第59話 やんなっちゃった

 まさに雌としか言いようのない、見事なまでの痴態である。

 まだ高校生の、ガキンチョのくせに。


 俺は一人の責任ある社会人として、こいつを正しい道に導かねばならないだろう。


「そうだな。せっかく二人になれたんだし、言っておくか」


 こそばゆい感覚に耐えつつも、威厳のある声を出してみる。


「こんな痴女みたいなことしてたら、ろくな人間にならないぞお前」

「それでいいよ。うちって母さんもお祖母ちゃんも十代で子供産んでるし。遺伝なんじゃない?」


 リオは笑っている。

 どこか開き直ったような、自嘲気味な笑顔だった。


「小学生の頃までは、皆より若い母親が自慢だったな。中学生になったらその意味がわかって、一気に嫌いになったけど。不潔、ってね。でも今は普通かな。馬鹿な生き方だと思うけど、気持ちはわかるようになったから」

「……何がわかったんだよ」

「ん? 妊娠して学校辞めるのも、悪くないかなって」


 リオの爪先は、俺の膝に乗せられている。


「勉強つまんないし、クラスの連中も馬鹿ばっかだし。中元さんとデキ婚した方が、楽しそうじゃん」

「俺を犯罪者にするつもりか? 自分の年齢を考えろ」

「十六でしょ。なんか問題ある? 親の同意があったら、結婚出来るはずだけど。母さんもあたしくらいの歳で最初の彼氏と籍入れてるし、すんなり許可出してくれると思うよ。なんだリオもかって感じで。しかも母さん、超ミーハーだし。芸能人なら皆好きみたい。だからあたしが中元さんを婚約者として紹介したら、大喜びだよ」


 リオは足先で俺のふくらはぎを、ちろちろとなぞり始めた。

 舌で舐め取られる、ソフトクリームになった気分だ。ぞわぞわとした甘ったるい寒気が、背中を駆け上がってくる。

 さすがにこれ以上は不味い。限度を超えている。


「いい加減にしろ」

 

 そう、少々荒めの声を出した瞬間。

 店内を流れる音楽が、日本人歌手によるポップスから、女声の洋楽へと切り替わった。


 不味い、と俺は身構える。

 咄嗟に耳を抑えようとするが、もう遅い。

 言語理解スキルが発動し、意訳された歌詞が頭の中に入り込んでくる。


『あかん あかん おかしくなってまう ほんまあかんでこれ 恋の漫才が 頭の中でバコーンなっとるねん』


 中元さん、笑ってるの? とリオは不思議そうな顔をした。


「なんだ、やっぱ嬉しいんじゃん。ニヤニヤしちゃって。いいよ、もっと触ったげる」


 俺の「言語理解」は、ちょっと変わった性質を持っている。

 異世界の共通語以外は、方言やスラングとして訳されてしまうのである。

 英語は今時珍しいくらいの、コテコテの大阪弁に意訳される。


『あーあかんあかん あんたの通天閣で おかしくなってまう こんなん東京もんには 無理やろ』


 俺が通訳の仕事を諦めたのは、これが原因だったりする。

 絶対笑ってしまうし、まず期待された訳し方は出来ないし、もはやハンディキャップではないかと言いたくなる。

 

「……楽しそうだね。なんかあたしも興奮してきちゃった。相手に喜んで貰えると、嬉しいね」

「違う……! そうじゃない……! 今笑ってるのは触られてるからじゃなくて……!」

「照れなくていいのに」


 耳を覆うと、リオとの会話がままならなくなる。

 かといってこのまま鼓膜をフリーにしてると、愉快な歌詞に腹筋を持っていかれる。

 なんとも下らないジレンマに悩んでいると、リオはテーブルの下にもぞもぞと潜り込んだ。


「……は?」


 俺の足元にうずくまり、白い手を伸ばしてくる十代女子。言語道断の危険行為である。


「……おい。自分が今、何をやってるのか理解してるか?」

「チャック開けようとしてるんだよ。ちゃんと理解してるけど」


 リオの額に手を押し付け、顔をどかそうと試みる。

 あとシャレにならないので、隠蔽魔法で見えなくなって貰う。

 

「ふざけるな。いくらなんでも、ここまで非常識な娘ではなかったと記憶してるが」

「あたしに常識なんて元々ないよ。あんな肥溜めみたいな家で育ったんだし、当たり前じゃん」

「だったらお前の兄貴もウンコなのか? 一回頭冷やせ!」


 ぐぐぐ、とリオの頭を押し戻し、これ以上近付いてこないようにする。

 デバフのおかげでちょうどいい腕力になっており、首の骨を折るなんてこともない。


「今日のお前はいつにも増しておかしいな? 随分投げやりな迫り方してくるじゃないか」

「別に普段通りだし」

「いいやおかしいね。お前が今朝送ってきた自撮り、昨日のと下着が同じだったからな。身なりに気を使ってるお前が、二日続けて同じのを着けるなんてまともじゃない。精神状態が表れてるんだよ。一体何があった?」

「そこで判断するんだ……さすがだね中元さん。もう女子高生の下着ソムリエじゃん」


 淡く笑いながら、リオは観念したような声を上げた。どういうわけか、傷ついたみたいな顔をしている。

 俺の方も最低最悪の称号を貰って、人生を悔やむ気持ちでいっぱいである。ガラスのハートが粉々である。

 すごすごと己の席に引き下がるリオを、力なく見つめる。


 なんだか、激戦を繰り広げたあとのような心境なのはなぜだろう。

 互いに「はあ」、とため息をつく。

 リオはテーブルに突っ伏し、授業中に居眠りするようなポーズになった。

 

