第137話 悪霊退散
なぜここに?
一体どうして隠蔽をかけているはずの俺達が見える?
瞬時に沸き立つ疑問と、導き出される回答。
――パーティメンバー同士であれば、隠蔽魔法をかけていても視認することができる。
そして二人の綾子ちゃんは、強制的に分裂させられた人間だ。双子ではなく、本人が二人いるのだ。
ならばどちらか片方がパーティーメンバーとしてカウントされると、もう一人もそのように扱われるということか。
同一人物が複数いるってのは、本当にイレギュラーな現象だ。何が起こるか予想できなくて、咄嗟の判断力を奪われてしまう。
だから俺は、取るべき行動を取れなかった。
「なんで貴方が生きてるんですか? なんで? ……死んで下さい」
言って、制服姿の綾子ちゃんは、鞄から取り出した紙束をもう一人の自分に投げつけた。
大量の……御札?
暗がりなのでよくわからないが、どういうわけかあの紙切れは、致命傷を負わせる効果があるらしい。
直撃を受けた方の綾子ちゃんが、苦しげにうめき始めたのだ。
「……あがっ……ぎっ……こ、これ……」
ぜえぜえと喉を鳴らし、身悶える綾子ちゃん。俺と暮らしている方の、綾子ちゃん。それが今、死にそうな声で喘いでいる。
「な……っ。なんなんだよこれ!?」
まさかあの紙束には、毒でも塗ってあるというのか?
俺は瞬時に拾い上げ、街灯に向かってかざす。
「写真……!?」
目を凝らすと、若い男女が腕を組んでいる写真だとわかった。
男の方は黒いタキシート姿で、女の方はウエディングドレスを着ている。
おそらく結婚式の時に撮られた写真であろう。
しかも新郎の顔は俺とそっくりで、新婦の方は大槻古書店の店主さんを若くしたような感じだ。
多分これ、綾子ちゃんの両親が結婚式を挙げた時に撮影したやつだ。
「……」
で、なんでこいつを投げつけられた綾子ちゃんは、護符を貼られた悪魔のように身悶えているのか。
若干馬鹿らしくなってきたが、念のため聞いてみる。
「綾子ちゃんはどうして、今にも死にそうな声を発してるのかな……?」
「……げほっ……げほげほっ! う゛え゛え゛ぇ゛……っ え゛え゛え゛っ……」
とても会話ができる状態ではない。何かを産みそうな勢いでえずいている。
さすがに気の毒なので背中をさすってみたが、綾子ちゃんの咳き込みは止まる気配がない。
「ははっ! あははっ! あははははははははははっ! どうですか、お父さんが他の女と結婚式を挙げた時の写真は! そうです、並のファザコンならば触れただけで皮膚がかぶれると悪名高い、『実父のウエディングフォト』ですよっ! あはっ、あははっ、あははははははははははははははっ!」
……それであっちの綾子ちゃんは手袋してるのか。俺は呆れる思いで、制服姿の綾子ちゃんを見つめる。
自分自身に効果てきめんで、その上法律に引っかからない凶器を用意したのだから悪質極まりない。
だが実害は全くないので、大槻綾子という人間を体現したかのような攻撃手段である。
「まだ終わりじゃないですよ……? ふふっ、うふふふっ。お父さんだけじゃないですからね……中元さんが女性タレントにベタベタされてるシーンのスクショを印刷したものも、たくさん持ってきましたからね……? これを顔面に貼り付けたら、貴方死にますよ? わかってるんですか? 相手が私自身だからって、手加減しませんからね……?」
「……やめ……やめて……」
死ぬのか?
綾子ちゃんならそれで絶命できるのか?
