第162話 揉んで賢くなる

 建物を出た途端、トラップが発動して眼前に魔物が出現する……なんて展開も予想していたが、何も起こりはしない。


「……眩しいな」


 穴を抜けた先にあったのは、朝焼けに照らされた住宅街だ。

 電柱が立ち並び、道路脇で野良猫とカラスがゴミ袋を漁る、どこにでもある日常風景。

 拍子抜けもいいところである。

 

 ただ、俺はこの街並みに見覚えがない。

 現実世界だという保証すらない。


 まさか普通の住宅街に見せかけて、エリンの作り出した特殊空間だったりしないよな? と周囲の様子を窺っていると、ポケットの中でスマホの通知音が鳴った。


 ――電波がある。


 となると妙な空間に迷い込んだわけではないようだ。

 俺はほっと安堵しつつ、尻ポケットからスマホを取り出した。

 画面を覗き込んでみると、大量の新着メッセージが表示されている。


『お願いです。生きてたら連絡を下さい』

『既読すらつかないのは不安になります、スマホの操作すらできない状況なのでしょうか?』


 この調子で、アンジェリカと綾子ちゃんが俺を心配する文章が次々に送られてくるのだ。 

 数時間ぶりに電波が復旧したため、溜まっていたメッセージを一気に受け取る形になったようだ。

 

『どうにか無事だ。もし俺を探してるなら、二人ともマンションに戻ってくれ。すぐそっちに向かう』


 俺は簡潔に返信を済ませると、位置情報を確認した。

 現在位置は……。


「げ」


 なんと、エリンと遭遇した箇所から数十キロも東に離れている。マンションとの距離は追加でもう数キロだ。

 俺の全力疾走ならそう時間はかからないが、なにしろどこにエリンの魂が入った小動物が潜んでいるのか、わからない状況なのである。


 中身がエリンの虫とすれ違っただけで、知力を低下させられかねない。そうすれば再び確保されて振り出しに戻るだけだ。


「……思った以上に厄介だな」


 これではうかうか歩き回ることもできやしない。

 仕方ない。異世界屈指のインテリ職である、神官様の知恵を借りるとしようか。

 俺はフィリアを背中を下ろすと、「エリン攻略についてなんだが」と話を振ってみる。


「もう知ってるかもしれないが、エリンのやつ、六百もの生き物に分霊してるみたいなんだ。これに加えて範囲デバフだろ? どうすりゃいいかな」

「……勇者殿の背中、広くて硬い……」

「おい、帰ってこい」


 どうも身体接触がよくなかったらしい。フィリアは両手で己の顔を挟み、とろんとした目で余韻に浸っている。


「躍動する背筋……」

「本人の前で言うセリフじゃないだろ。フィリア……おいフィリア」


 肩を揺すり、こちらの世界に戻ってくるよう促す。

 フィリアはしばらく雄の匂いがどうこうのと独り言を繰り返していたが、やがて「はっ」とした顔になり、


「なんですか急に。顔が近いですよ」

「やっと正気に返ったか。……エリンをどうやり過ごすかをお前に相談してみたかったんだが、この調子じゃ駄目そうだな」

「失礼な。私ほどあの子に詳しい人間はいませんよ。弱点だっていくつも知ってます」

「ほーお? なら言ってみろよ」

「……とりあえず顔を離して下さい。勇者殿は格好いいんですから、こう距離が近いと思考力が乱れます」

「お、おう」


 この女はどんだけ俺が好きなんだろう? 

