第223話 乳離れできない俺達

 

 呼吸を整え、体のリズムを戦闘モードに移行させる。

 血流が手足に集まり、筋肉がパンパンに膨れ上がっていくのを感じる。

 俺はアンジェリカに、小声で「奴らの色は?」とたずねた。


「色?」

「感知スキルで表示されるレーダー上で、足音の主は何色で表示されてるんだ?」

「ああ、そういう――淡い赤が一人に、金が二人です」


 悪人が一人に、警官が二人?

 一体どういう組み合わせなんだ?


 ……杉谷さんを嵌めた張本人と、その護衛の警察官二名……?


「いきなり親玉が出て来たのか? 手っ取り早くて助かる、な!」


 言い終える前に、俺は勢いよく床を蹴っていた。

 バゴォ! と足元を粉砕する音を置き去りにして、一直線に跳ぶ。

 続いて壁を蹴り、慣性の法則を無視したかのような軌道で直角に曲がる。


 いた。


 目標は――小柄な人影が三つ。

 先手必勝、後はこのまま真っ直ぐ飛びかかれば……ってなんか警察組織の黒幕にしては三人とも若すぎるというか、しかも全員が女で可愛い系の見た目っていうか、あれってもしかして――


「やべっ、加速しすぎて止まれねぇ!」


 悪い避けてくれ! と叫びながら、俺は女性三人組に向かって突っ込んでいった。

 ――エリンと、俺を逮捕したあの女性警官コンビに向かって、それはもう思いっきりダイブをかましていた。


「……なっ。勇者……!?」


 可能な限りブレーキをかけてみたが、それでもスピードを落としきれなかった。

 俺はうら若い女性三人を床に押し倒し、もつれ合うようにして転倒する。

 

 大惨事と言ってよかった。

 いや、どっちかというと現行犯か。


 手にはなんだか柔らかい感触があるし、顔は誰かの胸に乗ってるっぽいし、甘い香りのする髪がそよそよと鼻先をくすぐっている。

 完膚なきまでの性犯罪だ。


 ……不可抗力である。


 俺は本当に本当に、悪の警察幹部のお出ましだと思い込んでいたのである。

 赤色で表示されるレベルの悪人って、そんなのしか想像できないだろうが。

 畜生、エリンは魔法使い族だもんな。魔族や魔法使い族は種族そのものが邪悪だから、本人の人格とは関係なしに赤色で表示されるらしいもんなぁ……!


「これは再逮捕ですね」

「ですね」


 体の下で、女性警官達がこくこくと頷き合っているのが見える。

 また罪状が増えるのかよ俺? 

 

「誤解だ……ん? この肉体年齢十四歳って感じの膨らみはエリンか。おい、お前の方からもなんとか言ってやってくれ」

「……バストの触り心地で私を見抜いた時点で、有罪は免れないと思う……」


 体を起こした俺はその場で再逮捕されるも、杉谷さんを救出したと告げると渋々解放された。

 

「あんたらの上司があっちで待ってるぞ。早く駆けつけてやったらどうだ」


 その言葉で我に返ったのか、女性警官達は慌ただしく駆け出して行く。

 やれやれ、やっと解放してもらえた。

 俺は床の上であぐらをかくと、エリンを観察する作業に入った。この猫耳魔女娘、また属性を増やしたらしい。


「その恰好はなんだよ?」


 どういうわけか、今のエリンは婦警さんルックなのだ。

 紺色の制服を着込み、膝丈のスカートを抑えながらの女の子座り。加えて丸っこい帽子も加われば、これはもう見事なまでの「一日署長さん」だった。

 髪も目も水色の少女がこんな服装をしていると、どっかのアイドルがコスプレしているようにしか見えないのだ。


「……これは、あの女の人達が貸してくれた。……人型に変身したら、慌てて着せてきた」

「なるほど」


 猫形態のエリンが人型に化けると、素っ裸の少女になる。見かねて服を貸すのも当然か。

 

「そういや、あの婦警さん達はなんで普通に動けるんだろ? 幼児退行に巻き込まれてもおかしくないと思うんだけど」

「……最初の頃は、赤ちゃん返りしてた。正気に戻すのに苦労した」

「解呪使えないもんなお前」


 じゃあどうやって元に戻したんだ? と尋ねると、エリンはなぜか頬を赤く染め、胸元を抑えるような仕草をした。

 一体何をやったんだよ?


「……大変だった……。二人とも私をママと呼びながら、おっぱいをねだってきた……」

「どうやって収めたんだそれ?」

「……満足させた」

「どんな風に?」

「……言えない」

「え、なんかめっちゃ気になるんだが」

「……言えない」

「ちょっとくらい語っても――」

「言えない」


 多分、聞かない方がいいのだろう。女心というやつである。

 

「……この国の人間は、幼児退行デバフが効きやすい。皆あっさり陥落する……」

「赤ちゃん返りへの耐性に、国籍って関係あるか?」

「ある」


 大いにある、とエリンは頷く。


「……精神干渉系の魔法は……相手を完全に操っているわけじゃない。魔法はそこまで万能じゃない。あくまで理性を緩めて、対象が心の奥底で望んでいるものを引き出すだけ。……酩酊状態に近いかもしれない」

「おいおい、それじゃ日本人は皆、いい歳こいてパパやママに甘えたい願望を抱えてる危ない民族ってことになるが」

「その通り」


 こくこくと二回も頷かれる。俺らってそんなに珍妙な民族か?


「……多分、離乳年齢が早いせい」

「離乳……って乳離れのことか」

「……そう。農耕生活を営んでいる民族は、どこも離乳が早い。……穀物で離乳食を作れるから、母親がすぐに授乳を切り上げるのが文化になってる。人間の子供は本来、三歳以上になっても乳を吸いたがるもの」

「現代日本で三歳過ぎても乳離れできてなかったら、異常事態だが」

「……早すぎる離乳の方が、生き物としては異常事態。……だから農耕民族の子供は、誰もが『もっと母親に甘えたかった、もっとおっぱいを吸いたかった』と思って育つ。その願いを押し殺したまま大人になるから、幼児退行デバフで簡単に赤ちゃん返りする。……狩猟採集生活を送っている民族は、離乳が遅いからそんなことにならない。そういう民族には、違うデバフを使わざるを得ない」

「へえ」


 ためになるようでならない、本当にどうでもいい雑学である。


「……デバフの使い手としては、こういう知識は死活問題」

「確かに」


 精神干渉系魔法は万能ではなく、あくまで心の奥底にしまってある願望を引きずり出すだけの代物、か。

 となると、相手が本気で嫌がっていることを無理矢理やらせようと思ったら、一体どれほどのエネルギーを消費するのだろう? どんな技術を用いればいいのだろう?

 

 そんなことを考えながら、俺とエリンは杉谷さん達の元へと向かった。

 いつまでも離乳トークなんてしてられないしな。

 さっさとここを脱出して、今後について話し合わねば。

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