よくわからないが、この子ならありえそうなところが恐ろしい。
「……どうして私がここまでするかわかりますか? ……今日、呼び出しを食らったんですよ。生活指導の先生から、昼間に私が出歩いて、私服姿で買い物してるところを目撃されてるって! こんな屈辱、初めての経験です……! どうしてくれるんですか! ……どうして! なんで!? 死ぬって! 約束! したのに!」
なじられている方の綾子ちゃんは、頭部を抱えるようにして身を守っている。完全に無抵抗の姿勢だ。
「偽物! 偽物! 偽物! 偽物のくせに! なんで生きてるの! なんで! 貴方みたいな人間が!」
ただの罵倒と写真で、致命傷を負わせられるはずがない。それはわかっている。
だが、見ていて気分のいいものではない。
俺は綾子ちゃんの手首を掴み上げ、不毛な口論を制止した。
「やめたらどうだ」
俺の言葉に何を思ったか、綾子ちゃんの動きは停止した。
二人の少女の視線が、俺の顔に集まる。
「……え……。……中元さん……? 中元さんがどうして、もう一人の私といるんですか……?」
「今の綾子ちゃんは、俺と暮らしてるんだ。色々と訳があって」
「……は?」
制服姿の綾子ちゃんは、光のない目で己の分身をにらみつける。
「……そう……よりによって……中元さんをたぶらかして食い繋いでましたか……」
この淫売、と呪詛を吐くのが聞こえた。歯ぎしりの音も聞こえる。
「何を考えてるんですか貴方は!? ねえ!? 貴方まだ十七でしょう!? それが大人で、立場もある中元さんの家に転がり込んだら、どれだけ迷惑をかけるかわかってるの!? 終わりなんですよ、終わり! 貴方は悲劇のヒロインぶってて気持ちいいんでしょうけど、皆迷惑なんです! 私も、中元さんも!」
責められている方の綾子ちゃんは、ベンチの上でうずくまってひたすら言葉の鞭に耐えている。
他ならぬ本人からの罵倒なのだ、反論できないのもわかる。
だってこれは普段、両方の綾子ちゃんが考えていることなのだろうから。
見た目は双子同士の口論だが、実際は一人の人間が内面で葛藤しているのと変わらない。
自分自身との――戦いだ。
「……やっぱり私がきちんと自分で始末しておけば良かったんだ……こんな変質者、二人も要らないんですから……普通に学校に通ってる私ですら時々死にたくなるのに、貴方はなんで生き恥を晒してられるんです? ねえ? 貴方自分の将来とか考えてるの? 大槻綾子としての公的な身分は、私が独占してるんですよ!? 高校を卒業するのも大学に進学するのも私の方なんですよ!? じゃあ貴方には何ができるの! なんの価値があるの!? 大学教授の娘のくせに高校中退ですか!? 生きる意味ないでしょ、そんなの!」
「いくらなんでも言いすぎじゃないかそれは」
「中元さんは黙ってて下さい! ……これは私達の問題なんですから」
「それはそうなんだろうが」
学歴のことを言われると俺にも刺さるし、放っておけないというか。
俺はつい、口を挟んでしまった。
「ちゃんと高校行ってる方の綾子ちゃんが怒るのはわかるけど、俺ん家にいる方の綾子ちゃんだって、毎日よくやってくれてるんだぜ? 俺はおかげで助かってるし。そのなんだ、学校行けてないのは、保護者やってる俺の責任でもあるだろ……」
本当は綾子ちゃんを拾った時点で、大槻綾子とは別の日本人女性の身分を用意するべきだったのかもしれない。
そうすれば今ベンチで泣きじゃくっている方の綾子ちゃんも、真っ当な社会生活を送れただろうに。
あまりにも色々なことが起こりすぎて、そこまで配慮が至らなかったのだ。
「俺のせいなんだ。あんま怒らないでやってくれ」
掴んでいた手首を離し、ぺこりと頭を下げる。
これで少しは気が収まっただろうか?
