第74話 因縁

「……神官長……?」


 戦闘中だということも忘れ、思わず剣を下ろしてしまう。

 俺は後ずさるように後退して、その女を見つめる。


 真ん中で分けられた銀髪に挟まれた、女神像の如き顔。

 青い瞳。真っ白な肌。

 首から下は、法衣の上からでもわかるくらい、女らしい起伏に富んでいる。

 きっと宗教画に描かれる聖母に、冒涜的なまでの色香を足せばこうなるだろう。


 神官長、フィリア。

 俺の最初のパーティーメンバーにして、最悪の宿敵。


 ふざけたことにこの女は、今年で四十六にもなるというのに、精々二十代後半ほどにしか見えない。

 純血の人間族なので、なんらかの手段を用いて加齢を止めているのは確実だ。


「どうしてお前がここにいる?」


 マリンブルーの瞳が、じっと見返してくる。

 俺はこの目が苦手だった。どこか人間離れしていて、ガラス玉を覗き込んでいるような気分になってくるからだ。


 だが神官長は、俺の真っ黒な目を見るのが好きだと言っていた。

 異世界では珍しい色だから。黒は高貴な色だから。価値が高いから。

 この女が俺を褒める時は、いつだってそんな形容詞を使った。

 価値。強さ。性能。それが男の甲斐性というものでしょう、勇者殿? と。


「相変わらず甘いですね、勇者殿。なぜすぐに私を切り捨てないのですか。仇敵を倒す、またとない機会だとは思いませんか」


 神官長は無表情のまま、淡々と言葉を綴った。

 パーティーの予算配分について語る時と、全く同じ顔だった。

 自分の命も金のやり取りも、この女の中では完全に等価値なのだ。


「……一時の感情に任せて敵を全滅させて、それでなんになる? 限界まで情報を搾り取って、そのあと処理を考えるべきだ。それを防ぎたいからこそさっきのゴブリンを処分したんだろ。違うか。これはあんたが教えてくれたことだよな、神官長フィリア殿」


 名前を呼んだ瞬間、神官長の睫毛がピクリと揺れた。

 あまり感情を表に出さない人物なので、こういった反応は珍しい。


「では勇者ケイスケ殿は、私に拷問をかけるつもりなのですね」


 あちらも名前で呼び返してきた。

 もう何年も互いを役職でのみ呼び合ってきたので、酷い違和感だ。


「俺がそれをやれないってわかってるから、わざわざ姿を現したんだろ?」

「お優しいことで。まだ戦友としての情が残っているのですね」


 やはり貴方は私が見込んだ通りの方です、と神官長は目を細めた。

 笑っているようにも、憐れんでいるようにも見える。

 おそらくはその両方なのだろう。


「アンジェリカにこざかしい悪霊をぶち込んで送ってきたのも、お前が絡んでるんだろ」


 俺は剣を上げ、切っ先を神官長の鼻先に向ける。

 あとほんの数センチ動かすだけで、この女の小鼻はえぐり取られる。


「そんなに俺がうっとうしいか。あっちの世界に報復しかねないからブッ殺したいって、そう思ってるのか」


 神官長は顔色一つ変えずに答える。


「半分は正解ですが、半分は違いますね」


 静謐さすら感じさせる声で、続ける。


「私は確かに、勇者殿を消したいと願っています。ですが同時に、貴方ならばこの苦難を切り抜けるだろうと期待してもいるのです」


 歪んだ仲間意識に、反吐が出る。

 俺は腕を動かし、神官長の右肩に向けて突きを放つ。


 相手は凄腕の神官である。一流どころの修道院を出た上に、数十年に渡って修行を積んできたのだ。

 まず一筋縄ではいかないはず。

 接近戦を意識して、結界を張っているかもしれない。

 強力なバフをかけていて、刃が通らないかもしれない。

 そもそも今ここにいるのは本人ではなく、幻影という線すらある。


 だからこれは、単なる牽制。

 大して期待はせず、様子見のつもりな攻撃だった。


 が。


「……んっ」


 なんと神官長の体は、無抵抗で俺の剣を受け入れたのだった。

 光と熱で編まれた刀身が、細い肩を貫く。

 肉の焼ける臭い、骨の溶ける感触。苦痛に悶える声。

 あまりのあっけなさに、刺したこちらがぎょっとなってしまう。

 

 こいつ、何を考えてるんだ?