「引いた?」

「割と。でもそれ以上に、心配になったな」


 顔を伏せたまま話しかけてくるリオ。涙声だ。

 相変わらず面白おかしい歌詞が店中に響き渡っているが、そろそろ気にならなくなり始めていた。


「嫌なことでもあったか?」


 返事は沈黙だった。


「俺もちょっと前までそうだったからわかるんだが、やぶれかぶれになってるだろ? 自分なんてどうでもいいって。伝わってくるぞ」

「……んー」

 

 無気力な、芯の通っていない音が返ってくる。単に声帯を鳴らしてるだけで、声になりきれていない音だ。


「……学校やんなっちゃった」

「まだ一年なのにか」

「辞めたい」

「イジメでも受けるのか?」

「……そこまではいかないけど」


 学生ってめんどくさい。結婚して主婦なりたい、とリオは弱々しい声を漏らしている。


「中元さんあたしのこと貰ってよ。ちゃんと家事もするよ?」

「そういうのは間に合ってる」

「そっか。外人の子をホームステイさせてるんだっけ」


 あの子ともうえっちした? とやはりとんでもない質問をしてくる。

 つくづく隠蔽をかけてよかったと思う。

 今のリオは周囲に姿が見えないし、声も聞こえない。


「してない。俺はあいつの保護者だ」

「ふうん。結構可愛い子なのに。もしかしてタイプじゃないんだ? ってか日本人じゃないと無理とか?」

「見た目も人種も関係ない。年齢が問題なんだよ。未成年に手を出してたまるか」

「……いいなあ」

「何が?」

「矛盾してるけど、あたしはあたしのこと抱きたくないって言う男に抱かれたい」

「なんじゃそりゃ」


 リオは顔を上げた。目は真っ赤に充血している。

 少し泣いていたようだ。


「『お前なんかまだ子供なんだから相手にするわけないだろ』って本気で嫌がるおじさんが、一番魅力的に見えるわけ。ちゃんとお父さんしてるじゃん。あたしのことやらしい目で見ないじゃん。そういう人が陥落して、あたしにキスしたり触ったりしてくれるのが理想」

「ものすごいワガママだな?」

「そうかな……? ……そうなのかも。……もうなんでもいいや」


 リオは腕を伸ばし、俺の指先にぺちぺちと触れてくる。

 今度の動きは妖艶な女のそれではなく、女児が男親相手に戯れるような雰囲気があった。

 

「お前、単に甘えたいだけなんじゃないか?」

「……わかんない」


 どうも今のリオは、すこぶる弱っているようだ。

 最近SNS上での『会いたい』ラッシュも激しくなっていたし、俺の知らないところで追い詰められていたのかもしれない。


「何か悩み事があるんだろ? 俺でよかったら聞くけど」


 やべ、これって落ち込んでる女を口説き落とす時の常套句だよな、と思っても後の祭り。

 きらきらと目を輝かせるリオと、好感度が1200上昇しましたのシステムメッセージが手遅れであることを告げてくる。


「この前、男子に告られた」

「よかったじゃないか」

「サッカー部で一番人気のイケメンなんだよね」

「ますますいい話じゃないか」

「でもそいつ女癖悪いし、おじさんじゃないし。興味ないもん。断ったよ」


 リオは俺の指を握り、無造作に弄んでいる。


「そしたらクラス中の女子があたしの敵になって、今に至るってわけ」

「……めんどくさいな」

「でしょ? なんか噂に尾ひれがついて、あたしの方から色目使ったあげく、他に好きな男が出来て振ったって話になってるし」

「イジメられてるのか?」

「そんなタマに見える? あたし女子の中じゃデカイ方だし兄貴もアレだし、直接何かしてくる度胸のある子なんていないよ」


 ただまあ、とリオは視線をそらした。


「誰も話しかけてこなくなったんだよね。危害を加えられたりはしないけど、いないものとして扱われてる感じ。最近のあたし、休み時間どうやって過ごしてると思う? 図書館籠もってんの。ウケるよね。周りにいる本物の虐められっ子とかオタクっぽい子とかは、ビビって近寄ってこないし」

「お前それイジメられてんだよ」

「……そうなのかな……」

「そうだろ。無視も立派な攻撃だって」

「そっかあ」


 スクールカーストを転げ落ちる時って、あっという間なんだね、とリオは呟いた。


「あたしのこと可哀想だって思うなら、嫁に貰ってよ。そしたらすぐ学校辞めるから」

「そうもいかないだろ」

「いいじゃん。あたしやろうと思えば料理だって出来るし。若いし。しかも処女だよ? よくグレてるって言われるけど、髪なんて一度も染めたことないし。そういうの好きでしょ、男の人って」

「間に合ってるんだよなあ」

「……なにそれ? まさか黒髪で料理をやってくれる処女の女子高生を、既に家で飼ってるとか?」

「そそそそ、そんなわけないだろ」

「だよね。そんな性犯罪界のカリスマみたいなこと、中元さんがするわけないよね。権藤じゃあるまいし」


 どうしたものかなあ、と腕を組んで顔を上に向ける。

 店の天井は高く、品のいい照明が並んでいる。


 俺がいくら強くても、高校生の、それも女子同士の人間関係に介入するなど不可能に近い。

 力になりたいのはやまやまなのだが、手の出しようがない。


「……中元さんとえっちしたら、元気出るかも」


 やまやまなのだが……。

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