第200話 お前の正体は
港に着いた頃には、午後六時五十四分になっていた。
約束の時刻は七時なので、少々早めに到着したことになる。
一騎打ちですら、五分前移動。
これが日本人の血なんだろうな、と自嘲しながら海を眺める。
夜の海面は、ただの黒い塊にしか見えない。目が慣れるまでもう少しかかりそうだ。
俺はポケットに手を突っ込み、じっと暗がりを見つめていた。
徐々に目が慣れてきて、さっきまで見えなかったものが見えてくる。
ほら、こんな風に。
十メートルほど向こうのテトラポッドに、ぽつんと腰かけている少女を見つけることだってできる。
あんなとこにいたのか、クロエのやつ。
「早いな」
俺は世間話でもするような口調で声をかけた。右手を上げて、散歩中にすれ違ったみたいな気軽さで。
クロエも「うん」と頷き、腰を上げる。
「私にも日本人の血、流れてるからね。嫌いなんだ、遅刻」
おかげであっちの世界じゃ浮いてたよ、と混血の少女は笑う。
「なあ教えてくれよ。どんだけ考えてもお前の正体がわからないんだ。……なんとなく、俺の縁者じゃないかって気はしてるんだが」
「……」
「お前にリリ先生の血は入ってるのか?」
「入ってないよ」
クロエはぴょんと跳んで、堤防に移った。足場を確保したのだろう。
「じゃああれか? 俺の下半身を、リリ先生以外の女と交わらせて産まれた子か?」
「そんな野蛮な出生なわけない」
ヴゥン、と鈍い音が響く。クロエが光剣を生成したのだ。
「……一目で気付いてくれると思ったんだけどな」
幼い刺客は、寂し気な笑みを浮かべた。
「もしも中元さんがすぐに私の素性を見破ったら、寝返るつもりだったよ。残念だね」
「……昔から鈍いことに定評があってな」
「みたいだね。がっかり。……私はずっと、貴方に会うのを楽しみにしてたのに――」
言い終える前に、クロエは斬り込みをかけてきた。
下段の薙ぎ払い、狙いは足だ。
……あまりにも低い。
小柄な相手にこんな位置を突かれると、少々やり辛い。自分の体格がもたらす有利不利を、よくわかっている。
「よく鍛えられてるようだな」
俺は大きく後ろに跳んで斬撃を避けると、すぐさま光魔法を放った。手のひらから発射された光の弾丸が、クロエの頬を掠めていく。
俺は咄嗟に目を閉じ、隙と引き換えに目を守る。
「……女の子の顔を狙うとはね! 見損なったよ!」
クロエは無傷で立っていた。
何発かは直撃コースだったはずだが、光剣で叩き落としたようだ。
あれを打ち落とせるとなると、かなり筋がいい。鍛えれば相当の剣士に育つだろう。
俺なんかよりずっと才能があるかもしれない。
だが――
「経験が足りない」
さきほどの光弾はブラフだ。顔の近くをまばゆい光が通り過ぎれば、しばらくは目がやられるだろう。しかも馬鹿正直に光る刀身で受け止めたのだから、凄まじい光量が発生していたはずだ。
事実、クロエの動きは鈍り始めている。左手で目を抑えているので、相当視力を持っていかれたようだ。
「悪いな」
この好機を逃す俺ではない。地面を蹴って、一気に距離を詰める。
トロい獲物。射程範囲内。一撃で決める。
――もらった。
俺は大きく弧を描く切り上げで、クロエの両腕を切断した。
「あううっ!」
悲鳴を上げる口に、ズプリと指を突っ込む。回復魔法を唱えさせないためだ。
そのままもつれ合い、押し倒す形となる。なんだか酷く猟奇的な強姦でもしているかのようだ。
「――! ――!」
クロエは懸命に足をバタつかせ、逃れようとしていた。
だが、膂力が違う。サイズが違う。こうなったらもう形勢逆転はできない。
俺は涙と涎でぐちゃぐちゃになった顔にたずねる。
「死にたくないよな? 俺もできれば殺したくない」
クロエは空虚な目で空を見上げている。
「俺の質問に瞬きで答えてくれ。ゆっくり一回だけ閉じたらイエス。二回閉じたらノーと受け取る。どうだ?
クロエの目は見開かれたままだった。
「お前は俺の娘か?」
クロエの目は動かない。
「育ての親はリリ先生か?」
白いまぶたは、やはり動かない。
「……このまま殺されてもいいのか?」
涙が一筋、クロエの頬を伝い落ちた。
しっかり恐怖を感じているにも関わらず、尋問に応じるつもりはないようだ。
根性があるんだかないんだか。
いっそ恐慌状態にでもしてしまおうか。
それからまず爪を剥がして、腹を切り破って、耳をそいで。
俺は俺の世界を守るためなら、なんだってやる。こいつから情報を引き出すためなら、悪魔にだってなってみせる。
残虐極まりないプランを練っているうちに、ふとクロエの顎に目がいった。
……右顎の、エラの裏。男だったらよく髭を剃り損なう場所。そこに、大きなホクロがある。
俺も、そこにホクロがある。
鏡を見ながら髭を剃っていると、嫌でも目に付くのだ。
「……」
まさかな。
俺はクロエの口に指を突っ込んだまま、空いている方の手で上着をめくった。
白い腹が露わとなり、少女らしい体の線が夜闇に浮かび上がる。
目が慣れるまで、じっと見つめ続ける。
犯されるとでも思っているのか、クロエは鼻を鳴らして泣いていた。
「……ふざけやがって」
俺は感情を殺しながら、少女の体を観察する。
ヘソの左上……右の脇腹。ブラジャーを少しずらすと、腋の下にも二つあるのを見つけた。
クロエは、俺とホクロの位置が被っていた。
ほとんど全て同じだった。
ただの親子でもこうはなるまい。よほど色濃く俺の血を受け継いでいるようだ。
細身でありながら引き締まった体型も、俺と似ているように思う。……もう数年寝かせたら、さぞや女らしい体つきに育つだろう。
「そうだよなあ……俺は、首から下だけは褒められるもんなあ……俺に似たら、スタイルよくなるに決まってるよなあ」
俺は己の運命を呪いながら、クロエの服を元に戻した。
やはりそうだ。
こいつは俺の娘だ。これだけは確かだ。
「お前……俺が親父だって、知っててやってきたのか?」
クロエは静かに目を閉じ、たっぷりを時間をかけてから目を開いた。
ゆっくりと一回だけ瞬きをしたら、イエスのサイン。こんな時だけ父親の言いつけを守りやがって。
「……お前は実の親を殺すつもりだったのか」
再びイエス。俺は全身の力が抜けるのを感じた。
「俺が憎いか?」
返事はノーだった。……ノー?
「どういうことだ? お前はつまり、俺を父親として慕っているのに、俺を殺そうとしてるのか」
クロエは一回だけ目を閉じる。イエスらしい。
「……俺を愛してるか? 父親として」
クロエは力強く肯定した。
無理だ。
俺にこの少女は、殺せない。
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