ちらりと上目使いで綾子ちゃんの表情を確認してみると、修羅の如きオーラを発しているのが見て取れた。
もっと悪化してる。なんでだよ。
「……どうして中元さんが、あっちの私を庇うんですか……? もしかして同居してるうちに、情が移ったんですか……? まさかもう、男女の関係にあるんですか? えっちしたんですか? えっ? じゃあ私、あっちの自分を本当に殺さなきゃいけないんですけど……?」
「頼むから落ち着いてくれ。……俺達は至って健全な関係だぞ……まあ情が移ったのはあるかもしれないが」
「ほら、ほだされてるじゃないですか。所詮私ですからね、汚い手段を使って中元さんを誘惑したに決まってるんですよ。どうせあのクスリが完成したんでしょう? ねえ? 一体どれだけ中元さんに飲ませたの!? ねえ!?」
綾子ちゃんは声を荒らげ、己の片割れを罵倒し続ける。
クスリとやらがなんなのか知らないが、いつまでも同居人がなじられるのを眺めているわけにはいかない。
「俺は別にたぶらかされてなんかいない。自分の意志で綾子ちゃんを引き取って、面倒見てるんだ」
「……?」
ぴたりと綾子ちゃんの動きが止まる。二人ともである。
なじっている方の綾子ちゃんも、なじられている方の綾子ちゃんも俺の顔を見つめている。
本当に息の合ったコンビだ。
「……中元さんの意思で、私を引き取った……?」
どうして? と問いかけられる。
「それ、私もずっと気になってました……」
なんとずっと黙り込んでいた、俺と同居している方の綾子ちゃんも声を発した。
よほど興味があるらしい。
「どうして中元さんは私を拾ったりしたんですか? こんなのただの厄介者なのに」
「どうして中元さんは私を拾ったりしたんですか? こんなのただの厄介者なのに」
二人の綾子ちゃんは、綺麗にシンクロして質問をぶつけてくる。
その不気味な迫力に気圧されながらも、俺は考える。
そうだ、なんで俺は綾子ちゃんを拾ったりしたんだろう?
他に行き場がないとはいえ、未成年の女の子を自宅に連れ込むなんてリスクのある行為だったはずだ。
どこかにアパートを借りて、そこに一人暮らしさせてもよかったし、フィリアの時のようにホテルに缶詰にする手法も取れたはずだ。
なのになぜ家に連れ込んだ?
……同情していたから。それもある。
綺麗な女の子だから、話し相手として連れ帰ってしまった。それもなくはない。
だが一番大きな理由は、「こんな犯罪者予備軍を野放しにするのはあぶねえ」である。
もう片方の綾子ちゃんはご両親と一緒に暮らすからいいとして、こっちの綾子ちゃんは俺が手元に置いて監視しないとヤバイだろ、という公衆道徳に基づいた行動なのだった。
けれどそんな無礼千万な本音を言える俺ではない。
さすがの俺もそれくらいはわかる。
なのでつい、
「……好きだったからだ」
と誤魔化してしまった。
若い女を丸め込むフレーズが、他に思い浮かばなかった。
俺の口車は最底辺である。
「……好き……?」
「……好き……?」
「ああ。綾子ちゃんのことを気に入ってたから、だからうちで面倒見ることにしたんだ」
「え、ええ……っ!?」
「え、ええ……っ!?」
「俺はな、元々綾子ちゃん目当てで大槻古書店に通ってたんだよ! 気付かなかったのか?」
「ぜ、全然!」
「ぜ、全然!」
綾子ちゃんズが慌てふためいているのがわかる。さっきまでの悪鬼のような動作はどこへいったのか、乙女な動きで口元を覆っている。
いいぞ、効果はてきめんだ。
さっさと大人しくなれってんだ。
古書店に通ってた理由の一つに、綾子ちゃんが含まれてたのは嘘じゃないしな。
どうせ買い物するなら、綺麗な店員さんのいるとこがいい。これは男としては普通の感情だろう。俺は悪くない。
悪かったとしても悪くない。そんなべっぴんな顔に生まれてきた綾子ちゃんが悪いんだろうが。
ええ?
