「もういいんだ。身内を殺すくらいなら、ここで死ぬよ。それが俺の寿命だったんだろう。……エルザを殺った時から、早めに後を追うつもりではいた。これでよかったんだ」

「投げやりだね。貴方、あの神聖巫女の保護者なんじゃないの? あの子達のお父さんやってるんでしょ?」


 最低だよ、とクロエは吐き捨てる。

 

「ありえない。それでも父親なの。最後まで諦めずに、生き残ることを考えるべきじゃないの。残された子供達はどうするの。父親の自覚はあるの」


 お前はどっちの味方なんだ、と言いたくなるようななじりだ。

 俺は唇の右端を上げて笑った。


「お前がおっかねえ化物なら、そうしたんだけどな。俺の娘なんだろ? なら無理だ。俺には戦えない。殺してくれ」

「……」


 がっかりだよ、とクロエは剣を横に薙ぎ、俺の心臓を破裂させた。


「ごはっ……」


 喉奥からせり上がった血液を、ゴボゴボと吐き出す。

 それは勢いよくクロエに降りかかり、服を汚していた。あーあ。せっかくこじゃれた服を着てんのにな。親父に袖を切断されたあげく、血反吐でビシャビシャとはね。

 こりゃ反抗期じゃなくても、娘に嫌われちゃうやつだよな。


 そんな、くだらないことを考えながら――俺は死んだ。



 * * *



 どこまでも広がる花畑で、赤ん坊を抱いたエルザが微笑んでいる。

 ああ、ここが天国。ここが死後の世界。

 てっきり地獄逝きとばかり思ってたのに、こんな結末が待ってただなんて。

 俺は笑いながら妻子に向かって手を伸ばし、そして――


 ――思い切り抱きしめた瞬間、意識を現実を引き戻された。


 唇に感じる柔らかな感触は、少女の口付け。

 ……違う。そんなロマンチックなものじゃない。これは人工呼吸だ。


「……?」


 一体全体、何を考えているのか。クロエは俺に回復魔法をかけ、懸命に心肺蘇生を試みていたようだ。


「……どういう状況なんだ……?」

「やり直して」

「……やり直す?」

「決闘」


 ぐっぐっと俺の胸を押しながら、クロエは言う。


「これじゃ駄目。こんなのは相手が自殺したのと変わらない。戦士の誇りを汚さないで」

「……つまりお前は、俺と正々堂々戦った上で、気持ちよく倒したいんだな?」

「そう」

「……お前の勝ちでいいじゃん」

「勝ちじゃない!」


 クロエは声を荒げた。

 あまり感情を表に出さないタイプだと思っていたので、意外である。


「こんなの、ありえないよ……戦意を失うまでは、そちらが優勢だったはずだよね? これじゃ勝ち逃げだよ。そんなの許さないから」

「強情なんだな」


 誰に似たんだか。俺はそっと手を伸ばして、クロエの髪に触れた。

 振り払われるのを予想していたが、大人しく撫でられている。


「……何がしたいの?」

「お前こそ何がしたいんだよ?」


 俺の質問に、クロエはため息をつく。


「私には時間がない。よって尋常な勝負を望む」

「時間?」

「まだわからないの? 母上の言う通り、本当に鈍いんだね」


 母上。まるで騎士階級の人間のような言葉使いで、そして、時間に追われているというセリフ。

 ここから推察できる、クロエの正体は――


「お前、ホムンクルスか」

「……」


 心臓マッサージのおかげで、大分頭がはっきりしてきた。

 回り始めた思考で、一つ一つ状況を整理していく。


 ホクロの位置が完全に親と一致しているなんて、自然界でもありえない。何か普通ではない手段で生み出されたのは確実だ。

 俺の下半身は、リリ先生のアトリエに生きたまま保存されていた。あれを使えば精液はいくらでも採取できたはずだろう。


 ホムンクルスは蒸留機に人間の精液を入れて腐敗させ、毎日人間の血液を与えることで錬成する人造人間だ。

 普通は小人ほどの大きさだが、生殖能力や寿命を削れば人間並みのサイズに調整することも可能とされる。


 そしてクロエは、時間がないと焦っている。

 ならばお前は――


「短命種として作られたんだろう? 違うか。その体格と戦闘力となると、相当寿命を縮められたな?」

「……随分、推理に時間がかかったね。もっと早く気付いてほしかったな」


 言って、クロエはゆっくりと俺から離れた。そのまま後ろ歩きで間合いを取り、上段に剣を構える。


「私が望むのは、戦士の誉れ。残り僅かな余命を、騎士の栄誉に捧げたい。本当にそれだけなんだ」


 この性格、リリ先生の要素も入っている気がする。

 ……おそらく血液は先生のものを使ったのだろう。

 錬金術によって生み出された、禁断の混血児。それがクロエの正体だ。


「ステータス鑑定を妨害したのもそのためか?」


 そうだね、とクロエは頷く。


「だって鑑定されちゃったら、父上は絶対に私を斬れないでしょ。それじゃ駄目なんだ。だから素性を隠すために、アーティファクトを使わせてもらった」


 父上という呼び方に、心臓が止まりかける。

 いきなり十五歳の娘ができちまうとはな。


「……あの数字表記を狂わせるしかけは、アーティファクトだったのか? どういう原理だ? 今さら隠す必要もないだろ。教えてくれよ」

「……ちっちゃいノミみたいな道具。誰かの体に触れるたび、移動する性質を持ってる」

「なるほどな。人間から人間へと渡り歩いていたのか。どうりで誰が震源地なのか特定できなかったわけだ」


 厄介なもの持ち込みやがって、とぼやきながら立ち上がる。


「で、種明かししちまってどうするんだ? 俺はやっぱりお前を斬れないと思うぜ?」

「今度は情に訴えることにしたから、平気。父上にはこの方が効きそうだからね」

「……情?」


 クロエは静かに剣を下ろすと、深々とお辞儀をした。

 日本式の、お手本のような一礼だった。


「お願いします父上殿。私の余命は、もう三年もありません。ならばせめて……この世で最も価値のある首級を挙げて、祖国に尽くしたいのです。あるいは敗北であっても構わない。貴方という勇者に……貴方という親に挑んで、それで返り討ちに遭うのなら本望。父上は私の腕を切り落とすのに成功し、完全に私を圧倒したよね? なぜあの時、私を殺しきらなかったのかな。私は別に、それでもよかったのに」

