第84話 悪用

 俺はリオの肩に手を置き、話しかける。


「悪い。ほんの数ミリでいいから、皮膚を切らせてくれないか」

「……?」


 意味がわからない、といった顔でリオは首を傾けた。

 濡れた瞳が、じっと俺を見つめてくる。

 

「あいつを倒すのに必要なんだ」


 俺の父性スキルは、目の前でパーティー内の未成年者が負傷することで発動する、誘発型のスキルである。

 

 だがあくまで子供が怪我を負ったことが重要なのであり、「誰に」危害を与えられたかは問われていない。

 おそらく俺自らが子供に外傷を負わせても、問題なく起動するはずだ。

 あまりにも非道なので、まだ試したことはないが。


「それをやれば、勝てるの?」

「ああ」

「絶対?」

「約束する」


 ならいいよ、とリオは袖をめくる。


「でも痕が残らないようにしてね」

「任せろ。俺は器用な方じゃないが、刃物の扱いだけは自信がある」


 なんせ異世界でもこっちの世界でも、肉を切ってばかりいたのだ。

 俺は神聖剣スキルを発動させ、右手に光刃を生成する。

 

「――ふっ!」


 と息を吐きながらの一閃。

 細い腕をなぞるように、剣先を走らせる。


 刀身が皮膚を掠めるのと同時に、リオが「う」と短く唸った。

 白い肌に、じわりと赤い線が浮かび上がる。

 

【勇者ケイスケは、パーティー内年少者の負傷を視認】

【ユニークスキル「父性」が発動しました】

【180秒間、ステータスとスキル倍率を上方修正し、状態異常を無効化します】

【HP+2000%】

【MP+2000%】

【攻撃+2000%】

【防御+2000%】

【敏捷+2000%】

【魔攻+2000%】

【魔防+2000%】

【スキル倍率✕20】


 淡々と表示されたシステムメッセージを読み上げる。

 どうやら以前より、スキルの性能が向上しているようだ。

 そういえば増殖した自分を始末した際、大量のスキルポイント入っていたなと思い出す。


 俺はリオに回復魔法をかけ、下がっていろと声をかける。


 空中の神官長に狙いを定めながら、膝を折り曲げる。

 跳躍前の、溜めの体勢だ。

 きりきりと振り絞られる大腿筋。ポンプのように血液を送り出す心臓。


 俺は素の状態でも、数十メートルの高さまで垂直に跳び上がることが出来る。

 その脚力が今、二十倍の上方修正を受けている。

 これに身体強化のバフも上乗せさせ、限界まで飛距離を向上させる。


 イメージするのは発射前のロケット。あるいは弾丸を込めた狙撃銃か。


 頭の中でカウントし、ジャンプのタイミングを取る。


 一。ニ。三。


 神官長は右方向に旋回している。

 手元から手綱がずり落ち、天馬から振り落とされかけている。


 四。五。六。


 神官長の後方に、大量の転送門が出現する。

 遠距離からの火力魔法と、召喚術によるバックアップ。

 後衛職の理想形と言っていい戦法だ。

 

 七。八。九。


 門から出現した三体のグリフォンが、神官長を守るように取り囲む。

 なんて無様な悪あがき。

 それが逆効果だということすら、わからなくなったか――


 ――十。


 ドムッ! と轟音を立てて、俺は地面を蹴り上げる。

 足元のコンクリートが砕け散る、鈍い感触があった。


「フィリア!」

 

 本来、俺に飛行能力はない。

 翼も皮膜も持たず、二本の足で地上にへばりつく存在だ。

 人より高く跳べたとしても、それはあくまでただのジャンプに過ぎない。

 天馬に騎乗し、空中を自在に動き回る神官長とは雲泥の差だろう。


 だがしかし、スキルがその差を覆す。


【勇者ケイスケはMPを2000消費。二回行動スキルを発動】

【ユニークスキル父性の効果により、スキル倍率に20倍の補正がかかります】

【3600秒の間、一ターンにニ十一回の行動が可能となりました】


 一点の目標に目がけて、飛んでいく俺。

 風を切る轟音。遠ざかっていく地上。

 猛烈な勢いで、神官長へと接近する。


 通常の物理法則に従えば、たった一度の飛び込みに全てを賭けた、無謀な特攻だ。

 

 だが試行回数が二十に増えるとなれば、話は別。

 この世界にいないはずの、見えない透明の俺達。

 その全員が、神官長に向かって突撃を敢行する。


「フィリアアアアアアアアアアア!」

 

 叫びながら、腕を伸ばす。

 けれど残念なことに、数センチの誤差で狙いを外したようだ。

 神官長の脇、何もない空間を掴んだ俺は、虚しく海面へと落下していく。


 しかし俺はスキルによって、同時に二十一回までの行動を許されている。

 俺ではない俺。

 俺とは違う選択肢、別のルートから跳んだ俺が、無事に成功したのを見届ける。


 こうして思考している俺は、一人で落ちていく。

 されど別の俺は、神官長の騎乗するペガサスにぶら下がっている。


 世界はその矛盾を理解出来ない。

 ありえないはずの現象を、淡々とスキルに従って処理していくのみ。


 落ちると落ちない。

 相反する二つの結果が、同時にもたらされる。


 それによって生じたのは、「突然、俺が海上からペガサスの上に移動する」という結末だった。

 どうしてこうなったかなど、誰にもわからない。

 あえて推測するならば、これが一番無難だからではないだろうか。


 こうして思考している俺は神官長を捕まえるのに失敗したが、残りの十以上の俺は成功している。

 大雑把な話だが、より多くの俺がもたらした結果が優先されたのかもしれない。


「……勇者殿……!?」


 神官長は半ばパニック状態になりながら、俺を凝視している。

 よほど驚いたらしく、手綱を持つ手は震えている。


「よう。二人乗りなんて何年ぶりだろうな」


 俺は神官長の後ろに跨る形で、天馬に騎乗していた。

 暴れられては面倒なので、左腕で首を締め上げる。右手で手綱を掴み、ペガサスの操縦権を奪い取る。


「神官が接近を許した時点で詰みだ。諦めろ」

「……まだ私には時間逆行が残っていますが」

「そんなものはもうじき意味をなさなくなる」


 神官長の声は震えていた。

 予想外の俺の動きに、気圧されているのは明らかだった。

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