俺も今何を言ってるのか段々わかんなくなってきたぞ?
けど他に何も思いつかねえし。綾子ちゃんを大人しく引き下がらせるには、魔法で眠らせるとか暴力で恫喝するとか色々物騒な手段もあるにはあるんだろうが、仮にも自分に惚れてる少女にそんなことをしたかないし。
なので、おだてる。
豚もおだてりゃなんとやらだ。
エルザやフィリアと口喧嘩になった時だって、これで大体なんとかなったんだ。
頼むから丸く収まってくれ、と藁にもすがる思いで俺は叫び続ける。
「俺はたぶらかされたわけでも脅されたわけでもねー! 綾子ちゃんが家にいると気分がいいから一緒に暮らしてんだよ! 見た目がよくて家事もやってくれて、その上俺を好いてんだから悪い気はしねえ! ちょっと変わったところもあるけど今じゃ家族の一員だよ! わかったらとっととそっちの綾子ちゃんは自宅に帰ってくれ! 大槻家にだ! 君には実のお父さんがいるだろ! でもこっちの綾子ちゃんの保護者は俺しかいねーんだよ! しょうがないだろ!」
はあはあと肩で息をしながら、二人の綾子ちゃんの顔を眺める。
……どちらも愕然としているのがわかった。
いきなりおっさんから告白めいたことを言われて、引いているのだろうか?
固唾を呑んで見守っていると、制服の方の綾子ちゃんがぎこちない動作で回れ右をした。
「……私、帰ります……」
わかってくれたか? 声をかけてみるが、返事はない。
「……中元さんは私を好き……両思い……合法……婚前交渉……できちゃった婚……」
ぶつぶつと訳のわからないことを呟きながら、コートを羽織った背中は遠ざかっていく。
少女に使っていい表現ではないが、悪霊退散という単語が自然に浮かんだ。
「ふう」
さて。
これでようやく当初の目的である、話し合いができるってもんだ。
俺は地面に散らばった写真を拾い集めながら、綾子ちゃんに声をかける。
「邪魔者もいなくなったことだし、本題に入るか?」
「……いえ……結構です……」
もう長話する体力が残ってないんだろうか?
ベンチ裏の写真をポケットに突っ込んでいると、綾子ちゃんは俺の隣にしゃがみこんだ。
「……中元さんの気持ちはちゃんと伝わりましたから、大丈夫ですよ」
「あー、あれね」
実はあれはもう一人の綾子ちゃんを黙らせるための方便だったんだよ、と白状しようとしたところで、唇に吸い付かれた。
不意打ちのキス。
一日に三人の少女と口付けをこなす、正真正銘の外道が誕生した瞬間である。
「……よかった……中元さんも私を視姦するためにお店に来てたんですね……私達、同じことをしてたんですね……」
「いやあれはね、穏便に物事を解決するために……待て何を当ててる、綾子ちゃん? これなんだ? 暗くてよくわからないんだけど、この柔らかいものって君のどの部分なんだ?」
生暖かい吐息を耳元にかけられる。
【パーティーメンバー、大槻綾子が排卵しました】
……俺は取り返しのつかないことをしてしまったのではないだろうか?
しかももう片方の綾子ちゃんにもフラグが立っていることを考えると、親子丼ならぬ綾子丼を食すはめになるのではなかろうか?
不埒な想像をしていると、綾子ちゃんはとん、と俺を小突いた。
バランスを崩して尻もちをつくと、綾子ちゃんの顔が俺の股間に近付いてきたのが見えた。
「……両思いなら、問題ないですよね」
綾子ちゃんは口で俺のチャックを開けるという、実に器用な行為に及んでいる。
ちー、という音。
だめだ、それ以上はいけない。
ご両親の写真を下に敷いた状態で、娘さんと淫らなことをする鬼畜がどこにいる……!?
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