「……お前はじゃあ、もう一回俺と戦って、思いっきり負けるならそれもまたよしって言いたいのか」

「そうなるね」


 騎士どころか侍じゃねえか。

 くそ、日本人の血も入ってるもんなお前。

 

「父上、さあ剣を出して」


 クロエは叫ぶ。


「父上!」


 俺は――俺の選択は――


「駄目だ。絶対に許さない。親と子が斬り合うだなんて、どんなことがあっても駄目だ」

「騎士の誇りを愚弄する気なの!?」

「それが親に向かって言う言葉か!?」

 

 まるで昭和の頑固親父のように地面を踏みしめると、アスファルトに小さなクレーターが出来上がった。

 馬鹿げた身体能力に、クロエが息をのんだのがわかる。


「……あ、貴方がその気じゃないとしても……私の方は戦うつもりだから」

「クロエ。お前にはもう一つの選択肢がある。そうは思わないか」

「もう一つ? は、なに? まさか国を裏切れとでも? 俺の元に来い、と言いたいのかな」


 そんなのはとっくに想定済みだよ、とクロエは言う。


「仮に父上の軍門に下ったとして……たった三年の期間で、何ができるというの?……私を娘として愛しているなら、どうか全力で戦ってほしい。私も貴方を本気で殺しにかかる。禁忌の錬金術で結ばれた親子には、お似合いの末路だよ」

「三年あれば十分だ。俺はこれからの三年間で、普通の娘が味わう幸せを、全部お前に味わわせてやる」

「よく言うよ。自分のパーティーメンバーすら幸せにできなかったくせに」

「……その通りだ。だからもう失敗しない。……もう間違えない」


 俺はボギャッ! と地面を蹴って、クロエの背後に回り込んだ。ソニックブームが発生しているので、おそらく音速を超えたのだろう。


「――奇襲!? 性格が悪いね!?」

「そんな卑怯な真似、するわけないだろ。俺は勇者様で、お前の父上なんだぞ!」


 俺は素早くかがみ込むと、全力でクロエを担ぎ上げた。


「……これ……タックル!?……じゃない……!? なにこれ?」

「肩車だ」

「え?」

「肩車だ」


 真っ暗な港で。俺はさっき心臓を貫いた相手を、威風堂々を肩車していた。

 左胸からは、今も血の雫が落ちている。


「……気でも狂ったのかな?」


 俺はベシベシと頭を叩いてくるクロエを片手でいなしながら、夜の海辺をとぼとぼと歩き続ける。


「どうだクロエ。巨人さんになった気分だろう」

「……殺していい?」

「その言葉使いはなんだ。社会に出た時、損をするのはお前なんだぞ。殺すだの死ぬだの言うのはやめなさい」

「……いつまでこの茶番に付き合えばいいの?」


 ついにクロエは光剣を俺の耳穴に差し入れようとしたのだが、頭を小刻みに揺らすことで未遂に終わらせた。

 股間に振動を与えると、女の子は大人しくなるものである。


「今のは親子のコミュニケーション的にアウトだよね!?」

「親子どころか人としてアウトだろうな。またブルブルしてほしいのか? 嫌なら大人しくしてろ」

「……くっ……もう殺してよ……。こんな屈辱を実父から受けるくらいなら、死んだ方がましだよ……」

「あ、お前もやっぱ女騎士だけあって『くっ殺せ』とかいうんだな」


 妙な感心をしながら、俺はクロエに話しかけ続ける。


「三年間、お前を楽しませ続けるし甘やかし続ける。どうだ? 精一杯娘を楽しめばいいじゃないか。ひょっとしたらお前の寿命を延ばす方法だって見つかるかもしれないし」

「……」


 もう一押しかな? 俺はクロエを地面に下ろすと、固く抱きしめた。

 

「クロエ……どんな生まれ方だったとしても、お前は俺の娘だ。俺の元に来い」

「……」


 クロエの体は震えている。

 よかった、通じ合ってる。やっぱり俺達は親子なんだ。父性溢れる手つきで頭を撫でていると、クロエは甘えたような声で言った。


「……本当に、三年間私を楽しませてくれるんだね?」

「ああ」

「約束する?」

「ああ!」

「じゃあ私、性行為がしてみたい」

「え?」

「……処女のまま死ぬなんて嫌だよ。今ここで潔く死ねないなら、女の悦びが知りたい。三年もダラダラ生かされるなら、それくらいの楽しみがなきゃ無理だな」

「あ、わ、わかった。いい相手を探してやるよ。それも親の務めだよな」

「父上がいい」

「ん?」


 クロエは挑発的な笑みを浮かべながら、俺を見つめる。


「父上が私を抱いてよ。そしたら私、貴方に忠誠を誓う」


 お前は何を言ってるんだ? 実の父と娘なんて……一番しゃれにならないやつだぞ?


「父上以外の男なんて、考えられないよ。弱っちい男なんて興味ないもん。……私を甘やかしてくれるんでしょう?」

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