第208話 前門の猫、後門の狼


 俺はすっかり動かなくなってしまったエリンを抱きかかえると、寝室へと向かった。

 ドアを開けてまずチェックしたのは、ベッドの様子だ。


「お、寝てるな」


 俺の毛布にくるまって、すやすやと寝息を立てている女の子。

 今夜の添い寝当番――綾子ちゃんだ。


 知っての通り、俺は毎晩日替わりで我が家の女性陣と添い寝している。

 なんでもファザコン娘にとって「電気」「水」「ガス」「父親のいびき」はライフラインみたいなものらしく、定期的に一緒に寝てあげないと育児放棄に値するらしいので、必要事項なのだ。

 完全に意味不明だし、意味がわかったら人としておしまいな気がするが、必要ったら必要なのだ。


 で、よりによって今日は綾子ちゃんの日。

 最悪である。

 途中で目を覚ましたら、どんな猟奇イベントを起こされるかわかったもんじゃない。


 俺は物音を立てないよう、慎重にエリンをベッドに下ろした。パーティーメンバー同士だと隠蔽魔法は意味をなさないので、ひたすらも静かに動き回るしかないのだ。

 綾子ちゃんの隣……本来なら俺が潜り込むはずだった位置に、エリンの小さな体を滑り込ませる。


「……にゃ」


 猫耳魔法使いは、何かを期待するような目で俺を見上げていた。

 さて、これからどうする?


 まさか本当に抱くわけにはいかないし、どうにかして逃げ切らなければならない。

 俺はエリンの耳元に口を当て、囁く。


「とりあえず今日は一緒に寝てやるから、それで我慢しろよ」

「……にゃ」


 適当に腕枕でもしてやれば収まるんじゃね? という甘い判断だった。

 まあ、ここに連れてくる前に何度か浴室やトイレでスッキリさせてやったから、少しは収まってるはずだろうし。

 エリンの実年齢は二十代後半なので、本番行為にならない程度のサービスならば抵抗はない。

 フィリアの時と同じ理屈である。

 

 そういうわけで、今のエリンは割かし大人しくなっている。あとは猫の姿に戻ってくれれば何も言うことはないのだがら、未だに人型形態でもぞもぞと身をよじらせていた。


「……早く猫に戻れって。綾子ちゃんが起きるだろ」


 耳打ちしてみるも、エリンはいやいやを繰り返すばかり。

 はあ? まだ足りないっていうのか? どんだけ欲張りなんだこいつは。

 とても言葉では言い表せないような、不道徳であられもない、破廉恥な行為で鎮めてやったというのに。

 

「言っとくがあれ以上は無理だぞ。完全に一線を越えることになっちまう」

「……越えて、にゃ」

「駄目」

「……お金なら払う、にゃ」

「男女逆だろ、こういうのって」

「……第一関節まででいいから……」


 生々しいわ。

 やめろよな、と額を小突く。


 ……しょうがないな。


 ふうとため息をつくと、俺はエリンの隣に寝そべった。

 こいつが猫型に戻るまで、抱っこして時間を稼ぐか。

 俺はエリンを抱きしめると、寝返りを打って綾子ちゃんに背中を向けた。


 そう。

 俺は自分の体を使って、エリンの姿を隠そうとしているのである。

 すぐそこに綾子ちゃんが寝ているという、ギリギリのシチュエーションでだ。

 たとえるなら、妻が寝ている横で浮気相手を抱きしめる的な、情状酌量の余地があんまりない感じの行ないだった。仮に今綾子ちゃんが俺を刺したら、裁判員は皆綾子ちゃんの肩を持つだろう。


 ……頼むから寝ててくれ……。


 祈りを込めて目を閉じると、


「……中元さん?」


 起きた。

 いきなり起きた。

 綾子ちゃんが起きた……!


「……おかえりなさい。今日は遅かったですね」


 言いながら、綾子ちゃんはぴたりとくっついてきた。

 いわゆる「当ててんのよ」状態になっているようで、その豊かな膨らみが肩甲骨にぎゅむうううぅっと押し付けられているのを感じる。

 普段なら割と嬉しい状況なはずだが、今はただただ恐怖と焦りばかりが膨らんでいく。


「た、ただいま。もう遅いから寝なよ」

「……どうしてこっち向いてくれないんですか?」

「……」


 どう言い繕ったものか。俺は無い知恵を必死に振り絞ってみる。 

 女の子に背後から体を押し付けられた状態で、そちらを向かない言い訳。

 ……相手はまだ十七歳の処女。こっち方面で煙に巻くしかない。


「悪い、今はそっち向ける状態じゃないんだ。……わかるだろ?」

「……どういうことですか?」

「綾子ちゃんが胸を押し付けてきたせいでだぞ」

「……私のせい?」

「体が反応しちまって、女の子に見せられるような状態じゃないんだよ。わかってくれよ、俺だって恥ずかしいんだ!」

「……えっ、あ、それは……!? な、なんていうか、ごめんなさい……!」


 綾子ちゃんはこちらが申し訳なるくらい狼狽えると、それはもう凄まじい勢いで体を離した。衣擦れの音は「シュババッ!」だった。

 やれやれ。

 この子はこういうの耐性があるんだかないんだかわかんねえな。

 

 俺が勝利の笑みを浮かべていると、するすると背中に接近する気配があった。

 なんでだよ?


「綾子ちゃん?」

「……責任、取ります」

「え?」

「……私のせいでそうなったなら……わ、私が処理しないと……!」


 綾子ちゃんは俺の首に手を回した。


「……こっち、向いて下さい。中元さんのそれ……私がなんとかしてみます」


 状況が悪化した瞬間だった。

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