第129話 デートオアデッド
蛇口の水を止め、アンジェリカの方へと向き直る。
潤んだ二つの碧眼が、真っ直ぐに俺を見つめていた。
相変わらずこの目を見ていると、胸がざわつくのを感じる。
男を狂わせる、魔性めいた光があるのだ。
俺は努めて平静を装い、アンジェリカの両肩に左右の手を置いた。
耳元に顔を近付け、諭すように言う。
「前にも伝えた通り、俺はお前が成人するまでは恋愛対象とは見なさない。わかってくれ」
「……なんでですか」
そんなに子供っぽいですか私、と上目使いに睨まれる。
「そうじゃない。お前のことが大事だからだ」
ちらりと居間の方に目を向けると、フィリアがベッドの上で飛び跳ねているのが見えた。
綾子ちゃんはというと、こちらに背中を向けて洗濯物を畳んでいる。が、あれは確実に聞き耳を立てている。俺にはわかる。この会話は盗み聞きされている。
よって絶対に失言は許されないのだった。
「私のことが大事なら、優しく抱いてくれればいいじゃないですか」
「……本当に大事だからこそ、あえて抱かないんだ。わかるだろ?」
「全然わかんないです」
「いや……なんだ……アンジェって未成年だし……小柄だし……細いし……触れると壊れちゃいそうというか……無下には扱えないというか……」
んんー? とアンジェリカは片眉を上げている。
どれがどのような意図を込めた表情なのかは、俺にはわからない。
「だ、だからえっと。お前の心身の健やかな成長を願っているからこそ、性の対象から除外しようとしてるの。わかるか? 本当にどうでもいい女が相手なら、こんな風に悶々しないって俺も」
「お父さんは私に悶々してるんですか?」
「……え? ……あ、ま、まあ。……今だって正直、直視するのもはばかれるぐらいで……いいか? 俺はな、体の方はお前に思いっきり女の魅力を感じてるんだぞ? 若くて綺麗な女の子! いい匂いがするし胸もおっきい! いくらでも抱けるよ! でも理性と親心で必死に抑えて、保護者の役割をこなさそうとしてんだってば! 多分アンジェのことをあらゆる意味で一番好きな男だぞ俺は!?」
「あー! お父さんまたやぶれかぶれになって恥ずかしいこと言ってる!」
【アンジェリカの好感度が200上昇しました】
今のは失言かな? と横目で綾子ちゃんを見る。
俺のボクサーパンツを固く握りしめ、わなわなと震えているのが確認できた。
割とやばい。
あちらを立てればこちらが立たずってやつだ。このままではドロドロの昼メロを展開することになりかねない。
我が家には包丁というものがあり、綾子ちゃんはこれの扱いが上手いのだから。
「……場所変えようぜ。ってか二人で出かける約束だったしな、元々」
はぁい、とすっかり上機嫌な声を出すようになったアンジェリカの手を取り、居間に向かう。
一人で綾子ちゃんに近付くのは、ちょっと怖くて無理なのである。
「今の会話、聞こえてた?」
「……」
絶対聞いてたよな? と確信をもって綾子ちゃんに聞いてみるも、無言で首を横に振られる。
背後に闇属性の炎がめらめらと燃えているイメージが見えるけど、本人が聞こえなかったと主張するのならば信じるしかない。
「俺とアンジェ、これからちょっと出かけてくるからさ」
「……そうですか」
帰りは遅くなりますか? と感情を感じさせない声で聞かれる。
今から出歩いたら、帰りは夜かもしれない。
「もしかしたら、晩飯は二人で済ませてくるかも」
「……わかりました」
怖え。
目のハイライトどんどん小さくなってるし。
「あの、中元さん」
「ん?」
「帰ったら私とも、二人きりでお話する機会を頂けますか」
「……綾子ちゃんと?」
「はい」
A 嫌だ。死にたくない。断る。
B 今日は疲れてるし、帰ったら早く寝たいんだよね。また今度にしない?
C もちろん大歓迎だよ。俺と綾子ちゃんの仲じゃないか。
「今日は疲れ」
「十時半頃。お隣の公園で待ってますから」
「はい」
有無を言わせぬ迫力があった。断れなかった。
「おとうさーん、私何着てけばいいと思います?」
底抜けに明るいアンジェリカの声に、なんでこいつは平気なんだろ? 疑問が湧いてくる。
ベッド下の引き出しをひっかき回し、一人ファッションショーを繰り広げているアンジェリカにそっと耳打ちをする。
(な、綾子ちゃん怒ってるよな? どうすりゃいいと思う)
(なんでアヤコが機嫌悪くなるんですか?)
(……お前さっき俺と台所で話してる時、何も感じなかったのか?)
(私お父さんと密着してると頭の中全部お父さん一色になるんで、周りなんて気にならなくなるんですけど。アヤコが何かしてたんですか?)
これはファザコンをこじらせているのか、単に周囲に興味がないのか。
おそらくはその両方だろう。
とどのつまり、アンジェリカも立派な外人さんってことなのだ。
日本人ほど、キョロキョロしないのである。周りを見ないのである。
唯我独尊というか、私は私の道を行くわ! な感じ。
逆に良くも悪くも大和撫子な綾子ちゃんは、洗濯物を畳みながら人間盗聴器と化す器用さを見せたのだった。
「そういえばアヤコ、元気ないですね。どうしたんです?」
不思議そうに小首をかしげるアンジェリカに、なんでもないですよ、とにっこり微笑んでみせる綾子ちゃんであった。
* * *
結局、アンジェリカは迷いに迷った末に、俺が最初に買い与えた服を選んだ。
グレーのパーカーに黒のタイトスカート、それとタイツ。要はリオのセンスで選んでもらった服なのだが、それでも初めての贈り物ということで、思い入れがあるらしい。
……下着もあの時のを穿いてるんだろうか。
「ふっふーん。ちゃんとパンツもあの日のやつにしてるですよ」
「奇遇だな、実は俺も一瞬だけ何穿いてんのかな、と考えた……って見せんでいい!」
ここ町中だろうが。
誰かに見られたらどうするんだよ、と思わずあたりを窺うが、人影は見当たらない。
昼から夕方に変わりつつある住宅街は、もうじき迎えるであろう帰宅ラッシュに向けて束の間の休息を取っているようだ。
寂しいとも言えるし、親子水入らずとも言える。
アンジェリカと二人、無人の道路を並んで歩く。どちらの影も身長より長く伸びていて、既に日が傾き始めてるのだと実感させられる。
「手ー繋いじゃいます?」
「それはさすがに恥ずかしい」
「隠蔽魔法使えばよくないですか? そしたら二人だけの世界ですよ」
ていうか私、今日は堂々と姿晒して大丈夫なんですか、とやや心配そうな声で聞いてくる。
「ああ、それなら問題ない。ていうかその件が本題だからな、今回の外出は」
「?」
「……あとで渡すものがある」
まあ楽しみにしててくれ、と声をかけて先を急ぐ。
別にどこで渡してもいいんだが、最近アンジェリカを構ってやれなかったのでしばらく楽しませることにしたのだ。
要するに、家族サービスである。
決してデートはでない。決して。
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