 俺、そんなに男前か? ぶっちゃけフツメンの範囲に入ると思うんだが、なんで頬染めたりしてるんだこいつは。

 変な趣味してんなぁと思いつつも、要求通り顔を遠ざける。


「これで頭は働きそうか?」

「もちろん」


 フィリアは不敵な笑みを浮かべて言う。


「どうせエリンの分霊に手をこまねいてるんでしょう?」

「ああ。六百も分霊先を用意されちゃあ、もはや大軍を相手にしてるようなもんだ」

「……もっと魔法を学んでおくべきでしたね、貴方は」

「どういう意味だ?」

「分霊にはある程度のルールがあります。複数の生き物に自我を乗せるならば、それらの肉体に共通点を持たせなければならない。……たとえば『全て飛ぶ生き物にする』『全て毛皮のある生き物にする』『全て角の生えた生き物にする』等が一般的ですね」

「エリンは黒猫と黒アゲハに分霊してたよな。こいつらの共通点は……色か?」

「でしょうね。あの子がカラスに分霊してるのを見たことがありますし、それで確定かと。エリンは黒い生き物に分霊している。これがわかっただけでも動きやすくなるのでは」

「アリやゴキブリを使われたら面倒だな。小さすぎて見逃しそうだし」

「……少しは女心を考えたらどうです」

「女心?」

「女性がアリやゴキブリに自我を乗せるなんて、嫌に決まってるでしょう。虫を使うとしたら、見目麗しい蝶が限界だと思いますが」

「……そんなもんか?」

「そんなもんです」


 断言される。

 女のフィリアが言うのだから、きっとそうなのだろう。


「まあ勝てるならなんだっていいんだ。……で、弱点ってのはどこにあるんだ?」

「複数の肉体に自我を乗せてるんですから、それらを同時に殺めれば絶命時の苦痛も数倍になります」

「相変わらず発想が悪役だよな、お前」

「街を無差別に焼き払えばエリンの入った動物も何体か死ぬでしょうし、これで勝てるんじゃないでしょうか?」

「もうちょっと穏便な方法を頼む」

「私は勇者殿個人に力を貸してるのであって、この国のことはどうでもいいんです。勝つために都市を犠牲にするくらい、なんとも思いませんね」


 なに調子こいてんだこいつ、と右乳を揉む。


「エリンは光属性に弱いれすう!」

「他には?」

「ぶ、分霊先の肉体が弱すぎると本来の力を発揮できないので、小動物の体で範囲デバフを使ってくる恐れはないと思いましゅう……」

「む、そうなのか。……ってことは港で俺がやられた時は、ちゃんとエリン本体も来てたわけか」


 そうなるとあとは、そのエリン本人とうっかり遭遇することを避けることに専念するだけだ。

 あちらも隠蔽を使えるので、視認できないのが厄介だが。


「マンションに帰るまではエリンとエンカウントしたくないんだが、どうすりゃいいかな」

「セックルを使えばいいのでは」

「……今なんて言った?」

「セックルですよ、セックル。貴方も得意でしょうに。エリンを遠ざけるにはセックルに限ります」


 朝っぱらから白人美女の乳を揉みしだき、セックルセックルと連呼される有名人の俺。

 これを通行人に見られたら死ねるな、と冷や汗を流す。


「って隠蔽解けてんじゃねえか!?」


 大慌てでかけ直す俺である。


「すぐに気付いたからいいが、マジで危ないところだったぞ。……んでセックルってなんだよ?」

「セイクリッドサークルの略ですが」

「どうしてそれをセックルなんて略そうと思った!? ていうかこれ、エリンにも効くのか?」

「あの子の種族は『魔』法使いですよ。本人の人格に関係なく、種族そのものが邪悪扱いされますゆえ、サークル内には入れなくなるでしょうね。ヴァンパイアや魔族と同等の扱いです」

「……ずっと仲間だったせいか、あいつが邪悪寄りの種族だって言われてもピンとこないな。普通に俺が張ったセイクリッドサークルの中に入ってきてたし」

「パーティーメンバーであれば、どんなに邪悪な種族でも結界の中に入れますからね……。ま、私は人間族かつ神聖極まりない神官職なので、非パーティーメンバーの張った結界内にも余裕で侵入できるのですが。エリンと違って私、善なる存在ですから」

「……全然納得いかねぇなそれ」


 俺はその、自称善なる存在の左乳にも手を伸ばし、さらにエリンの情報を引き出し続ける。

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