第177話 お前だけいればいい

 俺とエルザが暮らしている屋敷の庭には、桜のようで桜ではない、不思議な花をつける木が植えてある。

 俺はここ数日、こいつを見上げるのが日課になっていた。


 綺麗だ。


 でも、これは俺が見たかった景色じゃない。

 日本の桜は、もっと優しい色をしている。

 こんな、血のように赤い花はつけない。


 俺がこの世界に召喚されて、もうすぐ四年目になろうとしていた。

 十八の春。

 もしも日本にいたら、大学受験の結果でハラハラしていた頃だろう。

 それとも中学時代の夢を追いかけて、ゲームクリエイターになるべく専門学校を目指していただろうか?

 あるいは、高卒で就職する進路を選んでいたかもしれない。


 ――どうでもいいことだ。


 何もかも手に入らなかった可能性で、今の俺にあるのは勇者の肩書きとエルザのみ。


「勇者か」


 この世界の人々は、皆その称号で俺を呼ぶ。

 けど、俺はそれを嬉しいと感じたことがなかった。

 強さや勇敢さを称えられても、何一つ心に響かない。


 敵を殺しても達成感はごく僅かで、罪の意識を抱くだけ。

 亜人にも家族がいるのかもしれない。そう考えると、喜ぶに喜べない。


 肉をえぐる感触。

 飛び散る血しぶき。

 生理的な嫌悪感にまみれた、戦いの日々。


 それでもここに来た頃よりは、マシになっている。

 

 俺は戦いを重ねるたび、鈍くなっていった。

 必要とあらば、機械的に敵を屠れるようになった。

 そのうち、罪悪感も抱かなくなるのかもしれない。

 

 人を楽しませるゲームを作りたかった男子中学生が、人々を安心させるため、敵を惨殺する勇者になった。

 この人生に、一体なんの価値があるだろう?


 強いだけの人間は、もう人間じゃない。

 殺して勝つだけなら、そのへんの熊にだってできる。

 

 ……いや。

 エルザと出会えたじゃないか。

 それで十分じゃないか。

 俺はそのために生まれたんだ。

 この世界に召喚されたのには、意味があるんだ。


 俺の人生は、無価値じゃないんだ。


 自分に言い聞かせるようにして、屋敷に戻る。

 玄関の扉を開け、靴を履いたまま奥に進む。

 日本にいた頃はまず靴を脱いでから家に上がっていたというのに、慣れたものである。


「おはようケイスケ」


 居間に入ると、台所からエルザが出てきた。

 長い髪を後ろで結い、ゆったりとしたワンピースを着込んだ姿は若奥様といった趣がある。


「おはよう、エルザ」


 俺は微笑み、エルザを抱きしめる。細くて柔らかい体は、本気で抱きついたら折れてしまいそうだ。

 どんどん堅く厚くなっていく俺の体とは、大違いだった。


「……ケイスケ、あの花が好きなの?」

「見てたのか」

「台所の窓から、庭はよく見える」

「故郷によく似た木があるんだ。桜っていうんだが」


 異世界に桜は存在しない。現地の言葉に訳しようがないので、日本語の発音で教えるしかなかった。


「サクラ。……かわいい名前」


 エルザが、カタカナ発音で日本語を口にする。


「だろ? だから俺の国のじゃ、女の子の名前に使ってたくらいだ」

「その花、好きなの?」

「ああ。日本人なら皆好きだと思う。春になったらわざわざ開花の時期を報せて回るくらいだ。で、酒とか食べ物とか持ち寄ってさ、皆で満開の桜を見ながら騒ぐんだ」

「楽しそう」

「楽しいよ、凄く」


 桜はどうしてそんなに人気があるの、とエルザは聞いてきた。


「すぐに散るから。しかも派手に、潔くな」

「散るのが好かれてるの?」

「……日本ってちょっと変わっててな。生き様よりも、死に様に美学を見出すところがあるんだ」

「死ぬのが綺麗?」

「他所の国だと自殺は最悪の行いなんだろうけど、俺の国だとに戦に負けた戦士が責任を取って命を絶つのは、名誉ある行為だと思われてた。恋人同士が手に手を取って心中するのも、ロマンチックだと思われてた時期がある」