 反射的に剣を引き抜く。


 明らかに今のは、生身の人間を切った時の手応えだった。

 そうなると、目の前にいるこの女は――


「ええ、そうですよ。察しの通り、私は神官長フィリア本人です。なんならステータス鑑定もして、確かめてみたらどうです?」


 神官長は肩を押さえながら、笑みを浮かべている。

 後衛職の、それも女性が真正面から勇者の剣撃を受けるなど、無謀としか言いようがない。

 だがあえて俺の剣を食らったのには、理由があるはずだ。

 

 俺は咄嗟に間合いを取り、防御の体勢に入った。

 経験上、甘んじて攻撃を受ける敵はカウンター狙いなことが多い。

 ダメージの反射。あるいは体内に仕込んだ毒が、傷口から吹き出してくる。果ては被弾と同時に、呪詛をかけてくるなど。


 しかしいくら待てども、反撃の気配は見られない。

 神官長はふらつきながら、魔法で肩を治療しているだけだ。


 カウンターではない?

 なら、なぜ本体が出てきた?

 どうして守りを固めない?


 狙いのわからないノーガード戦法は、不気味なことこの上ない。

 俺が戸惑っていると、神官長は「良かった」と呟いた。


「やっぱり手心を加えてくれるんですね。私が出てきたのは正解なようです」


 法衣の汚れを手で払いながら、神官長は近付いてくる。


「アンジェリカに憑依させたレイスが、消失したのはあちらの世界からも観測出来ました。てっきり彼女ごと屠ったのかと思いましたが、あの通り生きてらっしゃる」


 白い指が、居間で息を呑むアンジェリカを指す。


「敵には容赦がなくとも、味方に甘いのが勇者殿なのを忘れておりました。私としたことが、失態でしたね。あの娘が死なないように、あの手この手を打った末にレイスだけ仕留めたんでしょう? 大したものです。賞賛に値します」


 にっこりと、神官長は微笑む。


「貴方は人質を取られると、かえってやる気を出してしまう……思えば昔からそうでした。自分の体は平気で穴だらけにするのに、パーティーメンバーが傷つくのは酷く嫌がりましたね?」


 だから私は考えたんですよ、と神官長は言う。


「だったら人質と刺客、両方の役割をこなせる人間が、貴方を殺せばいい。これなら貴方は、自らの命を狙う相手に手を出せない。出せたとしても、普段の半分も実力が発揮出来ない。名案でしょう?」

「……自惚れてんな」


 ようするにこの女は、元仲間のよしみで俺の手が緩むのを利用しようというのだ。

 しかしそんなものは、口にしてしまったら最後、効果が薄れるのではないだろうか?


「俺は一度敵と認定したら、女子供だろうと斬り捨てるんだぜ。それはお前もよく知ってるだろ?」

「でも、斬ったあとに治療しますよね?」


 神官長の背後の空間に、無数の魔法陣が浮かび上がる。

 空中を回転する、銀色の円。中心に鎮座するのは六芒星。

 それらは一斉に光弾を射撃し、俺の全身を射抜いた。


「私としても辛いのですよ、勇者殿をこうやって処分するのは。だからこそ志願したのです。他の誰かに殺されるくらいならば、私がやった方がまだましですから……」


 光の矢が、肌を焼き焦がす。

 俺の魔法防御でも防ぎ切れないとなると、相当の火力だ。

 一本一本に、ちょっとした魔族なら一撫でで蒸発しうるほどの信仰が込められている。


「素晴らしい。そうして痛みにこらえる様も素敵です、勇者殿。その表情だけは、初めて会った時からまるで変わりませんね。覚えていますか? 貴方が初めて亜人の槍に腹を穿たれた時、治療してあげたのは私ですよね。いけないことですが、あの時も苦痛に顔を歪める貴方に、色気というものを感じていたのですよ。おわかりですか。あの世界で最初に貴方を男として意識したのは、エルザ殿ではなく私なのです。全く。どうして貴方は私のものにならなかったんでしょうね? 下賤な奴隷女なんかを選んだばかりに、こうやって処刑されてしまうのですから」