「死にたがりな人が多い国なの?」

「……まあ今だと自殺は良くないって風潮に変わりつつあるんだけど……。それでも根底には死の美学が流れてると思う。泥水をすすってでも生き延びるくらいなら、美しく散りたい、みたいなさ。おかげで綺麗なままパーッと散っちゃう桜は、昔から愛されてる」


 エルザは首をかしげていた。

 異世界生まれの彼女に、どこまで伝わったかは怪しいものである。


「……わかるかもしれない」

「本当か? 気を使わなくていいぞ」

「ううん。わかる」

 

 エルザは俺の胸の中で、こくこくと頷いている。


「私も、歳を取ってしわしわのお婆さんになって、ケイスケに嫌われるくらいなら、若いうちに死にたい。ケイスケに愛されてる間に、死にたい」

「おいおい、俺はエルザがお婆ちゃんになっても嫌ったりしないって」


 心配性な奴だな、と頭を撫でる。

 黒くて光沢のある、まっすぐな髪。日本人女性のような髪。異世界人には珍しい見事な直毛を触っていると、故郷に戻ったかのような錯覚を覚える。


「……ケイスケは、周りの兵隊さん達と話が合う? サクラが好きなケイスケは、この国の兵隊さん達と、正反対だと思う」

「合うわけないだろ」


 当たり前だ。

 唯一絶対の神を信じているのだから我々は正しい、とまるで己を疑わない宗教感も、敵兵に対する容赦の無さも、命に対する醜いまでの執着も、どれも現代日本人である俺とは全くそりが合わない。


「俺が心を許してるのはエルザだけだよ」

「……フィリアさん達は?」

「最近のあいつらとは、上手くいってないし」


 フィリアはあまりエルザに会うべきではないとうるさいし、エリンもエルザを良くは思ってないようだ。

 先生は……態度には出さないが、エルザとの同棲には反対していたらしい。


「ケイスケは私以外の仲間を切り捨てるの? それでいいの?」

「それでいいんだ。お前以外に何も要らない」

「……そう」


 私もケイスケ以外要らない、とエルザは呟く。


「町の女の人とは、仲良くできない」

「……そうか。中々友達できないな、エルザは」

「ネズミの素焼きが好きだって言ったら、皆逃げてく」

「そ、それは……」


 エルザはなにせゴブリンの巣穴育ちなので、食の好みが少々変わっているのだ。

 俺に対しては気を使って人間らしい料理を作ってくれるが、一人でいる時はヤバげなゴブリン料理を作っているらしい……。


「ネズミ料理の良さはよくわからんが、食べ物の好みで浮いちまうのは俺にもわかるぞ。生魚や生卵を食おうとしたら、ドン引きされるからな」

「またオサシミ作ろうとしたの? ケイスケの国の料理は、変わってるよね」

「お前にだけは言われたくないぞ!?」


 ゴブリン料理は美味しいもん、とエルザは頬を膨らませた。

 わかったわかった、互いの育ちを馬鹿にするのは良くないよな、と俺は平謝りをする。


「食べ物だけじゃなくて。他にも、町の女の人とは合わないことがいっぱいある。私はあんなに着飾りたいと思わない。近所の人がどんな暮らしをしてるかなんて興味ない。夫が憎いって感覚も理解できない。人間の女の人は変わってる」

「お前も人間じゃないか、エルザ」

「人間の町で育った人間じゃない。普通の人間じゃない」

「……でもなあ」

「ケイスケもそう。この世界で育った人間じゃない。普通じゃない」

「エルザ?」

「ずっと悩んでた。ちゃんとした人間じゃない私は、どこに行っても異物扱い。でも、私以外にも仲間外れがいた。その人は私を大事にしてくれる。ケイスケは私と同じ、普通じゃない人」


 だから好き、とエルザは言う。


「私の人生は、ケイスケと出会えたから、意味がある。ケイスケに出会う前の人生は、人生じゃない」

「……そんなに俺がいいのか?」

「ケイスケ以外は、要らない」


 どこか危うささえ感じる愛の言葉に、


「俺もだよ」


 と答える。

 俺達はよく似ていると囁き、唇を吸う。


 エルザ以外、何も要らない。

 エルザ以外の全てに嫌われて構わない。


 他の誰かなんて……もう、どうだっていいんだ。

 もしもエルザと世界のどちらかを選べと言われたら、俺は迷わずエルザを選ぶだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る