 パジュンパジュンと、甲高い射撃音が響き渡る。

 もはや光の雨とでも呼ぶべき光弾の群れに、なすすべもなく全身を貫かれる。


 遠ざかる意識の中で、神官長を見つめる。

 俺を今まさに撃ち殺そうとしているその女は、両目から涙を流していた。

 鼻を真っ赤にして。手足を震わせて。まるで自傷行為でもしているかのように、悲しげな瞳をしている。


「安心なさい。勇者殿を殺したら、ちゃんと天国に行けるよう祈って差し上げます。それが済んだら、後を追って私も死にます。貴方は一人ではないのですよ」

「……ふざけ……」

「愛してますよ、ケイスケ殿。自害する前に、貴方の死骸を用いて処女を喪失するのも悪くないかもしれませんね? ふふ。なんだか少しだけ、楽しくなってきました。この世で最後に貴方と交わる女が、エルザ殿ではなく私だと思うと、愉快じゃないですか」


 神官長は両手を広げ、一際大きな魔法陣を頭上に掲げた。

 形状と円の中に記された呪文からすると、一撃でこの町を吹き飛ばしかねない威力がある。

 一人の人間に用いるにしては、あまりにも過剰な火力だ。

 こんなのは敵城やドラゴンに向かってぶっ放す代物だろう。


 俺がただくたばるだけならともかく、巻き添えを出すわけにはいかない。


 急いで全身に回復ヒールをかけ、防御呪文の詠唱に入った。


 防御呪文……セイクリッドサークル……待て、それになんの意味がある?

 これは邪悪なものを近付けないようにする結界だが、神官長の使用する魔法は光属性ではないか。

 それに行動原理が俺への愛情となると、邪悪を払う魔法では防ぎきれない可能性がある。


 例え歪んだものであろうと、善意は善意なのだ。

 魔法は自我を持たない。それゆえに機械的な処理を行なう。


 まさかこんなところで俺は死ぬのだろうか?


「お父さん!」

「中本さん!」


 不穏な状況を察してか、リオとアンジェリカが飛び出してくる。

 神官長の目は、涙に濡れたまま二人の少女に向けられる。


「……エルザ殿……!?」


 俺が苦戦するほどの手合に、無謀にも接近を試みる。

 本来なら叱りつけたいところだが、今は大手柄だ。


 神官長はリオの姿を見て、驚愕に目を見開いている。完全に手の動きは止まり、詠唱も中断している。


 それもそうだろう。

 あんなにも憎んでいた恋敵に瓜二つの少女が、突然姿を現したのだから。


「馬鹿な……? 蘇生魔法? ありえない……。年齢も違う。まさか人体錬成に手を染めたのですか、勇者殿? 貴方はそんなにまでして奴隷女と過ごしたいのですか!」


 ようやく生じた隙をついて、俺は治療を完了させた。

 再び動くようになった体で全力の跳躍をし、神官長へと斬りかかる。


「オオオオオオ!」


 右肩から左ももにかけて、斜め方向の袈裟斬り。

 内臓ごと両断した、確かな手応えがあった。


「……おや……?」


 神官長は法衣をズタズタに引き裂かれ、真っ二つに分断される。

 上半身と下半身。二つに分かれた宿敵は、ゴトリと音を立てて床に転がった。


「助かったリオ。ナイスアシストだ」


 俺は魔法陣の消失を確認すると、神官長の髪を掴んだ。

 ぐいと持ち上げ、話しかける。


「あんたのことだから、これで終わりじゃないんだろ?」


 俺は神官長に解呪をかけた。自動回復で再生されては元も子もないからだ。

 それが済むと、喉を貫いた。

 直視するのははばかられるので、視線を外しながら。


「……げう……っ」


 声帯が無事なうちは、何度でも魔法を唱えることが出来る。

 後衛職を殺す時は、まず喋れないようにするのが鉄則だ。

 はじめからこうしていればよかった。けれど出来なかった。

 全ては俺の甘さが招いた過失だ。


 胸の内で悔やみながら、神官長の首を斬り落とす。

 尋問は行わなかった。

 いくらなんでも俺を好きだと言っている女にそれをするのは、ためらわれた。

 そういう意味では、神官長の狙いは的確だったと言える。


 俺はなんの情報も得られないまま、虚しい勝利を手にした。

 気分としては、引き分けだった。

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